このところ、寝る前に果実酒を呑んでいる。
かつてブログを書きながらの一杯というのはウイスキーやブランデーだったはずなのだが、今はイチゴ酒やあんず酒となっている。全くどういうことになってしまったのか。
といって、好みが変わったというわけではない。連日呑んでいる理由は、とにかく家にたくさんあって場所をとるのだ。4ℓ入りの巨大瓶がゴロゴロ。呑んでいかないと「足の踏み場もない」は大層な言い方かもしれないが、実際同居人はつまづいている。その多くを台所に並べているため顰蹙をかっているのだ。
こんなふうに家が狭くなってしまったのは、僕の親父のせいである。
僕がまだ少年の頃の話。
親父が買って来たのかどこかで貰ってきたのかの記憶は定かではないのだが、うちにでかい果実酒用の瓶と、いちごのパック、氷砂糖と焼酎が並んだ。
「いちごのヘタを取れ」
と親父は子供たちに命令し、ヘタを取ったらよく洗って水気をとり、氷砂糖と酒を瓶に入れて密封した。
「これから酒を密造するのだ。ふふふ」
などと子供向けに楽しそうに親父は言っていたが、これが密造などではないことなどいくら小学生でもわかる。いわゆる「果実酒」作りである。
そうして何ヶ月か経った。酒に漬け込まれたいちごの色が抜けた頃、親父はいちごを取り出して一口呑んで、「あんまりうまくいかないな」とひとりごちていた。当方は子供なので呑んでいないしわからない。
取り出したいちごをおかんは火にかけアルコールを飛ばしながら煮て、色の悪い(いちごは色素が抜けて既に赤くない)ジャムが出来上がった。これは子供の口にもわかる美味さで、すぐに消費されてしまった。あとには「あんまりうまくない」赤い果実酒が残った。
子供であった僕は果実酒に興味はなく、それきりどうなったかは憶えていない。だが親父は悔しかったのか、それ以来毎年果実酒を作っていたようなのである。いちごだけではなく、かりん、びわ、あんず、ライムとさまざまなものを漬け込んでいたようだ。
そうして幾年月。僕は成人して家を出た。果実酒なんてものの存在は忘れていた。
あるとき実家に帰ったときのこと。ごく最近のことである。
おかんが僕に言った。
「おとうさんが作ってた果実酒、物置にいっぱいなんよ。ホンマどないしたらええんやろ」
「?!」
あれから親父は果実酒を作り続けていたのだ。それが呑みもせずに物置に山積みになっていて場所をとってたまらんのだとおかんが愚痴る。まさかずっと作り続けていたとは。物置には4ℓの瓶がなんと40瓶ほどもあっただろうか。唖然としてしまった。
親父に僕は言った。
「こんな呑みもせんもんをどないするんや。おかんが困ってるで」
「うるさい(ちょっと小さい声)」
「そうかて、おとんは自分で呑まへんやんか。そやのに作り続けたんかいな」
言い忘れたが、親父は下戸なのである(汗)。
おそらく呑もうと思って親父は作っていたのではないだろう。作ること自体が面白かったのに違いない。ストレス解消だったのかもしれないが、果物を酒に着けて蓋を密封し、日付を書き込んで仕舞う、時々眺める、そういうことで楽しんでいたのだろう。好事家の部類である。
「これは、老後の楽しみにとってあるんや。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「そんなもん…」
70をとうに過ぎて今がもう既に老後やないか、と言いかけて僕は言葉を飲み込んだ。こう言えば意固地になるに決まっている。しかし歳をとってますます酒に弱くなっている親父が、この4ℓの酒の山を呑み切れるわけがない(呑む気もないのに)。
親父の気持ちもあるのでこのままずっと(一生)置いておくという手もあるのだが、とにかく場所をとるのでおかんの忍耐も切れかかっている。この酒のせいで仕舞えないものが溢れているのだと言う。僕は親父をなだめすかし、僕も呑みたいので分けてくれないかと頼み、そのうちの半分程度を車に山積みにして帰った。おかんは「ああすっきりした。あと半分もいずれ持っていって」と僕に言い、晴れ晴れとした顔をした。
うちに帰り、それらの瓶を眺めた。普通果実酒は1~2ヶ月程度で中身を取り出す。しかし、これらはまだ果実が入ったままである。作りっぱなしで開けることを全くしていない。日付を見れば、なんと25年前のものまである。本当にこんなものが呑めるのだろうか。
おそるおそる蓋を開ける。25年経ったいちご(驚)を取り出し、そのいちごはさすがにジャムにもならないので処分し、一口呑んでみる。大丈夫だろうか。
「あ…呑める…」
なんと言っても香りが素晴らしい。芳醇と言っていい部類に入るのではないか。口当たりはまったりとしている。「あんまりうまくない」はずだったものが、歳月を経て熟成したのだろう。なんせ25年モノなのだ。
しかし…さすがに下戸が作った果実酒である。ものすごく甘い。砂糖をもう少し加減していたら、貴腐ワインのように味わい深い立派なリキュールであったろうに。惜しい。砂糖を控え、果実をちゃんと取り出して保存していたら。物置は温度管理もなされていない。しかしそんな悪条件にも関わらず酒は生き続けたのだ。
親父に電話をした。
「いやぁ美味かったで。さすがは親父やな(我ながら口が達者である)」
「そうかそうか。ほんならワシも呑んでみるかな」
この果実酒は甘すぎるのだが、逆に下戸には口当たりがいいだろう。ただ密封してあったので結構アルコール度数を保っている。調子に乗って呑むと親父が心配だ。
「今度行くときに開けよう。一緒に呑もうや」
監視付きでないととても呑ませられない。いい歳なんだけれどもアルコールに対する免疫が親父にはないからなぁ。
しかし、果実酒の実力は凄いと思い知った。なんだか僕も作りたくなってきた。もう少し砂糖を控えてちゃんとお世話をして育てればもっと芳醇なリキュールに成長するはず…。
そういえば僕も、親父が果実酒を作り出した年齢に近づいている。そのことに気がついて苦笑しながら、今夜はかりん酒のオンザロック。
かつてブログを書きながらの一杯というのはウイスキーやブランデーだったはずなのだが、今はイチゴ酒やあんず酒となっている。全くどういうことになってしまったのか。
といって、好みが変わったというわけではない。連日呑んでいる理由は、とにかく家にたくさんあって場所をとるのだ。4ℓ入りの巨大瓶がゴロゴロ。呑んでいかないと「足の踏み場もない」は大層な言い方かもしれないが、実際同居人はつまづいている。その多くを台所に並べているため顰蹙をかっているのだ。
こんなふうに家が狭くなってしまったのは、僕の親父のせいである。
僕がまだ少年の頃の話。
親父が買って来たのかどこかで貰ってきたのかの記憶は定かではないのだが、うちにでかい果実酒用の瓶と、いちごのパック、氷砂糖と焼酎が並んだ。
「いちごのヘタを取れ」
と親父は子供たちに命令し、ヘタを取ったらよく洗って水気をとり、氷砂糖と酒を瓶に入れて密封した。
「これから酒を密造するのだ。ふふふ」
などと子供向けに楽しそうに親父は言っていたが、これが密造などではないことなどいくら小学生でもわかる。いわゆる「果実酒」作りである。
そうして何ヶ月か経った。酒に漬け込まれたいちごの色が抜けた頃、親父はいちごを取り出して一口呑んで、「あんまりうまくいかないな」とひとりごちていた。当方は子供なので呑んでいないしわからない。
取り出したいちごをおかんは火にかけアルコールを飛ばしながら煮て、色の悪い(いちごは色素が抜けて既に赤くない)ジャムが出来上がった。これは子供の口にもわかる美味さで、すぐに消費されてしまった。あとには「あんまりうまくない」赤い果実酒が残った。
子供であった僕は果実酒に興味はなく、それきりどうなったかは憶えていない。だが親父は悔しかったのか、それ以来毎年果実酒を作っていたようなのである。いちごだけではなく、かりん、びわ、あんず、ライムとさまざまなものを漬け込んでいたようだ。
そうして幾年月。僕は成人して家を出た。果実酒なんてものの存在は忘れていた。
あるとき実家に帰ったときのこと。ごく最近のことである。
おかんが僕に言った。
「おとうさんが作ってた果実酒、物置にいっぱいなんよ。ホンマどないしたらええんやろ」
「?!」
あれから親父は果実酒を作り続けていたのだ。それが呑みもせずに物置に山積みになっていて場所をとってたまらんのだとおかんが愚痴る。まさかずっと作り続けていたとは。物置には4ℓの瓶がなんと40瓶ほどもあっただろうか。唖然としてしまった。
親父に僕は言った。
「こんな呑みもせんもんをどないするんや。おかんが困ってるで」
「うるさい(ちょっと小さい声)」
「そうかて、おとんは自分で呑まへんやんか。そやのに作り続けたんかいな」
言い忘れたが、親父は下戸なのである(汗)。
おそらく呑もうと思って親父は作っていたのではないだろう。作ること自体が面白かったのに違いない。ストレス解消だったのかもしれないが、果物を酒に着けて蓋を密封し、日付を書き込んで仕舞う、時々眺める、そういうことで楽しんでいたのだろう。好事家の部類である。
「これは、老後の楽しみにとってあるんや。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「そんなもん…」
70をとうに過ぎて今がもう既に老後やないか、と言いかけて僕は言葉を飲み込んだ。こう言えば意固地になるに決まっている。しかし歳をとってますます酒に弱くなっている親父が、この4ℓの酒の山を呑み切れるわけがない(呑む気もないのに)。
親父の気持ちもあるのでこのままずっと(一生)置いておくという手もあるのだが、とにかく場所をとるのでおかんの忍耐も切れかかっている。この酒のせいで仕舞えないものが溢れているのだと言う。僕は親父をなだめすかし、僕も呑みたいので分けてくれないかと頼み、そのうちの半分程度を車に山積みにして帰った。おかんは「ああすっきりした。あと半分もいずれ持っていって」と僕に言い、晴れ晴れとした顔をした。
うちに帰り、それらの瓶を眺めた。普通果実酒は1~2ヶ月程度で中身を取り出す。しかし、これらはまだ果実が入ったままである。作りっぱなしで開けることを全くしていない。日付を見れば、なんと25年前のものまである。本当にこんなものが呑めるのだろうか。
おそるおそる蓋を開ける。25年経ったいちご(驚)を取り出し、そのいちごはさすがにジャムにもならないので処分し、一口呑んでみる。大丈夫だろうか。
「あ…呑める…」
なんと言っても香りが素晴らしい。芳醇と言っていい部類に入るのではないか。口当たりはまったりとしている。「あんまりうまくない」はずだったものが、歳月を経て熟成したのだろう。なんせ25年モノなのだ。
しかし…さすがに下戸が作った果実酒である。ものすごく甘い。砂糖をもう少し加減していたら、貴腐ワインのように味わい深い立派なリキュールであったろうに。惜しい。砂糖を控え、果実をちゃんと取り出して保存していたら。物置は温度管理もなされていない。しかしそんな悪条件にも関わらず酒は生き続けたのだ。
親父に電話をした。
「いやぁ美味かったで。さすがは親父やな(我ながら口が達者である)」
「そうかそうか。ほんならワシも呑んでみるかな」
この果実酒は甘すぎるのだが、逆に下戸には口当たりがいいだろう。ただ密封してあったので結構アルコール度数を保っている。調子に乗って呑むと親父が心配だ。
「今度行くときに開けよう。一緒に呑もうや」
監視付きでないととても呑ませられない。いい歳なんだけれどもアルコールに対する免疫が親父にはないからなぁ。
しかし、果実酒の実力は凄いと思い知った。なんだか僕も作りたくなってきた。もう少し砂糖を控えてちゃんとお世話をして育てればもっと芳醇なリキュールに成長するはず…。
そういえば僕も、親父が果実酒を作り出した年齢に近づいている。そのことに気がついて苦笑しながら、今夜はかりん酒のオンザロック。
もっぱら缶チューハイのお世話になってます。
焼酎(安いやつ)を100%ジュースやアイスコーヒーで割ったりもします。
お父様のお手製ゆえのおいしさ
…う~飲みたい!!
毎晩楽しめる幸せを味わいながら
飲んで下さい。
甘いお酒は量が飲めない?
それぐらいがいいのかも知れませんよ。
今夜はパイナップルの缶チューハイを飲んでます。
25年もののお酒は宝物ですね。
酒と思い出は古くなるほど甘くなる…と
みゆきさんも歌ってますね。
缶チューハイはほとんど飲まないんですよ。別に嫌っているわけでもないんですけどねー。今は甘みのある酒は家では飽和状態なもんでちょっと手が出ない(汗)。
どんな粗雑な作りの果実酒も、25年も経てば力を発揮します。ここ最近は17年もののかりん酒でございます。これも美味いですよ♪
「同じだ♪」ってビックリしてしまいました。
でも私のは単に書いただけですから凛太郎さんのステキな文章と同じにしたら失礼ですm(_ _)m
こちらの記事で書いたのですが「イチゴ酒」ってあるんですね~。
今度やってみようかなぁ。
で、カリン酒も作ってみたいんですよ~。
自分で好きなものを作るって楽しいですよね♪
私も無類の酒好きで、手酌が一番好きです!
この、“酒についての話”は酒の肴にもってこいですね!(^^♪
いやぁ、僕は酔わないとブログが書けない不届きものでございまして、質より量の酒の話を書き散らかしております(汗)。
先日の組長さんの記事、拝見致しました。楽天の方々の飲み会のお話だったようで、部外者なのでコメントは遠慮したのですが、あの画像は片野桜の「富楼那」ですよね(涎)。ありゃあ大阪の酒でありながら「幻の酒」。垂涎ですよまさしく(笑)。うらやましい。たまには大吟醸もいいですよねぇホント♪