夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

萩茶碗 古賀大眉作 その2

2024-03-17 00:01:00 | 陶磁器
本日紹介する作品は家内が入手した萩茶碗。家内が習っている遠州流に縁のある作品のようです。

萩茶碗 古賀大眉作 その2
小堀宗明箱書 共箱
口径146*高台径55*高さ68



実は当方の所蔵作品としても古賀大眉の萩茶碗は紹介されています。



使い込んだ萩茶碗としての見込みになっていますね。



高台は持ちやすい造りとなっています。



吉賀大眉の陶歴は下記のとおりです。

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吉賀大眉(本名:寿男):大正4年、山口県萩市の窯元の家に生まれました。

当時萩焼は「伝統的な工芸という枠組みの中での陶芸」という認識による工芸品・商業製品が主で、美術・芸術といった認識ではありませんでした。その現状に疑問を感じた大眉は東京美術学校(現:東京藝術大学)に入学、大学では彫刻を学び、そののち陶芸家・加藤土師萌に師事しました。その後萩に帰郷した大眉は作陶に専念し、「伝統だけの観念にとらわれない」・「伝統を超えた陶芸の美しさ」を追及し、中央の美術展覧会等で精力的に作品を発表しました。芸術院賞をはじめ数々の賞を受賞し、ついには文化功労者・芸術院会員に列せられるに至った大眉はこうして萩焼の陶芸界に大きな足跡を残し、萩焼を芸術にまで高めた作家としてその業績を讃えられています。

年譜
1915 山口県萩市に生まれる。本名寿男。
1932 萩市立商業学校卒業後、京都市伏見の商工省陶磁器試験所に伝習生として入所。陶彫を沼田一雅に学ぶ。
1933 同試験所一期修了、東京美術学校彫刻科塑造部に入学。
    朝倉文夫、北村西望、建畠大夢に彫刻を学ぶ。
1938 東京美術学校彫刻科塑造部卒業。第二回新文展に「裸婦」(塑造)入選。
1940 紀元二千六百年奉祝展に「裸婦」(塑造)入選。
1942 これを最後に彫刻から離れ、以後陶芸に専念する。陶芸家加藤土師萌に師事。
1943 帰萩。泉流山窯にて作陶をはじめる。
1961 山口大学教育学部講師(~1968年)
1965 日本現代工芸美術展に出品 (以後連続・受賞多数)
   現代工芸美術家協会理事。
   北欧・中近東を旅行した際にエジプトの「アラバスター」に感銘を受ける。
1971 前後してこの頃より「暁雲シリーズ」を発表、芸術的方向性を確立する。
1974 日本芸術院賞 連作「暁雲」
1982 「カラー日本のやきもの・萩」(淡交社)を出版。
   日本芸術院会員に選任。現代工芸美術家協会副会長。
1983 山口県立美術館にて「吉賀大眉展」。
   新宮殿にて天皇陛下に陶芸について御進講。
1986 日展常務理事に就任。勲三等瑞宝章受章。
1990 NHKより「萩を創る、吉賀大眉の世界」放映。文化功労者に列せられる。
1991 10月歿。勲二等瑞宝章追叙。

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箱表の箱書は下記のとおりです。



箱裏には小堀宗明の箱書があります。

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小堀宗明:正徳 晴義 号・宗明 其心庵 一貫子 明治21年(1888)、父宗有31歳の時、東京で誕生。東京美術学校に入学し、彫刻・塑像を習得し、日本画も狩野探令に師事した。22歳で、父の死と共に家督を継ぐ。広徳寺福冨以清和尚より、「其心」の庵号として贈られ、自らも一貫子と号した。

益田鈍はじめ大正茶人たちとの交流も厚く、三井泰山、団伊能、近藤滋弥等、東京における茶道界の重鎮を門弟とし、泰和会を創始し、石黒況翁の後援をえて、遠州茶道の一般普及に力を入れた。また父宗有の時にまったく行わなかった、出張教授を行い、各大名城下町に受け継いでいた流門の師弟を訪ね、流儀発展に大いに貢献した。

戦後における東京茶道界・東茶会・好日会・止水会等の組織に参加、東京・鎌倉における茶道界向上に大いに活躍した。遠州以来の好みの窯の復興にも努力し、茶道美術の指導にも力を入れた。自らも、絵画・書・茶杓などの多くの作品を遺しているが、特に茶碗や香合などの造形美術に優れた技能を示している。昭和37年6月21日、75歳で東京にて没する。

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共箱を傷めないように保管します。



風呂敷に包んで保管しておきましょう。風呂敷は大小様々揃えておく必要があります。風呂敷や袱紗はインターネットで廉価でたくさん入手できますね。



以前に入手した作品(下記写真右)と並べて見ました。

萩茶碗「玉づさ」 古賀大眉作
小堀宗慶箱書 共箱(遠州箱)
口径146*高台径55*高さ68

大きさ、というか高さがだいぶ違うので用途も違い、同じ遠州流に縁のある作品で、同じ陶工によるものですが、醸し出す趣向に違いがあっていいですね。



こちらは小堀宗慶の箱書があります。

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12世小堀宗慶:大正12年(1923)1月14日遠州茶道宗家11世小堀宗明の長男として生まれる。 東京美術学校(現東京芸術大学)在学中、学徒出陣にて満州に従軍。 終戦後シベリアで4年間の抑留生活を送る。昭和24年9月に復員し、翌25年音羽護国寺に於いて、遠州公嫡子大膳宗慶公の号を襲名し、以来茶道界発展に尽力。同37年に12世を継承。

「国民皆茶」をモットーに、茶道界のリーダーとして、茶道本源に関しての研究はもちろんのこと、建築・造園の指導並びに芸術・工芸の分野においても幅広く活動している。 特に名物裂の研究、また茶花に関しては当代随一といわれ、また藤原定家の流れをくんだ「定家書風」の第一人者としても有名。

平成4年10月には永年の文化功労に対して、都知事表彰を受ける。また平成5年には勲四等旭日小綬賞を受賞する。平成13年元旦より遠州茶道宗家として13世家元の後見はもちろん、茶の湯を軸として幅広い活動を続けた。

近代遠州流宗家
10代 小堀正快         宗有    瓢庵    1858年~1909年4月23日    
11代 小堀正徳         宗明    其心庵 1888年10月14~1962年6月21日  
12代 小堀正明         宗慶    成趣庵 1923年1月14日~2011年4月24日     
         「国民皆茶」を提唱。東京茶道会初代理事長を務めた。
13代小堀正晴           宗実    不傳庵 1956年9月17日- 当代(12世の長男)

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小堀宗明・宗慶は近年の茶道の再興に大きく貢献し、古美術界にも大きな影響を与えました。その両名の箱書のある古賀大眉の萩茶碗、家内が欲するわけです。



























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