高田渡さんが亡くなってもう10日を過ぎた。
高田渡という人は、僕たちの世代にとってはもう伝説上の人である。それはしょうがないだろう。僕は昭和40年生まれ、西暦で言うと1965年だから、60年安保闘争のときはまだ生まれていない。70年安保だってまだまだ小さかった。東大安田講堂占拠など歴史的な事象である。だから、新宿フォークゲリラもまた知らない世代に属する。中津川フォークジャンボリーも世代ではない。
反戦フォーク集会が禁止され、それでも若者が叫んでいた60年代の半ばに活動を始められたと聞いている。詳しい年譜などは後から、なぎらけんいちさんの著作などで知ったわけだけれども、名前は轟いていた。僕がフォークなどを聴きだす70年代末には、フォークの巨人として知られていた。
しかし名前だけが先行していて、あまり曲を聴く機会がなかったのも事実で、当時深夜放送族だった僕だが、やはりラジオから反戦フォークが流れてくる時代は過ぎていたのだろう。
そうして、高田渡さんは「伝説の人」として認識せざるを得なかった。加川良、遠藤賢司、南正人さんらも同様である。これらの人たちの曲は、ずいぶんと後から遡って聴いたのが多い。
高田さんの曲は、ギリギリで生きている人たちを唄ったうたが多い。岡林信康も、労働者階級(こういう言葉はもう死語だけど)の現実を切々と唄ううたがあるが、高田さんは自らその中に身を投じている凄まじさが感じられた。僕の世代がこんなことを言っていいのかどうかはわからないけれども許して欲しい。
帰る巣がないさすらうオイラ 町から町へのその日暮らし
心安らぐところがないのさ この世に住処が無いからよ… (この世に住む家とてなく)
しかし厳しさをやさしく唄ってくれている。「鉱夫の祈り」「出稼ぎの唄」など、持ち得ないものが生きていくことは大変なことなのだよ、と伝えてくれる。
「自衛隊に行こう」という有名な歌がある。加川良の「教訓Ⅰ」とともに反戦歌として有名であるが、当時の左翼の人たちに対して斜に構えていたところもあるのではないだろうか。「東京フォークゲリラの諸君たちを語る」という唄は実に風刺がきいていて痛快である。
「値上げ」「あきらめ節」などは本当に風刺そのもので、視点が鋭い。「お前この世へ何しに来たか 税や利息を払うため…」根は深い曲だが笑ってしまうのも事実。
高田さんは、そうやって僕が曲を聴きはじめた大学時代には、どうもアルコール中毒らしいという噂が流れ、演奏活動もあまりしていないという話だった。やってもライブ中に熟睡するなどだったらしい。そうして健康を害していた高田さんだが、近年は徐々に復活をしているという噂は聞いていた。ライブもちゃんとやっているらしい。そして、何度かTV出演もしていた。そのヒゲを蓄えた姿はまさに仙人で、「笑っていいとも」に出演した際、タモリが「この人僕より年下なんですよ」と言った時会場が異様にどよめいたのを思い出す。50代だったのだが70代にも見えた。それほどまでに酒を呑み続けて異常に老けてしまっていたのだ。
「生活の柄」は代表曲である。沖縄の詩人である山之口貘氏の詩をベースにしたうたなのだが、当時沖縄にハマっていて山之口貘氏の詩にも興味があった僕にとってこの曲はやはり最高に印象深い。
歩き疲れては夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです ところ構わず寝たのです
本当の意味で「放浪の人」だった高田渡さんは、酒を呑みながらではあるがライブを精力的にこなした。しかし、往年のような呑み方はせず、ほろ酔い程度で唄っていたという。徐々に健康状態は良くなってきていると思われていたのに…。
近ごろは眠れない 陸をひいては眠れない
夜空の下では眠れない 揺り起されては眠れない…
酔って歌い、また酔い、旅から旅へと繰り返す。僕は何故か高田さんに山頭火の姿がダブる。破滅型の人生だったかもしれないけれども、ひとつの男の理想形だと思う。無責任にこう言ってはいけないのかもしれないが。
今月初め、ライブの後倒れて入院。4月16日、入院先の釧路の病院で死去。まだ56歳だったと言う。昨年、高田さんの生活を描写した記録映画「タカダワタル的」が公開され、再び時代がやって来たところだったのに。
山頭火が死んだ年より二つほど若い。長年の破滅的生活がこうさせてしまったのか。
高田さんは、マリー・ローランサンの詩「鎮静剤」(堀口大學訳)に曲をつけて唄っていた。
捨てられた女よりもっと哀れなのは よるべない女です
よるべない女よりもっと哀れなのは 追われた女です
追われた女よりもっと哀れなのは 死んだ女です
死んだ女よりもっと哀れなのは 忘れられた女です
高田さんは、いつまでも忘れられることはないだろう。どうか安らかに…。
高田渡という人は、僕たちの世代にとってはもう伝説上の人である。それはしょうがないだろう。僕は昭和40年生まれ、西暦で言うと1965年だから、60年安保闘争のときはまだ生まれていない。70年安保だってまだまだ小さかった。東大安田講堂占拠など歴史的な事象である。だから、新宿フォークゲリラもまた知らない世代に属する。中津川フォークジャンボリーも世代ではない。
反戦フォーク集会が禁止され、それでも若者が叫んでいた60年代の半ばに活動を始められたと聞いている。詳しい年譜などは後から、なぎらけんいちさんの著作などで知ったわけだけれども、名前は轟いていた。僕がフォークなどを聴きだす70年代末には、フォークの巨人として知られていた。
しかし名前だけが先行していて、あまり曲を聴く機会がなかったのも事実で、当時深夜放送族だった僕だが、やはりラジオから反戦フォークが流れてくる時代は過ぎていたのだろう。
そうして、高田渡さんは「伝説の人」として認識せざるを得なかった。加川良、遠藤賢司、南正人さんらも同様である。これらの人たちの曲は、ずいぶんと後から遡って聴いたのが多い。
高田さんの曲は、ギリギリで生きている人たちを唄ったうたが多い。岡林信康も、労働者階級(こういう言葉はもう死語だけど)の現実を切々と唄ううたがあるが、高田さんは自らその中に身を投じている凄まじさが感じられた。僕の世代がこんなことを言っていいのかどうかはわからないけれども許して欲しい。
帰る巣がないさすらうオイラ 町から町へのその日暮らし
心安らぐところがないのさ この世に住処が無いからよ… (この世に住む家とてなく)
しかし厳しさをやさしく唄ってくれている。「鉱夫の祈り」「出稼ぎの唄」など、持ち得ないものが生きていくことは大変なことなのだよ、と伝えてくれる。
「自衛隊に行こう」という有名な歌がある。加川良の「教訓Ⅰ」とともに反戦歌として有名であるが、当時の左翼の人たちに対して斜に構えていたところもあるのではないだろうか。「東京フォークゲリラの諸君たちを語る」という唄は実に風刺がきいていて痛快である。
「値上げ」「あきらめ節」などは本当に風刺そのもので、視点が鋭い。「お前この世へ何しに来たか 税や利息を払うため…」根は深い曲だが笑ってしまうのも事実。
高田さんは、そうやって僕が曲を聴きはじめた大学時代には、どうもアルコール中毒らしいという噂が流れ、演奏活動もあまりしていないという話だった。やってもライブ中に熟睡するなどだったらしい。そうして健康を害していた高田さんだが、近年は徐々に復活をしているという噂は聞いていた。ライブもちゃんとやっているらしい。そして、何度かTV出演もしていた。そのヒゲを蓄えた姿はまさに仙人で、「笑っていいとも」に出演した際、タモリが「この人僕より年下なんですよ」と言った時会場が異様にどよめいたのを思い出す。50代だったのだが70代にも見えた。それほどまでに酒を呑み続けて異常に老けてしまっていたのだ。
「生活の柄」は代表曲である。沖縄の詩人である山之口貘氏の詩をベースにしたうたなのだが、当時沖縄にハマっていて山之口貘氏の詩にも興味があった僕にとってこの曲はやはり最高に印象深い。
歩き疲れては夜空と陸との隙間にもぐり込んで
草に埋もれては寝たのです ところ構わず寝たのです
本当の意味で「放浪の人」だった高田渡さんは、酒を呑みながらではあるがライブを精力的にこなした。しかし、往年のような呑み方はせず、ほろ酔い程度で唄っていたという。徐々に健康状態は良くなってきていると思われていたのに…。
近ごろは眠れない 陸をひいては眠れない
夜空の下では眠れない 揺り起されては眠れない…
酔って歌い、また酔い、旅から旅へと繰り返す。僕は何故か高田さんに山頭火の姿がダブる。破滅型の人生だったかもしれないけれども、ひとつの男の理想形だと思う。無責任にこう言ってはいけないのかもしれないが。
今月初め、ライブの後倒れて入院。4月16日、入院先の釧路の病院で死去。まだ56歳だったと言う。昨年、高田さんの生活を描写した記録映画「タカダワタル的」が公開され、再び時代がやって来たところだったのに。
山頭火が死んだ年より二つほど若い。長年の破滅的生活がこうさせてしまったのか。
高田さんは、マリー・ローランサンの詩「鎮静剤」(堀口大學訳)に曲をつけて唄っていた。
捨てられた女よりもっと哀れなのは よるべない女です
よるべない女よりもっと哀れなのは 追われた女です
追われた女よりもっと哀れなのは 死んだ女です
死んだ女よりもっと哀れなのは 忘れられた女です
高田さんは、いつまでも忘れられることはないだろう。どうか安らかに…。
なぜかこの時期寒さを感じた時、わびしさを感じた時など自然と口ずさんでいる歌です。
いつのことになるかわかりませんが、アップできたら聞いてやってください。
だんだんと陸を引いては眠れない時期になりましたね。あたためた一杯の酒と共に高田さんに思いを馳せる季節です。
You Tubeでjuさんがお歌いになられたお姿をアップされるのでしょうか。楽しみにさせていただきたいと思います。