凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

うめまつり「北山杉」

2008年02月13日 | 好きな歌・心に残る歌
 ご当地ソングというものがある。
 これは歌詞の中に街の名前や山や川の名称、また例えば祭りなどの習俗を織り込んだもので、なんと言うかな、郷愁のようなものを生み出す効果を上げようとしている歌のことを指す。
 あらゆるジャンルに存在する。クラシックに至ってもオペラと連動すれば、例えばロッシーニの「セビリアの理髪師」なんてのはスペインのご当地ソングであると言えれば言える(無理があるか)。また民謡なんてのは当然地域に密着しているわけで全てがご当地ソングであるとも言える。
 日本ではまず演歌だろう。それこそ列挙に暇がないが、最近は水森かおりなんてご当地ソングしか歌わない人もいるほどで、たいていヒットする。試みに47都道府県全てにあるかと思い浮かべてみたら、ずいぶん偏りがある。演歌に詳しければ全て列挙できるのだろうけれども、疎い僕はどうしても思い浮かばない都道府県もある。また教えてください。→ご当地ソング

 演歌は詳しくないし話が進めにくいのでフォーク系に絞っていきたいと思うけれども。
 この「ご当地ソング」には二つの視点があると僕は考えている。それは旅人視点か、それとも現地視点か。
 北海道を例にとると、「知床旅情(加藤登紀子)」「襟裳岬(吉田拓郎)」「岩尾別旅情(さとう宗幸)」なんてのは旅人視点である。「宗谷岬(ダカーポ)」などは旅人が出てこないけれども、現地に密着しているとも言い難い。これはやはり観光客視点だろう。
 逆にふきのとうの「山のロープウェー」「初夏」や中島みゆきの「ミルク32」「南三条」、また松山千春の数多くの曲などは北海道の人が歌う北海道の歌だ。
 そんなふうにして地名や土地の風俗を綴った歌を聴いていると面白い。 

 僕は京都で生まれ育ったので京都について考えてみたいと思うのだけれど。以下書くことは僕個人の感想であり京都出身者全ての感想ではないことは申し添えなければならないが。
 京都にも旅人視点か現地視点かで二面性がある。名だたる観光地であり旅人はガンガンやってくる。そして、住んでいる人間も多い。学生が多く、かつては「関西フォーク」のメッカであった土地柄で、地元から住人視点で作られた歌も多い。それらが混在している。だから面白いのだけれども。

 京都にまつわる歌と言えば、デュークエイセスの「女ひとり」や渚ゆうこの「京都慕情」などのいかにも観光地の名称をつらつらと並べた歌を連想する人が多い。「京都~大原三千院~」とか「あの人の姿懐かしい 黄昏の河原町~」とかね。フォーク系で言うとかぐや姫の「加茂の流れに」を思い出す人が多いと思う。

  やさしい雨の祇園町 加茂の流れにうつるあなたの姿

 いかにも「京都」である。祇園、清水、嵐山と並べ、マイナー調の情緒豊かなメロディーが演出する。知り合いにもこれを聴くと京都に行きたい、と思う人が多いようだ。
 でもこれってやっぱり旅人視点だなぁと思う。こうせつおぃちゃんのことは大好きだけれども、僕が聴くとなんだか違和感が。祇園だと流れる川は「鴨川」で「加茂(賀茂)川」とは高野川と合流する手前の川なのだがなぁと杓子定規なことを思ったりもする。また、祇園と嵐山は離れすぎていて、ひとつの歌にポンポンと出てくるとなんだか観光バスに乗っているような感じがする。もちろん旅人として観れば京都らしい。伊勢正やんの風にも「古都」という曲があって、「別れた人には京都が似合うと初めて気づいた木屋町通り」とやっぱり京都を歌っているがこれも同様。「嵯峨野のあたりに沈む夕日さえ~」おいおい、木屋町からいきなり嵯峨野かいっと驚く。
 嵯峨野・嵐山は観光客の実に多いところで、渡月橋あたりはいつ行っても混雑している印象がある。まあね、少し離れればすぐに深閑としてはくるのだけれども。 このあたりの情景を歌ったうたは多い。そういえば「雨の嵐山」なんて歌がある。初めて聴いたときには「嵐山には登らへんで」と思わず突っ込んでしまったものであるが。この鹿児島出身の歌手は京都のことを知っているのだろうか。
 観光地羅列には興醒めしてしまう傾向があるのだが、不思議と羅列していてもすっと入ってくる曲もある。完全に僕の主観だけれども。

  京都嵯峨野の直指庵 旅のノートに恋の文字 どれも私によく似てる
  嵯峨野 笹の葉さやさやと 嵯峨野 笹の葉さやさやと

 これはタンポポの「嵯峨野さやさや」。落柿舎だの祗王寺だのと羅列なのだが、妙に平日の時期でない京都が浮かぶ。この歌は伊藤アキラさんの作詞でこの人は関東の人であるし、歌詞も旅人視点であるのは間違いないのだが、子供の頃から地元の歌であるという意識が強かった。何故だろう。愛染倉という着物の店のCMソングになったので馴染み深いからか、とも思ってもみるが、それ以前にラジオで流れていた頃からいいなと思っていた。小林亜星さんのメロディーも純和風であるのに。こうして考えると歌の感じ方って主観だなぁと本当に思う。なので抗議されても困る。

 京都の冬は本当に寒い。盆地特有の気候であり「底冷え」とも呼ばれる。京都を離れてその寒さに気が付いた。雪深い北陸に住んでいたときも、京都の方が寒いと思った。
 その寒さを実感させてくれる名曲として六文銭の「比叡おろし」がある。

  風は山から降りてくる レタスのかごをかかえて
  唇はくびれていちご 遠い夜の街を越えて来たそうな
  うちは比叡おろしですねん あんさんの胸を雪にしてしまいますえ

 この歌は京都出身の奇才、松岡正剛氏が初めて作詞作曲をした歌であるが、なんとも寒い。松岡さんはこの曲を高校生のときに書いた、と言われているが、ご本人は21歳のときだったと言っている。どっちでもいいけれども、思わず身を屈めたくなる曲である。京都らしい。

 地名が出てきても、どちらかというと三千院や清水寺や嵐山じゃないところだと少し安心したりして。例えば「貴船川」という歌。

  恋に苦しむ女の涙を流す川があると聞き 私も一人で訪ねてきました鞍馬の貴船川

 少年の頃に繰り返しラジオで流れていて耳にこびり付いて離れない曲なのだけれども、誰が歌っていた曲なのかさっぱり思い出せなかった。検索してみたらきくち寛という方の曲だった。大変失礼しました。

  あの人への愛しさなんです 結ばれない愛なんでしょう 私の流す涙をどうぞ貴船川よ流しておくれ

 これ、詳細を知らないわりには非常に好きな曲。名古屋の方なのだそうだ。古いカセットを探してみたくなる。

 ピンポイントで言えば、例えば高田渡の「コーヒーブルース」なんてのはそうだろう。「三条へ行かなくちゃ 三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね…」イノダの珈琲は美味い。と言って、火事で焼けて新館が建ってからはまだ一度も本館に行ったことがないのだが。ここは何も言わなければ砂糖とミルクを入れて混ぜた状態で持ってくる。いつも僕はコーヒーはブラックだが、ここの珈琲はミルク入りで喫する。美味い。サンドイッチも絶品なのだけれども高い。うーむ。
 そんな話じゃなかった。

 地名が全然出てこなくても「京都」であるとわかる曲もある。ナターシャセブンの「街」などはそうかもしれない。

  下駄の音 路地裏通り 雨上がりの屋根 窓越しの手まり唄 おさげ髪の思い出
  この街が好きさ 君がいるから この街が好きさ 君の微笑あるから

 どこにでもある風景を歌った曲であり、後から「夕焼け雲 五重の塔…」とか「大学通り 流れる川 走る路面電車 背の低い山を見て…」とか出てくるので京都と類推されるのだが、嵐山とか祇園とかは出てこない。でも京都である。完全に住人視点の歌である。心地いい。
 京都にはミュージシャンが多く住んでいて(昔は、と注釈をつけなければならないかもしれないが)、地元視線での歌がいくつもある。ばっくすばにぃの「しあわせ京都」とか。

 そうして地元の歌をいろいろ思い浮かべていると、どうしても外せないのは、うめまつりの「北山杉」である。

  四条通りをゆっくりと君の思い出残したとこを 黒いダッフルコート着て背中丸めて歩いてます

 この「うめまつり」というユニットについては、僕は全然知るところがない。昔ラジオで繰り返し流れていたのを聴き覚え、エアチェックにも成功したのでいまだに音源を所持しているだけなのである。当時は小学生で、レコードなど自由に買えるほどの小遣いは持っていない。
 検索してみると、Wikipediaにメンバーだった岡本正さんの記述があった。しかしポプコンに出場経験があるという程度のことしかわからない。だがこれによると「北山杉」は2006年11月22日に再発売されたと書かれている。よかった。幻の曲ではなかった。
 やさしい、やわらかな曲。今でもつい口ずさみたくなる。しかしながら、実はこの曲は清水寺だの大覚寺だの観光地羅列でもあるのだ。だが、それが全く嫌味でない。地元の人間だって清水の三年坂くらいは歩く。そういう視点に聴こえる。これは全くの主観であって「加茂の流れに」とどう違うのだ、と問われても答えようがないのだが。ごめんなさい。
 よくよく考えてみる。これは耳に入ってきたときの状況にもよるのではないかと。
 これまで、旅人視点だの地元視点だのと七面倒くさい理屈を書いてきたが、ああおらが街の歌だと思う過程はそれだけではなく、その街に住んでいて、地元の放送局から繰り返し流れてきて心にしみ込んで行く過程。それも結構重要な事柄であったりする。「嵯峨野さやさや」にせよ「比叡おろし」にせよ「貴船川」にせよこの「北山杉」にせよ、みんなそういう過程を踏んできている。なので、今でも沁み入るのかもしれない。

  冷たい雨が雪になり 君の足跡隠れて消えて 涙まじりの雪払い 北山杉を思い出します

 この曲を聴くと、様々なことが思い出される。少年期から青年へと移りゆく多感な時期。僕も覚えたてのギターを抱えて、自分の住むこの街のことをいくつも歌にした。これは相当恥ずかしい行為で、現在は全てその頃のことは封印しているけれども、今でも残念ながらほとんど記憶している。
 うたをずっと作っていきたいとあの頃は思っていた。プロとかそんな大それたことは考えなかったけれども、どこかで発信できるチャンスもあるかもしれない、なんて夢想していた。あの頃は、今よりももっと歌が身近だったような気がする。今は、何故か発信者と受け取り手に距離感を感じる。僕が若くなくなったせいだろうか。

  あの頃二人は清水の白い石段登って降りて 青春色の京都の町を静かに静かに歩いていました

 ふるさとを思い出せる歌があるということは幸せなことだと思う。「ご当地ソング」などという言い回しはどうも宣伝臭がしてしまうのだが、そんなのもたまにはいい。

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20 コメント

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何故か呼ばれた気がして・・ (たくみ)
2008-02-17 15:52:44
本題はうめまつりの『北山杉』ですが、全く聞き覚えのない曲ゆえ、からめません(笑)
凛太郎さんの分類に加えれば、関西フォークの聖地であり、かつ東京の対極にあった(今でもか?)学生の街でもある京都へのあこがれの歌もあるような・・チェリッシュの"何故にあなたは京都へ行くの"。歌の善し悪しは別にして、当時の時代感は表現していると思います。

さて"比叡おろし"。ご紹介のように初期の六文銭の歌です。関西フォークのこれまた対極にある六文銭が比叡おろしというのも、フォーク黎明期ならではなのでしょう。こうやってみると凛太郎さんご紹介の六文銭の歌は3曲中(他にあったらご免なさい)2曲が松岡正剛作詞というのも何かの偶然かしら・・

このサイトをご覧になっている六文銭のメンバーでもあられたイルカさんによると小室さんは"比叡おろし"を封印されたとのこと。という意味ではこれからは小林啓子さんだけが歌い継ぐことになるのでしょうか?それとも、こへさんやおけいさんがご自分のレパートリーに加えられるのでしょうか?いろんな意味で興味があります。

ではではまた お邪魔しました。
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ナターシャセヴン (よぴち)
2008-02-17 22:57:20

凛太郎さん

こんばんは。
ナターシャセヴンとともに歌う高石ともやさんは、福井県の名田庄村というところ(今は、合併で小浜市になっています)に住んでおられます。
質のよい、太い木々を使った、風情あるお家で悠々自適な暮らしをされていて憧れます。
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>たくみ様 (凛太郎)
2008-02-18 20:56:38
この記事じゃちょっと嫌味なことも書いちゃったようで気にしています(笑)。「加茂の流れに」はとてもいい歌だと思っています。別に観光地の名称が数多く出てきたからと言って歌の価値が下がるわけでなし、個人的にシンクロしにくかったというだけの話です。
おっとたくみさんへのレスなのに関係ないことを書いてしまいました(汗)。
その上で、僕などは京都へのあこがれという感覚が地元民であったということでわかりにくいのですよ。もちろん近親憎悪も含め(笑)、この街に対しての思い入れは人一倍あると自分では思っていますが、歴史や美術工芸が好きな方以外でも何故人々は京都が好きだと言うのか。建前ばかり言う京都人への揶揄は非常に多いのにねぇ(笑)。
「なのにあなたは京都に行くの」という歌は、その意味で非常に理解しにくい。何故恋人を捨ててまで京都に行くのか。おらが街に居ればいいじゃんか、と思ってしまうのですが。
この歌は1971年ですが、この歌は例の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の東大入試中止のあおりをうけて京都大学へ進学する若者の歌である、という話を聞いたことがあります。出典も定かではなく噂話にしか過ぎないのかもしれませんけど。もしだとすれば、京都へ行くのは「しょうがなく」行くのであり、果たして憧れだったのかなぁとも思ったりして。
むろんこの歌は表層的には恋人と京都を天秤にかけて京都を男は取ったのであり、その意味において京都は憧れの対象だったのかなあとぼんやりと思います。
たくみさんの言われる「当時の時代感」というものは今は残っているのかな。もう恋人を捨ててまで京都に行こうと思う若者など居なくなったのじゃないかな、とか色々なことを思います。

「比叡おろし」は小室さんは封印ですか。それはまた残念な話ですね。
確かに「六文銭」もしくは小室さんにとってこの歌は「異質」であるかもしれないなとは思っていました。「関西フォークの対極にある」というたくみさんのお話にも頷けますし、また非常にジャンル分けしにくい歌であろうと。おそらく秋川雅史が歌っても中条きよしが歌ってもそれぞれで自分の世界を作り得る歌だと思います。懐ろが深い。フォークだの演歌だのと言うより「にほんのうた」としか分類出来ない歌ではないでしょうか。
しかしながら「異質」であるからこそ、この歌は小室さんが歌われると映える、とも思えます。ジャンル分けなど彼岸のことのようにしか思っていらっしゃらないであろう小室さんであれば。
この歌はどう受け継がれていくのでしょうか。寒い寒いこの歌は。おけいさんの「比叡おろし」も拝聴してみたい思いがします。

長々と書いてしまいました(汗)。
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>よぴちさん (凛太郎)
2008-02-18 21:06:28
名田庄村という名称は無くなったんですね。「ナターシャ」の原点でもある名田庄は。なんだかちょっと残念。

今は高石さんは京都にお住まいだと思っていましたが、また福井に戻られたのですか。それは知らなかった。僕は何年前だったか、名田庄村という名前だったときに一度訪れたことがあります。お住まいだった奥名田小学校にまでは行くことは出来ませんでしたが、いいところでしたね。たくさんの名曲を生んだ名田庄に立つと感慨深いものがありました。
僕は音楽のリスナーとしての原点は間違いなくナターシャセブンで、そのことは何度も記事に書いていますが、木田高介さんも坂庭省吾さんも亡くなり、とても遠い時代になってしまったような気がしています。高石ともやさんがお元気でらっしゃることを聞くと嬉しくなってしまいます。ありがとうございました。
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忘れてた。 (たくみ)
2008-02-19 22:55:55
たびたび恐縮です。
実は凛太郎さんご紹介の"街"大好きなんです。
そしてこのころのナターシャセブンも大好きです。
凛太郎さんには理解できないとおっしゃった"あこがれの街"京都。
わが町、高校では、当時の国公立信仰の中でも、私学に行くなら六大学より京都の同志社、立命という環境でした。
かく言う私も、サム&彼を育んだ街としての京都にあこがれ
無理を承知で京都府大(彼は府立医大ですが・・)を受験したものです。結果は当然・・、当時一期、二期と分かれた試験の中間日程で、べらぼうに倍率が高かった記憶があります。(言い訳ですが)

因みにナターシャ、街で検索したら、なんと私の駄文がトップに表示されました。読み返したら、何のことはない今回書いたコメントとほぼ同じ内容。まさに進歩の止まった私でした。

http://takumi21.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_e6f8.html
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Unknown (アラレ)
2008-02-20 00:25:25
京都の歌

記事にあった『加茂の流れに』に憧れた中学生でした。

その後に
岸田智史の♪比叡おろしが好きになり
谷村新司の♪祇園祭に
京都で出会った恋の思い出を重ねました。

ご当地ソング
地名が出てくれば…その地を歌っていると言うわけではないでしょうが
最近、カラオケで聞いた「小樽の女(ひと)よ」も
好きです。
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>たくみ様 (凛太郎)
2008-02-20 22:11:35
僕は京都に対して決してforeignerになれない立場の人間で、そういう人間には「あこがれる」対象には絶対に成り得ない街、京都。ですので言葉を選ばずに言えば「あこがれをもつ人たち」に対して憧憬を抱くというわけの分からない心理でいます。なんのこっちゃ。

「街」という曲は、とても京都らしい。わが町のうたです。僕は107ソングブックの世代なので、この歌との出逢いはたくみさんより早かったか遅かったか。たくみさんもこのうたは記事にされていたのですね。僕も大好きです。しかし一番最初のLPが高石さんとは意外です(笑)。
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>アラレさん (凛太郎)
2008-02-20 22:16:43
岸田智史さんが「比叡おろし」という曲をリリースされたときには驚きました。カバーかと思ったらそうじゃなかったので。
もちろん岸田さんは京都で学生生活を送られたのであり、「比叡おろし」という言葉は京都では普通に遣われていますので曲のタイトルにしてもおかしくはないのですが、あの不朽の名曲である松岡さんが作った「比叡おろし」を岸田さんが知らないはずはなく、すげぇなと当時思ったことを思い出します。
こういう話は以前アラレさんとしたことがありましたね。「いやぁん省吾だわぁ」のときに(笑)。同名異曲というものの話も一度書いてみたいなあ。岸田さんの比叡おろしもいい曲ですよね♪

「小樽の女よ」も好きだったりして(笑)。僕は浪花節的なド演歌はどちらかと言うと苦手な方ですが、ムード演歌は愛聴してたりして。レキントギターが映えるロマンチカは好きです(笑)。
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追記 (よぴち)
2008-02-23 11:40:03
凛太郎さん

何度もすみません。
高石さんは、お元気どころか、3月には福井でライヴもやります!
あの時代の方でも、高田さんや岩井さんなどは、もう、先に逝っておられますからね…。
今だ、元気にライヴをしてくれるのは本当にうれしいです。
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>よぴちさん (凛太郎)
2008-02-24 12:34:14
いやいやとんでもないです。ありがとうございます。
高石ともやさん現役のご様子、うれしい限りです。確かに、高田渡さんや岩井宏さんは残念でしたからね。
でも、岩井さんの名前がここで出てくるとは思いませんでした。このバンジョーの名プレイヤーの話をどこでしても今まで知っている人と会えなかったものですから。なんだかそれもちょっとうれしい。あの人は事故で亡くなったのでしたっけ。惜しいですよね。
そのお仲間筋で言えば加川良さんはまだ現役バリバリで頑張ってらっしゃるのがすばらしいですね。あの人も若い!
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