郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

アウトローがささえた草莽崛起

2007年01月25日 | 幕末雑話
『博徒と自由民権 名古屋事件始末記』

平凡社

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こちらの方が表紙がきれいなので貼り付けましたが、中公新書版がありまして、そちらも古書になりますが安価ですので、もしもこの本に興味を持たれましたせつは、さがしてみてください。
中公新書版が昭和52年の発行ですから、かなり古い本なんです。しかし、最近になって知り、読みました。
自由民権運動については、昔、少々読みかじっていた時期があるのですが、ほとんど図書館で借りて読んでいまして、手元にありますのは、『加波山事件 民権派激挙の記録』のみでして、鹿鳴館のハーレークインロマンスで、ご紹介しました『秋霖譜 森有礼とその妻』を読み、なにか静岡事件の参考になりそうな本はないかとさがしていました。
といいますのも、『秋霖譜』では、時の文部大臣・森有礼の妻であったお常さんの運命が、実家の養子、広瀬重雄が静岡事件を起こしたことによって狂ったっだけではなく、静岡事件そのものの裁き方が、文部大臣夫人の身内がかかわっていたことで変わり、さらには、森有礼の暗殺にまで影響している、という話でして、少々、疑問を抱いたことにもよります。
それにどうも、著者の森本貞子氏は、明治の自由民権運動には、あまりお詳しくなさそうにお見受けしました。「静岡事件容疑者たちはいずれも天皇制保持主義者である。これまでの民権事件や、加波山事件、大阪事件などの首謀者の共和制主義者とはまるで異質だ」と書いておられるんですけれども、「共和制主義者」が天皇制否定論者という意味だとしますなら、私の知る限り、そんな自由民権論者はいません。民権論者の私擬憲法もいくつか読みましたが、天皇制を否定しているものはありませんでした。この当時、共和制という言葉が出てきましても、天皇を否定しての共和制ではないんですね。
ただ、静岡の自由民権運動が、伊勢神宮に直結した新興の神道教団、実行教信仰と重なっていたことは、森本貞子氏によって、初めて教えられました。この線から森有礼暗殺を考えられていることは、卓見かと思います。

疑問点というのは、以下です。
たしかに、実家の養子が総理大臣だった伊藤博文の命を狙い、重罪人となったことは、文部大臣夫人だったお常さんの立場を危うくしたでしょう。しかし、犯人の中に文部大臣夫人の身内がいる、ということが、事件の裁き方にどこまで影響したかは推測の領域になりますし、広瀬重雄が、国事犯ではなく、強盗事件のみを問題とされる破廉恥罪での裁きに甘んじたことが、すべて常夫人の存在ゆえ、というのもどんなものだろう、という気がしたんです。
森本貞子氏は、広瀬重雄がたびたび名古屋へ足を運んでいることを描写され、、静岡と名古屋の自由民権運動が、一続きのものであるようにも書いておられるのですが、それでいて、静岡事件の直前に起こった名古屋事件に触れておられません。広瀬重雄は、名古屋事件の容疑者になっていませんので、枝葉末節は省いたのか、とも思われますが、名古屋事件は静岡事件に先立ち、国事犯としてではなく破廉恥罪で裁かれた事件なのです。
それで手にしたのが、この『博徒と自由民権 名古屋事件始末記』でした。

なぜ、もっと早くに読まなかったのか、と思います。
この本によれば、尾張藩が維新時に仕立てた草莽隊には、博徒の親分を士分に取り立て、博徒組織そのままに歩兵隊として、戊辰戦争に参加させたものがあったのだそうです。他にも、庄屋層が隊長格になり、隊員は公募で集めた草莽隊もあったのですが、応募してきた者はほとんど、博徒予備群のような農村や城下町のアウトローであった、ということなんですね。

民富まずんば仁愛また何くにありやでご紹介しましたように、長州の奇兵隊をはじめとする諸隊が、アウトローの集団であったとしまして、 彼らのいない靖国でもの幕府歩兵隊も、大鳥圭介の証言によれば、ほとんどが江戸のアウトローであった、ということで、薩摩をのぞく幕末歩兵隊の主力は、アウトロー集団であった、ということになります。
幕府歩兵隊については、石高に応じて歩兵を差し出すようなお触れもありますし、フランス軍事顧問団が、「天領の良民の二,三男を」というような提言もしています。しかし、提言をしているということは、現実には大鳥の証言にあるように、博徒予備軍のようなアウトローを雇っていた、ということなのでしょう。
で、あればこそ、れっきとした旗本のお行儀のいい青年たちが、フランスの伝習を受けて士官になっても、とても統率のできる代物ではなかった、ということになります。
私は以前から、高杉晋作が奇兵隊を立ち上げながら、すぐに放り出し、奇兵隊への強い影響力を持っていなかったこと……、つまり功山寺挙兵において、奇兵隊を握っていたのが山縣有朋であり、山縣が決断するまで奇兵隊は動かなかったことを少々不思議に思っていたのですが、アウトロー集団である奇兵隊の統率も、高杉のように本質的にはお行儀のいいれっきとした藩士ではなく、山縣のような叩き上げでなければ、不可能だったのでしょう。
また、功山寺挙兵のとき、伊藤博文が立ち上げたという力士隊なんですが、なぜ力士なんだろう、と奇妙な感じを受けていました。これも、この本で謎がとけました。力士の興業は、博徒組織がかかわりますので、博徒が力士になることもありますし、力士とアウトロー集団とのつながりは、とても濃いというのですね。言われてみれば、たしかにそうです。
前原一誠が、攘夷戦でれっきとした藩士たちの干城隊を指導しましたとき、あまりにものの役に立たないので、憤慨した、という話がありましたが、三百年の太平は、れっきとした藩士をお役人に変え、軍学など、学問としては研究しても、現実の命をはっての闘争とはさっぱり無縁にしていたんですね。
武士が歩兵になることを厭うならば、農民商人はそれに輪をかけて嫌でしょう。お国を守るために武士が命をはらないのなら、なんのために武士を食わせているのか、ということになります。
慶喜公と天璋院vol1の余談で書きましたように、薩摩はちがいました。貧しい薩摩藩士たちは、歩兵となることを嫌がりませんでしたし、また歩兵を卑しむような気風がなかったのです。
徴兵制への薩長の温度差は、ここらあたりからきているのではないか、と、思ったりします。
ああ、そうでした。あるいは土佐も、ちがったかもしれないですね。土佐の郷士、庄野層は、勇猛な歩兵となりました。

話をもとにもどしましょう。
博徒草莽隊は、尾張藩の部隊の中ではもっとも果敢で、戊辰戦争に貢献するのですが、長州奇兵隊と同じく、使い捨ての運命にありました。解隊にあたって、士族身分が得られないということになりかかったのですが、これに猛反発した博徒隊員が直接中央政府に訴えて、ついに士族身分とわずかながらも秩禄保証を勝ち取ります。
しかし、失業は失業です。彼らは、博徒組織と密接な関係を保ちつつ、やがて同じく失業するにいたったれっきとした旧士族をも誘い、興業撃剣をはじめるんです。
博徒の親分、隊長級は、日頃から斬った張ったをやっていますから、士族の指南級の剣の腕前ですし、相撲興行を手がけていますので、興業はお手のものなのです。
そして、どうやら、その興業撃剣組織が、そのまま自由民権運動組織へと横滑りしていきました。単純な横滑り、というわけではなく、庄屋層や旧士族の反政府知識層の下に博徒組織があるような形、とでもいえばいいんでしょうか。アウトロー集団が知識層の下にある形は、自由民権檄派の他の騒動でもうかがえるのですが、尾張、三河の場合は、非常に博徒組織が強かった、というわけです。
やがて、松方デフレによる生活苦から、この地方の自由民権活動組織は、世直し強盗のようなことをはじめます。
取り締まる政府としては、国事犯となるような反政府自由民権活動は、当時、非常に人気がありましたので、弁の立つインテリ層を狙ってスターを作るよりも、博徒を狙う方が先、ということで、政府はまず、活動家とつながりがあると見られていた博徒組織の総検挙に踏み切り、その上で、自由民権組織の料理に取りかかったのです。
実際、強盗を繰り返した名古屋事件のメンバーにおいては、インテリ層が上にいたんですが、彼らはあまり他の強盗メンバーとかかわりを持たず、実質的なリーダーは博徒草莽隊の隊長格だった人物であったそうなのです。
だとするならば、です。静岡事件も、そうであったのではないか、と思うのです。
広瀬重雄は、旧幕臣のインテリ層です。そして、彼が実際にかかわった強盗事件はわずか2件であったとしても、です。彼の標榜する自由民権は、博徒と重なるアウトロー集団によって共有され、その集団が数多くの強盗事件を引き起こしている。見せしめ的に、彼らは名古屋事件と同じ破廉恥罪で裁かれたのではなかったでしょうか。
知識層からアウトロー集団を引きはがせば、牙はぬかれたことになり、大きな騒動は引き起こせない、ということになります。
実際、静岡事件は、最後の自由民権檄派事件となりました。
法廷で、国事犯としての主張をさせないために、官警が、常夫人を利用して、広瀬重雄を説得したということは、十分にありえるとは思うのですけれども。


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