凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

玉子酒を作る

2007年06月21日 | 酒についての話
 酒は百薬の長、とよく言われる。
 この格言の出展は中国の史書「漢書」である。故事成語と言えばいいのか。もちろん漢書など読んだことはなく孫引きなのだが、原典は「夫鹽食肴之將 酒百薬之長 嘉會之好 鐵田農之本 名山大澤 饒衍之臧」で、「鹽(塩)は食肴の将であり酒は百薬の長、嘉なる会には実に好し。鐵(鉄)は農業の大本であり名山大沢(素晴らしい山や大いなる河川・湖沼)は豊饒の蔵である」ということであるそうな。百薬の長とは全く持って素晴らしき言葉である。どんな薬にも勝る、と訳せばいいのだろうか。
 もちろんこれは酒呑みの我田引水的解釈であることは百も承知である。どんな病気も酒で治るのだ、と言えば嘘つき呼ばわりされるに違いない。呑みすぎて肝硬変になる可能性もある。なんでも適量、ということが肝要だろう。
 酒の効用と言えば、まず精神安定でありストレス解消効果が上げられるだろう。ストレスから病気になることだってあるのだ。思いつめて胃潰瘍になるより、精神を酒によって和らげる方がいいに決まっている。酒はいつでも我々の味方だ。だから、酒を呑むことを強要する先輩や、酌を強いるセクハラ上司などはこれ皆酒の敵でありひいては健康の敵である。これは僕の持論。
 もっともそういう精神的な薬としての酒の効用もあるが、実際に薬としての力も酒は持つと言われる。古来、酒は薬として服用されたこともあったと聞く。文字通り百薬の長として。(しかし昔はお茶や砂糖や牛肉も薬だったわけだから、あまり力説も出来ないが)
 まず、適量の飲酒は血行をよくする。血液の循環がよくなると体も温まる。鬱血が病気の元であるのは間違いないところだ。さらに、適量の飲酒は善玉コレステロールを増加させるとも言う。コレステロールの善玉悪玉というのははっきりと色分けできないとは昨今言われていることだが、動脈硬化の予防にはなるらしい。生活習慣病予防にも繋がる。
 いいことづくめのようであるが、これはもちろん「適量」という但し書きが常についてまわる事柄であることはよく理解しなければならない。とくに僕のような酒呑みは、自制心こそが酒を薬に変えるのだ。反省も込めてここに書いておく。

 というわけで、玉子酒である(何が「というわけ」だ)。
 先週より僕は夏風邪を引いてしまった。あまり夏に風邪など引いたことがない僕は焦ってしまい、しかし病院に行くほど重症でもなく、これは酒を呑んで治してしまえ、という乱暴な論理を組み立てて、引いたその日の夕食は消化のいい食べ物とともに一杯の熱燗を呑んだ(一杯とは、うちにあった寿司屋用のデカい湯呑みで一杯ということである)。
 僕はこのブログ内では、燗酒は好むが度を超えて熱した「熱燗」は酒の良さを著しく損なうとずっと言ってきているのだが、この際そんなことも言っていられない。身体を温めて汗をかき毒素をみんな放出してしまいたい。なので強めの燗をした。舌が思わず引っ込むくらいの熱さにしたから、60℃近かったかもしれない。むせ返りそうになるのをぐっと堪えて呑んだ。それでも美味いのはなんたることか。
 さすがに身体が火照り、じんわりと汗が出てきた。いいぞいいぞ。その勢いで布団にもぐり込み即座に寝た。これで明日はケロリと治っているに違いない。
 しかしそうはいかなかったのである。うーむ。情けないことにまだグズグズと鼻水は落ち、高熱こそ出ないもののひたすらダルい。関節も痛い。そんな状態がしばらく続いた。
 これではいかん。幸いにして休日がやってきたので、ここで一気に風邪を撃滅させようと一計を案じた。
 休みの午前中、僕は妻に頼んだ。「玉子酒を作ってよ」と。

 「玉子酒」こそ風邪引きの切り札である。少なくとも僕はそう信じている。
 僕は時代小説の池波正太郎先生のファンであり、中でも「鬼平犯科帳」「仕掛人藤枝梅安」「剣客商売」の江戸シリーズが好きである。ここに出てくる人たちは、秋口、ちょっと冷えてきたりするとすぐに玉子酒をやる。実に粋である。鬼平こと長谷川平蔵など実によく玉子酒を賞味している。風邪に限らない。疲れがたまってちょいと精をつけたいとき、よく鬼平は玉子酒を所望している。
小鉢へ卵を割りこみ、酒と少量の砂糖を加え、ゆるゆるとかきまぜ、熱くなったところで椀にもり、これに生姜の搾り汁を落す。これが平蔵好みの卵酒であった。
久栄は、なれた手つきながら、凝と火の加減と箸の先を見つめている。(鬼平犯科帳)
 このようにちゃんとレシピまで書いてくれている。池波先生は実に親切なのである。
 しかし、これだけを手がかりにして作るのは結構難しいのだ。その火加減というものはやってみないと本当にわからない。
 玉子酒の身上は、その酒と卵が渾然一体として、とろりとした滑らかな喉越しを実現するところにある。しかしこれは難しい。卵というものは火を入れると瞬時にして固まってしまうものだからである。強火にすると酒の中に炒り卵が浮かんだようなシロモノとなる。これでは呑めない。かと言って、弱火でトロトロとやると日本酒の酒精分が飛んでいかない。僕は酒呑みだが、玉子酒に関してはある程度アルコールが飛ばないと旨くない。実にただアルコール臭い飲み物となってしまうのだ。卵とぬるいアルコールが混ざると、なんとも生臭い感じがしてしまう。(これは好みもあって、アルコール臭が好きな人は別に問題がないかもしれないが)
 というわけで上記のレシピではなかなか上手に出来ない。平蔵の奥さんの久栄さんは達人だが、素人ではそうそううまくいかないのである。

 失敗せずに作るやり方はないものか。と、料理本のようなものを出してみる。
 池波先生の作品群は、その食べ物の描写が実に細に入ったもので、読むたびに「ああ美味そう」といつも思う。読者はみんなそう思うようで、池波作品に登場する料理のレシピ本なども数冊出版されている。僕は好き者なのでそういう本も所持している。
 「剣客商売 庖丁ごよみ」という本がある。これはもちろん名作「剣客商売」シリーズに出てくる料理を再現しようという試みから出来た本で、調理はあの銀座の「てんぷら近藤」の近藤文夫さんが担当。近藤さんが山の上ホテルに居たころずいぶん池波先生は贔屓にしていたからな。この本に出てくる料理写真の数々には本当によだれが出そうだが、その中に「卵酒」もあった。
 ところが、である。近藤さんが作った玉子酒の写真を見ると、見事に「酒の中に炒り卵状態」になっているのだ。名人近藤、なんたることか。レシピを見ると、「器に熱い酒を注ぎ、その中に溶いた卵を加え、かきまぜる」となっている。おいおいそれじゃ固まっちゃうよ。それに近藤さんは卵を完全に攪拌していない。つまり白身と黄身がダンダラのままだ。僕は玉子酒の際には卵をちゃんとしっかり掻き混ぜてほしい。茶碗蒸しのようにさらしで濾せ、とまでは言わないが。誰も指摘する人はいなかったのだろうか。こんな掻き玉汁みたいな箸を使いたくなる玉子酒はいけないのではないか。それともこういう玉子酒も存在するのか。名料理人近藤さんの作ったものだが、僕にはどうも納得がいかない。

 もう一冊出してみる。「鬼平料理番日記」。これは、鬼平犯科帳がTVシリーズになった際に料理考証をされた阿部孤柳さんという料理家の出された本で、やはり載せられている料理の写真には生唾ゴクリなのだが、玉子酒もあった。
 そこでは、「小鍋に卵を割って入れ、酒と少量の砂糖を加え、混ぜ合わせて熱くなってきたら椀に盛って出来上がり」とある。完全に久栄さんのレシピのままだ。なお注意書きとして、掻き混ぜながら様子をよく見ろ、と書かれていて「加熱しすぎて玉子豆腐になってしまいますから、酒を先に鍋に入れて温め、その中に砂糖を加え、火を止めてから卵を入れて掻きまぜるとよいでしょう」とある。しかしこれでも難しいのだ。絶対に卵は固まってしまう。載せられた写真は、まだ近藤さんの炒り卵よりはマシとは言え、やはり多少酒と卵が分離している。
 
 ということで、池波式を僕は諦めた。なにかいい方法はないものか。
 別の本を読むと「土鍋で作ると良い」と書かれていた。なるほど熱伝導がゆるやかだからだろうな。江戸時代はそうやっていたのかもしれない。土鍋とか行平鍋とか。しかしそんなの面倒だ。
 結局、卵が固まるのは一気に熱が入るからだ。しかし酒はある程度熱くしたい。卵と酒の混合液を湯煎にかければ成功しそうだが、そうするとおそらく酒精分が飛んでいかないだろう。
 なので、混ぜ方に工夫をすればよいのではないか。卵と酒を混ぜて火にかけると分離しやすい。また、熱い酒に卵を投入する方法も固まりやすい。ならば、卵に熱い酒を少しづつ混ぜればよいのではないか。
 まず酒は鍋で煮立てる。アルコールに弱い人はここで火をつけてアルコールを飛ばすのもいいだろう。そして砂糖を加える。そうして、別椀によく溶いた卵を用意して、そこへ少しづつ熱い酒を加えていく。一気に加えれば卵が部分的に固まるのでゆっくりと。卵は常に攪拌しながらである。ぐるぐると箸で卵液を回転させ、たらりたらりと酒を加える。
 そうすれば…おお、成功したぞ。卵が固まるでもなく、心持ちクリーミーに仕上がっている。サラリとしたカスタードクリーム、と言えば言いすぎだろうが、さりとて濃度はある。酒は煮立てたので、卵で割ってもまだまだ暖かい。
 こうして、ようやく自己流の玉子酒作りは完結したのだ。人は失敗を乗り越えなければならない。
 なお、卵は卵黄だけ使用するのがよい、ともされるが、味は確かにそちらの方がいいかもしれないが、風邪の場合は卵白が身体にいいので(卵白に含まれるリゾチウムが風邪のウィルスに効果アリなのだ)、全卵を使用するのがいいと思われる。

 ということで、今回の玉子酒。僕は風邪引きさんなので妻に調理を頼んだ。ただ、今まで玉子酒は僕がいつも自分で作っていて、人に頼むのは初めてである。うまく作って欲しいので、レシピの注意点を口が酸っぱくなるまで伝えたのだがやはり気になる。結局、鍋で酒を煮立てて卵を混ぜてもらった時点で僕も台所に立ってしまった。ここいらへんが僕の神経質で嫌がられるところなのだよなぁ。
 さて、横からやいのやいのと僕が言うので煩がられたが、ようやく風邪引きの切り札、玉子酒が出来上がった。ふふふ。しっかりと酒と卵が渾然一体となったやつですぜ。では一口。
 
 美味いじゃないか…。

 百薬の長の代表選手として今回は玉子酒に出馬してもらったので、味よりも効用が重視されるとは思うが、やはり口に入れるものは美味いほうがいい。巷では玉子酒に甘味を加えるのは邪道との意見もあるのだが、ぼくにはやはりほんのり甘い方が美味いと思うし、何より滋養強壮によい感じがする。
 卵L玉ひとつに砂糖少々、酒は一合五勺くらいか。酒が多いようにも思うが酒精分を飛ばしてあるのでさほど酔うという感触はない。何より芯から温まる。何より僕には「これを呑めば治る」という信仰のようなものがあり、それが精神的に体調を良い方向へ持っていくのだとも思う。自己暗示だな。
 そして、即行布団へ。とにかく無理をしてでも寝るのだ。

 さて、どうなったか? もちろん治りましたよ。こうやって何とかブログも書いています。玉子酒は偉大なのである。



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4 コメント

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Unknown (明石家_1955)
2007-06-23 21:44:08
お酒さまさまですね。
お酒に感謝しすぎて飲み過ぎないように!!
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>明石家はん (凛太郎)
2007-06-24 16:20:15
酒も身体に悪いばっかりじゃないのです。ちょっと弁護したくなったりして(笑)。でも過ぎたるは及ばざるが如しであるのは重々承知しております(汗)。
返信する
初心者 (アラレ)
2007-06-26 00:32:48
日本酒初心者の私には
温かい日本酒はやっぱり苦手です。

適量という話がありましたが
電車で、出かけた先で飲んでいるとかなり飲んでも
ちゃんと帰れるけど
頼れる状況だったり、自宅だったりするとなぜか
少量でもダウンしちゃいます。

出来れば、貸し切り露天風呂のある温泉で
美味しく冷えた日本酒とイカの塩辛で飲みたいと
思うのは、歳をとったせいでしょうか・

昔は、ホテルの最上階のバーで
マティーニを飲むことにあこがれていたのですが…。

ホテルのバーよりは
温泉の方が似合うのは言うまでもありません(笑)

単なる酒好きの話になっちゃいました。
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>アラレさん (凛太郎)
2007-06-26 23:05:05
不思議なもので、確かに外で呑むほうが酒量は増えますね。これは必ずしも同行者との会話が酒を誘発するから、というわけではないようです。一人酒でもカミさんとの酒でもやっぱり呑みすぎる。家で呑む方が安上がりなのだから外でそんなに呑まなくても…と同居人には言われますが、確かに酔いの速度は違うような気がします。
アラレさんも気がつかれている通り、外という緊張度合いがそうさせているのですね。

適量を守って酔うには、やはり油断が必要なのかもしれません。さすれば、露天風呂付きの上等な旅館の部屋がもっともいいのかも(笑)。もうおそらく緊張感などゼロでしょうから。わはは。

ホテルのバーなどの話はそういえば全然書いていませんね。僕も温泉の方が似合うのは言うまでもありません(笑)。
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