アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

アイヌ文化普及啓発セミナー

2017-04-24 10:02:30 | 日記

アイヌ文化振興・研究推進機構が毎年おこなっているアイヌ文化普及啓発セミナー。

わたしも何度も聞きにいき、よき学びをさせて頂いています。このBlogにも報告をのせていましたが、一昨年からだったでしょうか、録音を禁じられるようになりました。毎回、録音したテープを数回繰り返して確認し、内容をBlogに掲載していましたから、それができなくなりました。

また、下記のURLでセミナーの講演内容が過去には読む事が出来ました。しかし、今は、どういうわけか滞っています。かつては冊子にもなり自由に頂いていましたが、現在では「インターネットで観る事が出来るから配布をやめた」と言われ、手に入らなくなりました。しかも、インターネットでもすぐに見る事はできません(HPの見方が悪いのでしょうか)。「録音禁止」の説明も確か「いずれ冊子になるから」との理由だったと記憶しています(録音していないので不確か)。 

普及啓発促進事業

今までいい学びをさせて頂いていたので、少し残念です。より「普及啓発」に力を入れて頂けたらいいかと。

さて、昨年の話になりますが、さる7月26日〜8月9日のあいだに行われた今年度のアイヌ文化普及啓発セミナー。

7月28日は北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授の落合研一という方の講演「先住民族は、何に『先住』していた『民族か』?」がありました。その内容が大問題であった事は、様々なグループが抗議や質問書を出しているので、このBlogの読者の皆さんもすでにご存知のことでしょう。

残念ながら、わたしは今回のセミナーを聞きに行くことが出来ませんでしたし、講演内容を先日に手に入れたばかりなので抗議行動に直接関わりませんでした。 

手元には2016年12月20日付で8団体4個人が連盟で出した抗議文があります。たいへん内容のあるもので、わたしなどさらに問題を指摘する必要も力量もありません。どこかのグループが公開しているのではと探しましたがまだ見つけていません。見つけ次第、お知らせします。この抗議文は落合氏のアイヌ民族をはずかしめる歴史の偽造と差別的な主張に対して抗議すると共に、四点について質問をし、1月15日までに文書回答することを求めましたが、落合氏からは何の返事もなかったようです。

北大開示文書研究会も遺骨返還に際して何度も北大に抗議や質問を出しましたが、一度も応答はありませんでした(やむなく裁判に持ち込み、和解成立)。

丸山博さんに従えば、国際的に問題にして、圧力をかけなければいけないのでしょうか。過去ブログ20161029参照。

落合氏の講演を読んで全体的に感じた事ですが、歴史的認識の欠如があり、憲法学(先住民族政策、先住民族の権利等)の学者と思えない発言がなされています。これらの疑問・質問(先の質問書)に対して、誠実に応答するべきではないでしょうか。うやむやにしていては、学者としての信用も損なわれます。

北海道大学アイヌ・先住民研究センターのメンバーでもあります。センターとしてもしっかりと対応すべきでは? このままだんまりを続けるのは学者として不誠実です。このままではいけないと思います。

昨年の2016年4月に設立された「アイヌ政策検討市民会議」のHPに、さる2月18日に行われた「歴史をねじ曲げて今、アイヌ民族政策が作られようとしている! 北海道大学アイヌ先住民研究センター落合研一准教授の講演に抗議する集会」で採択された集会アピールが掲載されています。ここで見ることができます。

落合氏の2014年に行われた講演記録がヒットしました。

「『民族共生の象徴となる空間』構想の憲法的意義」国際人権ひろばNo.108(201303)

「アイヌ民族の過去と現在」20140823福島文化センター講演

 


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今朝の北海道新聞記事「アイヌ遺骨研究の是非は」 

2017-04-22 10:57:38 | 日記

今日も朝の6時ほどにRエカシからモーニングコールが入りました。今朝の北海道新聞の32面を早く見なさいとのこと。早速広げると、以下の記事がありました。

「アイヌ遺骨研究の是非は」社会的利益と民族の思い、調和課題 倫理検討委設置へ7月準備委

北海道新聞04/22 05:00

 北海道アイヌ協会と日本人類学会、日本考古学協会は21日、アイヌ民族の遺骨研究の適否を判断する「研究倫理検討委員会(仮称)」設置に向け、7月にも準備委員会を発足させる方針を明らかにした。遺骨研究を巡っては、研究者や関係者の間でも是非が分かれており、研究の社会的利益とアイヌ民族の思いをいかに調和させるかが今後の課題となる。

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/science/science/1-0392144.html

********** 引用、以上。

内容によると、アイヌ政策推進会議作業部会が4月21日にも開かれたようで(議事記録がなんと遅いこと・・・)、上記三者が、その作業部会で、遺骨研究のあり方をまとめた報告書を提示したとのこと。「過去に研究目的で遺骨を墓から収集した問題は研究者に反省を求め、遺骨をアイヌ民族側に返還することが研究に優先される基本方針を示した。その上で、遺骨などから得られる情報で「アイヌの時代性や地域性、独自性を明らかにすることができる」と研究の社会的利益を指摘」した、と。

はて、どのように「反省を求め」るのでしょうか。きちんと謝罪をさせるということ? それで過去の犯罪をなかったことにするということでしょうか。

研究対象外とすべき遺骨として《1》アイヌ民族側の同意を得られない《2》100年以内に埋葬された《3》収集の経緯が明確でない―ものなどを挙げた」とありますが、しかし、過去ブログにて指摘したように、原則的には研究対象外とするが、「アイヌも交えた検討と判断の結果」、研究可となることが過去の文章に書かれています。今回も同じように書かれているのであれば問題でしょう。

「遺骨からの DNA サンプル採取については、北海道アイヌ協会に事前に説明し同意を得た。」紙面にも指摘されているように「発掘された地域のアイヌ民族からは「知らされていない。先祖の遺骨は土にかえってこそ安らかに眠ることができる」との反発」に対して、どう誠実に向き合うのかが問われています。

これも報道のみで正確な議事記録が出ていませんし、政府の発表もありませんから、これ以上の追求は控えます。

 

以前のブログでは写真のUP容量が少なかったため、過去ブログの写真をかなり消しました。文章よりも写真を見るのが楽しみという方もおられたので(~~;)、過去の写真を再アップします。


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「アイヌ遺骨新たに8体 全国12大学1676体に 文科省再調査」道新記事より

2017-04-21 06:13:13 | 日記

昨日、新たな情報が北海道新聞からありました。

「アイヌ遺骨新たに8体 全国12大学1676体に 文科省再調査」(または先住民族関連ニュース

以前からお伝えしているように、2013年に文部科学省が出した 『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の調査結果』 には、アイヌ遺骨は全国12大学に個体ごとに特定できる1636体と、特定できない515箱あることが記されていました(*特定できない515箱の問題については過去ブログDNA鑑定で扱いました)。

この調査が不徹底だったために、文科省は各大学に再調査を求め、この度、全体で40体が増えたと言うのです。この調査結果もまだ開示されていませんので、紙面情報にのみ頼るしかありませんが、

新たに東京医科歯科大が遺骨8体を保管してることが判明。同大学によると、一昨年に歯学部の標本室でアイヌ民族と類推させる情報を記したカードとともに保管されていたのを発見。関連文献から初代学長が1932年以前に札幌市内の民間病院から貸与されたもので発掘地域は不明とのこと。

一昨年に「発見」

そんな馬鹿な話があるでしょうか。さらに紙面を少しわかりやすく比較しつつ検証してみましょう。はじめに大学名、そして、以下を記します。 

①2013年発表数(個人特定できない遺骨を収めた箱の数)

② 2017年発表数(個人特定できない遺骨を収めた箱の数)

③ 2013年と2017年の差

北大                  ①1027体(484箱)  ②1015体(367箱)  ③ -12体(-117箱)

札医大               ①251体(0箱)    ②294体(0箱)    ③ +43体(±0箱)

東京大               ①198体(6箱)     ②201体(6箱)   ③ +4体(±0箱)

京都大               ①94体(0箱)       ②87体(0箱)    ③ -7体(-±0箱)

大阪大               ①39体(2箱)     ②32体(1箱)    ③ -7体(-1箱)

東北大               ①20体(1箱)     ②20体(1箱)    ③ ±0体(-±0箱)

新潟大               ①0体(17箱)     ②16体(2箱)    ③ +16体(-15箱)

東京医科歯科大   ①0体(0箱)      ②8体(0箱)    ③ +8体(0箱)

大阪市立大         ①1体(0箱)      ②1体(箱)     ③ ±0体(±0箱)

南山大               ①1体(0箱)      ②1体(0箱)     ③ ±0体(-±0箱)

岡山理科大         ①1体(0箱)      ②1体(0箱)     ③ ±0体(±0箱)

天理大               ①0体(5箱)      ②0体(5箱)     ③ ±0体(±0箱)

金沢医科大         ①4体(0箱)      ②0体(0箱)     ③ -4体(±0箱)

ブログだと表が崩れて読みにくいですがお許しください。 

東大は前回調査の記載ミスで3体増。新潟大は箱を精査したところ16体を一体として特定(最初の報告がずさん)。札幌医大は、道内の遺跡調査で出土した遺骨を寄託されたことなどで43体増(この数年で寄託されたと言うことか?)。

一方、金沢医科大は再調査で4体ともアイヌ民族の遺骨ではないことなどが判明しゼロに。京大や大阪大も遺骨を精査した結果、7体ずつ減。

一体として特定できなかった遺骨を納めた箱は6大学で382箱あり、前回調査と比べ133箱減った。一体として特定された遺骨が増えたためという。

北大は遺骨返還訴訟が和解したことなどから12体減ったと書かれていましたが、過去にも書いたように、突如出てきたひと箱(中箱)に入っていた遺骨は、1体分かどうかは不明のはずなので、この報告で北大が1体分と数えることがおかしいのです。そう考えると、この数は全体的に不確定だと疑わざるを得ません。

(そもそも、個体として特定できない遺骨を納めた複数の箱にどれほどの方の遺骨が含まれているか不明なのですから)

過去ブログにて大学以外の施設でアイヌ人骨を『保管』していた13施設の名を北海道新聞(または こちら)の記事から挙げましたが、見落としているのか分かりませんが、政府としてまとめて報告しているのを見たことがありません。まとめてきちんと報告するべきでしょう。

 

故萱野茂さんの著書『アイヌの碑』(1989年 朝日新聞社)の中に、萱野さんが当時、高額のテープレコーダーを購入したくだりがあります。

エカシやフチが語ってくれた録音を一方では集め、その一方ではレコーダー代やテープ代を稼ぐために観光地で働いた苦労話も記されています。そのような努力の末に、アイヌ語辞典や、ユーカラ集が編集されたのでしょう。

この度、【萱野茂のアイヌ神話集成】萱野茂没後10年記念企画 アイヌ語を贈るプロジェクトに申請し、『萱野茂のアイヌ神話集成』10巻セットを寄贈頂きました。全道の教会で活用して頂ければと、後日に案内をしようと思います(上記写真も同プロジェクトブログより)。

テンプレート(ブログの背景)がしっくりきていないと思いきや、やはり知人からクレームが来たので、再度、変えて見ました。夏までこれで行こうと思います。

どうもこのブログは編集しにくいです。行間がバラバラになってしまいます。また、PC版と携帯版があることも最近に知りました。読みにくいところもあるかと思いますがお許しください。

 


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「平取のアイヌ民族とアイヌ研究の学者」

2017-04-20 06:00:31 | 日記

「わたしはこのころ、アイヌ研究の学者を心から憎いと思っていました。」

故萱野茂さんの著書『アイヌの碑』(1989年 朝日新聞社)の一節です。

萱野さんが山の仕事から帰ってくる度に、家の中にあったアイヌ民具が次々と姿を消していた。それは、研究者たちが持って行ってしまうから。以前にご本人から直接に伺ったことがありましたが、学者たちは空のリュックサックでやってきて、帰りには中身をいっぱいにして帰って行ったとのこと。アイヌは自分の持ち物を褒められた際に、「これはここにいるのが飽きたと言っているから、持っていっていい」と言うんだ、それをいいことに学者たちは持ち帰り、研究材料とし、果ては、博物館などに高額で売るんだ、と。

「北大のK教授などにはずいぶんかみついた」とある“K教授”とは誰だったのでしょう?その人物は萱野茂さんの留守を見計らってやってきたようです。

著書には、「村の民具を持ち去る。神聖な墓を暴いて先祖の骨を持ち去る。研究と称して、村人の血液を採り、毛深い様子を調べるために、腕をまくり、首筋から襟をめくって背中をのぞいて見る・・・」とも。さらに、写真撮影もされたと。

このように、二風谷では研究の名のもとに民具の横取り、血液採取、身体検査、写真撮影、遺骨の盗掘が行われてきたのです。その「研究材料」はどのように扱われたかを当事者は了解されたのでしょうか?そして家族はご存知なのでしょうか?

 

前回、報告しましたが、さる、3月18日に、平取町・二風谷生活館にて「平取「アイヌ遺骨」を考える会」(木村二三夫・井澤敏朗共同代表)主催で『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』学習会がありました。

(この講演録はブログさまよえる遺骨たちに掲載されています)

参加者110名と盛会でしたが、4月16日に開かれた平取アイヌ協会定期総会でも遺骨問題は審議され、同町より持ち出されたアイヌ遺骨は「地元コタンに帰ることこそが『尊厳ある慰霊』だ」として、大学に返還を求めることを決めたことが、北海道新聞の地方版で報じられました。

 

アイヌ遺骨返還へ質問状

北海道新聞 地方(苫小牧・日高)版 2017年4月18日 朝刊

平取アイヌ協会は、町内から持ち出され大学に研究目的で保管されているアイヌ民族の遺骨について「地元コタンに帰ることこそが『尊厳ある慰霊』だ」として、大学に地元への返還、再埋葬を求めることを目指し、同協会内で検討を始めることを決めた。政府は地域への返還に応じる方針を打ち出しており、同協会は近く北大などに対して質問状を送る方向だ。

********引用、以上。

紙面では、木村英彦平取アイヌ協会会長が「仮に遺骨が地域に返還されても、大学や行政の責任が消えるわけではない。将来にわたり慰霊できる環境をつくりたい」と語られたことも記されていました。平取からは北大17体、札医大10体の計27体の遺骨が持ちさられています。発掘経緯が不明な遺骨の多い北大に①遺骨返還や慰霊施設整備の費用負担 ②返還後に地元で行う先祖供養への出席 について考えをただすべく質問状を送ることを決議したようです。

 

故萱野茂さんの著書『イヨマンテの花矢—続・アイヌの碑』(朝日新聞2005)の一節に、茂さんの祖母てかってさんが自分の大切にしていた宝物であるタマサイ(首飾り)を亡くなった知人の出棺まで貸していたところ、いざ出棺の時に遺体から取り外すのを忘れ、埋葬してしまった時の話が記されています。

「まもなく気づいたのですが、どうにもなりません。埋葬した遺体を掘り起こすことは、アイヌとしては絶対にできないことだからです。祖母は何日も何日も泣いて悲しんでいましたが、遺体を掘れば祟りがあると信じ切っているアイヌですから、泣き寝入りで終わるほかありませんでした」(P.13)。 

このように信じられていたのですから、遺骨を掘って研究材料に使うなどと言う事にアイヌが関わるわけがないと思うのです。質問状でその真実が明らかにされることを願います。

さる4月11日の日本経済新聞紙面で、北海道大などが保管している身元不明のアイヌ民族の遺骨について政府は、発掘された地域のアイヌ団体などに返還する方針を固めたことを報じました。これまで北海道白老町に新設する慰霊施設に集めるとしていましたが、昨年から札幌地裁で順次和解が成立し、地域の団体などに返還が決まったことを政府は踏まえ、方針を見直したとのこと。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H2I_R10C17A4000000/

しかし、これはまだ、報じられただけ。アイヌ政策推進会議内の政策推進作業部会の2月、3月に開催された会議の議事内容で詳細が明らかにされないので何とも言えません。しばらく待ちましょう(それにしては議事内容が出るのが遅いし、相変わらず誰が発言しているかが不明記。これではどう言う立場で発言しているかが分からない)。

 

昨年の春の写真(今年の留萌はまだ緑は出ていません。今日も雪がチラついています)

春のテンプレート(背景)がなかなかしっくりせず、変えてみました。字は今後も大きくします。


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「浦幌からの盗掘されたアイヌ遺骨の返還裁判の和解成立」

2017-04-19 09:49:58 | 日記

浦幌アイヌ協会が原告となって浦幌町愛牛というところから北大が盗掘して持っていき、ずさんな「管理」をしていた遺骨についての返還に関する和解が3月22日に成立しました。

和解内容は大きく2つ。一つは、個人の特定ができない遺骨について、2017年6月1日以降、原告側が受け入れ準備が整い次第、返還するという内容。氏名が特定されない遺骨の数は63体(51+12)です。二つめは、氏名が特定可能な遺骨13体については、7月末日以降、北大がインターネットで公告をし、その結果、祭祀承継者が名乗り出ない場合には、こちら(原告)に来年以降、引き渡す。もし、祭祀承継者が名乗り出た場合は、こちら側・原告側と協議をする、という内容。

北大が2013年に出した「北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書」(以下、『報告書』)には、愛牛地区からのは64体とあるので訴訟では64体の返還を求めていたのが、和解条項では12体が加わり、返還合計が76体となったのです。

この12体は発掘の目的、場所、日時も不明。前回の浦河町杵臼墓地への埋葬時もそうでしたが、このように遺骨の数が増えることは『報告書』 P.182にも書かれているのです。 

(注2)一覧には、部位の接合部分が欠けているため、一個体として特定できた人骨に整合できない人骨は含まれていない。一個体で一部位のみの場合、複数個体で同じ部位のみが集合している場合、二部位以上の複数個体が混在している場合は、照合調査が継続中である。 

要は、『報告書』は、調査途中であり、今回のようにまだまだ人骨は出てくるよ、と。以前にも指摘している通り、遺骨の管理がずさん過ぎて、骨がバラバラになってしまっているのが北大には484箱もあるのです。杵臼で急に増えた中箱一箱分もそれで、わたしも中を確認しましたが、大小さまざまな遺骨が収められていたものの、一人分か複数分かも、果ては、すでに一個体として数えあげられている頭骨の一部かもわからないのです。

北大側がわかるのはその遺骨の一部がどの地域から発掘したかだけのようです。研究材料として頭骨だけが欲しくて、他の遺骨も盗掘したものの、どうでもよかったので箱にまとめて突っ込んでいたということでしょう。ひどい話です。

そのような遺骨が484箱も(しかもどれほど大きい箱かも不明)あるのですから、返還の際に、次々と遺骨数は増えることでしょう。

和解後の記者会見の報告は「北大開示文書研究会」の浦幌事件をご覧ください。

浦幌での63体の遺骨返還の準備が進められています。今年は別に紋別での4体、そして、昨年から一年間、北大が告示していた4体中の返還を申し出なかった遺骨も加わります。

 

さる、3月18日に、平取町・二風谷生活館にて「平取「アイヌ遺骨」を考える会」(木村二三夫・井澤敏朗共同代表)主催で『先人たちの遺骨をふるさとの地・平取へ』学習会がありました。発題も豊かなもので、参加者110名と盛会でした。

この講演録は「北大開示文書研究会」のブログさまよえる遺骨たちに掲載されています。

その際、このブログで前回にご紹介した土橋芳美さんの著書『痛みのペンリウク−囚われのアイヌ人骨』で記したペンリウク首長の頌徳碑を小川隆吉エカシと共に義経神社で見てきました。

ちょうど、著者の土橋さん、そして著書の推薦を書かれた花崎皐平さんらとお会いしました。

 

ブログの字を大きくし、テンプレートを春にしました。


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『痛みのペンリウク−囚われのアイヌ人骨』を読む

2017-03-16 10:04:43 | 日記

J・バチェラー(John Batchelor 1854-1944)については過去Blogでも何度か扱いました。

彼は1877年から1940年、23歳から86歳までの63年間、アイヌ民族と共に生きた生活を送ります。

当時、外国籍のものは日英約定(1854年)により、函館から25マイル(40キロ。北限は森町)以上はなれて住むことは禁止されており、地域外に出向くときは、3ヶ月、6ヶ月というような期間でパスポートを必要としていました。バチェラーは苦労しつつパスポートを得て、アイヌ民族の元に出向きます。晩年に出した『わが記憶をたどりて』(1928年)の自伝にはアイヌ民族との思い出を綴っていますが、アイヌに魅せられ一緒に過した楽しい話が多く記されています。

その中に、ピラトリ(平取)のペンリさん(ペンリウク首長)との出会いがあります。はじめは三ヶ月のあいだ滞在させてもらいます。その後も度々おとずれるバチェラーのためにペンリさんは自分の家の隅に小屋を増設までします(『記憶』P159)。そして、平取川上流や静内などを案内してもらい、たいへん助けられた事が記されています。

ペンリウク首長は平取の義経神社に頌徳碑が建てられるほどの大物で、1903年11月に71歳の生涯を閉じています。 

この『記憶』の記述のなかに、すでに平取にだれかが「解剖学のためにアイヌの屍を掘り出して盗んで持って行った」ことがあったとバチェラーは聞いて記しています(p142)。それが事実なら、バチェラーは1879年に平取を訪ねているので、その前となります(1865年に森・落部盗掘事件があったので関連があるのか?)。 

そして、ペンリウク首長が亡くなられた数十年後には、彼の遺骨も掘り出され、北大に持ち去られます。

『北海道大学医学部アイヌ民骨収蔵経緯に関する調査報告書2013』(以下『報告書』)には、

「690番 全身骨 男 成人 個人特定可能 大学が保管に至った経緯1933年10月20日 平取1として管理」(『報告書』P171)とあり、その遺族が返還を求めた際に、明らかにペンリウク氏のものであるのでお返ししますと言う事でした。

しかし、その数ヶ月後、急に北大側が「平取1」の遺骨がペンリウク氏のものかが疑わしいと言いだし、遺族達を困惑させたという事件が起きます。遺族はこれらの一連の問題を『痛みのペンリウク−囚われのアイヌ人骨』(土橋芳美著 草風館 以下『痛み』)という本にして訴えています。

 

『痛み』によると土橋さんらは2016年3月23日に北大を訪ね、常本照樹アイヌ・先住民研究センター長、岡田真弓アイヌ遺骨返還副室長らと面会し、遺骨の返還を話しあいました。その際に、ご自分はペンリウクの弟の家系であることを告げ、自分でも引き取り手になれるかを聞きます。北大側は「大丈夫です。あなた以外に名乗り出る人がいなければ、お引き取りになれます」と全員が明るい対応をしたので彼女は安心したと記しています(P126)。

 そして、2016年7月11日、ご遺族が最初に遺骨と「対面」した際に、北大の職員は「ペンリウクさんは生前いろいろな方に計測されておりましたので。それらと照合して間違いありません」と「自信たっぷりに言って」(P123)いたのに、2ヶ月後の9月6日に突如、「ペンリウクさんの遺骨ではないという事がわかりました」と常本氏、岡田氏が発言。それはどうも、再度、頭骨を計測したところ、過去の計測値と違ったとのこと。

 

要は、北大側は遺骨をいまだに「研究材料」としか見ておらず、真摯に遺骨を返そうという気持ちはさらさらないのです。「アイヌ遺骨返還室」を開設し、HPにて遺骨の情報公開はしているものの、その遺骨について計測と言う確認すらしていない。思いがあるならば、「照合」を最初からきちんとしているはずで、あとから計測し直して「違うかもしれない」などという問題を犯すはずはない(いや、そもそも盗んだ側が、確認出来る情報を元に遺族に会いに行き、謝罪と返還をするべきはずが、HPだけの公開で済ませていること自体が大問題。ネット環境にない遺族は知る由もないのだから)。

『報告書』P17には、山崎春雄解剖学第一講座教授が1931年に浦河郡でアイヌ墓地を発掘。1933年に沙流郡、1934年に旭川のアイヌ墓地を発掘したと書かれています。

1950年に解剖学第一講座は収蔵人骨(アイヌ人骨47体)を解剖学第二講座に移管。

47体のうち19体(杵臼5、東幌別2、野深2、平取1、荷負2、上貫気別6、近文1)は、氏名記載があると書いています。この「平取1」がペンリウク氏の遺骨。発掘年月日は1933年10月20日とあり、さらに、山崎は「アイヌ人骨発掘の意図、アイヌ墓地発掘・アイヌ人骨収蔵にいたる経緯を記していない」と。

『報告書』を読み続けると、1936年7月10日付『時事新報』記事で、「平取部落の土人が学術研究のため土中から尊敬するペンリウクの骨格を掘り返し北大医学部に寄贈し」、J.バチェラーがそれはアイヌ人骨ではないと異を唱えたが、山崎春雄が計測し、かつ小金井良精が生前に計測した数値と合致したのでペンリウクと確認したと報じている事を紹介。さらに、発掘は「遺族の承諾のもとに行われた」とも。もちろん、これを読んだ土橋さんは怒り、北大に質問書を送り、そのやり取りの途中までが『痛み』に収められています。

土橋さんは遺骨との面会の際、「平取1号と書かれた箱の中に頭蓋骨と少しの骨片があるのみ。頭蓋骨に「平村ペンリウク」とマジックのようなもので書かれた文字を確認」をされたとあります(『痛み』P126)。昨年7月に浦河町杵臼コタンの墓地に80年ぶりに再埋葬された小川隆吉さんのご遺族の遺骨も資料には「全身骨」とありながら、少しの骨と頭蓋骨のみでした。そして、頭蓋骨には大きくマジックで名前が書かれていました。遺骨にマジックで名前を記入することが出来るのも「実験材料」としか扱って来なかったからなのでしょう。

土橋さんはご自分の先祖の名前が北大の納骨堂にある事を知った時、「自分が裸にされ、十字架に架けられ、札幌の大通街にでもさらされているかのような恥ずかしさ、悔しさに涙した」と著書の中で綴っています(P119)。この痛み、悔しさに共感し、わたしたちも協力出来ればと願っています。 

来る、3月18日午後5時より、平取から盗掘された遺骨を考える学習会「先人たちの遺骨を故郷の地 平取へ」が二風谷生活館で行われます。『新版学問の暴力』の著者の植木徹也さんも講演されます。

北大開示文書研究会HP


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アイヌ民族に関する法律制定の可能性と課題(仮題)

2017-01-26 07:52:50 | 日記

第29回アイヌ民族文化祭が2017年1月21日に札幌で開催されました。

その記念報告で3名が以下の報告をされました。

報告1:「北海道」の始まりから「北海道旧土人保護法—土地、狩猟と漁業の資源」(北海道博物館学芸主査 山田伸一)

報告2:アイヌ新法案から文化振興法の制定へ(元北大総長 中村睦男)      

報告3:アイヌ民族に関する法律制定の可能性と課題(仮題)(北大アイヌ・先住民研究センター長 常本照樹)

それに続き、質疑応答の時間がありましたが、会場からの質疑は受け付けず、司会者と報告者3名とのやり取りだけでした。とある噂では報告者のひとりが会場との質疑をするなら報告をしないと言ったとか。それが本当ならなんとも情けない話です。

わたしは諸事情のため報告3と質疑しか聞く事が出来ず、レジュメ(要点の印刷物)があるかと思いきや、ご本人が言うには今朝まで準備していたので印刷が間に合わなかったとのこと(しかし、パワーポイントが準備出来たのであれば、それだけでも印刷すれば良いと思うのですが。配布したくなかったのでしょうか? わたしは会場に入れず廊下のスピーカーで聞いていたので常本氏のパワーポイントは見ることが出来ませんでした)、テープを録るも、さらなるハプニングで録音が途中で遠くなってしまいました。

報告3をなんどか聞きながらまとめてみました。逐語録ではなく、縮められる部分は略しました。

************

新しい法律を求める要求に関しては今において始まったわけではない。2009年の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の報告書の結論で新しい立法措置の要望をしていた。それ以降、現在も続くアイヌ政策推進会議の各部会の報告書を通じて一貫して立法措置・法的措置の必要性をうたわれている。昨年来、特に官房長官の発言を契機として立法を求める動きの大きな高まりを見る事が出来る。

アイヌ文化振興法に続く新しい法律が必要だと言う事は議論の余地がない。しかし、極めて重要な問題であるゆえに立法に関わらず様々な課題を整理して今後の運動につなげて頂ければと考える。

現在の立法に関する大きなうねりのきっかけとなったのは、昨年の新聞報道だ。一例として5月14日の北海道新聞はこのように報じていた。見出しが「アイヌ新法制定へ始動 官房長官、早急な体制整備指示」。そしてその記事の中で「政府は13日、アイヌ民族の生活・教育支援を目的とした新法の制定に向けて動きだした」と報じていた。それ以降も幾度か記事があったが、一番最近のものとして1月17日付の北海道新聞に、「政府がアイヌ民族の生活・教育支援を目的とした新法の制定に着手」という記事がある。これをみれば論ずるまでもなく、政府がまさに生活向上、教育支援それ自身を目的とした法律を制定しようとしているという印象を受ける。では、実際のところ、菅官房長官はどう言っていたのかを確認すると、昨年3月28日に行われた記者会見では「生活向上対策や幼児期の教育問題など貧困問題を含めて幅広くアイヌ政策に取り組むこと、ここが必要だと思っています。そう言う中で法的措置の必要性についても総合的に検討して行きたいと思います」と言っている。また、5月13日の第8回アイヌ政策推進会議での挨拶の中で「現在、施策の改善方策を含めて幅広くアイヌ政策を検討しているところでありますが、その中で法的措置の必要性についてもしっかりと総合的に検討していきたい」と言われた。若干報道とのニュアンスの違いを感じるかと思う。

政府が政策を進める手段には3つの方法がある。一つは現行制度の運用改善、二つ目は予算措置、三つ目は法的措置。1と2は比較的、柔軟な実施が可能な反面、継続性は難しい。3は継続的安定性はあるが、越えるべきハードルは高い。

次に、政策の特徴に応じてどういう実現方法が適当なのかを考えると、例えばアイヌ文化振興法の場合、①施策対象者を特定しなくともいい。②アイヌ民族にメリットがあるだけではなく、日本全体にとっても文化的に豊かになると言うメリットがあった。③実施する組織が必要だがアイヌ文化財団をつくった。総じて、文化振興法は立法措置に馴染みやすい。

他方、生活向上施策はどうかというと、①対象者特定の課題がある。②アイヌ民族のみが受益者になるので一般に利益があるとは言いにくい面がある。③実施する仕組みも全国が対象になるので実施の仕組みが問題になる。結果、官房長官が言ったように「総合的に検討」する必要がある。

 また、「ポスト2020年」の課題がある。2020年まではお金が出るかもしれないが、それ以降は分からないと著名な経済学者が言っていた。2020年を越えてもなおアイヌ政策をどうやって堅持したらいいのかが問題だ。生活向上という課題は一般国民にもやっているのだから一般政策の中に解消してもいいのではないかという議論もある。これに応じるには「先住民族の地位の確立」をあらためて考えてみるべきだ。

「先住民族の地位の確立」と言えば、2008年の衆参両院での決議だが、国会決議をもう一度見直してみると「政府は、これを機に次の施策を早急に講じるべきである。 一 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を踏まえ、アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること。」衆議院HPとあり、これは衆参両院に対し「認め」させることに留まっている。さらに言えば2014年6月13日に「アイヌ文化の復興等を促進するための「民族共生の象徴となる 空間」の整備及び管理運営に関する基本方針について」の閣議決定がなされている。

閣議決定とは、憲法によって行政権が付与されている内閣の最高の決定方式(行政権における最高の意思決定)なので、行政を拘束することは間違いない。その中で「アイヌの人々は・・・先住民族である」ことが書かれている。従って、例えば文科省とか国土交通省というお役所が「アイヌ民族は先住民族だ」ということを疑うことは出来ない。しかしながら、逆に言えばこれは内閣の中だけの話であって、それを越えてアイヌ民族が先住民族であることの地位が確立しているのかと言うと、なお考えるべき事が残っている。すなわち、法による地位の確立が必要なのではないか。法律は閣議決定と違って三権(立法・司法・行政)すべてを拘束するという力を持っている。法律でアイヌ民族を先住民族である事を理念法ないしは基本法として確立する必要があるのではないか。もちろん、理念法、基本法というのは一般的には法律の世界ではあまり評判がいいものではない(中身がないと言われることもある)。しかしながら、ことアイヌ民族の先住民族たる地位の確立については極めて重要な意味を持つと言う風に考えられる。

 まとめると四点になる。ひとつは、生活向上の実現と言うものは重要な問題だからこそ法律を視野に入れつつ、運用改善、予算措置を検討して最も効果的・現実的な方策を戦略的に選ぶべきではないか。もちろん法律は必要です。法律だけを視野に入れるのではなくて、様々な手段を総合的に考えながら最も効果的・現実的な手段を考えるべき、それだけ重要な問題だと考える。一方、法律だけに限って言えば、継続的安定性と言う利点と制定の難しさという難点を考えて、まさに法律でなければ難しいという目標についてまず目指すべきと考えられる。諸外国の先住民族は憲法、条約、法律でその地位を確立している。アメリカ、カナダ、台湾では憲法の中に先住民族に関する規定を置いて、それを根拠に様々な政策を実施することが可能になっている。また、ニュージーランドには条約があり、その条約を国内に実施する法律があってマオリの地位が確立されている。それらが基盤となって先住民族の正当性の根拠となっている。やはりアイヌ民族、日本においてもそういうものが必要だ、国会決議と閣議決定だけでは不十分だ。最後は、このような目標を的確に定めてさらなる運動の盛り上がりを期待したいと思うし、微力ながらお手伝いをしたいと考えている。

取り急ぎ(すでに5日も経っていますが)、きょうは報告3を載せるだけで終わります。

二風谷のこども達のアイヌ語での歌や踊り とてもよかったです。

 

 


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遺骨を研究材料にすることへの疑問

2016-12-31 19:56:25 | 日記

大晦日です。今年中に書かなければならないと考えていたことを短く書きます。

前回に書いたことですが、ご遺骨の「研究資料として供する」という決定は北海道アイヌ協会の理事会で決定されたものだとのこと(第18回作業部会議事ココ)です。しかし、その後の意見で、どなたか(内容からしておそらくアイヌ民族の委員)が、それは「北海道アイヌ協会の会員全員の一致の意見ではない、一部の人たちがこういうものを出してきているだけで、これを読んだら怒るアイヌがいっぱい出てくる」と反対意見が出ていました。 

以前にもご紹介しましたが、平取アイヌ協会の木村二三夫副会長も、反対の意見をFMピパウシで述べられています。12/19放送の原稿を頂き、ご本人から「どんどん広めて」との了解を得ましたので、ここでご紹介します。

「・・・お聞きのリスナーの皆さん、そして全国、全世界の人達にもこの集骨、盗掘の歴史の事実を知ってもらいたい。遺骨も一人の「人間」である事を。あっちこちのアイヌ墓地から遺骨を集骨、盗掘して学者達の意のままにされたばかりか。外国へ売り飛ばされる、そんな非人道的な歴史の数々。今からでも遅くない、国、大学、学者たちは非を認めて償いをするべきではないか。それが人の道ではないか。それにはまず、先人達「アイヌ」の思いをどう受け止めるか。「先人達の思い」とは。尊厳ある慰霊施設を言われている白老だが、30数余年大学の納骨堂と言う牢屋に押し込められ、白老へ遺骨され人権も尊厳も無視され、研究材料としての順番を待つ事を、先人達は決して望まない。むしろ、この場所は人権尊厳を無視し踏みにじられる最悪の場である。一日も早く故郷の地へ帰り安眠出来る事を願っていると思う。白老へ遺骨することは「人でなし」の行う行為である事に、関係者には気ずいてもらいたい。(以下、略)」 (原文まま)

怒っておられる事が伝わる内容です。「研究材料としての順番を待つ事を、先人達は決して望まない」と、平取から盗掘して北大にある遺骨も白老へ集骨させず、平取へと返してもらうのだ、研究材料にはさせないぞとの強い思いを述べられています。

木村さんだけではなく、現在、遺骨返還訴訟を起こしておられる紋別アイヌ協会の畠山敏会長も(11/25和解し返還決定)、浦幌アイヌ協会の差間正樹会長と協会員17名も、北海道アイヌ協会理事会と意見の異なる主張をし、コタンの土に戻したいと返還を求めておられるのです。その他、複数のアイヌ民族の方から、わたしは個人的に返還を希望されておられることを伺っています。また、まだこのアイヌ協会理事会の決定をご存じない協会員の方はどう感じられるのでしょうか。そして、これらの反対意見をアイヌ協会理事会はどう聞くのでしょうか。 

内部ですらそうですが、前回にも触れたように、たとえアイヌ民族のなかでいちばん会員の多い北海道アイヌ協会だとしても、それ以上におられる非会員のアイヌ民族の意見を聞かないのは問題でしょう。

2013年に実施された「北海道アイヌ生活実態調査」ココによると、アイヌ民族の人口は16,786人。そのうち、アイヌ協会の会員数を調べてみたものの、探し方が悪いのかどこにも数字が出てきません(2015年には2,400人とどなたかのお話で伺った記憶がありますが、現時点ではわからなくなっていますので、保留にさせて頂きます。ウイキペディアでは2012年現在の当時支部会員数は3234人とあります。ココ 多い方をとったとしても、道内のアイヌ民族のみなさんの中の20%弱の方しか会員になっていません。残りの80%の方、そして道外に住まれているアイヌ民族の皆さんの意見・要望をどう傾聴するかが問われています。

どうしても木村二三夫さんの原稿をお伝えしたく、今年最後の更新をしました。

新年も皆さまに神さまの祝福が豊かに注がれますようにお祈りします。

 


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DNA鑑定

2016-12-30 16:17:45 | 日記

書きたいことがたくさんあるのですが、時間がとれずに年末になってしまいました。ひとまずノートに書き溜めておき、今回は、どうしても書いておきたいことを記します。

北海道大学をはじめ、全国の12大学に個体ごとに特定出来るご遺骨が1636体あり、個体ごとに特定できないバラバラのご遺骨が515箱あると文部科学省の調査(2013年)で明らかにされました。その後も、調査が適当だったことで2016年8月に再調査を行いました(結果は未確認)。さらに、国内の博物館、研究施設にも遺骨があることが判明し、遺骨の数は増えています。

今回、問題にしたいのは、6大学に「保管」されていた「個体ごとに特定できない515箱」について。

東北大(1)、新潟大(17)、東京大(6)、大阪大(2)、天理大学(5)に、北海道大が484箱。

木製の箱に保管されている遺骨が508箱(約99%)、紙製の箱に保管されている遺骨が5箱(約1%)、プラスチック製の箱に保管されている遺骨が2箱。箱の大きさは各大学によりバラバラなので何人の方の遺骨かは不明。こんなずさんな「管理」と「保管」に怒りを覚えます。勝手に盗掘して研究材料にし、ずさんな管理をした大学は、まずは謝罪するべきです。バラバラにされたご遺体を元に戻せと要求するのは当たり前のことと考えます。

 ※ 『大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の調査結果2013』参照 ここ

過日の道新に、保管されている515箱のご遺骨のDNA鑑定をするとの報道がありました。(北海道新聞 12/23 05:00、12/23 16:47 更新)ここあるいはここ

「有識者会議」とは何か不明でしたが、仲間が教えてくれたところによると、文部科学省の「大学が保管するアイヌ遺骨の返還に向けた手続等に関する検討会」ココのもとにある「DNA鑑定等の在り方に関する作業部会」のことか? しかし、いずれも議事録は見つかりませんので12月22日の会議がこの部会決定のことかは不明です。

この記事によると、515箱のバラバラのご遺骨を「できるだけ一体として特定」するためにDNA鑑定をするというのです。この記事は28日付で訂正が行われ、

「2019年度までに骨学的に同じ人のものであるかどうかを確認するとともに、これによる一体化が難しい場合に限り、アイヌ民族の同意を得てDNA鑑定の活用も検討するという方針を固めた」(24面)と。

人騒がせなものとなりました。23日から5日も経っての訂正で、しかも小さく謝罪もなし。

 

しかし、将来的にDNA鑑定をするとなると、いくつかの問題があります。

まず、バラバラな部位の中には「個体として特定出来ているご遺骨」の一部が混入されている可能性があるのなら、すでに個体ごとに特定出来ているご遺骨も一致させるためにDNA鑑定するということになりかねません。現在、大学等に「保管」されているすべてのご遺骨のDNA鑑定がなされることは大きな問題だと考えます。

まず、鑑定のためにご遺骨がさらに傷つけられバラバラにされることになります。遺骨の尊厳を傷つける行為です。たとえ、1グラムの半分の量であったとしても、です。※1

そして、再度、遺骨は研究材料にされるという問題があります。第14回アイヌ政策推進作業部会(2014年2月28日)ココでの議論で、こんな発言が(おそらく和人の学者?)から出されています。

○遺骨を一体にすることとアイヌ民族の起源などを知るために行う作業は、性別や年齢の特定や仮に行う場合におけるDNA鑑定なども同じ作業とになるので分けて考える必要はないのではないか。

DNA鑑定をしてしまえば知りたい情報が手に入るということでしょう。DNAの保管や管理の倫理はできるのでしょうか。遺伝情報をそっくり流用される可能性も多いです。

また、鑑定によって「遺骨承継者」に返すことが出来るようなことが書かれています。そうした場合、今、生きておられるアイヌ民族の方達のDNA鑑定が必要になります。

このDNA鑑定の議論は第11回作業部会(2013年4月19日)から行われています(※1の発言もココから)。そのときのやりとりでは

○四肢骨と頭骨がバラバラになっている骨については、これが一体になって初めて返還になるのではないか。遺族に返すには、遺骨を一体にする、掘った際の状況に復元するということを考えなければならないのではないか。そのために、DNA鑑定の手法を用いて一体に組み上げることは可能か伺いたい。

○理論的には可能だが、非常に大変な手間がかかるのが現状だと思う。

○骨学的判定だけでは個体特定できない遺骨の全部又は一部をDNA鑑定することによって個体特定できる遺骨が増える可能性があるが、そのための作業は膨大だということか。

○そういうことである。

また、第16回作業部会(2014年4月18日)ココでは、DNA鑑定の専門家として「東京歯科大学名誉教授水口清氏」が呼ばれて手法の解説をしています。水口さんは「(正確な鑑定は)簡単なことではない」と何度もクギを刺しています。それなのに、膨大なお金をかけて行うことの問題があります。

もうひとつ、ご遺骨の「研究資料として供する」という決定はアイヌ協会の理事会で決定されたものだとのこと(第18回作業部会議事)ですが、しかし、その部会でも「北海道アイヌ協会の会員全員の一致の意見ではないですね。一部の人たちがこういうものを出してきているだけで、これを読んだら怒るアイヌがいっぱい出てくると思う。」という意見が出るほど疑問の残るものであり、さらには、北海道アイヌ協会の会員ではないアイヌ民族の意見を聞いていない、すなわち、一方的過ぎるという問題があります。

訂正記事にある「アイヌ民族の同意を得て」は、北海道アイヌ協会という一部の同意ではいけないと考えます。

さて、バラバラの515箱のご遺骨の発掘・発見された場所は、北海道が410箱(約80%)であり、樺太(サハリン)が10箱(約 2%)、千島列島が16箱(約3%)、発掘・発見された場所が不明の遺骨が79箱(約15%)。ということは、436箱の発掘場所が確定出来るということでしょう。それは、杵臼の遺骨返還裁判の和解と同じく、各コタンに再埋葬が可能なご遺骨となり、DNA鑑定の必要のない返還となります。

遺骨訴訟の原告である浦幌の差間さんもバラバラになっているご遺骨の複数の箱を返還対象として引き受ける準備をされています。また、原告のおひとりである小川隆吉さんはこの度のDNA鑑定報道でたいへん怒っておられます。ご遺骨を一刻も早く元のコタンの土へと埋葬するべきだ、と。

 この一年、忙しかったり書けないこともあったりで、更新は少しでした。読んで頂いた皆さまに感謝。新年も皆さまに神さまの祝福が豊かに注がれますようにお祈りします。


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紙面掲載された「アイヌ政策の期待と課題は」(朝日新聞11/5付)に疑問その2 

2016-12-07 20:25:51 | 日記

11月5日付の朝日新聞朝刊に掲載された「アイヌ政策の期待と課題は」ここで、引っかかったところを続けます。常本さんはこう述べます。

「米国や豪州などで語られる『土地の返還』『政治的な自決権』といった先住民族の権利実現を直ちに目指すのは今のアイヌと日本の現実になじむでしょうか。」

いわゆる世界の先住民族の権利と日本のアイヌ民族は違うのだから、同じ「権利実現を直ちに目指す」ことは出来ないという考え。これは、アイヌ民族の置かれている状況が特別であるかのように述べていますが、どの国も多くの課題を抱えながらも先住民族の権利実現を進めているわけで、日本だけが特別と言うわけではないはずです。あたかも特別なので時間をかけて多数派を説得しなければ動かない、あるいは、「社会の現実と向き合」って、あきらめなさいとも聞き取れるもので、納得がいくものではありません。

かつて、常本さんはアイヌ文化振興・研究推進機構主催の普及啓発セミナー2000年の講義「アイヌ民族をめぐる法の展開」で、民主主義の多数決の世界では多数派が益になるようなものがないと少数者である先住民族の権利は回復しない、と、アラスカなどの例を挙げていました。そうなのでしょうか?

専門家に伺いたいところですが、たとえば、過去Blogに書きましたが、カナダの場合は政府が主導して1991年から先住民族委員会を設置して詳細な調査を行い、2008年に「真実と和解のための委員会」をつくり、さらに寄宿舎学校問題を調査し、2015年に「報告書」を出します(丸山 2016.2)。そこには、「同国の同化政策を文化的ジェノサイドとよび、政府に対して先住民族と和解するための具体策を94あげ、その実行を迫っている」(前掲)そうではありませんか。そのような提案をし、政府を動かすのが常本さんの役割なのではないでしょうか。

 小樽にあったクリスマスツリー

 常本さんの文を続けます。

「日本国憲法は『法の下の平等』を規定し、特別な扱いを原則禁止していますが、憲法13条では「個人の尊重」を定めている。」

 憲法14条から「特別な扱いを原則禁止している」を強調し、次に、ここでは憲法13条を持ち出して「個人の尊重」で、差別によってアイヌとして生きる選択権がおびやかされているとしています。しかし、まず、前半の部分に関しては、ご本人も委員であった「アイヌ政策の在り方に関する有識者懇談会」の報告書(2009)には、

「事柄の性質に即応した合理的な理由に基づくものであれば、国民の一部について、異なる取扱いをすることも、憲法上許されると一般に解されており、既述のようにアイヌの人々が先住民族であることから特別の政策を導き出すことが『事柄の性質に即応した合理的な理由』に当たることは多言を要しない。さらに、我が国が締結している『あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約』第2条2が、締約国は特定の人種への平等な人権保障のために特別な措置をとることができるとしていることも視野に入れる必要がある。」(P26)

と、あえて国際法(人種差別撤廃条約)まで持ち出して、アイヌ民族への特別な政策をしていいのだと説明しているのです。それなのに、アイヌ民族はそれに当たらないかのような印象を与えている事が問題です。

加えて、憲法13条に「個人の尊重」を示す事によって、個人をあえて強調しているような意図が感じられます。常本さんはご自分の論文で「土地の権利や言語権など、国連宣言に含まれている先住民族固有の権利の中には、民族が権利主体となるものが少なくないが、欧米に法体系を継受した日本では権利主体は原則として個人とされている」(『アイヌ民族と「日本型」先住民族政策』2011.9 P80)と書いていますし、以前にもご本人の講演で何度か聞きました(録音テープを聞けば確認出来るのですが)。しかし、以前から不思議だったのですが、欧米では先住民族の権利は保障されているわけで、どこがちがうのかと・・・。

このような考えは「国際人権法に反するだけではなく、・・・二風谷ダム裁判をも不当に稔じ曲げること」と、丸山さんは批判しています。丸山さんは二風谷ダム裁判の原告であった萱野茂さんの陳述にアキアジ(秋鮭)を捕る権利を要求していたことに触れ、国際人権規約自由権規約27条に照らせば、アイヌ民族が「自身の文化を享有するには多数派の日本人とは違った人権上の配慮、すなわち、法的な優遇策として集団的権利が必要であるとの結論が導かれる」(前掲書)、実際に裁判では国際人権規約自由権規約27条を引用しつつ、憲法13条を踏まえて、アイヌ民族の集団的権利のひとつである文化享有権を日本の歴史上、はじめて認めたのだから、常本さんの考えを「欺瞞」だと述べます。読んでいて、丸山さんのほうが納得いきます。

 ※「享有」とは、権利などを生まれながらに身につけ、もっていること。

う〜ん、だれが読んでも、分かりやすいように書く事を目指していますが、難しいでしょうか。もう少し、次回も続けます。

加えて、さる11月25日に行われた再埋葬の報告会のテープ起こしが別のメンバーにより行われ、近々、北大開示文書研究会ないし、『さまよえる遺骨たち』BlogにUPされます。お楽しみに。

昨日から、その報告会で採択された『アイヌの遺骨はコタンの土へ 杵臼からのメッセージ』を、関係する大学や博物館、研究所、各市町村役所、そして、各地区のアイヌ協会宛に発送する作業をしていました。全国ニュースでは出ていないと思いますので、ここで、大学以外の施設でアイヌ人骨を『保管』していた13施設の名を挙げます。北海道新聞に掲載されていました。または、こちら

伊達市噴火湾文化研究所

東京国立博物館

網走市立郷土博物館

苫小牧市美術博物館

釧路市埋蔵文化財調査センター

ところ埋蔵文化財センター(北見市)

いしかり砂丘の風資料館(石狩市)

胆振管内豊浦町中央公民館

渡島管内森町遺跡発掘調査事務所

上之国館調査整備センター(檜山管内上ノ国町)

北海道博物館

市立函館博物館

室蘭市民俗資料館 

これらに合計74体の遺骨が保管されていたとのこと。詳細は報告書なるものに書いているのでしょうが、わたしまはだ見つけていません。2012年にに伊達市噴火湾文化研究所を見学した際、資料展示している部屋に1m四方ほどの大きな頭骨の写真が展示されていました。あれはアイヌ民族のものだったのでしょうか。過去Blogにも書きましたが、怪しいと思ったのです。

各博物館は、徹底的に「保管」に至った経緯を調べ、明らかにするべきでしょう。渡した方も、受け取った方も責任があります。自ら発掘し、保存していたならば、資料にて公にしていなければならないことでしょうから、今になって公になるのはおかしいでしょう。もちろん、上記以外の博物館にも遺骨があるという噂があります。国は徹底して調べるべきでしょう。さらに、遺骨があると言うことは、副葬品もあるかも知れません。そのことも。

これらのご遺骨も、白老の慰霊施設に運ばれ、再度、「研究材料」として扱われてしまうのでしょうか。ひどい話です。これを見過ごしていていいのでしょうか。北大開示文書研究会とコタンの会は、それぞれのご遺骨が元のコタンの土に帰ることを願い、行動しています。そのひとつとして今回、100近くの関係団体にメッセージを送ります.


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紙面掲載された「アイヌ政策の期待と課題は」(朝日新聞11/5付)に疑問

2016-12-06 15:08:02 | 日記

11月5日付の朝日新聞朝刊に掲載された「アイヌ政策の期待と課題は」ここを以前に読み、ひと月がすぎてしまいました。すでに常本氏の文に対し、いろいろ批判されているのを見聞きします。たとえばdon-xuixoteさんのBlogなど。 

阿寒アイヌ協会長の廣野洋さんの最初のことば「スタート地点に立たせてほしい」の言葉に、大きくうなずきました。先住民族アイヌが奪われてきた権利を取り戻すためのスタート地点にも立っていない、それすら国は整えていないと。アイヌ民族が何十年も求め続けてきた法律制定を期待し、「もっと普通に文化や伝統を守っていけるようにしたい」と訴えておられます。

それに続いて、北大アイヌ・先住民研究センター長であり、政府のアイヌ政策推進作業部会部会長の常本照樹さんのインタビュー記事は今までの繰り返しであり、問題だと思います。

「政府は東京五輪・パラリンピックの2020年に「民族共生象徴空間」を白老町に整備します。アイヌへの理解と共生を進める「扇の要」になる施設です。」

 2020年の民族共生の象徴となる空間を「扇の要」と宣伝するのをこの数年、何度か耳にしますが、そこには大きな問題(慰霊施設への遺骨収集と遺骨研究)があることは以前から書いています。それをカモフラージュするかのように東京オリンピックを抱き合わせてお祭りムードでもって行こうとする感がプンプンします。

2016年7月に出た「民族共生象徴空間」基本構想(改定版) ここを確認すると、「遺骨等に係る調査・研究の在り方」(P15)に、今後は (公社)北海道アイヌ協会、日本人類学会及び日本考古学協会の三者による「これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル」において議論するとあります。三者だけでいいのでしょうか。しかもアイヌ協会はアイヌ民族全体の代表ではありません。

その中間まとめここの「これからの人骨と副葬品を用いた研究について」(P4)に、こうあります。

研究は、当事者であるアイヌに対し、研究の目的とそれによってもたらされる成果とリスクについて十分に説明し、同意を得た上で、慎重に進めることが前提であり、これまで大学が保管していた人骨と副葬品のうち、以下の条件に触れるものは、研究倫理の観点から見て研究対象とすることは問題がある。

ⅰ.研究の実施について、アイヌの同意を得られないもの。

ⅱ.海外における法制度やガイドラインの事例を考慮して、研究が行われる時点から見て三世代以内、すなわち概ね 100 年以内に埋葬された人骨と副葬品。

ⅲ.現在の遺族等への影響を鑑みて、収集経緯を公開できないもの。

ⅳ.収集経緯が不明確であるものや、時代性や埋葬地に関する情報を欠如するものや、資料の正確性を担保する基本的データ(例えば、発掘調査時の実測図、写真、出土状態の記載)が欠如するもの。そのほか、調査行為自体に研究倫理の観点からみて学術資料として活用することに問題を含むもの。

 なお、上記の i から iv の条件に触れる人骨と副葬品は研究対象としないことを原則とするが、iv)の条件に触れる人骨のうち、アイヌも交えた検討と判断の結果として、研究の有効性がしかるべき手続きを経て保証されると見なされる場合には、限定的に研究を行う可能性を有する。

ⅱの条件では、北大等から移されるご遺骨のかなりの数は100年以内なので研究対象外となるかと思いきや、気になるのはⅳの項目。

この項にも北大等から移される遺骨が入ります。そして、その後のただし書きには、ⅳは原則的には研究対象外とするが、「アイヌも交えた検討と判断の結果」、研究可となることが書かれています。ここでいう「アイヌ」は先の三者のなかのアイヌ協会であるならば、極めて閉ざされたなかでの了解で可能となる、ということでしょう。

また、ご遺骨と並んで副葬品に関してもさらりと記述されていますが、副葬品は明らかに盗掘品です。黙って掘り出し、盗んでいったものなのです。この事に関して、何の言及もなされず、ここに「研究対象」の可否について並べられている事自体が問題です。かつて、児玉作左衛門が、八雲でアイヌ人骨を掘った際の資料には「副葬品」の項目があり、ほとんどのものに「有」と記入されています。だれの許可もとっていませんし、しかも、その後の行方は全く不明です。これらを含めて、副葬品に対する調査を国は行うべきです。

4ヶ月も前のこと、8月6日に札幌で国際先住民族の日記念事業「考古学・人類学とアイヌ民族—最新の研究成果と今後の研究のあり方」の講演会が行われ、わたしは聞きに行けませんでしたが仲間が行って、内容を報告してくださいました。チラシはここ

その中の遺伝人類学からの講演で、北海道アイヌ協会の了解を得て54体の遺伝子研究をしたと報告があったとのこと。

すでに、遺伝子研究もすすめられている! この「54体」は健在しているアイヌ民族の皆さんからのものなのか、大学等で「保管」されている遺骨からなのかは分からなかった、と。これらが遺骨からであったならば、この「研究」も、先の「三者」による合意に基づくものということでしょうか。

さらに、日本人類学会理事の講演で、人類学会と道アイヌ協会が、札幌医科大学所蔵のアイヌの骨に関して『協定』を結んだとの発言があったようです。協定内容を知りたいものです。

先日、八雲教会の礼拝に招かれて八雲に行ってきました。八雲郷土資料館を訪ね、くわしい説明を受けました。かつて、児玉作左衛門らが遺骨を「発掘」した場所であろうところも教えて頂いて行ってきました。

八雲墓地の入口に建つ墓碑です。墓前で祈ってきました。

かつて、落部のアイヌ墓地から三人のイギリス人によって盗掘され、犯行がばれて返された13名の名が記されています。(植木哲也著『学問の暴力』第1章参照)。

 

八雲のあと、七飯、函館、函館千歳、渡島福島、江差、利別の各教会を訪問。

北方民族博物館、松前城にあるアイヌ資料も見学に行きました。

 

 


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「アイヌの遺骨はコタンの土へ〜歴史的な再埋葬を語る集い」報告

2016-12-02 20:18:02 | 日記

さる11月25日(金)に、北海道クリスチャンセンターにて、「アイヌの遺骨はコタンの土へ〜歴史的な再埋葬を語る集い」を行いました。いつもながら、個人的な報告をいたします。

多方面から110名程がご参加頂き、この問題に感心を持つ方達が多い事を実感しました。

同日にアイヌ民族関連の大きな音楽イヴェントもあったようですが、こちらに来て頂いたことは感謝です。

プログラムは北大開示文書研究会のHPこちらに掲載していますが、簡単に流れをお伝えします。

はじめに、清水裕二コタンの会代表より挨拶があり、コタンの会制作のDVD「85年ぶりの帰還 12人の遺骨が杵臼コタンへ」を18分上映。裁判の半ばで故人となった城野口ユリさんのお元気だった頃の姿も映されていましたし、コンパクトにまとめられた報告映像でした。いつか販売出来るようになればいいかと考えています。

その後、第1部「杵臼再埋葬を語る」とのテーマで、この度、ご遺骨を迎えたコタンの方々の5名から、ひと言ずつお話し頂きました。小川隆吉さん(訴訟原告、コタンの会顧問)、山崎良雄さん(原告・城野口ユリさんの実弟、コタンの会副代表)、小川トシ子さん(小川隆吉さんの実姉、コタンの会)と続き、高月勉さん(コタンの会事務局長)からは、再埋葬の儀式の期間中に応援に駆けつけて下さった静内の皆さんの裏方の準備のご苦労や当日の報告を頂きました。

わたしは聞き手役として登壇しましたが、お一人おひとりの語られる言葉に邪魔にならないよう、ほぼ傾聴するのみとなりました。

つづいて、この度のアイヌプリ(アイヌ式)での葬送の祭司をつとめられた葛野次雄さん(コタンの会副代表)、葛野大喜さん(札幌大学ウレシパクラブ)による語りがありました。葛野エカシはこの儀式を行うに当たり、何ヶ月もの間、資料を調べたり、イナウやクワ(墓標)を作るなどの準備をされました。「アイヌにはアイヌの決まりがあんだ。ストーブにやかんをのせるんでも、注ぎ口を向ける方向が決まっていたり、いろいろ面倒くさいんだ。」などと笑いをとりながら、ご苦労を語られました。また、息子さんの大喜さんは、この度の父親と儀式を行うことで、あらためてアイヌとして生きることの大切さを学んだと発言されました(わたしの記憶)。

報告3として、文書研のメンバーである平田剛士さんより、杵臼コタンが遺骨を取り戻すまでを分かりやすくグラフや表を用いての解説を受けました。

小田博志さん(北海道大学教授、人類学)からは、研究者の立場から、倫理を守ることに大切さ、そして、「研究者である前に“人間”でありましょう」とのメッセージを、市川守弘さん(北大開示文書研究会、弁護士)より、今回はアイヌの先住権を認めさせた画期的な和解であったとの報告を受けました。

第2部のパネルディスカッションでは、差間正樹(訴訟原告、浦幌アイヌ協会会長)、清水裕二さん、市川守弘さんがそれぞれの立場からの発言をされました。

時間も迫っている中、フロワーから数人の発言がありました。お一人は平取アイヌ協会の木村ニ三夫さん。

(木村さんに関しては過去Blogにも報告あり)

北大の納骨堂という「牢屋に閉じ込められて30数余年。今度は白老へ移され研究材料として恥ずかしめをうけるのではないかと、毎日まいにちびくびくしているであろう先人達」の故郷への帰還の叫びが聞こえて来ると訴えられました。新冠アネサルより強制移住で旭(旧上貫別)へ来た者たちが、今度は白老の慰霊施設へと言うことになると「三度目の強制移住になる。絶対に阻止したい」「尊厳ある慰霊施設というが、逆である。尊厳を踏みにじる施設だと私は思う」と。続いて平取町議のお一人も参加されており、町としても誠意ある対応をしたいと決意表明をされました。

もうお一人は、平取出身の方。今回の小川隆吉さんの働きに敬意を表し、「シャモの中にもいい人がいたんだと思いました」と。今回の開示請求による資料で、自分の先祖の遺骨もあったことを知り、たいへんショックを受け、「大通公園のすごく人通りの多いところで、十字架にかけられ素っ裸でさらし者にされているという感じ」と表現。単独で北大と交渉したが、それではだめだと思い、北大開示文書研究会に加わり、返還請求をすると決意を語られました。「当たり前のこととして、生きている人に人権があるのなら、遺骨にも権利がある!土に埋められていたのだから、その土に戻る権利があるんだ」と。

最後は、「アイヌの遺骨はコタンの土へ 杵臼からのメッセージ」を会場の皆さんの拍手で採決し、終了しました。メッセージはこちら

 


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平取アイヌ協会の怒り

2016-11-17 06:23:35 | 日記

遺骨返還問題で木村ニ三夫さんが、北大に対してそうとう怒っておられることが木村さんのご友人のBlogを介して紹介されていました。 

北大側が平取アイヌ協会・三役に対して遺骨問題の説明をしに来たそうですが、「最初から白老への週骨ありきの、面倒な手続きの説明に終始した」と(週骨→集骨?)。「盗掘した側が条件を付けるとは!これでは逆さまではないのか」と怒りをあらわにされています。以下、引用。

********

「盗んだ物は元へ、自らの手で再埋葬する事が、先人達へのせめてもの供養、償いではないのか、盗掘に対する一言の謝罪もないのか」と散々悪態をついたが、北大側はなにも反論も言い訳も無しに帰ってしまった。 あの者達は、説明したことのアリバイ作りに来ただけの様だ。

そもそも、どこから持ち出されたか判明している遺骨を元の場所に環さず、国にとって都合の良い白老に集約するというのは、明治政府が川沿いに点々と住んでいたアイヌを国にとって都合の良い場所に移住させた「強制移住」と同じではないのか?

 アイヌは死んでからも強制移住させられるのか?「ふざけるな!」と俺は言いたい。(略)

 遺骨問題に関わっている者達よ。「人である人」であってほしい。こんな理不尽がまかり通る日本国であってはならない。賢明な皆さんの声と力を貸してほしい。

********* 引用、以上。

これは、FMピパウシで放送した原稿の一部でもあるとの事。そのご友人が木村さんから依頼されてご自身のBlogに掲載したそうです。

文科省が各大学に調査して2014年(更新)に「大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の調査結果」を発表しました。

ただし、ずいぶんと「漏れ」があったようで、2016年、今年の8月3日に再度、文科省から各国公私立大学担当課宛に、前回の調査時に「教職員・研究室等への学内の周知・調査が徹底されていなかったため、結果として不十分な回答となっていたことが分かりました」ので、再確認をするとの知らせがあったようです。各大学も適当にやっていたのでしょう。あるいは、今回の杵臼への再埋葬で大事件である事を認識して焦ったのか、とも想像しますが。提出期限は10月31日で電子メールとのこと。すでに集積されていることでしょう。ちなみに、そのような動きがあることは、個人的に大学関係者の知人からの情報ですが、アイヌ政策推進会議等で公になっているのを見逃しているのか見た事はありません。

そのことは横に置いて、上述の調査結果をもとに、政府は「アイヌ遺骨の返還・集約に係る基本的な考え方について」(2013)をつくり、

「各大学等に保管されているアイヌの遺骨について、遺族等への返還が可能なものについては、各大学等において返還すること」

とし、それが返還に関する基本姿勢となっています。

さらに、この度、札幌地裁の裁判によって、遺族「」にあたる(のか?)、コタンの構成員が返還を「認められ」、杵臼に再埋葬という要望を実現させることが出来ました。

文科省はさらに「大学が保管する特定遺骨等の返還に関する手続の詳細について(意見のまとめ)」を今年(2016)の3月30日に出し、

「各大学は具体的な取組を加速することが求められるとともに、文部科学省は返還の促進に向けて、広範かつ積極的な関与、協力を行っていくことが必要である。これを契機に、広く我が国の先住民族政策におけるアイヌ、国、大学、その他関係者間の協力体制がさらに強固なものとなることを強く望むものである」

と、まとめています。

それなのに、北大側は最初から白老への持って行くことを前提としての説明をしに(「アリバイづくり」に)行っただけとは、問題にしなければならない事ですし、文科省も注意するべきです。

『北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書』(2013.3 P171)によると、平取町から掘り出されたご遺骨は4体、上貫気別から6体、長知内4体、荷負2体、二風谷1体の17体。

平取のご遺骨1体、および、上貫気別の全6体、荷負2体が全身骨で個人特定が「可能」、1933年10月20日、26日、28日の連続での発掘とあります。

ちなみに、手書きの『アイヌ民族人体骨発掘台帳』(医学部解剖学第2講座 P75)には、平取4体、上貫気別5体、長知内4体、荷負2体、(不明1体、二風谷未記入)で、15体となっています。

北大の「特定遺骨に関する情報の公開」によると、番号で書くのは気が引けますが、8番から13番までが貫気別のご遺体、14、15番が荷負の2体。 平取の1体のご遺体の公開はここにありません。

この表で目に留まるのは貫気別から持ち去られた60代の男性は、埋葬が1927年で「発掘」が1933年、埋葬の6年後に「発掘」、さらに、70代男性と40代の女性は埋葬して3年で「発掘」されていることが明記されていること。

肉片をついた骨をメスを使って削ぎ落とし、北大に持って行ったという証言をテープで聞きましたが、ここでもそうだったのでしょう。

北大が今までの対応をあらため、ましてや「アリバイつくり」をやめて、誠実に向きあうことを望みます。 

2010年のカナダ研修の際、野生のオオカミを偶然見ました。同じく目撃したネイティブの友人がわたしにオオカミのしおりをプレゼントしてくれました。雪が舞う中にグレイのオオカミが立っており、しおりをゆらすと絵も動くものです。わたしの机のスタンドにぶらさがって動いています(写真は旭山動物園にいるカナダから来たオオカミくん)。

明日はさっぽろ自由学校「遊」の講座

http://blog.goo.ne.jp/sakura-ive/e/b0d1e0c1442efd9a0b8b4d689e8e8dc4

それに伴い、札幌周辺の教会を訪問し、土曜日からは八雲、利別、七飯、江差、函館、渡島福島と大移動の予定です。

 

 


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森林認証とアイヌ民族

2016-11-14 07:48:45 | 日記

明治政府は、1872(明5)年に「北海道土地売貸規則」と「地所規則」を公布し、「私有地」を除く土地すべてを対象に、ひとり10万坪を限度に売り下げました。この「私有地」の対象は和人であり、アイヌ民族は対象外にされていましたので、「現実にアイヌが居住している宅地およびその周辺の土地に関してさえ、それを保証するための法的処置はなに一つ記されていなかったから、こうした土地さえもが一方的に和人による分割私有の対象になった」(榎森進著『アイヌ民族の歴史』P394)

さらに、1886(明19)年に「北海道土地払下規則」、1897(明30)年に「北海道国有未開地処分法」を公布。「北海道土地払下規則」は、資力のある資本家や地主に、一人につき10万坪を限度として土地の払い下げを行い、「北海道国有未開地処分法」は、開墾・牧畜あるいは植樹に供する土地を10カ年間無償で貸し付けたうえで、「全部成功」すれば無償で付与するというもので、開墾目的はひとり150万坪、牧畜用地は250万坪、植樹用地は200万坪を与えられた。さらに、会社や組合の場合はその2倍の土地を貸し付けられることが可能だった(前掲書P395)

 二風谷の裏山も、それにより三井財閥の山となったようです。先日、購入した『アイヌ民族の復権〜先住民族と築く新たな社会』(法律文化社)の第一・二部は貝澤耕一さんが執筆されていて、たいへん興味深く読みました。特に、2009年に三井財閥から二風谷のアイヌ達に「わたしたちはアイヌ文化の継承に協力していると言うことを承諾してほしい」と言ってきたくだり。

「三井財閥はこれまでアイヌに対して何もしてこなかった。いや逆にアイヌをいじめてきた大企業がアイヌたちのために、文化を守ることに協力していることを認めて欲しいと言い出してきたのである」(P27)

なぜ頼んで来たかと言うと、その背景に国際的に先住民族をおろそかにしている企業は、もう外国では受入れられないという現実があると貝澤さんは指摘します。先住民族アイヌの文化継承や文化伝承に必要な場所を無償提供するなどの協力がないと外国での評価が低く、仕事が出来なくなるのだ、と。それゆえ、三井財閥は自己の利益のためにアイヌ民族に協力を求めてきたのだ、と。

三井フォーレストとアイヌ協会平取支部(当時)の役員との話し合いの席上で、アイヌ民族側から「あなたたちはこれまでアイヌ民族に対して何もしていないし、逆にアイヌを苦しめたことはわかるでしょう」「あなたたちはアイヌの土地を奪って自由に使って、アイヌの人々を苦しめたでしょう」と言ったら、先方は「はい、それは事実です、今後そういうことは無いようにします」と答え、「最大限の努力は払います」と言ったので、先方の依頼に一応、承諾した、と。そして、今後、どのように協力するのかを見て行く、と。

 

森林認証制度(FSC)の認証基準の改定(2012年)に関して、過去Blogで紹介しましたが、今まで国が先住民族から搾取し、先住民族が自由に扱うことを許さなかったことが、今度は立場が逆転し、国や企業が先住民族に承諾を得なければならなくなった(いわば正常化)ことで、どのように先住民族アイヌの状況が変わるでしょうか。楽しみです。

FSC認証とアイヌ民族の新しい状況は、おそらく、来る11月19日に行われる「第3回アイヌ政策検討市民会議」での上村英明さんの報告でなされることでしょう。以下、ご案内です(以下、敬称略)。

 

第3回アイヌ政策検討市民会議

日時:11月19日(土)14:00~18:00 

場所:北大学術交流会館小講堂(正門から入ってからすぐ左手の建物)

14:00~14:15 ご挨拶 宇梶静江

14:15~14:45 アイヌ民族の伝統的狩猟権 畠山 敏

14:45~15:15 教科書問題 若月美緒子

15:15~15:45 落合講演問題 若月美緒子

15:45~16:00 休憩

16:00~16:30 森林認証と先住民族 上村英明

16:30~17:15 市民会議の今後の運営について

17:15~17:45 総合討論


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10月の二つの新聞記事

2016-11-10 13:07:23 | 日記

瞬く間に11月となりました。先月(10月)にあった新聞紙面上で気になったニュースを二つ取り上げます。

ひとつは、北大と札医大がアイヌ民族の遺骨の情報を公表したというニュース(苫小牧民報 10/12付)。

北大のホームページに「北海道大学アイヌ遺骨等返還室」をつくり、

身元(個人)が判明している16人分を公表

札医大はこちら

身元(個人)が判明している4人分を公表

北大は身元判明していたのがもう1体あったが、「想定していたアイヌ民族の遺骨と異なる可能性が浮上」(北海道新聞10月1日記事)したため、公表リストから外したとのこと(もし返還希望者が名乗り出ていたら問題になるでしょう)。

残念ながら北大も札医大も、遺骨返還に伴う情報公表でありながら、その歴史的経緯にはまったく触れず、自分たちが勝手につくったガイドラインに従って「返してほしければ返してやるよ」と言わんばかりの上から目線!

遺骨を「発掘」して、持ち帰り、ずさんな管理をして何十年も研究所の隅にダンボールに入れてほったらかしていながら、返してほしければ返すよ、名乗って来なさいという態度はいかがなものか。本来ならば、大学側が真剣に遺族を調べ、お返しに上がるのが筋ではないか。さらに、インターネットを見る事の出来ない方達への配慮は出来ているのでしょうか。問題がありすぎです。

ガイドラインとは国のアイヌ政策推進会議がつくった個人が特定されたアイヌ遺骨等の返還手続に関するガイドラインのこと。 その「3.返還に向けた手続」には、

「文部科学省は、ホームページ等で当該情報を周知するとともに、当該区域を管轄する市町村及び(公社)北海道アイヌ協会等関係機関に対して、当該情報の周知等の協力を求めるものとする。」

とありますが、きちんと行っているのでしょうか。

 

次に、気になったのが、以下の記事。

アイヌ民族遺骨2500箱安置可能 白老の慰霊施設概要 モニュメント先行整備(北海道新聞 10/10付

 全国の大学や博物館で研究目的などで保管しているアイヌ民族の遺骨を集約するため、政府が胆振管内白老町に2020年春に開設する「民族共生象徴空間」の慰霊施設の概要が9日、判明した。「墓所」となる建物には約2500の遺骨箱を収納する納骨室を確保。慰霊儀式を行う建物は約80人を収容できる規模とし、慰霊施設全体を象徴するモニュメントは先行して17年度末の完成を目指す方針だ。

 慰霊施設は、 国立アイヌ民族博物館 、国立民族共生公園とともに象徴空間内に設ける主要施設の一つ。ポロト湖畔東側の太平洋を眺望できる約4・5ヘクタールの高台に整備する。最大で一度に千人程度の訪問者受け入れを想定する。

 「墓所」の納骨室には、政府が13年に全国の大学に対して行った調査で個体ごとに特定できた遺骨1600体余りと、特定できなかった遺骨約500箱分を安置し、予備のスペースを設けることも想定。1体の遺骨箱は高さ29センチ、幅41・5センチ、奥行き67センチを基本とする。建物には約5千点の副葬品を保管する場所も設ける方向だ。(略)

ここで驚いたのは副葬品の数が「約5千点」と公表されたこと。はじめて見る数字です。北海道大学医学部アイヌ人骨収集経緯に関する調査報告書(2013.3 PDF)には、児玉作左衛門の「調査研究ノ大要」の一文を引用して、児玉自身が副葬品も多数発掘したと記述している部分を掲載しながらも(P.49)、副葬品盗掘に関しては一切調査してはいないし、公表もしていません。おかしなことです。

それともう一つ、2500の遺骨箱を収納する納骨室を確保したという記述部分。それだけ収納出来る大きさだよ、といういい方なのか、大は小を兼ねると言いますが、2500の数字に疑問。今現在、全国12大学に保管されている遺骨は、1624体。それに加えて特定出来なかったバラバラにされた遺骨500箱を単純に合計しても2100ほど。それなのに2500箱分のスペースを作り、さらに予備のスペースも用意するというのはいかがなものか。確かに、7月の報道では、国内の博物館など13施設から74体(後に苫小牧美術館に+2体)のアイヌ遺骨があったと報道(北海道新聞7/30)されたり、アメリカ(1体)やドイツ(17体)、オーストラリア(2体)などの海外の博物館にも保管されているという事実、さらに、過去に国立大学に行った遺骨保管のアンケートが、あまりに適当で再度、アンケート調査を行っているという報道もあったので、次々と増える可能性もありますが、それにしては多い数です。

ほかにも「モニュメントはアイヌ文様をあしらい、イクパスイ(捧酒(ほうしゅ)べら)をモチーフにしたデザイン」などの外装デザインもすでに示されていますが、慰霊施設の設置にいたる説明は明記するのでしょうか。なぜこんなに大量のアイヌ民族のご遺骨がここに集約されたかを謝罪と共に丁寧に説明するものを作るべきです。


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