ハイッター・「三時の川岸」

団塊は何かをするとき、空中を浮遊する。

もがり の日

2008年09月30日 | Weblog

昨日(29日)はブログの更新が出来なかった。朝 薬を飲んだ辺りから、ふらふらして立っていられなくなった。血圧を測ってみたら、上が110、下が40、物に捕まらないと歩けないのである。多分死んでいたのだ。

夕方余りにも電話が鳴るので、出たら?!「もしもし○○ですが」「はい そうです」と言ったら、何か急にスキッとした。ふらふらの具合悪さが一辺で治ってしまった。若き男性であった。「どうしたんだ」「今日どうしても具合が悪いんです、何かあるんでしょうか?」

私の死線をさ迷ってたこの日、彼が私の支えとなり助けてくれたのだ。「いやぁ~ありがとう」次に出た言葉であった。「?・?」「これであなたの具合悪いのが治ったので、説明は明日私があなたの家に行って説明します」。

そのまま私はベットへ、今朝まで12時間びっしり眠ってた。明るくなってて飛び起きた。

まだ寝言を語ってるんでは?と言われるような話であるが、あるがままを書いてみたのだが。10時に彼の家に行って、若き彼(19歳)と年老いた私(68歳)の、その時間帯の同時進行を話し合った。

さあ~ 私は蘇えったのだ。生まれ変わったのだ。私は生まれて2ヶ月目あたりに、一度死んでいたそうな。人は何度か死に目を迎え、それを乗り越えられるかそこで終わってしまうかである。

乗り越えられた私は、さぁ、何をしていくのだろう。

 


また手術第二段

2008年09月28日 | Weblog

毎年秋になると背中に出来物が出来、1センチ位になり白い「キサズ」のような物が出て、治っていく。今年も10日くらい前から出てきたが、治るだろうと多可をくくってたが、大きくなり寝るのに痛さを感じてきた。

これではダメだと、昨日赤石病院に行ってら、「赤いから切った方がいいね」11時から手術します。「はい、OK」気軽に返事し表面をちょっと傷をつけ、搾り出すのだろうと気軽に手術室へ。

そうしたらパンツ一つの完全手術モード。うつ伏せの部分麻酔のスタート。「完全に根っこまで取るので」の説明。それから延々1時間、血は弾け降ってくるは、どっかちくちく引っ張られるは、もう縫い終わり?と聞いたらいやまだ取ってる。

同じ階の古い建物を解体中で、ドリルの音がうるさくまた腹にも振動が来る。でもそれが気を紛らわし、頭が傷口に集中せず大いに助かった。

「はいようやく終わりました」もうかれこれ1時間は過ぎて、ドリルの音もなくお昼になってた。3センチくらいの袋が弾けて、全部取るのが時間がかかったと。袋がシワクチャ。筋肉の下まで入ってたので、筋肉4針り、皮膚4針、縫ったそう。8針もよ!

毎年 もう10年くらい同じようなところに出る「出来物」は、早めに小さいうちに根っこを取っておくのがベターである。冗談半分で「もしかして皮膚がんの塊では」と聞いたら、「長年の体の毒素の塊り、出来物」、こんどは溜まる所がなくなったので、オシッコで出てしまうと。

来年の今頃は、何の悪いところを手術するのだろうか。体の部分であればいいが、もしかして全部かもよ。3年は続くから3回目は、後は神のみぞ知る。

 

今日は傷口の検査である。日曜なので直接看護室に、居たは一年前の知ってる看護婦ばかり、「今度は何」、「前でなく今度は後ろ」。?そこに先生が来たので影の方で笑ってた。

先生は素足のサンダル、指の付け根が黒っぽい。水虫にでもなってるんでは?消毒してるから まさかそんなことは、と思えた。「傷口は何ともないね、風呂もシャワーくらいにしておいたほうが」。この先生は独身なのか、生活観が見えない。

外科の先生は、人間の体は営業物件、通常受ける方は痛さも感じる自分の体、このギャップは。・・・・・・・・・・・・・・・・でも今度もそうだけど、私は自分の体であって、でもその体を借りて生きてるような感覚を受けている。

昨日のテレビで、胃がんの検査や術後の大変さを、放送してたが、その中でも全部摘出と抗がん剤の人の、後遺症のことを強調してたが、私がそれに当てはまる当人としては、考え方のあり方ではないかと思う。

一次貯めて満杯の指令を出す、消化剤を出させる、それで軟らかく、ゆっくり腸に流してやる、この一連の流れがなくなる。ではどうなるか、を考えればよいだけだ。こう見ると自分の体であっても、客観的に見ないと納得しかねない。

抗がん剤もガンが転移してるかどうか分からない時点で、ガン細胞がどっかうろついてないか、体中探して歩るってる。居るのか居ないのか、草を刈ったり、水の底を探したり、殺人犯をさがす。もう高飛びしてるかも知れないのに。

今日 思い知らされた。自分の体をどう上手く持たせて、何年使いこなせるかと。使いこなす脳は、安泰。あとは手足の先まで支障なく動かす経路に、如何に潤滑油を注いで回るか、である。

              幽 体 離 脱                                  

                   使 い こ な す か

                        二 十 年

              今 は 音 楽 と 酒 と 涙 と


秋保温泉も暗雲

2008年09月26日 | Weblog

今日は11月に行う東北ジャンボリーの準備最終打ち合わせで秋保へ。まず入り口にある「里センター」にパンフレットを置かせてもらうのに寄る。ここは結構人の出入りが多いので幾らか期待を持ちながら。

受付の女性の快い返事に、幸先のよさを感じながら、次が泊まる旅館へ。受付場所、ワークショップ、口演場所、昔からの旅館なので出いれが入り組んでいる。コーヒーをご馳走になりながら、思い出すここのお風呂に今日は入る予定が手ぬぐいを忘れた。

次が農業高校、演奏会の場所でもある。校長先生も居て最終確認と、全て無料で借りられることになり、学生はじめ近隣の小中学生、大人までの文化行事の一環として、最大限の歓待である。

来年には閉校になるこの学校、その時の式典への参加、また校長が事務局をしてる「みやぎ夢燈花」という子供たちの平和を願うローソク点火式典、来年の演奏依頼、とだんだん窓口が広がりつつある。

そして次がこの町の有力者宅へ挨拶に、本当に忙しい人がケーキを食べてテレビをみていた。そうしたら選挙が近いので、出陣式にもしかしたら演奏をと依頼される。秋保出身の国会議員である。喜んでOKと返事をしてる我々が居た。

人の出会いと、その繋がり合いが、広がっていく様は、個人の力では出来ない、エネルギーを持って進んでいくあり方は、何とも言えない喜びをかみ締めている。


お決まり床屋へ

2008年09月25日 | Weblog

わすれっぽ私としては、日にちの予定をしておくことが、いかに大事か。その予定の一つが床屋である。先月は彼女は手術後の直ぐ後で、半分だけで母親と交代したが、元気を取り戻しているだろうか。

そんな危惧なんか吹っ飛ばすような爽やかだった。頭を刈ってる時は取り留めのない話題に花が咲き、髭剃りのと気は居眠りをする。それが終わると顔のマッサージ、これが女性用の方法だそうで、これは男として何ともいえない快感である。

首から上を他人に預ける、この一瞬は、カミソリの刃でも気にしないでいられる、そんな安心感が必要ではないか、これは私だけだろうか。そんな心の通う一月一回の場所、終わった後の爽快さである。

それにしても、女は強い。子供を生むという体造りは、肉体の変動変化には、ビクともしないものになっているようだ。痛いこととか、血を見るとか、男は大騒ぎをするもんだが、女はそんなこと屁とも思わないようである。

だから回復力も全然違うようで、私など一年も経ってまだ引きずっているが、彼女は一ヶ月でもう忘れてるようである。こんな時に思い出されるのが、戦争で負けて帰ってきて、立ち直れない男の姿と、今日の食べ物を求める女の強さ。

男女同権と如何にも知ったかぶりに吹聴される現代、こんな基本的な動物の原点をもう一度見直して行くべき時が来たのではないか。


ブットリヤ

2008年09月24日 | Weblog

庭の片隅に我が物顔で、高さ2メートル以上、周囲直径3メートル、アゲハチョウを誘って悦に入ってる花がブットリヤである。もうそろそろ終わりで、今日は途中から全部ちょん切った。残った花が、淡く涼しく終わりを締めくくってるようだ。

これは草花なんだろうけど、幹が木のように硬く、勿論冬を越し毎年勢いを増して咲き誇る。春に幹の間から枝を出すと、あれよあれよと延びる。丁度小学3~6年生のようにちょっと見ないと雰囲気が変わってる。

この成長力はゴムのように、幹から液体を取り飲んだら活力が出るんではないか、と考えてしまう。そして夏に一房何百と小さい花をつけ、それが先端ごとに何十と咲き誇る。そして昼の蝶を呼ぶのだ。

何か自分の若き日を思い起こすような、そんな気(木)がする。季節は冬を迎える準備が始まってるが、北海道 大雪山には初冠雪、自民党は麻生首相、灯油は1988円、生活は冬の時代である。

天気がいいので布団を干して入れるとき、カメムシが一匹隠れてた。もう家の中に入る算段である。動物は季節の変わり目は能動的に活動する。私カメムシも能動的に動かねば、でも同級生の王監督、同じ胃の全摘出仲間としては、限度があるようだ。

齢相応に、動くことなのだろう。


時代の分岐点は今か?

2008年09月23日 | Weblog

秋分の日、暑さ寒さも彼岸まで。季節の分かれる基点でもある、明日から気温がぐっと下がる。つるべ落としの日の暮れが、静かに物事を考える時間をくれた。そしていろんな分野を見てみると、全てに時代の変わり目が来ていた。

①政治、今一番マスコミを騒がせている分野。年金の厚生省、食料の農水省、暫定税率の国交省、そして2回首相をぶん投げた自民党、政治組織そのものの疲弊である。国民がどこまでそれを見ているか、まだ見る心がないようだ。

②経済、バブル崩壊から20年、すっかり企業社会が変わり、絞りに絞った組織が要約機能し始めるようだ。絞った余裕金でアメリカ企業を、再び買い始めた。また先端技術の使い方も、息の長い防衛術を考えながら始動している。

③文化、何と言ってもマンガ、今は世界を席巻してる。そして映画第一次は黒澤、今は北野たけし、「おしん」は20年もまだ上映されてる。歌舞伎はニューヨークやパリで大好評。

④スポーツ、陸上の朝原、野球の王監督、の引退。ヤンキース球場の閉鎖、相撲の国技のていたらく、柔道の国技からスポーツへ。でもイチローのアメリカ国技を牛耳る清々しさ。サッカーへの世界レベル挑戦。

⑤生活、あのバブルまでの消費高揚文化が、一転節約時代になってもう暫らく。企業も変わったが、給料も下がり、日雇い文化になった。お金の節約は勿論、生活行動の節約、そこにエコが始まった。

⑥人間、まず人を殺すことがなんともしなくなった様だ。自分の子供も簡単に殺す。自分の気持ちを晴らすため無差別殺人。心が貧しくなり、ロボット人間になりつつあるようだ。

まだまだ項目があるが、これだけでも全てに大きな曲がり角に来てることを感じられる。毎日の生活の中で一つ一つ自分なりの結論を持ちながら、対処していかねばならない時代でもある。


ぬか床

2008年09月22日 | Weblog

若いときから漬物が大好きで、いや食卓にないとどんな素敵な料理が出ても、私には魂のないいい加減な料理人としか映らない。だから美味しくなく、下手くそな料理人となる。

戦後食べ物がなかった時代の保存食は、米と味噌と漬物であった。これさえあれば生き延びてこれたのである。特に魚屋は漁不漁の差が天気で左右され、儲けられなくて過ごす年もあった。

こんな生き方をしてきたものにとって、食事の中の漬物は、その食卓の主食とおかずの つなぎ役なのである。このつなぎ役がない食卓は、最高の材料であってもどれも美味くはあるが、ただそれだけ。

北朝鮮の美女軍団のように、美女なんだろうけどロボットのような味気ない女なのである。例えが悪いが、やはり一品一品変化をもたせ、波のある味付け、質素だけど素朴な一品。そのような自我を見せるのに漬物がある。

それがぬかの漬物、造った人の味が出る、生活が出るものなのだ。そのぬか床共に持ってきてくれたのが嫁である。中身も一緒に「少々浸かりすぎ」と言いながら、酸っぱいのを好きな私には、今の私にとっては天からの授かり物。

今 小学校時代の食卓、ごはん・おしんこ・お汁だけの、食卓を楽しんでいる。病院の先生の緑黄野菜を取れ、などは 糞食らえ!

若いときは出来なかった毎日の「かき回し」、新しい生き物が一緒に生活し始める。


地域の賢い仕組み

2008年09月21日 | Weblog

我がアンサンブルの練習場は、仙台市泉区の松陵コミュニティセンターというところである。ここの鍵の管理は、スーパーのヤマザワで、裏の事務所の方で完全管理してくれてる。

土日を含め多様な使用時間帯であり、4・6時中の管理をどうするか、随分考えた答えだったのだろう。スーパーの地域に対する貢献の仕方も、素晴らしい物である。地元に根ずくにはどうしたら良いか。

確かにコミュニティセンターを利用する人たちの年齢層が、団塊世代が8~9割。昼間など 利用してる人たちは食べるのにはとにかくヤマザワに行く。買ってくる。このようなことを初めから創造しただろうか。

昼間はどこからこの人たちが来るんだろうか、というくらい、弁当を買いに来る。レジも人が並んでるが、品数が少ないので早い。弁当の種類も、私など前回美味しいし、安いのでまた買おうと探すが似たようなものはあるが、同じものはない。

バリエーションを毎日変えてるようだ。だから夫婦で毎日買いに来る人たちも。食堂で食べて昼の時間帯をこの中でつぶし、うろうろしてる。人が一杯いるから、他の人もまた来る。

夕方鍵を返しに事務所に行って、戦場の時間帯でも、丁寧に対処してくれる。この徹底したあり方が地元に愛されてるのだろう。


定期健診日

2008年09月19日 | Weblog

今日は術後1年も過ぎ、また血液採取されその結果を見ながら、先生との話しに神経を尖らせてきた。とは言え、安心した話しぶりにはどこかほっとしてる。ところが血糖値が低いので、緑黄野菜をとるよう指導される。

また抗がん剤は2年くらいで様子を見よう、と言われ最初の3年から2年は嬉しい限りである。今日の担当は弟の先生で、単刀直入のさわやか先生である。兄の院長の時と違う捕らえ方だが、方向は同じである。

だから安心していられるのかもしれない。今月から新しい病棟に引越し、何もかも戸惑うようだ。古い方を解体し、全面的に新しくするのだろうかは、聞かずじまい。でも地元の個人病院が、しっかり発展していくのは、嬉しい限りである。

大きな総合病院もそれなりの良さはあるだろうが、全て冷たい。心の通った人と人との往来が、これから益々求められると思う。患者もそんな病院を援護していかねば、こうして宣伝するのもそうかも。

塩釜市の赤石病院、今日張り紙を見たら、新しく「小児外科」「漢方内科」もできていた。最近は子育ての難しさや、メタボリックの対応、時流を見た病院対策だろう。どうです近隣の皆さん、頭のどこかに入れておいては。


私の夕食

2008年09月18日 | Weblog

今朝TBSの朝番組、「はなまるマーケット」で鶏のゆで鶏の利用の数々を紹介されてた。私の今の食事の肉は、鶏を主体に豚を時たま使ってる。その鶏の数々のレシピである。

今日はベースのレッスン日で、準備もあり書き込む閑がなかった。大雑把頭に入れていたが、相変わらず脳味噌は左から右へ抜けていく。レッスンの帰り道ジャスコによって、鶏ももを買い早速茹でる。

1時過ぎてるので腹も減ってる。コーヒーとバナナでつなぎ、中火でことこと、次に1時間冷まさねばならない。この間に今朝テレビを見たときに、自分は何を食べたかったのか思い出していたのだが、思いつかない。

冷蔵庫にあるものでいこう。ニンニク大き目の物を一切れ、大きなインゲンを、玉ねぎ、きゅうり、そうだ炒め物か、危ないモヤシ、ナス、結構野菜の種類が多く、楽しくなる。まずは野菜炒めから始まる。

そこに鶏の煮汁を入れて、塩・コショウ・だし汁・酒・砂糖・酢、で味付けここに鶏肉をきざみいれる。少々とろみをつけて火を止めて、2~3分待つ。出来上がりの量が2~3人分。昼から夜までちょびちょび食べる。残りは明日の朝。

我ながら美味い。最近は全て目分量の調理、時たまは間違うときもあるが、もう料理人である。最近は栄養バランスとかメタボとかは忘れて、食べたい物を食べるようにしてる。不足してる栄養は体が欲しがるので判る。

老人の一人暮らしは忙しいのである。起きて目に付いたことから一日が始まるので、ゴミが落ちてれば掃除をし、洗濯機が一杯になればスイッチを入れる。でも忘れずスイッチを入れるのはテレビである。

ニュースと朝ドラとメジャーは必ず見る。今朝イチローが8年連続200本アンダ。控えめにこつこつの仕事師は、アメリカ人にない日本人の姿でアメリカの魂を揺さぶる姿が、とてつもなく頼もしい。