夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

富士海浜図  高倉観崖筆 その3

2017-07-17 00:01:00 | 掛け軸
掛け軸は日本の総合芸術ということですが、その中に軸先というものがあります。軸先の代表的なものに象牙あります。象牙は取引禁止ということもあり、これ以上は象牙の軸先は増えることはなく、象牙の軸先だけで2万円するという話も聞いたことがありますが、掛け軸から象牙だけ切り取られ売買の対象になることが流行するかもしれません。



本日紹介する作品も骨の加工されたもののように思われます。象牙以外には鹿の角、漆の塗、陶磁器、鋳物、木製の加工品、プラスティック、練りなど様々の材料があり、とくに戦時中や戦後には品不足があったようです。



軸の紐の結び方も様々です。見せる結び方?にもいろいろありますが、単純に丸めたような結び方は軸本体を痛めますので、きちんと覚えておく必要があります。



掛け軸の箱も中身が解るように小口に作品名と作者を記しておく必要があります。中を見ないと解らないようにしておくといちいち広げることとなり、掛け軸の本体や箱を落としたりして痛めてしまいます。



掛け軸の保存は桐箱だけの保存では不十分です。桐箪笥の収納し、桐箪笥にも防虫剤を入れ、さらに部屋全体をエアコンでコントロールする必要があります。



掛け軸は収納箱の誂えから表具まで作品本体以外にも鑑賞する要素がたぶんにあります。たとえが悪いかもしれませんが、西洋画の額よりも知識が必要であろうと思われます。

本日紹介する作品は三作品目となる高倉観崖の作品です。豪雨の被害にあった大分の画家であり、被害に遭われた方々へのお見舞いの意図も兼ねた紹介となります。

富士海浜図 高倉観崖筆
絹本水墨着色 軸先 合箱
全体サイズ:縦2045*横575 画サイズ:縦1255*横420



手前の大皿は平野庫太郎氏の作品です。



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高倉観崖:日本画家。明治17年(1884)大分県生。名は孫三郎、通称は宏明。京美校卒。竹内栖鳳・菊池芳文・山元春挙らに師事する。数回にわたり中国に遊び、『蘇江所見』を出版した。また画のかたわら俳句もよくした。昭和37(1962)年歿、74才。

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高倉観崖は南画の里とも称しても差し支えのない大分出身の画家です。



高倉観崖の主要な活躍期は大正初年から昭和前期ですが、この時期、日本画家は洋画や南画の影響を受けながら新たな日本画の創造を模索しており、特に江戸、代後期以降、南画が隆盛した独特の土壌に育った大分の画家たちは南画と近代日本画表現の間で様々な試み、展開を見せたています。



本ブログに紹介されている甲斐虎山や白須心華は生涯南画を制作し続けました。幸松春浦は南画風から次第に近代日本画の画風へと移っています。

*「幸松春浦」の作品は近いうちに投稿予定です。



首藤雨郊は初め日本画作品を帝展に出品し、後年は田能村竹田への憧憬から、南画風作品を多く描いています。

福田平八郎は大正中期に新南画風の作品が見られましたが、大正後期になると、こうした作品は見られなくなりました。そして観崖の場合は、一般には日本画を描く一方で、新南画風、俳画風の作画を行ったとされています。



朱文白方印「観崖」が押印されています。

 

大分の画家の中では南画から脱却し、近代画家となり得たのは福田平八郎だけだったかもしれませんね。

にしてもありきたりとも評されかねない本作品のような高倉観崖の作品も、床に掛けて見るとほっとするのは小生だけではないように思います。

大分など豪雨の被害を受けた地域の方々もほっとされるように、一刻も早い復興を祈っています。


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