凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

珍味で一杯

2010年05月21日 | 酒についての話
 呑みたい、というココロは、つまり気分だ。
 したがって、それは空腹、満腹を問わない。酒は食べ物に奉仕すると僕は常々言っているけれども、ヤケ酒は別として、メシ食ったあとに何か祝いたい出来事でも起こったらどうする。それはもう、呑まざるを得ないだろう。
 そういうときに、何を呑むか。これも気分だ。
 ウオッカをクイッとやりたいときもあるだろうし、ブランデーなどを甞めるように呑みたいときもある。そして、日本酒をしみじみと味わいたい場合も、ある。
 
 酒によって、肴がどうしても必要な酒とそうでない酒がある。前回そんな話を書いた。その続き。
 日本酒は、何も肴がなくても呑めるか、と言われればそれは呑めるけれども、やはりどうにも寂しい。醸造酒はやはり食べ物と共に歩んできた長い歴史があり、特に日本人である僕は、和食の頻度が最も高く、したがって今まで呑んできた酒の中では日本酒を最も頻繁に呑んできた。それも、常に何かを食べながら。だから、何かをつまみつつ呑まないとどうも酒がうまくない。
 個人的見解だが、やっぱり清酒は日本の食べ物に合わせて造られているのだと思う。原材料は日本人の食べ物の根幹を成す「米」であり、酒を呑むことは御飯を食べるのと同じことではないだろうか。
 白米を炊いたものだけを食べてもそりゃうまいが、やはりおかずがあった方が当然ありがたい。おむすびであっても具は入る。具が何も無くてもせめて塩を手につけて握ってくれ。日本人の主食の座にある御飯というものはそういう存在である。これは、清酒にもまた言えるのではあるまいか。
 清酒がその場面によって、主であっても従であってももちろんかまわないけれども、やはり酒だけをなかなか呑み続けられない。炊いた御飯をおかずなしで何杯も食べるのがしんどいのと同様に。だから、何かつまみながら呑ませてくれ。

 ここでちょっと話が横にそれるが、日本酒にも様々あって、僕が思うに何も肴を必要としない一群の酒がある。それは、吟醸酒である。
 吟醸は、それだけで呑める。というか、吟醸にあう肴を選定するのは実に難しい。何故かと言えば「うますぎる」から。吉田健一氏が、うますぎる酒に肴はいらないと言われたがまさにそのとおりであって、他に何も欲しない。あるがままに味わう酒であろう。
 これは、吟醸酒というものはそういうふうに出来ているのだ。そもそもは、品評会用の酒だったと言ってもいい。食中酒として造られていない。料理とあわせ呑む歴史も浅い。昔は、こんなに米を削り酵母を低温で苛め抜いて造る酒などなかった。日本酒のうまさの限界に挑戦した酒。
 その芳醇な香りと味わいを持つ吟醸は、誤解を恐れずに言えば料理を殺す。自己主張が強く料理に奉仕しない酒。僕などはしごくさっぱりとした和食よりむしろワインに擬して肉料理にでも合わせたらどうか、と考えたりもするがそれももったいない気がする。それだけで呑んでやったほうがいい。
 だが、そんなに量は呑めない。蒸留酒と異なって日本酒の度数は16度くらい。ブランデーの如く甞めるような味わい方も難しい。そして、何も食べずに呑み続けるのもまたしんどい。赤ワインと同じだ。せいぜい1~2合が僕にはいいところだろう。これ以上だと言葉は悪いが、その個性ゆえに飽きる。うますぎる酒の宿命か。
 
 話を戻して、清酒。純米酒でも山廃でも本醸造でも三増酒でもいいが(あんまり甘味料を入れすぎてベタつくのは嫌だけど)、前述したように何かつまみながら呑みたい。しかし、腹が一杯であればどうしようか。酒を主として呑みたい気分のときはどうしようか。
 極端な話、そりゃ塩でもいい。塩むすびと同じ理屈である。清酒をそれだけずっと呑み続けるのはしんどい。酒に馴染み過ぎた舌をリフレッシュさせ、また酒を活かす。よく塩を甞めながら枡酒、なんてあるが。塩じゃいかになんでも侘しければ味噌でも。北条時頼の味噌を肴に一杯やる質素な暮らしぶりが、吉田兼好の徒然草に描かれている。
 しかし味噌とて、質実剛健の鎌倉武士の象徴として描かれているのであり、やはり寂しいには違いない。ただ、もうあまりたいそうな幅のある肴はいらない。料理を食べなくてもいい腹具合。箸の先にちょいとからみつくくらいの量で酒が呑めるものが欲しい。
 御飯をワシワシ食べたいときのアテがヒントになる。だいたい、メシに合うものは酒にもうまく合ってくれる。しかし塩からい鮭とか佃煮とか、梅干などというのはやはり酒より飯か。ちりめん山椒など僕は飯の友として史上最強かもしれないと思っていて、むしろ酒の肴にするにはもったいなく思ってしまう(何か考え方がせこいな)。梅干をほぐし山葵と鰹節を混ぜてちょっと醤油を垂らしたものなど実は酒が何杯でも呑めてしまうのだけれども、ちょっとややこしいか。また、ふりかけで酒など呑みにくい。
 こういうときのために、日本には「珍味」と呼ばれる一群の食べ物がある。これだ。

 塩辛というものは、熱い御飯に相性抜群であると言われる。確かにそれは多数派の意見。妻などは「烏賊の塩辛で酒呑むなんてもったいない、御飯食べるからおいといて」と言う。ただ、僕にとってはこんなに絶妙な酒の肴はない。好みの問題もあるし、成長過程における経験値もここには関わってくる。僕は、母親がこういう「ふとすると生臭く感じるもの」が嫌いで、子供の頃の食卓に上ったことがなかった。イカ塩辛をちゃんと食べたのは大人になってからのことで、もう既に酒がセットとして刷り込まれている。
 塩辛のように、塩分を多く含んだ発酵食品は、僕にとって清酒のために存在するようにも思えている。そして、やはり燗酒に合う。
 ダメおやじの古谷三敏氏が「ぼくの場合、つまみに塩辛がだされていれば、たとい真夏であろうと、無条件で、燗をつけた清酒を要求する」と著作で書かれていたのを読んだとき僕も膝をうって同意した。この発酵熟成させた旨みの塊のような存在には、やはり燗酒が適う。冷やした清酒であれば、どうしてもその生臭さのようなものが口中で切れない。あたためた酒だとそれを完全に洗い流してくれるような気がする。そしてまた塩辛、また酒、という連鎖に自然と繋がる。
 御飯との関係で考えるといい。熱い飯に塩辛は上等だが、これをおむすびにして冷えてから食べると、やはり生臭さが勝つような気がする。塩辛おにぎりを以前食べたことがあるけれども、それは塩辛に大葉をうまく混ぜ込んでクセを抑える工夫がなされていた。
 好みはあると思うけれども、僕には燗酒が望ましい。もちろん冷や、あるいは冷酒に合わせられてもそれは好みである。その発酵食品のくせのようなものを燗酒で消そうとするのはもったいない、というご意見もあろう。ただし、ビールやワインにはどうかな。生臭みが助長されるのでは…と思うが、これもまた好みか。

 日本には、イカ塩辛だけではなく発酵アミノ酸をベースにした食べ物が多い。そもそも味噌も醤油も鰹節もそうであるからして、日本人には好まれるはずだ。旨みの根源でもある。日本における三大珍味とは「越前雲丹」「長崎唐墨」「三河海鼠腸」であるが、いずれも熟成保存食品である。
 ウニなんてものは流通の発達でどこでも生のものが食べられるが、塩漬けはまた一味違う。生ウニは丼にして食べるのが最高だが、塩漬けウニは一種究極の酒肴といえる。これは、保存食であるところに妙味があり、酒に絶妙だ。高級品でなかなか食べられないが。
 塩辛、というジャンルにはさまざまなものがあって、イカのようにそのワタを発酵させてアミノ酸を生成させるものもあれば、麹をつかうものもある。様々で、それぞれがうまい。塩辛で言えば、イカや三大珍味のひとつであるなまこの「このわた」、鮎のうるか、鮭のめふん、さらにはカツオ内臓を原料とする「酒盗」。このネーミングからして酒がないとどうしようもない("ままかり"が飯をどうしても必要とするのと同じ)。

 僕は昔、北陸に住んでいたためにこういう食品をよく食べることが出来た。イカ塩辛にも富山では「白作り(ワタ入れない)」「赤作り(皮付き)」「黒作り(墨を入れる)」とあった。なかでも黒作りがうまい。真っ黒なので一瞬怯むが、酒との相性は抜群。
 このわたも能登の名産であり、さらに卵巣を「このこ」として塩辛で食べる。干したものは「くちこ」。しかし、高級品なのだよなあ。 
 カラスミは魚卵としては日本では最高級品だろう。僕も数度しか食べたことがない。これはボラの卵だが、加賀地方には何とフグの卵巣の糠漬けがある。フグの卵巣といえば猛毒でありひと腹で何人殺せるかわからないほどだが、これを3年も糠漬けにして毒を抜き供する。恐るべき美味への執念だが、この調理法が完成するまでおそらく犠牲になった方もいただろう。これ、相当に濃厚な味わいだが薄切りにしてもかなり塩からい。酒がいくらでも呑めてしまう。
 こういう「魚の糠漬け」には能登に「こんかいわし(鰯糠漬け)」若狭に「へしこ(鯖糠漬け)」がある。軽く炙って食べるとうまいが、やはり塩からい。ごく薄切りにしても酒をクイクイ呑ませる魔力がある。血圧も上がりそうだが、やめられない。僕は一時期、こればっかり食べていたことがある。

 妻が津軽出身なので、所帯を持ってからは東北方面の珍味も食卓に上るようになった。中でも、酒の肴として珍重しているのは「切り込み」である。
 切り込みとは鰊を米麹漬けにしたもので、これと酒のマッチングは絶妙。こういう米を使って漬け込み発酵させるものを「いずし(飯寿司)」と言うようで、北陸にも「かぶら寿司」という塩漬けにした蕪で薄切り鰤をサンドイッチにして米麹で漬け込む珍味もあったが、かぶら寿司はなかなか高級品であるのに対し切り込みは簡単に手に入るのでありがたい。冷蔵庫にいつも常備している。ちょっと呑みたいときにはいつもこれだ。
 僕は関西出身なのでこういう珍味系には縁が無い、と思いきや、関西には発酵珍味の横綱がいる。言わずと知れた近江の鮒寿司である。
 有名なので説明は不要と思うが一応書くと、琵琶湖の鮒を長期間塩漬けにした後、炊いた飯とともにさらに漬け込む。飯はペースト状になり乳酸発酵で酸っぱくなる。寿司のルーツでもあるが、年を越して供されるそれは、腐敗と発酵が紙一重のものだということが実感できる。その臭いには驚くが、これが食べるとうまい。もっとも、好き嫌いが分かれるだろうなあ。僕は三十過ぎて初めて食したが、事前に相当に脅されていたために「あ、意外にうまいやんか」が感想。でも、今では高級品であり慣れるまで食べた、というわけではない。一度青森に持ち込んだら大変好評で(発酵食品に免疫があるんだなああいうところは)、また買っていかなければいけないな。でも一尾何千円もするのだよ。

 僕の生まれた京都は海無し都市で、あまり動物性の発酵食品が大手を振ってはいないけれども、そのかわり漬物がある。
 漬物というのは「香の物」であり食事中に食べては料理を作った人に失礼にあたる、食事後に少しいただくのが礼儀と親から躾けられたのであまり酒肴としてはどうかと思うが、例えば「すぐき漬」などは乳酸発酵食品であり酒に実に合ってしまう。うまい。また呑みすぎる。
 京都人の僕は、壬生菜や菜の花漬で酒を呑んでいればこれほど幸せなことはないのだが、漬物は日本中にある。奈良漬なんてのはそもそも酒粕で漬けたものであり酒に合わないわけがない。九州の高菜や安芸の広島菜などもいい。どちらかといえば浅漬けよりも、発酵が進んだものの方がやはり酒にはいいような気がする。
 僕は主として燗酒を念頭において書いているのだけれども、高名な信州の野沢菜漬については、どうも冷やの茶わん酒が合うような気がしてしょうがない。寒い冬、部屋を暖かくして野沢菜パリパリやりながら、一升瓶から酒を茶碗に注ぎ、くいっ。絵になるし、うまい。

 かのように、例外はあるけれども燗酒と塩辛に代表される発酵珍味の相性は、僕にとっては最強。
 夜半過ぎ、一本つけて呑みたくなるのはたいていが幸せな気持ちのときが多い。テキーラをあおったりラムを生のまま喉に放り込むときとはちょっと違う。ほんわかした気分。その幸福感を十二分に享受するために、塩辛や切り込みは冷蔵庫に欠かさないようにしたいものである。

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2 コメント

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 (たかだ)
2011-07-12 14:21:07
酒についてのお話、興味深く、読ませていただきました。私は北陸の福井市の住人です。北陸で日本酒の肴といえば、へしこもいいですが、小浜の小鯛のささずけが、一番だと思います。わさびとほんのすこし醤油をつけて食べます。鯛はもともと淡泊な味なので日本酒の味を殺さない最高の肴だと思います。
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>たかださん (凛太郎)
2011-07-13 02:02:33
ありがとうございます。
ここでは主として発酵食品系のものをとりあげて書きましたが、小鯛の笹漬けも、ああいう樽に隙間なくみっちりと詰め込んだ形状から考えて、かつては少し時間を置いて熟成させる「なれずし」にルーツを求めるものなのかもしれませんね。もちろん今の笹漬けは絶妙の塩加減で締めて酢をうまく効かせ、熟れさせているわけではないと思いますが。
ところでね。
小鯛の笹漬けは、確かに酒の肴には最高であると思います。たかださんのおっしゃるとおり。
ですが、僕はついこれがあると「飯」を所望してしまうのですね(笑)。酒呑みの風上にも置けませんが(汗)。
若狭が父親の出張先でもあったのか、何故か小さい頃から贅沢にも小鯛の笹漬けが食卓に時々登場していました。子供でありますから当然酒など呑まず、ごはんのおかずになるのです。ガキながら、なんと美味いものだと思いました。
この刷り込みがまだ続いていましてね(笑)。ほんの少し醤油をつけてあつあつのごはんで食べる小鯛の笹漬け。これもまた美味い。^^
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