凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

吟醸酒の味わい

2005年01月02日 | 酒についての話
 今年帰省できなくて残念だったのは妻の田舎で義兄と酒盛りが出来なかったことだ。

 義兄は実は「日本酒マニア」であって、僕のようにアルコールであればなんでも、というような大雑把な男ではない。本州の端に住んでいて、都会のように銘酒を専門に取り扱うような酒屋とてなく、ネット接続もしていないのでインターネットで購入も出来ない。地道に長年人脈を培って全国の銘酒を取り寄せて賞味している執念のマニアである。尊敬に値するのだ。
 酒の呑み方もしっかりしていて、周りが「やれ呑めそれ呑め」のおっちゃんばっかりなのに対し、「酒は味わって呑まねばならない」というこだわりの男であるからして、実に一緒に呑んでいて安心なのだ。いつも飛び切りの吟醸酒を用意していてくれているので、誠に今年は残念至極なのである。

 さて、吟醸酒とは果たしてなんだろうか?
 普通に言えば、吟醸香と言われるフルーティーな香りと吟味と言われる上質の旨みを持った特別の日本酒のことである。もともとは全国新酒鑑評会に出品して金賞を狙うために杜氏が特別に醸した酒で、一般には出回らないものであった。
 大学時代に、となりのゼミの教授が酒マニアで、自宅に遊びに行った際に初めて呑ませて貰った。それは鑑評会用の酒を横流ししてもらったもので、ラベルが貼られていない。教授もどこの蔵の酒かわからないという。一口呑んで、その爽やかな香りと味わいに恐れ入った。アルコール臭など微塵も無く、果実のような香りと舌に残らないサラリとした味わい。今まで「村さ○」や「○老の滝」で呑んでいた必ず頭痛がする日本酒とは全く別物の味わいだった。
 その当時はまだ知識も無く、こういう「吟醸酒」が一般に売られていることを知らなかった。社会に出て自分でちゃんと呑めるようになってから、少しづつ味わうようになっていったものだ。しかしいかんせん高価で、おいそれと呑める対象ではなかった。まだまだ量を必要としていた時代でもあったので。

 定義的に言うと、吟醸酒と呼ばれるための条件がある。それはまず造り。吟醸酒は時間をかけてゆっくりと造られなければならないということ。醪の段階で低温でひと月ほどかけて造る。醪(もろみ)とはつまり蒸し米や酒母(酵母)、麹、水を仕込んだ段階のもの。これをじっくりと発酵させる。あとは国税庁の基準として、精米歩合が60%以下であるということ。つまり、米の40%は糠として削り落としてしまうわけだ。もったいない話だが、酒造りに適した部分は米の真ん中の「心白」と呼ばれる部分で、外側は雑味のもととなってしまう。したがって、酒にして旨い部分だけを抽出するのだ。50%以下の精米歩合だと大吟醸酒ということになる。
 もうひとつあって、それは添加アルコールの量が白米重量の10%以下であるということ。これについてはいろいろ難しいので後日書きたいと思う。むろん醸造アルコールを添加しない場合は「純米吟醸酒」となる。
 詳しくはコミックス「夏子の酒」を参照してください。

 とにかく手がかかる贅沢な酒だ。しかし最高の味わいを持ち、陶然とした心地に誘ってくれる。
 そういう上質の酒を義兄は用意しておいてくれるので、帰省したかったのだが残念だ。また次の機会を楽しみにすることにしよう。
 ところで、吟醸酒の呑み方なのだけれども、これは実に困ったことなのだ。何故なら、旨すぎるので「肴」を必要としないからだ。本来は食事の最初に一杯、ないしは食後酒としてあるがままで呑むのが正しい呑み方なのであろう。しかし義兄はいつも何升も用意しているので、必然的に大量に呑むこととなってしまう。むろん「ほとんど何も食べずに」だ。これはなかなかに身体に悪い。たいていはひっくり返ってしまう始末だ。田舎での滞在時間が短いとはいえ、そんなに欲張って呑まなくてもいいものを、といつも反省するのだが、根がいやしいために「今しか呑めない」と思うとついついすすんでしまうのだ。いくつになってもアホだなぁと自省の正月を毎年続けているのである。





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