なぜか、50代の人ふたりと、おじさん3人でカラオケボックスに行くことになってしまった。この年代はスナック世代であって、こういう若い人ばかりの場所など場違いも甚だしいのだが、そのときはそうなってしまったもの、仕方が無い。
最も若いのは僕で、僕が仕切らねばならない。が、実は僕もシステムが分かっていないので苦労してしまった。どうやって曲を入力すればいいんだ。半音上げたいのだがどうすれば? その経緯については、別ブログで書いたので参照してもらえれば有難い。
で、その場の最も年長の人が「今日は甲斐バンドだけでいこう」と提案した。
その人は僕より9歳上だが、筋金入りの甲斐バンドファンである。頭部に髪はないが、それでも甲斐よしひろよりは若く、若い頃から頻繁にライブに足を運んでいたそうな。曰く「オレはデビューからずっと応援してきた」。なるほどね。
普通なら「そんな理不尽な」と年長者の横暴に対しひとこと言うところだが、まあよかろう。甲斐バンドだけ歌うのも悪くは、ない。
まず「かりそめのスウィング」を入力して、その人がマイクを持った。
ジングルベルに街が浮き足立った夜 人の声と車の音が飛び交ってる
うまい。さすがに年季が入っている。歌い続けてきた人なのだ。
その歌の最中に、もう一人の人がこっそりと僕に言った。
「HIROと安奈だけは歌うなよ。俺の持ち歌だからな」
はいはいわかりました。おそらく、この人は「HIRO」と「安奈」しか知らないのだろう。「かりそめのスウィング」を知らないと言った段階で予想してますよ。
僕はその人の「HIRO」を入力し、そして自分のために「LADY」を入れた。
人はいつも僕を嘲って あの街の角を通り過ぎていった だから…
とは言うものの僕だって、実は甲斐バンドのことはあまり知らない。「HIRO」と「安奈」しか知らない、ということはないけれども、いいリスナーだったとはとても言えない。いやむしろ、避けていたと言えるかもしれない。
甲斐バンドのデビュー時、僕はまだ小学生だった。なので「筋金入りの甲斐バンドファン」の人のようにリアルタイムで、というわけにはいかない。けれども、生意気にもその当時から深夜放送ファンだったせいで、その存在と「裏切りの街角」という歌くらいは知っていた。でもあまり興味はなかったかもしれない。
あるとき「吟遊詩人の歌」を聴いた。とてもいい曲だと思った。当時、フォークばかり聴いていた僕に、しっくりとはまった。甲斐バンド、いいじゃないか。
(小学生から中学にあがろうとする頃のガキの感想である。生意気なのは勘弁して欲しい)
そう。僕がランドセル背負った小学生から中学に進級しようとする時代。中古のギターを4800円で買い、雑誌に載る小林雄二さん考案の「YUMIN譜」を手がかりにアルペジオだのスリーフィンガーだのを練習しだした時期。ラジオでナターシャセブンの深夜放送を聴き続け、フォークにどっぷりと浸かった頃。つまり、'77年から'78年。
その頃世の中に「ニューミュージック」なる言葉が頻繁に登場する。
実にヘンなマスコミ用語で、どういう音楽を指すのかも明確でない。そもそも音楽にジャンル分けは不毛なことだが、それでも「フォーク」「ロック」「クラシック」などと言い分けるのは便利ではある。しかしニューミュージックとは。早晩死語になったが、シンガーソングライターたちの作る楽曲は、みなこのようにひと括りであらわされていた。
そのニューミュージックの旗頭として、アリスが「冬の稲妻」でブレイクする。天才・原田真二が颯爽と現われる。世良正則と渡辺真知子が新人賞を独占する。サザンオールスターズがデビューする。松山千春が「一夜限り」とベストテンで歌う。
これらみな「ニューミュージック」と呼ばれた。全く意味がわからないのだが、今も昔もマスコミとはこういうものなのかもしれない。
そんな中、甲斐よしひろが雑誌のインタビューに答えているのを読んだ。
以下は、その雑誌を所持していないので(立ち読みだったかもしれない)、出典が明確でないということをまず申し上げておきたい。僕の記憶違いがあるかもしれないし、資料性は全く無く、気分を害される方がいたら誠に申し訳ない。
甲斐よしひろは「今年はアリス、矢沢永吉が翔んだ。来年は甲斐バンドが翔ぶ」と宣言していた。次代ニューミュージックシーンは俺たちのもの、なんて煽り文句が付いていたような気もする(繰り返すが僕の記憶であり信用はしないで欲しい)。
その言葉どおり甲斐バンドは'79年に「HERO」を大ヒットさせ有言実行を証明するのだが、そのインタビュー内で甲斐よしひろは「男と女のことが一番大きい」と答えていた。どういう歌を作っていくのか、という話の中で。
これに、中学一年の僕は強烈な違和感を覚えた。そんなことがいちばん大きなことじゃないだろう、と。高石ともやや、また岡林信康を聴いていた僕は、「男と女のこと」なんて小さなこと、音楽はもっとメッセージを発信して世の中を変革すべし、と思っていた。
全くのところ、笑止である。だいたい、ついこの間までランドセルを背負っていた少年である。本格的な恋愛など経験もしていない。そんな子供が何故「男と女のこと」を小さいと思うのか。阿呆だと言える。
さらに、甲斐よしひろが言ったのは一種の比喩だろうとも今にしては思える。結局、人の生き様を歌いたい、ということを「男と女」という言葉で抽出したのだろう。ただ表層でとらえればいいというものではない。
だが、僕はそれ以降、甲斐バンドを積極的には聴いていない。せっかく「吟遊詩人の歌」という入り口もあったのに、みすみす逃してしまった。
筋金入りの年長者が次に「きんぽうげ」を歌う。
こぼれたテーブルの酒 指でたどって 口ぐせのようにお前は何度もつぶやく
これもいい曲である。切ない若者の心情。初期の名曲なのだが、僕はずっとこの曲を知らずにきた。知ったのは20歳もずいぶん過ぎてからのこと。
次に「安奈」を入れ、もうひとりのおじさんがひとしきり盛り上がったそのあと、僕は「氷のくちびる」を歌う。
抱かれてもひとつになりはしない心で 君は僕の腕の中に嘘の涙流してた
呑み放題プランにしたせいで、何杯も酒を呑んだ。昨今とみに、酒に弱い。酩酊してきた。それは僕より年上のおじさんたちも同じだろう。そろそろ潮時かもしれない。だいいち、ひとりはもう持ち歌が無くなってしまった。年長の人が言う。
「最後にオレが"翼あるもの"を歌うから、あんたその前に一曲歌いなさい」
わかりました。じゃ「ポップコーンをほおばって」でもいいですか? 僕なんかじゃとうてい不足であるのは重々承知ですけど、すみません。
そうして、入力、転送。短いイントロダクションが流れる。
映画を見るならフランス映画さ 若かった頃の君と僕の想い出話は
君が手を振り切った二十歳の時 埋もれ陽の道にすべては消えうせた
このうたは、音楽家甲斐よしひろのルーツのような歌であり、世に出るきっかけとなった曲であることは、ファンなら誰でもが知っているに違いない。彼がまだバンドを組む前に、フォークコンテストにこの「ポップコーンをほおばって」を引っさげ出場し、全国大会で優勝したのは、歌詞と同じ二十歳の時だった。その後、博多の伝説のライブ喫茶「照和」に集う大森信和、長岡和弘、そして松藤英男を加え甲斐バンドを結成し、'74年に「バス通り」でデビューすることになる。
どうして「ポップコーンをほおばって」がデビューシングルとならなかったのかは知らない。この名曲はなぜか「かりそめのスウィング」のB面としてひっそりと世に出る。
僕等は飛べない鳥じゃなかったはず 翼を広げたらきっと飛べたんだ
僕等は飛べない鳥じゃなかったはず 君は翼がある事を知って恐かったんでしょう
正直に言うが、僕がこの曲を知ったのも、実はカラオケにおいてである。23歳か24歳の頃。
当時は、やたら忙しかった。解放されるのはいつも夜も更けたころ。それでも、若かったのだろう、身体は休息よりも発散を望んでいた。居酒屋で酒を呑み、日付も変わる頃、いつものスナックへと向かう。ボトルキープしてあるI.W.ハーパーをロックで呑み、青筋を立てて歌う。そんなのが、日課だった。午前様が続いても、平気だった。
あるとき、常連客の一人が「ポップコーンをほおばって」を歌い始めた。
なんと格好いい曲か、とそのとき思った。誰の曲だ。甲斐バンド?
その常連の人(いつも顔をあわせるのでもう馴染みになっている)に、いい歌ですね。また巧い、と伝えた。するとその人は、本物はこんなもんじゃない、俺の歌で判断しちゃいかんぞ、と。その人も甲斐バンドが大好きな人だった。
その人とは、帰る方向が同じなのでよくタクシーに同乗した。ある日、その人はわざわざウォークマンを持ってきていて「これが本物だ」とタクシーの中で聴かせてくれた。そして、この曲は甲斐バンドのルーツのような曲で…と僕に懇々と教えてくれた。
その人は、いつ遭遇するかわからない僕と出会うまでずっと、ウォークマンを鞄にしのばせ続けてくれたのだ。若造に本物の甲斐バンドを聴かせるために。
あれから20年以上経つ。僕は後に結婚し、少しづつ酒場に入り浸らなくなった。また、体力も落ちた。午前様ではもう持たなくなった。そして、転勤しそのスナックがあった街から去った。何年か前に一度訪れてみたら、もう店は無くなっていた。
みんな元気でいるだろうか。
君の最後の言葉をおとしていく バスを追っかけて 追っかけて
鼻の奥に何か熱いものが走った。いかん、泣きそうだ。酩酊して、感情の起伏が大きくなってきたんだろう。いろんなものがこみ上げ、声が震えてきた。
教会の鐘が聞こえるかい 天使の賛美歌は 聞こえるかい
年長の筋金入りのファンも、一緒に歌ってくれている。あの親切だったスナックの常連客の人も、たしかこの人と同年輩だ。あのときは30歳そこそこだったけれど。
みんな甲斐バンドが好きだったんだ。
ポップコーンをほおばって
ポップコーンをほおばって
天使達の声に 耳を傾けている
最後には声も涸れ果てたが、ただひたすらに懐かしかった。このうたも、歌うのはやっぱり20年ぶりくらいだったのではないか。
歌う場所も、スナックの時代からカラオケボックスというものにかわり、また我々も老けた。けれども、変わらぬものは変わらない。いろんなことを思い出しながらの帰路だった。
最も若いのは僕で、僕が仕切らねばならない。が、実は僕もシステムが分かっていないので苦労してしまった。どうやって曲を入力すればいいんだ。半音上げたいのだがどうすれば? その経緯については、別ブログで書いたので参照してもらえれば有難い。
で、その場の最も年長の人が「今日は甲斐バンドだけでいこう」と提案した。
その人は僕より9歳上だが、筋金入りの甲斐バンドファンである。頭部に髪はないが、それでも甲斐よしひろよりは若く、若い頃から頻繁にライブに足を運んでいたそうな。曰く「オレはデビューからずっと応援してきた」。なるほどね。
普通なら「そんな理不尽な」と年長者の横暴に対しひとこと言うところだが、まあよかろう。甲斐バンドだけ歌うのも悪くは、ない。
まず「かりそめのスウィング」を入力して、その人がマイクを持った。
ジングルベルに街が浮き足立った夜 人の声と車の音が飛び交ってる
うまい。さすがに年季が入っている。歌い続けてきた人なのだ。
その歌の最中に、もう一人の人がこっそりと僕に言った。
「HIROと安奈だけは歌うなよ。俺の持ち歌だからな」
はいはいわかりました。おそらく、この人は「HIRO」と「安奈」しか知らないのだろう。「かりそめのスウィング」を知らないと言った段階で予想してますよ。
僕はその人の「HIRO」を入力し、そして自分のために「LADY」を入れた。
人はいつも僕を嘲って あの街の角を通り過ぎていった だから…
とは言うものの僕だって、実は甲斐バンドのことはあまり知らない。「HIRO」と「安奈」しか知らない、ということはないけれども、いいリスナーだったとはとても言えない。いやむしろ、避けていたと言えるかもしれない。
甲斐バンドのデビュー時、僕はまだ小学生だった。なので「筋金入りの甲斐バンドファン」の人のようにリアルタイムで、というわけにはいかない。けれども、生意気にもその当時から深夜放送ファンだったせいで、その存在と「裏切りの街角」という歌くらいは知っていた。でもあまり興味はなかったかもしれない。
あるとき「吟遊詩人の歌」を聴いた。とてもいい曲だと思った。当時、フォークばかり聴いていた僕に、しっくりとはまった。甲斐バンド、いいじゃないか。
(小学生から中学にあがろうとする頃のガキの感想である。生意気なのは勘弁して欲しい)
そう。僕がランドセル背負った小学生から中学に進級しようとする時代。中古のギターを4800円で買い、雑誌に載る小林雄二さん考案の「YUMIN譜」を手がかりにアルペジオだのスリーフィンガーだのを練習しだした時期。ラジオでナターシャセブンの深夜放送を聴き続け、フォークにどっぷりと浸かった頃。つまり、'77年から'78年。
その頃世の中に「ニューミュージック」なる言葉が頻繁に登場する。
実にヘンなマスコミ用語で、どういう音楽を指すのかも明確でない。そもそも音楽にジャンル分けは不毛なことだが、それでも「フォーク」「ロック」「クラシック」などと言い分けるのは便利ではある。しかしニューミュージックとは。早晩死語になったが、シンガーソングライターたちの作る楽曲は、みなこのようにひと括りであらわされていた。
そのニューミュージックの旗頭として、アリスが「冬の稲妻」でブレイクする。天才・原田真二が颯爽と現われる。世良正則と渡辺真知子が新人賞を独占する。サザンオールスターズがデビューする。松山千春が「一夜限り」とベストテンで歌う。
これらみな「ニューミュージック」と呼ばれた。全く意味がわからないのだが、今も昔もマスコミとはこういうものなのかもしれない。
そんな中、甲斐よしひろが雑誌のインタビューに答えているのを読んだ。
以下は、その雑誌を所持していないので(立ち読みだったかもしれない)、出典が明確でないということをまず申し上げておきたい。僕の記憶違いがあるかもしれないし、資料性は全く無く、気分を害される方がいたら誠に申し訳ない。
甲斐よしひろは「今年はアリス、矢沢永吉が翔んだ。来年は甲斐バンドが翔ぶ」と宣言していた。次代ニューミュージックシーンは俺たちのもの、なんて煽り文句が付いていたような気もする(繰り返すが僕の記憶であり信用はしないで欲しい)。
その言葉どおり甲斐バンドは'79年に「HERO」を大ヒットさせ有言実行を証明するのだが、そのインタビュー内で甲斐よしひろは「男と女のことが一番大きい」と答えていた。どういう歌を作っていくのか、という話の中で。
これに、中学一年の僕は強烈な違和感を覚えた。そんなことがいちばん大きなことじゃないだろう、と。高石ともやや、また岡林信康を聴いていた僕は、「男と女のこと」なんて小さなこと、音楽はもっとメッセージを発信して世の中を変革すべし、と思っていた。
全くのところ、笑止である。だいたい、ついこの間までランドセルを背負っていた少年である。本格的な恋愛など経験もしていない。そんな子供が何故「男と女のこと」を小さいと思うのか。阿呆だと言える。
さらに、甲斐よしひろが言ったのは一種の比喩だろうとも今にしては思える。結局、人の生き様を歌いたい、ということを「男と女」という言葉で抽出したのだろう。ただ表層でとらえればいいというものではない。
だが、僕はそれ以降、甲斐バンドを積極的には聴いていない。せっかく「吟遊詩人の歌」という入り口もあったのに、みすみす逃してしまった。
筋金入りの年長者が次に「きんぽうげ」を歌う。
こぼれたテーブルの酒 指でたどって 口ぐせのようにお前は何度もつぶやく
これもいい曲である。切ない若者の心情。初期の名曲なのだが、僕はずっとこの曲を知らずにきた。知ったのは20歳もずいぶん過ぎてからのこと。
次に「安奈」を入れ、もうひとりのおじさんがひとしきり盛り上がったそのあと、僕は「氷のくちびる」を歌う。
抱かれてもひとつになりはしない心で 君は僕の腕の中に嘘の涙流してた
呑み放題プランにしたせいで、何杯も酒を呑んだ。昨今とみに、酒に弱い。酩酊してきた。それは僕より年上のおじさんたちも同じだろう。そろそろ潮時かもしれない。だいいち、ひとりはもう持ち歌が無くなってしまった。年長の人が言う。
「最後にオレが"翼あるもの"を歌うから、あんたその前に一曲歌いなさい」
わかりました。じゃ「ポップコーンをほおばって」でもいいですか? 僕なんかじゃとうてい不足であるのは重々承知ですけど、すみません。
そうして、入力、転送。短いイントロダクションが流れる。
映画を見るならフランス映画さ 若かった頃の君と僕の想い出話は
君が手を振り切った二十歳の時 埋もれ陽の道にすべては消えうせた
このうたは、音楽家甲斐よしひろのルーツのような歌であり、世に出るきっかけとなった曲であることは、ファンなら誰でもが知っているに違いない。彼がまだバンドを組む前に、フォークコンテストにこの「ポップコーンをほおばって」を引っさげ出場し、全国大会で優勝したのは、歌詞と同じ二十歳の時だった。その後、博多の伝説のライブ喫茶「照和」に集う大森信和、長岡和弘、そして松藤英男を加え甲斐バンドを結成し、'74年に「バス通り」でデビューすることになる。
どうして「ポップコーンをほおばって」がデビューシングルとならなかったのかは知らない。この名曲はなぜか「かりそめのスウィング」のB面としてひっそりと世に出る。
僕等は飛べない鳥じゃなかったはず 翼を広げたらきっと飛べたんだ
僕等は飛べない鳥じゃなかったはず 君は翼がある事を知って恐かったんでしょう
正直に言うが、僕がこの曲を知ったのも、実はカラオケにおいてである。23歳か24歳の頃。
当時は、やたら忙しかった。解放されるのはいつも夜も更けたころ。それでも、若かったのだろう、身体は休息よりも発散を望んでいた。居酒屋で酒を呑み、日付も変わる頃、いつものスナックへと向かう。ボトルキープしてあるI.W.ハーパーをロックで呑み、青筋を立てて歌う。そんなのが、日課だった。午前様が続いても、平気だった。
あるとき、常連客の一人が「ポップコーンをほおばって」を歌い始めた。
なんと格好いい曲か、とそのとき思った。誰の曲だ。甲斐バンド?
その常連の人(いつも顔をあわせるのでもう馴染みになっている)に、いい歌ですね。また巧い、と伝えた。するとその人は、本物はこんなもんじゃない、俺の歌で判断しちゃいかんぞ、と。その人も甲斐バンドが大好きな人だった。
その人とは、帰る方向が同じなのでよくタクシーに同乗した。ある日、その人はわざわざウォークマンを持ってきていて「これが本物だ」とタクシーの中で聴かせてくれた。そして、この曲は甲斐バンドのルーツのような曲で…と僕に懇々と教えてくれた。
その人は、いつ遭遇するかわからない僕と出会うまでずっと、ウォークマンを鞄にしのばせ続けてくれたのだ。若造に本物の甲斐バンドを聴かせるために。
あれから20年以上経つ。僕は後に結婚し、少しづつ酒場に入り浸らなくなった。また、体力も落ちた。午前様ではもう持たなくなった。そして、転勤しそのスナックがあった街から去った。何年か前に一度訪れてみたら、もう店は無くなっていた。
みんな元気でいるだろうか。
君の最後の言葉をおとしていく バスを追っかけて 追っかけて
鼻の奥に何か熱いものが走った。いかん、泣きそうだ。酩酊して、感情の起伏が大きくなってきたんだろう。いろんなものがこみ上げ、声が震えてきた。
教会の鐘が聞こえるかい 天使の賛美歌は 聞こえるかい
年長の筋金入りのファンも、一緒に歌ってくれている。あの親切だったスナックの常連客の人も、たしかこの人と同年輩だ。あのときは30歳そこそこだったけれど。
みんな甲斐バンドが好きだったんだ。
ポップコーンをほおばって
ポップコーンをほおばって
天使達の声に 耳を傾けている
最後には声も涸れ果てたが、ただひたすらに懐かしかった。このうたも、歌うのはやっぱり20年ぶりくらいだったのではないか。
歌う場所も、スナックの時代からカラオケボックスというものにかわり、また我々も老けた。けれども、変わらぬものは変わらない。いろんなことを思い出しながらの帰路だった。
お酒絡みで検索していて辿り着きました。
いろいろ読ませていただき、私も同年代で
もちろん「甲斐バンド」世代であり、
知りもしないカラオケボックスでの情景が
目に浮かぶように感じられました。
甲斐バンドにはあまり詳しくはありませんが、
「ブルーレター」もいいですよね。
ときどき覗かせていただきます。
いいなぁ。甲斐バンドナイト。
凛太郎さんの文章を読んでいて、甲斐バンドには男性ファンも女性ファンも多いのだけれど、そっか、男性からみた甲斐さんの歌詞は、こんなふうに感じられるのか、と、女性のそれとは微妙に違うことを感じました。
たいていの場合、甲斐バンドの歌詞はせつない。けど、たいていの場合、男性の1人称で綴られてる。
ということは、男性のせつなさを歌ってるんですね。たぶん、当時の御大の方々からは「軟弱な」と思われたでしょう。
ところが、その歌が甲斐さんの声とルックスから発せられると、女性には、「かわいく」感じられてしまうんですね。
全く、「母性」を刺激する、というか。
で、ラジオやライヴのMCで語る甲斐さんは、常に強気で上眼線。
そこが、きっと、女性からは、強がりだとわかっていて「かわいい」と感じたり、強がりでもいい、男性には強がっててほしい、と思ったりで、やっぱり女性ファンが群がってしまうのでしょう。
フォーク酒場で、「積極的に」甲斐バンドをやる人は、そう多くもないのですが、例えば私などが1曲やると、俺も俺も、と、次々に演奏に加わってきます。
実はみんな、甲斐バンドに捕まっていたんだ。
あの時、怒りを感じた言葉には違う意味が含まれていたんだな…とか。
甲斐バンド好きでしたよ。
伝説の花園ライブをラジオで聴いた時に心が震えたのを思い出しました。
♪翼あるもの
大好きでした。
私の中では、アリスも甲斐バンドも浜田省吾も“男の世界”を歌っているという感覚があります。
永遠に完全に理解は出来ない世界への限りなき憧憬
たのきんトリオには見向きもせず
“男”たちの世界に傾倒していた。
同世代で行くカラオケはタイムトラベル
お昼休みの校内放送か深夜放送のように
時間が“あの頃”になる。
リモコンには苦労なさったようですが、最近のリモコンには“あの頃”検索機能があり、生年月日を入力して年齢を入力すると、その年に流行していた曲が出てきます。
酒に酔い歌に酔う時間が大好きです。
一緒にカラオケ行きたくなりました♪
僕も記事で書きましたように甲斐バンドは全く詳しくないのですが、「BLUE LETTER」は何とか知っています。いい曲ですね~。
他にも酒の話であるとか読んでいただいたようで、嬉しい。書き溜めたものが読まれるのは本当に冥利に尽きます。
せいぜいひと月に一度の更新がやっとのブログですが、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
ちょっと心が揺れたもんですから。
うた…ことに詩を大事にしているうたは、多くは恋愛のことを基調にして書いているもんです。またそうでないとなかなか心に響かない。
けれども、確かに「御大」と見られていた方々はやっぱり居て、そうじゃない世界のことを強い意思を持ってうたわれていた。
だとすれば、甲斐さんはプロテストしていたのかもしれませんね。僕らより一回り上の甲斐さんが音楽を始められた頃は、フォーク黎明期であったでしょうから。その黎明期のフォークに対し「男と女のことが一番大きい」と言い放つのは。反逆精神を歌わないのに、その生き様が反逆的ですな。
そういうところに、シビれてしまう人も数多くいたのでしょう。
母性をくすぐる、というところはよくわかりませんけど(アタリマエだ 笑)
記事タイトルがポップコーンでしたんで、そのことで話が終わっちゃいました。
「翼あるもの」は実にラストに相応しいうたで、やっぱり締まりますよ。いいうたですよね。
歳を経て、やっぱりわかるものもあります。
あの頃検索か。そういえばそういうものがあったような。この時は余裕がなくてですね、あんまり各種機能まで目がいきませんでしたよ(汗)。なるほどね。楽しみやすくなってるんですね。
僕は、カラオケボックスではむしろ若い人といくことの頻度が高いので、あんまり昔のうたは歌わないんですね。せいぜいミスチルとかラルクとかスピッツとか(笑)。どうしてもウケも狙いたいですから(関西人)。で、たいていこういうのは高音ですので声が涸れます。ヒーヒー言います。で、声も出なくなったら今度は女性ボーカルの(或いはアイドルの)曲をオクターブ下げて、とかね。ラップもやりますよ(笑)。
同世代ばかりだと、あの頃のうたになるのかなぁやっぱり。
私は 一人カラオケを たまに 行きます
なんか 暗い歌を しみじみ 一人で歌ているかなぁ?
昨夜から 岡林さんの歌を 初めて 聞いています。過激な詩もあるんですね。(動画)
そして 高石友也さんの受験生ブルースを聞きながら 昔からの教育システムを 考えながら
それで 今 なんか 頭が疲れたきて 動画で
渡辺貞夫さんの カリフォルニアシャワーとモーニングアイランドを 聞いています。
私は 音楽のバランスで 精神面のバランスを取ります。感受性が高いかなぁ?
甲斐バンドさんの ポップコーンをほおばって
いい曲なのですが 映画館で ポップコーン食べられると 困ります。最近 フランス映画 あまり見ないですね。この曲の悲しさ 辛さ~
高石ともやさんも岡林さんも、叙情的なのもいいですよ。反戦反戦していないものも。
僕も、映画館で飲み食いするのは好きではないですね~。もっと集中して観ろ、と言いたくなったりして。
「ポップコーンをほおばって」…
僕の甲斐バンドデビューも二十歳を過ぎた頃です。
いつも朝のテーマソングの様に厨房のラジカセからこの曲の収められたLPのテープが流れていました。
「LADY」「テレフォンノイローゼ」「HIRO」「安奈」「最後の夜汽車」などが収められれていた記憶があるが、ライブ版ではなっかたので、100万$ナイトではない。
もしかしたら、LPではなくて誰かが個人的に作成したテープだったのかもしれない。1曲目が「安奈」だった記憶が…
そんな中の1曲「ポップコーンをほおばって」は、僕の琴線に触れたようです。
このテープはダビングして貰いました。(今も実家のどこかにあるんだろうか???)
オールナイトニッポンの2部も担当されていたので、この曲を聴く前から知識としての「甲斐バンド」はありましたが、LP購入までは行かなかったのです。
中島みゆきのオールナイトの中でもしばしば「甲斐よしひろ」の名前は出てましたよね!
甲斐よしひろは「握手券」に対向して、「撮影券」を出していましたっけ。
このお二人、実はかなりの近眼らしく、キャニオンレコード内ですれ違っても挨拶もできないほどだったそうです。
なんだか、四半世紀前にタイムスリップした感じです。
ここ20年以上聞いていなかった曲が頭の中で勝手に脳内再生されています。
♪あーLADY、映画を観るなぁら~、最後の夜汽車♪
多分今日一日、この脳内再生は鳴り止まないだろう
またまた、懐かしい曲を思い出させて頂きまして有難うございます。
みゆきさんと甲斐さんは仲良かった印象が強いですね。みゆきさんのLPのプロデュースもされてますし。でも近視のエピソードは知らんかったなぁ(笑)。