ところがどっこい!です。白内障術後だったり、夏休みなどで「9月に入ったら少し観光客も減るだろうから」近くだからいつでも行けるし~~と。ところが9月の声を聞いても入場者は減るどころかうなぎのぼり。まるで狂騒曲。すでに45万人を突破。展示場入り口の大看板「やっと阿修羅に会える」は文字通り”やっと、やっと”だ。猫も杓子もの社会現象となった感があるが、それでも初めて仏像を見るという体験をする人がいることは、喜ばしいことだと思う。日本の文化や精神につかの間でも触れたという実感は、何らかの形や想いとなってその人の潜在意識に残るだろうから。
夕方だったら少ないかも・・・9日(水)4時過ぎに家を出た。その頃で130分待ちとの情報(携帯で現在状況がわかります)。4時20分到着、「わあ!」聞きしに勝る人の列、幾重にも巻いて。テントの中はミスト(霧状の冷水)が出ているので、それ程暑くはないけど、そこに到達(笑)するまでが西日を浴びて暑いこと!
でも、遠方からいらした方達を思うと、そのくらいなんでもない!なんでもない!
それに行列の中で、懐かしい人にばったりめぐり合ったのだし、15,6年ぶりだろうか。傍にいる背の高いお嬢さんは、あの頃はまだ小学生だった。その成長振りに月日の流れを感じるが、それにしても彼女のくるくるっと動くチャーミングな大きな目も美しさも、ちっとも変らない。そんな人もいるもんだなあ・・・と感心してしまった。「ゆっくりお電話しますね」と彼女。蛇行する列で何度か会っては離れての、慌しい会話だったが、後日ゆっくり積もる話を聞くこともあるだろう。
一時300分待ち状態になったが、まあ、なんとか一時間で館内へ。展示室へのエスカレーター前で20分くらい待ったかな~~でやっとやっと、入場。日曜日はなんと!天満宮の参道まで入場待ちの列が続いたそうだ。
閉館時間本日は、18:30まで延長(通常は17:00)阿修羅像の左右の顔、背面、着物の襞まで。ガラス越しでないので、直接対面している波長のようなものを感じることが出来て並んだ甲斐があったと思う。三つの顔それぞれの表情、見る角度を変えるとまた趣が変わる。八部衆像、十大弟子像、総てが出展されているのではないが、充分見ごたえがあり、迦楼羅像の烏天狗のようなユーモラスな顔の前では笑みがこぼれる。同じ空間で、前後左右じっくりとその姿や彫りのありようを見ることが出来る機会はこれが唯一最後であろう。次第に人波が引いていく中、何度も阿修羅像の周りをゆっくりと回った。阿修羅についてはネットでも色々な方が書いていらっしゃるし、ネット仲間の初ちゃんのブログにも【阿修羅展】を見ての詳細、鮮明な感想があります。
今更私が改めて書く必要もないと思う。一言で言えば”悪神だった阿修羅神が、仏心に帰依して善神となった”もの。眉をひそめたその哀しみと愁いは、我が所業に対する深い懺悔の心か、はたまた、人間の生来持ち合わせる善と悪とを憂いているのか?美少年を彷彿とさせる面差しに刻み込まれた愁いと哀しみの表情は、人々を魅了してやまな
阿修羅の俤を胸に、 九博を出た頃には丁度大きな夕陽が、住宅越しに山の端に落ちてゆこうとしておりました。(以下は阿修羅展図録より引用いたしました)
けふもまた いくたりたちて なげきけむ あじゅらがまゆの あさきひかげに(会津八一)
・・・六本の腕の左右二本ずつは、乱闘のすがたを示しているが、正面の日本の腕は強い合掌によってむすばれている。神経質な表情をもって、熱心に仏を拝んでいる。錯乱の涯の、衷心の祈りのすがたとでもいうべきであろうか。・・・(亀井勝一郎)