ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

あら!最後だと思ったら~~

2009-09-28 14:46:47 | 日々の中で

  

 先夜最後の『月下美人』が見事な花を咲かせた。直系15cmくらいか、「これで終わりね」と逝く夏を惜しむようなちょいとロマンティックな気持ちになって、八時頃から開き始め、香りが次第に漂う中、花びらがゆっくりと大きく開いていく様子を『今夏名残りの宵』とばかりにしみじみ味わった。ところがである、昨日庭に出てみたら、なんと!5つの鉢に合計15個の小さな小さな蕾が生まれているではないか?

あの『今夏名残りの宵』はなんだったの?

毎年月下美人の開花期間が長くなってきたのは感じていたが、この分では10月中花を咲かせるかもしれない。30数年前こっそり沖縄から持ち帰り、増やしてあちこちに差し上げたりして、今は5鉢(友人に分けるのも育成?中)になったが。

やはり地球温暖化?九州は亜熱帯化しつつあるとここ数年実感として感じている。夫サンのブログにも 不思議なカメムシを我が家でみつけ、調べたところアカギカメムシ(奄美大島以南に生息しているのが宮崎県門川町で大量に確認された・・・という記事と同じアカギカメムシであった。虫たちなど生き物は、人間がエコだ地球温暖化にどう対応すべきか、ウロウロああでもない、こうでもないと国の思惑がらみでモタモタしている間に、生物の本能に従って、地球上で己の住みやすい場所を見つけて移動している。珊瑚の卵も然り。遅れをとるのは、知的生物人間のみなのかもしれない。

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松本 透画伯の絵とエッセイ

2009-09-19 21:00:24 | 日々の中で

 

 高くなった(ように思える)透明な青空は鱗雲を浮かべ、彼方にはくっきりと稜線を見せる宝満山。窓ガラスを開け放した家の中を、心地よい涼やかな風が吹き抜ける。今年は残暑が短く、一気に秋へと季節が移ったようだ。夫さんのブログ蟋蟀庵便りの2008年3月の【一期一会、一会一生】にネットの方からコメントを頂いた。このエッセイは私の出身中学の松本 透先輩(画伯とよぶよりやっぱり先輩の方がしっくりくる)のことを書いたもので、それに対する感想をいただいたのだった。

「・・・人間的な魅力と力強さ、優しさが絵画にも表れている方で、優しい素敵な方だったことをよく覚えております。そのさいに頂いた松本画伯の詩を20年近くにもなりますが、ずっと取っております」(原文のまま)とあり、透さんが亡くなられたことをお知りになって、コメントを寄せてくださったのだ。

 思い出して、著作「阿蘇からの便り」を再読した。阿蘇の日常、旅先でのと想いや感想が、人柄そのままにさりげない爽やかな文章と、きらりと光る感性とユーモアを含んで綴られている。

阿蘇にアトリエを建てる時の、大工の棟梁とのやり取りなど方言での会話の面白いこと!苦悩もあった人生だったのだが、それがあっただけに巧まずして生まれた周りの人々との暖かい交流、随所にあるモノクロでさらっと描かれた山野草の挿絵も優しい。

妻子は博多で、松本さんは阿蘇の根子岳の麓に独り移り住んでいらしたので、阿蘇の山々の絵も勿論多いが、シルクロードやモロッコ、トルコなどを訪ねられた折の路頭にある人々の画像が私は好きだ。

松本透さんを紹介してくださったのは、卒業時3年生の時 の恩師Y先生。専門は国語。88歳のお祝いのクラス会に、遠方などからも20余名のクラスメートが集まってくれた時は、先生も喜んで下さったし、私もお世話して本当に良かったと思っている。

Y先生はもうご高齢で今は施設でお過ごしになっているが、百歳まで後数年。頑張っていただきたいと願っている。松本さんはまだ敗戦後の巷にはまだ何もないころ、やっと新制中学が出来た時の先生の教え子だ。私にとっては大先輩である。

物資などない焼け跡からの復興の時代だから、やっと学校に通える嬉しさをかみ締めながら、貧しい日本のそれでも前途に希望を抱いた日々を、先生と生徒が心を合わせて頑張ってきた、そんな中での師弟のつながりは、親子のように強かったようである。

    

コメントを寄せて下さったかたがお書きになっているように、人柄の優しい先輩であった。癌に侵されながらも、最期まで笑顔を絶やさずその個展には、先輩が美術の教師であった中学校の生徒達も集まり、和やかな交流の輪があちこちに出来ていた。墨で描かれた絵手紙も素敵だった。天国でも絵筆を握り、エッセイを書き綴っていらっしゃるに違いない。(2002年11月14日ご逝去)(写真はクリックしていただけば大きくなります)

エッセイ「阿蘇からの便り」は、葦書房より1992年刊行。

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誰が名付けた”シルバー・ウイーク”

2009-09-19 17:47:13 | 日々の中で

9月17日(金) 

 耳にシルバー・ウイークという言葉が飛び込んできた。「えっ、老人週間?なんだろ?」我らに何か特典のある週間?

いえいえ、初夏のゴールデン・ウイークの向こうを張って、秋はシルバー・ウイークだそうだ。しかし、シルバーという言葉に、私のような反応を示した人も多いのではないかしら。シルバーセンター、シルバー割引、シルバーなんとか・・・。日本人って、数字をもじっての「XXXの日」とか「なんとか週間」などネーミングが好きだなあ。

そうかあ、明日から世間は5連休なんだ。でも、我らシルバーには縁がないというより世間様の邪魔にならないよう、もみくちゃな人出に転倒したり、無様なことにならないよう、まずは外出せず、読書なり、なんなりのびやかに優雅に過ごすことにしよう。我らリタイヤ組は・・・常時【ダイヤモンド・ウイーク】なのである。お金はなくとも、縛られない時間はたっぷりあるのだから。あとは、それぞれ、【時間の使い方、過ごし方】次第。秋到来、つくつくぼうしの声もひそやかになり、虫の鳴き声、秋の草花、少しずつ色づき始めた樹木~~冬衣に季節が変わるまで、身近に楽しめる自然がある。それにしても、早く新型ウイルス鎮火して欲しいものだ。この辺りはさほどのことはないが、孫の住む横浜周辺では、かなり学級閉鎖などが続いているようで、案じられる。

9月18日(土)

 夕刊を読んでいた夫が素っ頓狂な声を上げた「在任2日で月給230万円だって!」

8月30日の衆議院選で当選した議員さん達に、8月分の給与として約230万円が支払われたという。衆院には「けしからん!」とのクレームが寄せられているそうだが、返納すると公選法違反の寄付に当たるので、返却も出来ないという。「ふざけんなよ」って一喝してやりたい、と夫はそんな顔をしている。

2日間で・・・230万円!!世の中にはリストラで食べることも住む場所にも事欠いている人たちが溢れているのに!230万!一人の議員さんの一ヶ月の給与で、どれだけの人が当座なりと食べて寝るだけの人としての最低の生活を賄えるのか?貰った議員さんX230万。まとまれば有意義な使い方も出来る筈。もともと国民の税金から支出されたのだし。返却が規則上寄付となるなら・・・・いったん受け取って、【今までの政治のあり方】で生活にも困る人達への救済に当てる寄付として・・・それも規則違反なのだろうか?釈然としない気持ちである。

2日間で230万円!「選挙直後はさまざまな借金があり、多くの議員が支払いに負われているから助かる」との声が議員さんからは聞かれるというが。【お金をかけなければ選挙が出来ない】こと自体がおかしいのです。選挙はお金次第~~という、そんな実情を打破しなければ!と国民の一人ととろさんは、230万円という老後生活者にとっては、大金の、議員さんにとっては月給、それも今回は2日間の・・・に憮然としております。今までずっとそういう形で支払われたお金は積もり積もるとどれだけになるか?オープンにしてほしいものです。でも、こんな声、上には聞こえないんだよな。

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阿修羅展、その1、阿修羅への想い。

2009-09-15 08:57:45 | 日々の中で

興福寺建立より時を隔てること千三百年、日本人にこよなく愛されてきた阿修羅像がその全貌を人々の前に顕す【国宝・阿修羅展】が、東京に続いてて九州国立博物館でも、7月13日幕を開けた(最終日は9月27日)

Img_2171 阿修羅を初めて見たのは、学生時代の教科書、その哀しげな憂いを含んだ顔に強く惹きつけられた。夫も同じだった、いや、私よりもっと深い感動を覚えていたようだ。だから二人で奈良へ「阿修羅に会いに行こう!」夢の一つだったが、当時はまだ簡単に若い二人が旅をする時代ではなく、実現したのは随分とあとのことだった。阿修羅のみならず、奈良には、訪れるたびに魅了されるものがある。

長女は私達の奈良への旅の案内人、彼女は友人の女子大の寮(女子大生なら一泊500円で泊まれたそうだ)や手軽でお気に入りの定宿を見つけ、足しげく通っていたから、奈良の地理は掌をさすようなもの、随分と助かった。娘の頃は私の若い時代とは違って、日本は高度成長時代に入り、女性の独り旅も親にストップかけられることもなくなった。旅一つとっても時代の移り変わりは大きい。1300年、日本のそれぞれImg_2163の時代を阿修羅はどんな思いで眺めてきたのだろうか。長い人生の中には、辛い哀しい時もある。そんな時、壁にかけた阿修羅像の写真の前に祈る想いで佇んだものである。暮れなずむ海辺と阿修羅は・・・哀しみという言葉に連動する”私の情景” いくばくの時が今の私に残されているかはわからないが、今はその二つの哀しみの情景は”安らぎの情景”と変化したことを、嬉しく想っている私である。

今回は三つの顔も後姿も全部見ることが出来る。”阿修羅に会いたい!

 

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阿修羅展 その2 阿修羅狂騒曲

2009-09-15 08:56:09 | 日々の中で

ところがどっこい!です。白内障術後だったり、夏休みなどで「9月に入ったら少し観光客も減るだろうから」近くだからいつでも行けるし~~と。ところが9月の声を聞いても入場者は減るどころかうなぎのぼり。まるで狂騒曲。すでに45万人を突破。展示場入り口の大看板「やっと阿修羅に会える」は文字通り”やっと、やっと”だ。猫も杓子もの社会現象となった感があるが、それでも初めて仏像を見るという体験をする人がいることは、喜ばしいことだと思う。日本の文化や精神につかの間でも触れたという実感は、何らかの形や想いとなってその人の潜在意識に残るだろうから。

Photo 夕方だったら少ないかも・・・9日(水)4時過ぎに家を出た。その頃で130分待ちとの情報(携帯で現在状況がわかります)。4時20分到着、「わあ!」聞きしに勝る人の列、幾重にも巻いて。テントの中はミスト(霧状の冷水)が出ているので、それ程暑くはないけど、そこに到達(笑)するまでが西日を浴びて暑いこと!


でも、遠方からいらした方達を思うと、そのくらいなんでもない!なんでもない!

それに行列の中で、懐かしい人にばったりめぐり合ったのだし、15,6年ぶりだろうか。傍にいる背の高いお嬢さんは、あの頃はまだ小学生だった。その成長振りに月日の流れを感じるが、それにしても彼女のくるくるっと動くチャーミングな大きな目も美しさも、ちっとも変らない。そんな人もいるもんだなあ・・・と感心してしまった。「ゆっくりお電話しますね」と彼女。蛇行する列で何度か会っては離れての、慌しい会話だったが、後日ゆっくり積もる話を聞くこともあるだろう。

Photo_2 Photo_3一時300分待ち状態になったが、まあ、なんとか一時間で館内へ。展示室へのエスカレーター前で20分くらい待ったかな~~でやっとやっと、入場。日曜日はなんと!天満宮の参道まで入場待ちの列が続いたそうだ。

Img_2700 閉館時間本日は、18:30まで延長(通常は17:00)阿修羅像の左右の顔、背面、着物の襞まで。ガラス越しでないので、直接対面している波長のようなものを感じることが出来て並んだ甲斐があったと思う。三つの顔それぞれの表情、見る角度を変えるとまた趣が変わる。八部衆像、十大弟子像、総てが出展されているのではないが、充分見ごたえがあり、迦楼羅像の烏天狗のようなユーモラスな顔の前では笑みがこぼれる。同じ空間で、前後左右じっくりとその姿や彫りのありようを見ることが出来る機会はこれが唯一最後であろう。次第に人波が引いていく中、何度も阿修羅像の周りをゆっくりと回った。阿修羅についてはネットでも色々な方が書いていらっしゃるし、ネット仲間の初ちゃんのブログにも【阿修羅展】を見ての詳細、鮮明な感想があります。

今更私が改めて書く必要もないと思う。一言で言えば”悪神だった阿修羅神が、仏心に帰依して善神となった”もの。眉をひそめたその哀しみと愁いは、我が所業に対する深い懺悔の心か、はたまた、人間の生来持ち合わせる善と悪とを憂いているのか?美少年を彷彿とさせる面差しに刻み込まれた愁いと哀しみの表情は、人々を魅了してやまな

Photo_4阿修羅の俤を胸に、 九博を出た頃には丁度大きな夕陽が、住宅越しに山の端に落ちてゆこうとしておりました。(以下は阿修羅展図録より引用いたしました)

けふもまた いくたりたちて なげきけむ あじゅらがまゆの あさきひかげに(会津八一)

・・・六本の腕の左右二本ずつは、乱闘のすがたを示しているが、正面の日本の腕は強い合掌によってむすばれている。神経質な表情をもって、熱心に仏を拝んでいる。錯乱の涯の、衷心の祈りのすがたとでもいうべきであろうか。・・・(亀井勝一郎)

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