アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟 続き 本件遺骨Bのこと

2018-02-01 07:14:15 | 日記

前述しましたが、さる1月26日にコタンの会(清水裕二代表)と、浦幌アイヌ協会(差間正樹会長)が原告となり、アイヌ遺骨返還請求裁判を起こし、北海道と北海道公立大学法人札幌医科大学(以下「札医大」)を訴えました。

訴状はコタンの会のHPのこちらからお入り下さり、PDFファイルでダウンロードしてください。

今回は、 本件遺骨Bについてわかりやすく説明します。

本件遺骨Bは1979年(昭54)3月、浦幌町教育委員会後藤秀彦が、浦幌町十勝太から出土したとして、北海道大学西本豊弘を仲介して被告札医大に送付された遺骨。

浦幌町から出土したアイヌ遺骨であると被告札医大も認めていたので、「いつでも返還する」と言っていた遺骨でした。が、2017年に突如、「アイヌ遺骨かどうかの判断はできない」という理由で拒否しました。

被告札医大は「アイヌ遺骨かどうかの判断ができない」理由をいくつか挙げているが、いずれも、原告代理人が以下のように精査し、アイヌの遺骨であることが間違いないと結論し、返還を求めました。

被告札医大がまとめた「札幌医科大学に保管されている第三者(団体・個人など)から移譲されたアイヌ人骨の出自調査報告」書(まとめたのは解剖学第二講座の松村博文教授)によると、本件遺骨Bは十勝太地区の町道拡幅工事の折に発見され、浦幌町教育委員会後藤秀彦が札幌医科大学解剖学第二講座講師山口敏に譲ったとあるので、浦幌町十勝太から出土したことは否定できない。

また、浦幌町史によると、十勝太の和人は明治16年から入植をはじめ、明治25年前後にはかなり開けた市街地になっていたことが分る。したがって、この時点ではすでに町道は開通し、和人であるならば行政が完備され、死亡者が発見された場合は警察に届け出られたうえ、近くの寺か共同墓地に埋葬され、町道の脇に埋葬されることはない。すると、本件遺骨Bは和人が入植する以前に死亡したアイヌで、アイヌの風習に従って山野に埋葬された蓋然性が非常に高い。

被告札医大は、鉄環はアイヌの副葬品にはないとして本件遺骨Bがアイヌ遺骨であることを否定するものの、その鉄輪は行方不明であり、そもそも副葬品であったか、

鉄環以外の金属製品ではなかったのか等々、が証明できない。また、アイヌのニンカリ(金属製の輪になっている耳飾り)の可能性も否定できず、この場合には間違いなくアイヌの副葬品であり、遺骨はアイヌ人骨となる。少なくとも、被告札医大がいうように、「アイヌ副葬品に鉄環はない」という理由から本件遺骨Bがアイヌ人骨ではないと断定することはできない。

 

できるだけ、わかりやすく、要点をまとめたつもりですが、いかがでしょうか。詳しくは訴状をお読みください。

なお、その日の午前中には、10月にコタンの会が起こした(被告:北海道大学・新ひだか町)アイヌ遺骨返還訴訟の第2回口頭弁論が行われました(詳細は後日に)。

 

以下の通り、出前講座を行います。どなたもおいでください。

「奪われたアイヌ遺骨〜その研究の過去と現在
        東京大学・札幌医科大学のケース」

とき 2018年2月16日(金)18:00-20:30

ところ 札幌市教育文化会館 講堂(4階)
    札幌市中央区北1西13  電話011-271-5821

入場料 無料(資料を500円で頒布します)

主催 北大開示文書研究会コタンの会

プログラム

植木哲也さん(苫小牧駒澤大学教授)
「小金井良精の北海道旅行―東大のアイヌ遺骨」

殿平善彦さん(北大開示文書研究会共同代表)
「 私たちが札医大に問い質したいこと 」

木村二三夫さん(平取アイヌ遺骨を考える会共同代表)
「札医大と初めて話して感じたこと、言いたいこと」

討論・交流会

http://hmjk.world.coocan.jp/demae/2018sapporo/sapporo20180216.html

道庁で夜6時半からやっているプロジェクションマッピングを観に行きました。なかなかよかったです。

https://wonder-lights.net


この記事をはてなブックマークに追加

「埋蔵文化財」遺骨返還訴訟 20180130

2018-01-30 14:05:36 | 日記

1月25日の午後6時20分からHTB「どさんこワイド」で取り上げられました。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=53&v=ul0q9TSpB3s

翌日の26日、コタンの会(清水裕二代表)と、浦幌アイヌ協会(差間正樹会長)が原告となり、アイヌ遺骨返還請求裁判を起こし、北海道と北海道公立大学法人札幌医科大学(以下「札医大」)を訴えました。

しばらく、以下でニュース動画が観られます。HTBニュース

訴状は近々、コタンの会や北大開示文書研究会のHPに上げますので、詳しくはそちらをお読みいただき、ここでは分かりやすく要点を説明します。

開示された資料によると、札医大は、1962年(昭37)5月に浦河町東栄遺跡からアイヌの遺骨35体を収集し、現在も保管中(「本件遺骨A」)。それらは、「文化財保護法による届け出許可のもとに行われた札幌医科大学主体による発掘調査」として、「研究のための収集」と記されています。

さらに、札医大は1979年(昭54)に浦幌町十勝太の町道拡幅工事の際に発見された遺骨1体を浦幌町から「移譲」されています(本件遺骨B)。これら36体の遺骨の返還請求を起こしました。

灯台を破壊するほど荒れた留萌の波 連日吹雪いています。

コタンの会は、自分たちのコタンから掘られ持ち去られた遺骨はコタンのものなのだから速やかにコタンに返し再埋葬したいという主張を続け、裁判所の和解により過去に北海道大学より遺骨を取り戻し、浦河町杵臼、浦幌、紋別と再埋葬を行って来ました。

被告北海道は本件遺骨Aについて「埋蔵文化財」として、これらの遺骨の所有権を有し、被告札医大は被告北海道から依頼を受けた保管者として本件遺骨Bの占有権を主張しています。

 しかし、発掘の経緯を精査すると、結論は「埋蔵文化財」とは言えない。そのため、被告北海道は本件遺骨Aについて所有権を有していない。そのため、遺骨は返還されるべきというのが原告の主張です。

まず、発掘されたアイヌ墓地の歴史を調べると、古い時代ではなく明治以降に東栄遺跡の中に、付近に住むアイヌの人々が墓地として使用したことがわかる。アイヌ墓地そのものは「アイヌ期」の遺跡ではない。しかも1962年の調査・発掘の際の資料にも「調査分担は浦河町教委が考古学、札幌医大がアイヌ墓地である」とされ、東栄遺跡のうち、縄文以降の考古学的遺跡の発掘は浦河町教育委員会が担当し、被告札医大は明治以降に使用されていたアイヌ墓地の発掘を担当していたことがわかる。さらに、札医大は考古学的な遺跡発掘調査をしたのではなく、解剖学者による解剖学のための「研究のための収集」であることも明瞭となる。

要は、札医大は最初から研究材料として明治期のアイヌの遺骨であることをわかりながら、あたかも「アイヌ期」で埋蔵文化財であるかのようにゴマかして発掘して持ち帰っていた、ということなのです。

被告らが、本件遺骨Aが埋蔵文化財であるとする根拠は、結局、虚偽による結果である。文化財だから自治体の承諾を得れば、研究対象に簡単にできることを研究者らは利用したということになる。

✳︎これが明らかになれば、他にも「埋蔵文化財」とは言えないものを「埋蔵文化財」とされて、研究対象にされているものがある可能性が大きいということ。

 

原告コタンの会が、なぜ本件提訴をせざるを得なかったのかと言うと、これらの遺骨がすでにミトコンドリアDNA研究の対象とされているからです。2017年10月11日、安達登と国立科学博物館・人類学研究部篠田謙一ら複数の研究者によって英字論文で発表しています。

http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.23338/full

本件遺骨AからのミトコンドリアDNAの抽出とその解析は、権限あるものの承諾を得ていないものとして研究倫理に反するとともに違法行為(器物損壊罪)と評されるべきものです。

また、さらに本件遺骨AからヒトのDNAを抽出し研究される可能性が高いため、返還を求めたのです。

この論文はなぜかタイトルに古代(ancient)使われており、使用した94の「江戸期アイヌ個体」と述べています。それらのうち32個体が「本件遺骨A」(すなわち明治以降のアイヌの遺骨)なのです。

最近、ips細胞の論文に不正があったことが大々的にニュースになりましたが、この論文もそれに匹敵するほど問題があるのではないでしょうか。

 

北海道アイヌ協会・日本人類学会・日本考古学協会による「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル・最終報告書」こちらが、昨年4月に出来ました。この中に、従来の研究に問題があるため研究者は深く反省し、今日の人権の考え方や先住民族の権利に関する議論や国際的な動向に関心を払い、その趣旨を十分に理解する努力をするべきで、研究をする際には真摯に研究の目的と手法を事前に適正に伝えた上で、記録を披瀝、自ら検証していくことを求めています。そして、研究の対象外とするものとして①アイヌの同意が得られないもの、②100年以内に埋葬された遺骨や副葬品、③収集経緯を公開できないものなどが挙げられていますが、今回の本件遺骨Aは研究対象外のはずです。これも問題にするべきです。

(本件遺骨Bに関しては後日に)。

 

今年の教会(アイヌ民族情報センター)前の雪像。『赤鼻のトナカイ』のつもり。大雪と猛吹雪ですぐに壊れました。


この記事をはてなブックマークに追加

小坂田裕子さんによる「ラテンアメリカにおける先住民族の権利保護」

2017-11-03 12:33:41 | 日記

さっぽろ自由学校「遊」の今年度後半のアイヌ関連連続講座が始まりました。

「遊」にはいつも貴重な学びと出会いをさせて頂くことに感謝しています。後期のテーマは「先住民族の権利、世界の趨勢」で、第1回は小坂田裕子(中京大)さんによる「ラテンアメリカにおける先住民族の権利保護」 (10/20)でした。10月28日付の北海道新聞でも小坂田さんへのインタビュー記事が掲載されていましたが、6月に『先住民族と国際法』Amazonを出版され、その内容にも触れての講演でした。

小坂田さんはラテンアメリカでの裁判報告とアイヌ民族の権利を関連させてお話されました。最後に以下の三点のまとめをされました。

1.米州人権裁判所が個人の人権を発展的解釈することによって先住民族の集団的権利を認める判決を過去に出したことを複数紹介。米州人権裁判所が拠って立つ米州人権条約は日本国憲法以上に個人主義的な条文にも関わらず、集団としての権利を認める判決を行なっている(「人権文書の個人主義という性質は先住民族の集団的権利の承認を必然的に否定するものではないということを示唆した」)。日本国憲法は個人主義的な文章ゆえアイヌ民族の集団的権利を認められないという日本の議論は国際的に見た場合、説得力を持たない。

2.ラテンアメリカでは憲法解釈に「先住民族の権利に関する国際連合宣言 (2007年 以下、「権利宣言」)の趣旨を反映させて、憲法に基づいて先住民族の集団的財産権を認める判決や、権利宣言を直接的に適用して先住民族の同意を取得するよう政府に命令する判決が出ている。日本の裁判所や政府は権利宣言の法的拘束力のなさを理由として権利宣言の利用に消極的な立場をとっているが、ベリーズの国内裁判例では権利宣言の法的拘束力は問題視されず、むしろ権利宣言採択の際に賛成票を投じたことが重要視されている。日本の裁判所では公的拘束力のある人権文書の関節適用ですら消極的だが、法的拘束力のない権利宣言であっても、それが普遍性と具体性を持つ基準を含んでいる場合には必要に応じて参照され国内法解釈の正当性を補強する機能を果たすことができる、つまり関節適用されうると考える。

3.権利宣言は法的拘束力はないが、権利宣言に規定される宣言の中には国際慣習法化している、あるいは少なくとも慣習法として生成しつつあるものもあり、国際慣習法として法的拘束力をもつ権利もあると考える。

難しいのでテープを5回以上聞きました。小坂田さんは最初からアイヌ民族の権利を意識していたのではなく、多文化共生を実現するために国際人権法がどういう貢献ができるのかを博士論文を書く中で研究し、そこでLGBTの人たちやイスラムの女性、先住民族へと関心を向け、権利宣言採択を受けてアイヌの権利も考えるようになられたとのこと。

勉強になりました。日本もぜひ、権利宣言採択の際に賛成票を入れたものとして関節適応をし、アイヌ民族に権利を認めるようになることを願います。

北海道新聞記事 【小坂田裕子さん】先住民族を巡る国際法に詳しい大学教授(10/28)は、分かりやすくまとめられていますので一読をおすすめします。

こちらからもご覧頂けます。

 

さっぽろ自由学校「遊」の今年度後半のアイヌ関連連続講座の詳細は以下に。

http://www.sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php?id_course=586


この記事をはてなブックマークに追加

道新紙面「アイヌ新法へ非公開で意見交換 政府、来月から全国調査7項目」より

2017-10-28 08:42:53 | 日記

10年以上前から、ネットサーフィンをしながら、アイヌ民族・世界の先住民族関連のニュースを見つけてはストックし、先住民族関連ニュースブログに貼り付ける作業を毎朝おこなっています。アイヌ民族に関しては全国的なニュースになっていないとよく道外の方から言われますが、ネット上の紙面では、毎日なんらかの情報がUPされているのです。

 昨日、今日と北海道新聞紙面にアイヌ民族関連の記事が出ました。

今回は「アイヌ新法へ非公開で意見交換 政府、来月から全国調査7項目」(10/27)を取り上げます。

政府は11月から、アイヌ民族に関する新法の検討などに向けた全国的な調査を非公開で始めるとのこと。非公開というのは、「差別への懸念から」ということか。意見交換会の内容は、2020年の制定を目指す新法の内容のほか、今後のアイヌ政策に反映させる考えだとのこと。

調査概要の図を見ると

1.道のアイヌ生活実態調査 

2.実態調査でアイヌ民族の居住を把握した地域の意見交換会 

3.実態調査で居住を把握できなかった地域のアイヌ民族らを対象とした意見交換会 

4.札幌市や旭川市などのアイヌ施策担当者からの聞き取り 

5.実態調査で居住を把握できなかった市町村からの聞き取り

6.道外に住むアイヌ民族を対象とした意見交換会 

7.東京都内にある電話相談窓口に寄せられた意見の分析

の7項目となっています。道は1972年から7年毎に調査し「北海道アイヌ生活実態調査」(概要)を出しています。最近の調査は2013年に7回目を行いました。この調査におけるアイヌ民族の人数は、「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる方、また、 婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる方」について、各市町村が把握することのできた人数なので、把握できていない方もおられるという意味で「道内に居住するアイヌの人たちの全数とはなっていない」と、ただし書きがされています。あるいは、法務省が出している薄い冊子『アイヌの人々と人権』のただし書きには「アイヌの血を受け継いでいると思われる方であっても、そのことを拒否している場合は調査の対象としていません」とありますので、そのような方もおられるのでしょう。その方達の状況をどれだけ把握できるかが問われています。

ちなみに、2013年での調査対象とした世帯数、及び、人数は、66市町村に6,880世帯、16,786人で、前回調査(2003年)と比べると、7年のうちに約2割、世帯で3割の減少になります。また、道外に出られたアイヌ民族のみなさんへの調査はここではしていませんので、道外に出られた方もおられるでしょう。

この調査を政府の新法検討に協力する形で今年11月から前倒しして行うとのこと。アイヌ民族の皆さんの意見を広く深く聞くことが出来るようにと願います。

過去に書きましたが、カナダの場合は政府が主導して1991年から先住民族委員会を設置して詳細な調査を行い、2008年に「真実と和解のための委員会」をつくり、さらに寄宿舎学校問題を調査し、2015年に「報告書」を出します。そこには、「同国の同化政策を文化的ジェノサイドとよび」(丸山2016.2)、政府に対して先住民族と和解するための具体策を国連権利宣言に基づき94項目あげて、その実行を迫っている(パティー・タルボットさんの講演内容)のです。日本政府はそのような動きに見習うべきですし、アイヌ政策推進会議はそのような提案を積極的に行うべきではと思います。

今回の紙面では、アイヌ協会幹部による「意見交換会を行っても、政府の(生活・教育支援を検討したとする)アリバイづくりにとどまるのでは」との懸念の声も挙げられています。決してそうならないことを願います。

 

浜に打ち上げられたガラスの浮き玉。今もけっこう拾います。来客にプレゼントしますが、在庫50個ほどあります。大きいのは直径40センチ。小さいのは8センチほど。


この記事をはてなブックマークに追加

2017 札幌地区アイヌ民族フィールドワーク開催

2017-10-24 19:21:34 | 日記

前述しましたが、さる、10月12日に新篠津にてわたしたちの教団の北海道内の牧師たちの研修会の中で

楢木貴美子さんをお招きし、「樺太アイヌ(エンチウ)として生きて」の講演を伺うことができました。報告・感想は12月発行予定の機関紙「ノヤ」に掲載します。

また、10月19日には札幌地区アイヌ民族フィールドワークでも楢木さんのお話を伺うことが出来ました。前回のお話に加え、お友達が楢木さんのお話を聞いて、想像をたくましく膨らませて書いた紙芝居の写真と、樺太にお墓まいりに行かれた際の写真とを紹介して頂きながら、ご自身の体験をお話くださいました。

楢木さんは、バスの車掌のご経験もあり、とても聴きやすい話し方で、分かりやすくお話くださいました。エンチウの皆さんが大変なご苦労をされたことに胸が苦しくなりました。お話くださって感謝でした。

 

もうお一人は、カナダ合同教会の世界宣教師委員会総主事であるパティ・タルボットさんのお話を伺うことができました。パティさんの話も、通訳を担当してくれましたわたしたちアイヌ民族情報センタースタッフのロバート・ウイットマー宣教師から資料を頂戴した後に詳しく紹介いたします。ここでは、簡単なメモ程度に一部を書きます。

カナダでは2015年に「真実と和解委員会」が7年をかけて先住民族の歴史と現状についての調査を終えた。本当の意味での和解をするためにわたし達は何よりも先住民族の権利に関する国際連合宣言 (2007年 以下、「権利宣言」)を実行しなければならない。教会も政府も企業も直接的に権利宣言の原則と批准を自分の政策や活動や手続きにおいてはっきりとさせなければいけない。権利宣言の法則と行動と基準に基づいて真実と和解委員会は94の呼びかけをしている。カナダ合同教会をはじめ諸教会は、この権利宣言と真実と和解委員会の呼びかけを受け止めて実行に移そうとしている。2015年の11月に国連の特別委員会がつくられ、それによってこの働きが進んでいるかどうかを見ています。2016年にはカナダ合同教会において先住民族に関する特別委員会を設置し、これからの未来に何が必要かを話し合っている。

権利宣言の行動への基準についてカナダ合同教会は6つに分けた。まず、①先住民族としての自己決定権を持つこと、②何かを決めるときに先住民族が参加する権利、③資源、土地を持つ権利、④先住民族の文化を守る権利、⑤何かを決めるときにはまず先住民族と相談し評価を得なければならい、⑥差別をなくすること、です。この権利宣言をほんとうに認めることになるなら、カナダの教会と先住民族との間にまったく新しい関係が生まれるだろう。

テープを聞いて書いたので不確かな部分があるため訂正も含めて後日に行いますが、カナダ政府やカナダ合同教会が先住民族の権利に関する国際連合宣言を重く受け止め、実践していこうという前向きに努力を重ねている姿勢に教えられました。

 

さて、昨年の2016年7月に浦河町杵臼へ80数年ぶりに12箱の遺骨が返還され再埋葬を行いましたが、北大が杵臼から持ち去ったご遺骨の中で1年のあいだ北大が情報公開して引き取り人が名乗って来られるのを待った結果、引き取り人が現れなかったご遺骨が今月の28日に返還され、儀式と共に杵臼に再埋葬されます。


この記事をはてなブックマークに追加

新ひだか(旧静内)町での遺骨返還裁判

2017-10-23 11:11:16 | 日記

 さる、10月19日、日高管内新ひだか(旧静内)町と同管内浦河町東幌別にて過去に持ち去られ、北海道大学に保管されている195体のアイヌ遺骨の返還と埋葬する墓地の提供を求める訴えを各地区に住む「コタンの会」が起こしました。新ひだか町から193体、浦河町東幌別から2体という過去の訴訟では最大の数にのぼります。 

 「北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」(2013 以下、『報告書』)によると、新ひだかでの発掘は1956年7月に静内町『駅前墓地』廃止・墓地改葬に伴い、静内町依頼により北大医学部第二講座が発掘し、現在161体を所有。さらに、1972年に北海道大学医学部解剖学第一講座によって静内町『豊畑共同墓地』改葬に伴って発掘し持ち去り、現在32体を所有していることが記されています。

 静内駅前アイヌ墓地は静内町駒場共同墓地へ改葬の際、静内町、北海道大学医学部第二解剖教室(責任者児玉作左衛門教授)、日高郷土史研究ケパウの会、静内高等学校郷土研究部の4団体が作業を行い、頭骨は改葬せずに北大が持ち去ります。『報告書』には「10日間に160余体のアイヌ骨格を発掘することができた。しかも、骨格の保存状態は良好であり、人類学的調査に使用し得るものも100余体という誠に貴重なる資料である」と、遺骨を単なる「研究材料」にしか見ていない記載がなされています。さらに『報告書』には、和人墓地の改葬は809件おこなったが「アイヌ墓地の改葬は皆無である」と記載されており、「改葬事業」とは名ばかりで、最初から研究ありきで持ち去ったことがあからさまに記されています。 

 当時の墓地、埋葬に関する法律では、「『改葬』とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し・・・」とあり、「他の墳墓に移し」ていない北大の遺骨発掘はこの法律に違反した違法な改葬行為ということになります。

 豊畑共同墓地改葬事業については、改葬時の写真が情報公開され、その中にクワ(アイヌの墓標)がたくさん写っている写真があり、発掘当時も墓地として使用されていたことがわかります。さらに75体のアイヌ遺骨を発掘しながら北大は32の頭骨を中心として持ち去っているだけで、残りは火葬して新墓地に埋葬しています。旧静内町は、駅前墓地同様、改葬事業において新たな墓地に埋葬しなければならない義務を認識していたのです。

 過去の裁判同様、原告らの主張はアイヌの遺骨管理権限はコタンという集団が保持しているのでコタンへの返還を求めています。また、新ひだか(旧静内)町は上述のように、本来、改葬するべき義務を怠り、北大に遺骨を引き渡すという違法行為を行った(「寄贈」したことも隠蔽)ことから、墓地を準備し再埋葬するようにと新ひだか町をも訴えました(行政訴訟)。

 アイヌ民族の遺骨返還を求める訴訟は今回で5件目。その内、3件(浦河町杵臼、浦幌、紋別)は昨年以降にすでに和解が成立し、再埋葬が行われました。原告のコタンの会副代表の葛野次雄さんは記者会見で、「早く帰ってきて静かに休んでほしい」と訴え、アイヌ語でモシリコロフチ(国土を治めている女神)へ祈りを献げました。

 わたしたちはこの裁判も支援し、情報提供をみなさんにして行こうと思います。

 

さる、10月12日に新篠津にてわたしたちの教団の北海道内の牧師たちの研修会の中で楢木貴美子さんをお招きし、「樺太アイヌ(エンチウ)として生きて」の講演を伺うことができました。報告・感想は12月発行予定の機関紙「ノヤ」に掲載します。また、10月19日には札幌地区アイヌ民族フィールドワークでも楢木さんのお話と、カナダ合同教会の世界宣教師委員会総主事であるパティ・タルボットさんのお話を伺うことができました。


この記事をはてなブックマークに追加

自由学校遊での土橋さんの講演より 2017/09/19

2017-09-19 19:35:58 | 日記

前回にこのブログでご紹介した『痛みのペンリウク−囚われのアイヌ人骨』(草風館)の著者である土橋芳美さんの講演が自由学校遊にて9月1日に行われたので聞きに行きました。何度も聞き直しました。その一部を紹介させて頂きます。

ジョン・バチェラーのことを書こうと2016年1月から道新の文章教室に通われ、そこでペンリウクさんが自分の先祖であることや彼のことを書きたいと表明。すると同じ受講生の若者がすぐさまインターネットで検索し、ペンリウクさんの遺骨が北大にあることを教えてくれた。驚きと共に、一刻も早く返還を望み、北大と交渉を始めた。そんな中から本が出版されたとのこと。

ご両親のことやお姉様、妹さんのこともお話くださり、お若い頃に差別を受け、鳩沢佐美夫さんの遺稿集の編集を手伝っていた時に草風館社長に勧められて訪米。「わたしとは何か」を探す旅でもあった。アメリカ先住民族の強制移住の道のりを歩く涙の旅に参加する予定が中止になり、招いてくれた日系米人のための新聞社を見学して感動し、アイヌの新聞を作ろうと決めた。紹介されて佐々木昌雄氏との出会い、新聞『アヌタリアイヌ(われら人間)』を出版。

砂沢ビッキさんともつながり、新聞の題字を書いてもらった経緯なども教えて頂きました。

また、ある経緯から活動の舞台から退いた。その要因の一つは、激しい差別ゆえにアイヌであることを言わない(言えない)で生きている同胞に出会ったことだった、と。

土橋さんはペンリウクさんの晩年の写真が多く残っているのを過去に調べたことがあり、いずれの写真も見るのが辛くなるような苦しげな痛みに耐えているような表情の写真(明治35〜6年)だったと言われていました。アイヌとして生きることが辛い中で死んで土に埋められて、それから30年後に北大が掘り返し研究用として持って行き、返して欲しいと訴えたのに、まだ北大の「研究資料室」に置かれている。どんなことをしてでも取り返そうと思う、と訴えられました。

『アヌタリアイヌ(われら人間)』を調べたところ、創刊号(1973.6)から19・20合併号(1976.3)まで発行されています。わたしも何号かあったはずですが見つけられませんでした(残念)。あらためて佐々木昌雄著『幻視する〈アイヌ〉』(草風館)を読もうと思いました。この書の中には『アヌタリアイヌ』編集後記1号(1973.6.1)から4号(1973.10.1)まで等が収められています。

本日(19日)、午後6時40分ほどから「イチオシHTB」で、遊講座の模様と土橋さんの思いが報じられました。

北大の「アイヌ納骨堂」を土橋さんは「研究資料室」だと言われました。今もその建物は北大の医学部駐車場の片隅にひっそりと建っています。

少し前に、ドイツ人により盗掘された遺骨がドイツから「返還」されたというようなニュースが流れました(官邸毎日新聞)。しかし、その遺骨はこの建物の中に収められることになりました。すなわち、「返還」ではなく、単なる「移管」でしかないのです。いずれのご遺骨ももとのコタンへと返還されることを祈ります。


この記事をはてなブックマークに追加

「エンチュウ(樺太アイヌ)として生きる」

2017-08-23 20:08:54 | 日記

過去ブログに樺太アイヌの強制移住について書きました。

その際は、1875(明8)年の樺太千島交換条約により、開拓使(明治政府)が、108戸841人のカラフトアイヌを北海道に強制移住させたことに焦点をあてて書きました。

日ロ戦争(1904~05)でサハリン南部が日本領になると、皆さんはサハリンに戻ります。

1945年の敗戦で、樺太、千島はソ連に占領され、樺太はソビエト連邦(現ロシア)の領土となりました。カラフトアイヌはまたもや強制移住をさせられ、その多くは「稚咲内」(ワカサクナイ=アイヌ語で「水の飲めない川」の意)という原野に村を作って苦しい生活を強いられました。

手元に楢木貴美子さんの「日本人として育てられ、エンチュウ(樺太アイヌ)として生きる」があります。その一部を紹介します。

「樺太引揚者は“約束の地”と言われたサロベツ原野の豊富町稚咲内(ワッカサチナイ=飲めないほど水の悪いところ)に移住しました。そこへ行けば“家も土地も与えられ、利尻富士が見える”との話でしたが、それは甘言で、居住地も砂浜地で、風の強い日は家の中に砂が入り、真っ白くなりました。飲み水ですが、井戸を掘りましたが飲める水ではありませんでしたので、毎日私たち子供2人が遠くまでモッコ担ぎのように天秤で汲みに行かねばならない厳しい生活でした」

山田秀三著『北海道の地名』によると、wakka-sak-nai 飲み水が・ない・川 で、「行ってみると川が流れているが、鉄錆色のやち水で、これでは飲めたものではない」と説明されています。そのようなところに騙すよ形で追いやり、苦しい生活を強いたのです。

10月には楢木貴美子さんをお招きしてお話を伺います。また、カナダ合同教会の先住民族の神学校サンデイ・ソト・スピリチュアル・センターの皆さんも来道し、来たる10月19日午後7時より北海道クリスチャンセンター大ホールにて講演と交流の時を持ちます。

サンデイ・ソト・スピリチュアル・センターについてもご紹介します。

英語を読める方はこちらのホームページをどうぞ→Sandy~Saulteaux.

1980年代にカナダ合同教会先住民族の神学校二つ、ドクター・ジェッシー・ソト・リゾース・センター、フランシス・サンデイ・神学センターが出来ました。その背景には先住民族のジェシー・ソトさんとフランシス・サンディさんの「安全」で、先住民族の文化と伝統を尊重する教育の場を求める夢と、カナダ合同教会のこれまでの歴史の反省と1986年の先住民族に対する謝罪があります。

2011年に財政的な事情によって二つの神学校が合併し、サンデイ・ソト・スピリチュアル・センターに変わりました。学生たちは自分の住む地域で働きながら年に4回2週間のラーニング・サークル(学びの輪)のためにセンターに来て、必ず「輪」になって学びます。教会で働くためのラーニング・サークルの他に先住民族の文化などについてのプログラムは数多く行われています(機関紙『ノヤ』52号参照)。

ここで学んでおられる皆さんが来道し、アイヌ民族やキリスト教会との交流をします。

年に2回発行(8月と12月)する、わたしたちの機関紙『ノヤ』も、今週中に発送できそうです。

夏も終わります。こどもたちとよく遊びました。


この記事をはてなブックマークに追加

82箱のご遺骨が浦幌に再埋葬されました

2017-08-22 15:28:15 | 日記

すでに、各報道機関で報じられておりますが、さる8月19日に浦幌へアイヌのご遺骨が返還され、アイヌ民族の伝統儀式がとり行われました。

北海道放送HBC ニュース動画

十勝毎日新聞記事   北海道新聞の記事

 参加協力させて頂いた者として、個人的な報告をします。

8月19日(土)。午前7時半に小川隆吉さんをお乗せし、北海道大学医学部の駐車場に建つ「アイヌ納骨堂」に到着。浦幌アイヌ協会やコタンの会、そして北大開示文書研究会のメンバーが集まりだし、8時にご遺骨の確認をし、霊柩車に運びました。

今回は、前回ブログに書いたように、63人分と人数不明のご遺骨、あわせて82箱。一つひとつ丁寧に開けて中を確認しました。

82箱のうち、大箱31、中箱17、小箱34。

北大の『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(2013 以下、『報告書』)のリストには、番号が付けられていましたが、今回は箱の大きさで並べられてリストが作られ、返還前日に弁護士事務所にファックスで届いたとのこと。頭の中で混乱したものの、当日のリスト順に確認しました。

『報告書』には「全身骨」と記載されているものは大箱におさめられていましたが、確認をしたメンバーの話では実際の中身は全身骨の一部だけで肋骨や背骨はなく、頭骨のないものもあったと。また、ある箱には大腿部の骨が10以上まとめて入れてあったということです。いかにずさんな管理をしていたか。83年前に突如、北大がやってきて5日間のうちに墓を暴いて遺骨を持ち去って行きました。「研究材料」として持ち去ったはいいものの「お役目」終了後には「モノ」扱いして発掘地域別に「分別」しダンボールに詰め込んで放置していたということなのでしょう。

小箱は成人の頭骨(あるいは骨の一部のみ)、そして小児の14箱。どういう経緯で小児のご遺骨が14体も持ち去られたのでしょう。確認をされた浦幌アイヌ協会のメンバーは辛かったと話されていました。また、一刻も早く故郷に持ち帰りたいと。

「浦幌不明」と記されているのが31箱あった中、大箱9、中箱17、小箱5。これらは、浦幌から掘り出されたものであることは間違いないものとして今回返還されたものですが、先に記したように、一箱に一人のご遺骨がおさめられているとは限らず、お一人分が数箱に分かれていたり、ひと箱に数人分のご遺骨がある可能性もあるので、ここでは「◯体」とは書けず、「箱」で数えます。

さらに「副葬品」の11箱を加えて93箱が、大型バス1台とマイクロバス2台に積み込まれました。北大側も、受け取るこちら側も何重にも確認しつつもたいへんスムーズに行われ、午前9時に浦幌へ向かいました(霊柩車を兼ねているバス)。わたしたちも急いで浦幌へ向かいました。

浦幌では浦幌町浜厚内生活館前にて、13時から祭主である差間正樹浦幌アイヌ協会会長によりカムイノミが執り行われました(一般参列および取材はお断り)。

わたし達は13時ほどに町営浦幌墓園に到着し、ご遺骨を迎える準備を整えました。ご遺骨が到着後、バスから運び出す際と埋葬前にリストにて確認し、埋葬位置を丁寧に記録しながら粛々と再埋葬を行いました。最後には7本のクワ(墓標)を立て、その日のすべての儀式が終わったのは16時。

翌日、浦幌町浜厚内生活館前にて神への祈りカムイノミと先祖に祈るイチャルパを10時から行いました。イチャルパからは一般参列もでき、マスコミの方達を含めて100名が集まりました。

テレビでも放映されていましたが、浦幌アイヌ協会には多くの若手がいて、よく働いておられました。長い準備期間も、自分たちの仕事が終わって夜遅くまでみんなで協力しあったそうです。副祭主の葛野次雄さんが儀式の説明の中で、若手に継承できたことと、彼らが頑張ったことを喜んでおられました。

わたし達も微力ながら協力させて頂けたことはよかったです。

写真:浦幌アイヌ協会より提供いただきました。


この記事をはてなブックマークに追加

浦幌アイヌ協会に返還される遺骨

2017-08-18 09:18:49 | 日記

明日、十勝管内浦幌町に北海道大学の「アイヌ納骨堂」から返還される82箱におさめられているご遺骨が再埋葬されます。

82箱のうち、大箱が31、中箱は17、小箱34。

大半は「浦幌」と記され番号がつけられていますが、その他に「浦幌不明」と記されているのが31。「浦幌小児」が14あります。

さらに、「副葬品」の箱7.5*38*59cm が10箱  10*70*34cmが1箱。

北大が2013年に出した『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(以下、『報告書』)には、1934(昭9)年10月27〜31日、同(帝国)大学医学部解剖学第二講座の児玉作左衛門教授らが町内愛牛(あいうし)地区から64体を持ち去ったと記されています。

そのため、浦幌アイヌ協会による返還請求訴訟では64体の返還を求めて来ました。

訴訟は今年3月22日に札幌地裁で和解となり、被告・北海道大学がこれらの遺骨を当協会に返還することになりました。その和解条項では12体が加わり、返還合計が76体となりました。

初回返還分として今回、63人分と人数不明の遺骨、合わせて82箱の返還を受け、再埋葬します。

『報告書』のアイヌ人骨一覧表の情報欄には「解剖学研究資料収集のため旧墓地を発掘」と記されています。出土時期は1934年10月27日から31日。今回の再埋葬は実に83年ぶりに帰って来るのです。

 

和解当日の原告記者会見で、差間正樹浦幌アイヌ協会会長は、こう述べています。

私たちは自分の土地から持って行かれた骨を自分の土地に戻したい。この思いでこの裁判に参加いたしました。祭祀承継者とか、そういった言葉は私たちの文化ではありません。私たちにはまったく馴染まない言葉です。私たちは先祖の骨は土の中に静かに眠っていただき、そのことによって、先祖は、神様の世界とわれわれの世界を行ったり来たりする。その静かな眠りを妨げるようなことはしてはならない。これが私たちの言い伝えです。北大の納骨堂の中に、まるで棚のようなところに、ずーっと放っておかれたこの遺骨を、これでやっと私たちの土地に返してもらう。私たちの土地に持って行って、安らかに眠っていただく。その道がこれでやっと開けました。 さまよえる遺骨blogより

 

この返還と慰霊の儀式の準備が浦幌アイヌ協会のみなさんによって進められて来ました。先住民族関連ニュース  また、多くの方たちの協力と祈りもありました。

当日、早朝から札幌に向かい、途中で小川隆吉さんをお乗せし、北大納骨堂で82箱のご遺骨と副葬品の11箱を霊柩車に乗せ、浦幌へ。

浦幌再埋葬の案内 さまよえる遺骨blog

かつて北大博物館内に展示されていた頭骨。模型だったとも聞いたことがありましたが。

 


この記事をはてなブックマークに追加

「平成28年度 人権教育及び人権啓発施策」

2017-06-21 10:47:00 | 日記

法務省のHPにて、「平成28年度 人権教育及び人権啓発施策」が発表されました。「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(平成12年法律第147号)の7条、8条にはこう定めてあります。

第7条 「国は,人権教育及び人権啓発に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため,人権教育及び人権啓発に関する基本的な計画を策定しなければならない。」

第8条 「政府は,毎年,国会に,政府が講じた人権教育及び人権啓発に関する施策についての報告を提出しなければならない。」

これに基づき、毎年、前年度に各府省庁が取り組んだ人権教育・人権啓発の施策について報告が義務付けられています。

「第2節 人権課題に対する取組 6」に「アイヌの人々」の項目にて、アイヌ民族への施策の報告が41頁から4頁にわたって報告されています。http://www.moj.go.jp/content/001226228.pdf

前文には、アイヌ民族は近世以降の同化政策等により文化の十分な保存・伝承が図られていないし、偏見や差別が依然として存在していることを認め、昨年度の取り組みを9項目に分けて報告しています。

(1) アイヌの人々に関する総合的な政策の推進

(2) アイヌ文化の振興,アイヌの伝統及び文化に関する普及啓発

(3) アイヌ関係の文化財の保護等に関する取組

(4) アイヌの人々に対する偏見・差別を解消し,アイヌの人々の尊厳を尊重する社会の実現を目指した啓発活動

(5) 学校教育におけるアイヌの人々に関する学習の推進

(6) 各高等教育機関等におけるアイヌ語等に関する取組への配慮

(7) 生活館における活動の推進

(8) アイヌの人々の人権をめぐる人権侵害事案に対する適切な対応

(9) 農林漁業経営の近代化を通じた理解の増進

 人権啓発として「アイヌの人々に対する理解を深めよう」(P5他)と書かれています。また、「(1)アイヌ民族への総合的な政策の推進」には、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」(2007年9月)や衆参両院の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」(2008年6月) に触れて「総合的な政策の推進」を行なっているとは言うものの、肝心な先住民族として認められるべき先住権、自己決定権に関しては何の言及もなく、表面的な取り繕いに過ぎないとしか思えません。「アイヌ民族」との表記を一切せず、「アイヌの人々」で一貫しているのは、要は先住民族アイヌの重要な権利を無視し続けているからなのでしょう。それでいて「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を用いるとは世界の先住民族、もちろんアイヌ民族に対してたいへん失礼な話です。 

2020年のアイヌ政策の「扇の要」として位置付けられている「民族共生象徴空間」の慰霊施設に関して、当ブログでも何度か扱いましたが遺骨返還の問題が残されたままです(この報告には一切記載なし)。

 

「活動日誌」と言いながら、最近、報告が出せずに残念です(今回も教会チャリティーフリーマーケットの準備中に休憩しつつUPしました)。

以下の活動をまとめて報告します。

5/16 北大開示文書研究会で札医大を訪問し、DNA研究に関する質問書を提出(詳細後日)。

5/22 台湾基督長老教会のアミ中会20名とアイヌ民族のフンベシスターズのコンサート開催。

5/23 バプテスト連盟全国少年少女・隣人に出会う旅in旭川スタッフ準備会協力。

6/ 2 縄文の丘北黄金貝塚、昭和新山アイヌ記念館見学

6/ 8 第27回銀の知里幸恵生誕記念祭 参列エゾカンゾウ供花

6/17 第38回樺太移住殉教者墓前祭 参列供花

 

台湾基督長老教会のアミ中会20名が5/18~24に来道し、名寄のキリスト者農民との交流、田植え体験、二風谷訪問、二風谷博物館にて関根健司さんから詳しく説明を伺いながら見学。最終日には北海道クリスチャンセンター(協力)にて、アイヌ民族のフンベシスターズと共にコンサート開催し、60名が集いました。

アミ民族は台湾原住民(ユェンツーミン)の中でいちばん人口が多く、台湾の広範囲に居住し、色彩豊かな衣装とフォークダンスのような踊りが日頃より行われています。アミ中会は花蓮県境界内の59教会で構成されています。

最後には皆で輪踊りをしました。下の写真は小さな輪の部分。


この記事をはてなブックマークに追加

『これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル』

2017-05-13 12:32:57 | 日記

北海道アイヌ協会、日本考古学協会、日本人類学会の三者によるラウンドテーブルでとりまとめた『これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書案』(以下、『報告書案』)へのパブリックコメントを北海道アイヌ協会が昨年末の12月19日から今年の 1月18日の日程で募集しました。アイヌ協会の報告によると計43件の意見が寄せられたとのこと。わたしもつたないものですが意見を送りました。それらの意見等を今後の報告書作成に係る協議等に反映させ、後日に結果を公開する予定のようです。現時点では、まだまとめられていないのか、未公開です。

以前にも書きましたが、アイヌ政策会議の政策推進作業部会の2月、3月、4月の会議録がいまだに公開されていません。そこで報告があったのではないかと推測しますが、どうしたのでしょうか。

『報告書案』では、アイヌ遺骨の研究に関し、「問題」がある以下のものは研究対象としないとしています。

(先住民族との関係で問題があるもの)

1 先住民族の権利に関する国連宣言の趣旨に鑑みてアイヌの同意を得られないもの

(遺族感情から問題があるもの)

2 遺族感情や、海外における法制度やガイドラインの事例を考慮して、研究が行われる時点から見て三世代以内、すなわち概ね 100年以内に埋葬された遺骨や副葬品

3 現在の遺族等への影響を鑑みて、収集経緯を公開できないもの

(学術資料の一般的な取扱いとして妥当でないもの)

4 学術資料の一般的な見地から見て、収集経緯が不明確であるものや、時代性や埋葬地に関する情報を欠如するものや、資料の正確性を担保する基本的データ(例えば、発掘調査時の実測図、写真、出土状態の記載)が欠如するもの。そのほか、調査行為自体に研究倫理の観点からみて学術資料として活用することに問題を含むもの

なお、上記の1から4の条件に触れる遺骨と副葬品は研究対象としないことを原則とするが、4の条件に触れる遺骨及び副葬品のうち、アイヌも交えた検討と判断の結果として、研究の有効性がしかるべき手続きを経て保証されるとみなされる場合には、限定的に研究を行う可能性も残される。 (『報告書案』p7)

 

意見書には表わせませんでしたが、改めて読むとたくさんの疑問がわいてきます。

1の「アイヌの同意」で言う「アイヌ」とは?それがアイヌ協会だけを含むのならば、協会員ではない相当数のアイヌの方々の意見を無視することになります。そして、結果的にアイヌ協会・日本人類学会・日本考古学会三者の閉鎖的な同意になります。 

2の「遺族感情を・・考慮して」とありますが、例えば、遺骨返還訴訟の原告である小川隆吉さんは遺族として「すべての遺骨はコタンの土へ」と訴えておられます。「100年」の括りはどこから認められるものなのでしょうか。 

3にいたっては全く理解出来ません。「収集経緯」を遺族への「影響を鑑みて」公開できないとはどんな経緯だったのでしょう。

4では、最後の但し書きで研究対象にされる可能性を残しています。これもどう言うことか説明を受けたいです。

もう3ヶ月前のことですが、共同通信の記事に「アイヌ遺骨をDNA研究 協会と札幌医大が覚書」(共同通信 2017/2/26 18:44)がありました。https://this.kiji.is/208520250454638594?c=110564226228225532

これによると、過去に発掘されたアイヌ民族の遺骨が、すでにDNAとして使われていたと言うのです。それも「北海道アイヌ協会が、遺骨を保管する札幌医大(札幌市)と覚書を交わし、研究も了承」したと。これが事実とすれば、上記の『報告案』との関連はどうなるのでしょうか。もうフライングしたということ? そのDNA研究をした遺骨の発掘地や発掘年代は? また、その地域のコタンのメンバー(また遺族)には、覚書のことや研究について知らせ合意を得たのかどうかは不明です。記事には「発掘地域のアイヌは、覚書や研究について知らされていないと反発している」と書かれています。北大開示文書研究会は、今月中旬に札医大と面会し、質問と要望書を持参します。その後に記者会見も行う予定ですので、記事になることを望みます。 

北海道新聞が4月22日の紙面に「アイヌ遺骨研究の是非は 社会的利益と民族の思い、調和課題 倫理検討委設置へ7月準備委」を掲載しました。確か有料記事であったので、わたしは見ることが出来ますが、出来ない方もおられるでしょう。その一文にはこうありました。

札幌医大では、道路工事などに伴う発掘調査の際に出土した遺骨が道や市町村から寄託され、国立科学博物館(東京)の研究者らが既に2010年から、アイヌ民族の起源を調べる研究に活用している。この際、遺骨からの DNA サンプル採取については、北海道アイヌ協会に事前に説明し同意を得た。研究倫理検討委員会は、この同意手続きを参考にする可能性がある。ただ、発掘された地域のアイヌ民族からは「知らされていない。先祖の遺骨は土にかえってこそ安らかに眠ることができる」との反発もある。報告書は、検討委の構成員を「アイヌ関係者」という表現にとどめた。研究者からは「道アイヌ協会だけではなく、地域の意向をより丁寧にくむ必要がある」と委員の人選への配慮を求める声が上がっている。http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/science/science/1-0392144.html

 

札医大は北大と違って盗掘・発掘はせず、「道路工事などに伴う発掘調査の際に出土した遺骨」であり、それらが「道や市町村から寄託され」たと書かれていますが、はて、道や市町村には遺骨を自由にする権利があるのでしょうか。さらに、アイヌ協会がそれらの研究を認める権利があるのでしょうか。2010年からすでに研究が行われているとは大問題だと思いますが、三者は「同意」内容を明らかにするべきでしょう。

最後の「報告書」とはパブリックコメントの報告書案のことなのでしょうか、それともすでに意見を集約して完成させた「報告書」なのでしょうか。もしそうだとすれば、公にするのが遅すぎです。


この記事をはてなブックマークに追加

アイヌ文化普及啓発セミナー

2017-04-24 10:02:30 | 日記

アイヌ文化振興・研究推進機構が毎年おこなっているアイヌ文化普及啓発セミナー。

わたしも何度も聞きにいき、よき学びをさせて頂いています。このBlogにも報告をのせていましたが、一昨年からだったでしょうか、録音を禁じられるようになりました。毎回、録音したテープを数回繰り返して確認し、内容をBlogに掲載していましたから、それができなくなりました。

また、下記のURLでセミナーの講演内容が過去には読む事が出来ました。しかし、今は、どういうわけか滞っています。かつては冊子にもなり自由に頂いていましたが、現在では「インターネットで観る事が出来るから配布をやめた」と言われ、手に入らなくなりました。しかも、インターネットでもすぐに見る事はできません(HPの見方が悪いのでしょうか)。「録音禁止」の説明も確か「いずれ冊子になるから」との理由だったと記憶しています(録音していないので不確か)。 

普及啓発促進事業

今までいい学びをさせて頂いていたので、少し残念です。より「普及啓発」に力を入れて頂けたらいいかと。

さて、昨年の話になりますが、さる7月26日〜8月9日のあいだに行われた今年度のアイヌ文化普及啓発セミナー。

7月28日は北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授の落合研一という方の講演「先住民族は、何に『先住』していた『民族か』?」がありました。その内容が大問題であった事は、様々なグループが抗議や質問書を出しているので、このBlogの読者の皆さんもすでにご存知のことでしょう。

残念ながら、わたしは今回のセミナーを聞きに行くことが出来ませんでしたし、講演内容を先日に手に入れたばかりなので抗議行動に直接関わりませんでした。 

手元には2016年12月20日付で8団体4個人が連盟で出した抗議文があります。たいへん内容のあるもので、わたしなどさらに問題を指摘する必要も力量もありません。どこかのグループが公開しているのではと探しましたがまだ見つけていません。見つけ次第、お知らせします。この抗議文は落合氏のアイヌ民族をはずかしめる歴史の偽造と差別的な主張に対して抗議すると共に、四点について質問をし、1月15日までに文書回答することを求めましたが、落合氏からは何の返事もなかったようです。

北大開示文書研究会も遺骨返還に際して何度も北大に抗議や質問を出しましたが、一度も応答はありませんでした(やむなく裁判に持ち込み、和解成立)。

丸山博さんに従えば、国際的に問題にして、圧力をかけなければいけないのでしょうか。過去ブログ20161029参照。

落合氏の講演を読んで全体的に感じた事ですが、歴史的認識の欠如があり、憲法学(先住民族政策、先住民族の権利等)の学者と思えない発言がなされています。これらの疑問・質問(先の質問書)に対して、誠実に応答するべきではないでしょうか。うやむやにしていては、学者としての信用も損なわれます。

北海道大学アイヌ・先住民研究センターのメンバーでもあります。センターとしてもしっかりと対応すべきでは? このままだんまりを続けるのは学者として不誠実です。このままではいけないと思います。

昨年の2016年4月に設立された「アイヌ政策検討市民会議」のHPに、さる2月18日に行われた「歴史をねじ曲げて今、アイヌ民族政策が作られようとしている! 北海道大学アイヌ先住民研究センター落合研一准教授の講演に抗議する集会」で採択された集会アピールが掲載されています。ここで見ることができます。

落合氏の2014年に行われた講演記録がヒットしました。

「『民族共生の象徴となる空間』構想の憲法的意義」国際人権ひろばNo.108(201303)

「アイヌ民族の過去と現在」20140823福島文化センター講演

 


この記事をはてなブックマークに追加

今朝の北海道新聞記事「アイヌ遺骨研究の是非は」 

2017-04-22 10:57:38 | 日記

今日も朝の6時ほどにRエカシからモーニングコールが入りました。今朝の北海道新聞の32面を早く見なさいとのこと。早速広げると、以下の記事がありました。

「アイヌ遺骨研究の是非は」社会的利益と民族の思い、調和課題 倫理検討委設置へ7月準備委

北海道新聞04/22 05:00

 北海道アイヌ協会と日本人類学会、日本考古学協会は21日、アイヌ民族の遺骨研究の適否を判断する「研究倫理検討委員会(仮称)」設置に向け、7月にも準備委員会を発足させる方針を明らかにした。遺骨研究を巡っては、研究者や関係者の間でも是非が分かれており、研究の社会的利益とアイヌ民族の思いをいかに調和させるかが今後の課題となる。

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/science/science/1-0392144.html

********** 引用、以上。

内容によると、アイヌ政策推進会議作業部会が4月21日にも開かれたようで(議事記録がなんと遅いこと・・・)、上記三者が、その作業部会で、遺骨研究のあり方をまとめた報告書を提示したとのこと。「過去に研究目的で遺骨を墓から収集した問題は研究者に反省を求め、遺骨をアイヌ民族側に返還することが研究に優先される基本方針を示した。その上で、遺骨などから得られる情報で「アイヌの時代性や地域性、独自性を明らかにすることができる」と研究の社会的利益を指摘」した、と。

はて、どのように「反省を求め」るのでしょうか。きちんと謝罪をさせるということ? それで過去の犯罪をなかったことにするということでしょうか。

研究対象外とすべき遺骨として《1》アイヌ民族側の同意を得られない《2》100年以内に埋葬された《3》収集の経緯が明確でない―ものなどを挙げた」とありますが、しかし、過去ブログにて指摘したように、原則的には研究対象外とするが、「アイヌも交えた検討と判断の結果」、研究可となることが過去の文章に書かれています。今回も同じように書かれているのであれば問題でしょう。

「遺骨からの DNA サンプル採取については、北海道アイヌ協会に事前に説明し同意を得た。」紙面にも指摘されているように「発掘された地域のアイヌ民族からは「知らされていない。先祖の遺骨は土にかえってこそ安らかに眠ることができる」との反発」に対して、どう誠実に向き合うのかが問われています。

これも報道のみで正確な議事記録が出ていませんし、政府の発表もありませんから、これ以上の追求は控えます。

 

以前のブログでは写真のUP容量が少なかったため、過去ブログの写真をかなり消しました。文章よりも写真を見るのが楽しみという方もおられたので(~~;)、過去の写真を再アップします。


この記事をはてなブックマークに追加

「アイヌ遺骨新たに8体 全国12大学1676体に 文科省再調査」道新記事より

2017-04-21 06:13:13 | 日記

昨日、新たな情報が北海道新聞からありました。

「アイヌ遺骨新たに8体 全国12大学1676体に 文科省再調査」(または先住民族関連ニュース

以前からお伝えしているように、2013年に文部科学省が出した 『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の調査結果』 には、アイヌ遺骨は全国12大学に個体ごとに特定できる1636体と、特定できない515箱あることが記されていました(*特定できない515箱の問題については過去ブログDNA鑑定で扱いました)。

この調査が不徹底だったために、文科省は各大学に再調査を求め、この度、全体で40体が増えたと言うのです。この調査結果もまだ開示されていませんので、紙面情報にのみ頼るしかありませんが、

新たに東京医科歯科大が遺骨8体を保管してることが判明。同大学によると、一昨年に歯学部の標本室でアイヌ民族と類推させる情報を記したカードとともに保管されていたのを発見。関連文献から初代学長が1932年以前に札幌市内の民間病院から貸与されたもので発掘地域は不明とのこと。

一昨年に「発見」

そんな馬鹿な話があるでしょうか。さらに紙面を少しわかりやすく比較しつつ検証してみましょう。はじめに大学名、そして、以下を記します。 

①2013年発表数(個人特定できない遺骨を収めた箱の数)

② 2017年発表数(個人特定できない遺骨を収めた箱の数)

③ 2013年と2017年の差

北大                  ①1027体(484箱)  ②1015体(367箱)  ③ -12体(-117箱)

札医大               ①251体(0箱)    ②294体(0箱)    ③ +43体(±0箱)

東京大               ①198体(6箱)     ②201体(6箱)   ③ +4体(±0箱)

京都大               ①94体(0箱)       ②87体(0箱)    ③ -7体(-±0箱)

大阪大               ①39体(2箱)     ②32体(1箱)    ③ -7体(-1箱)

東北大               ①20体(1箱)     ②20体(1箱)    ③ ±0体(-±0箱)

新潟大               ①0体(17箱)     ②16体(2箱)    ③ +16体(-15箱)

東京医科歯科大   ①0体(0箱)      ②8体(0箱)    ③ +8体(0箱)

大阪市立大         ①1体(0箱)      ②1体(箱)     ③ ±0体(±0箱)

南山大               ①1体(0箱)      ②1体(0箱)     ③ ±0体(-±0箱)

岡山理科大         ①1体(0箱)      ②1体(0箱)     ③ ±0体(±0箱)

天理大               ①0体(5箱)      ②0体(5箱)     ③ ±0体(±0箱)

金沢医科大         ①4体(0箱)      ②0体(0箱)     ③ -4体(±0箱)

ブログだと表が崩れて読みにくいですがお許しください。 

東大は前回調査の記載ミスで3体増。新潟大は箱を精査したところ16体を一体として特定(最初の報告がずさん)。札幌医大は、道内の遺跡調査で出土した遺骨を寄託されたことなどで43体増(この数年で寄託されたと言うことか?)。

一方、金沢医科大は再調査で4体ともアイヌ民族の遺骨ではないことなどが判明しゼロに。京大や大阪大も遺骨を精査した結果、7体ずつ減。

一体として特定できなかった遺骨を納めた箱は6大学で382箱あり、前回調査と比べ133箱減った。一体として特定された遺骨が増えたためという。

北大は遺骨返還訴訟が和解したことなどから12体減ったと書かれていましたが、過去にも書いたように、突如出てきたひと箱(中箱)に入っていた遺骨は、1体分かどうかは不明のはずなので、この報告で北大が1体分と数えることがおかしいのです。そう考えると、この数は全体的に不確定だと疑わざるを得ません。

(そもそも、個体として特定できない遺骨を納めた複数の箱にどれほどの方の遺骨が含まれているか不明なのですから)

過去ブログにて大学以外の施設でアイヌ人骨を『保管』していた13施設の名を北海道新聞(または こちら)の記事から挙げましたが、見落としているのか分かりませんが、政府としてまとめて報告しているのを見たことがありません。まとめてきちんと報告するべきでしょう。

 

故萱野茂さんの著書『アイヌの碑』(1989年 朝日新聞社)の中に、萱野さんが当時、高額のテープレコーダーを購入したくだりがあります。

エカシやフチが語ってくれた録音を一方では集め、その一方ではレコーダー代やテープ代を稼ぐために観光地で働いた苦労話も記されています。そのような努力の末に、アイヌ語辞典や、ユーカラ集が編集されたのでしょう。

この度、【萱野茂のアイヌ神話集成】萱野茂没後10年記念企画 アイヌ語を贈るプロジェクトに申請し、『萱野茂のアイヌ神話集成』10巻セットを寄贈頂きました。全道の教会で活用して頂ければと、後日に案内をしようと思います(上記写真も同プロジェクトブログより)。

テンプレート(ブログの背景)がしっくりきていないと思いきや、やはり知人からクレームが来たので、再度、変えて見ました。夏までこれで行こうと思います。

どうもこのブログは編集しにくいです。行間がバラバラになってしまいます。また、PC版と携帯版があることも最近に知りました。読みにくいところもあるかと思いますがお許しください。

 


この記事をはてなブックマークに追加