チ・チ・チとメジロのカップルが蜜柑を催促している。朝の光が徐々に広がり空も青く澄んで、2月最後の日は明るく眩しく始まった。風は冷たいが”春来る先駆け”があたりに漂っているような感じで、今日も元気に一日が始まるなと嬉しくなった。
ご隠居と九博へ。明日が特別展【百済展】の最終日。今年は何だか忙しくて、まだ足を運んでいなかったので急ぎ見に行った。町内を通り抜けて博物館に向かう道すがら、白・赤・ピンク・枝垂れと咲き匂う梅の花を愛でながら。展示の出土品などに、改めて百済と太宰府の結びつきなどを感じた。
(団地の中でいろんな梅が)太宰府と言えば【梅の花】この団地もそれぞれの家に1本か2本は梅の樹木があるので、白この季節は胃ながらにして、梅を、早春の香りを楽しむことが出来る。天満宮の6千本だったか、沢山の梅も次々に開花して、観光客で賑わっている。
博物館から天満宮への七色のエスカレーターを降りながら、「ちいちゃん、お礼参りに来れるのかしら」とご隠居と話す。孫は今年大学受験。父親とも母親とも全く違う系列の学校を希望。M美大とT美大を受けた。お蔭でどちらも【桜咲く】になり、第一志望のM美大に進むそうだ。美術系の大学なんて、私の遺伝子ではないことは確かだ。物作りも書も絵も音楽もほんとに苦手で、劣等感の塊みたいな私だから。でも、私の父方には多少そういった傾向に長けていたの達がいる。ご隠居の母親も、また婿の方にも・・・。そんな遺伝子が作用したのかなあ・・・。
いずれにせよ、孫が自分で選択した進路、まずは第一段階クリアー、本人も娘夫婦もほっとしたことだろう。好きな道を歩けることを、私達も祖父母として心から喜んでいる。私は自分の進みたい学校を目指すことが出来なかった。周りの様々な事情で、親に言い出す前にその思いを断ち切った。そういう人は私達の世代には多い。戦中・戦後のあの時代だから、無理を通すことは出来なかった。
今の子供達は経済的には恵まれている子が多いだろう。バイトも苦学生ではなく、楽しみの為という学生も多いようだ。だが、教育界・家庭、さまざまな問題があり、折角の学ぶ権利を放棄して、登校拒否せざる得ない若者も沢山いる。心を病む若者も多い。
志望校に合格しなかったからと、道を誤る若者もいる。でも、それぞれの学校にはそれぞれの特徴も良さもある。運命が与えた学校の中で、自分を生かすことを考える、それも佳き選択と思うのだが。思うような道を選べなかったらつまらないと、自分を投げ捨ててしまうのだけは避けて欲しいものだと思う。何処にいてもどんな環境でも、自分を失わないでいて欲しいと心から願う。
それにしても・・・どこか歪なこの社会の皺寄せが子供達の上に及んでいるようで、ニュースなどには、心を痛める報道が多い。何とかならないものか。トシヨリはただただ憂うるばかりである。
天満宮や道すがらの紅梅・白梅に目を留めながら、久しぶりに歩いたなという実感。3月春到来とともに、また早朝散歩を始めようかな。
坂東三津五郎さんが亡くなられた。膵臓癌と聞いた時から案じてはいたが、一度元気に復帰、また休養。59歳。早すぎる!治療に万全の手は尽くされたのだろうが。私は切ったりしないで癌を消失させているので(粒子線照射)、ついどんな治療をなさったのか?など、余計なことかもしれないが気になってしまう。
坂東流の家元さんで、仲の良かった勘三郎さんとのコンビでの狂言【棒縛り】など強く印象に残っている。まだまだ後進を導き、軽やかな踊りを見せて欲しかったし、芝居でもきちんとした芸風に、最近は洒脱さや大きさも加わって、歌舞伎界の重鎮として活躍して欲しかったのに。ナレーターを勤めても良し、口跡も良かったなあ・・・いずれにせよまた寂しくなった。
いつも思うのだが、主役級の役者さんは、25日間のぶっ通し公演に加えて、テレビなどでも休む暇などない程なのは、余りに過酷すぎるのではないだろうか。『役者は舞台に出てなんぼ、休むと自分も不安になってしまう』とは聞いているが。身体管理、ちゃんとしてはいるのだろうが。こう続くとそんなことを考えてしまう。ご冥福を祈るしかない。人間って運命が決まっているのかもと考えてしまう昨今である。
梅の花にちなんで、お食事処【梅の花】太宰府店へ。遠州流の家元の住いを買い取って開店しただけに、雅な風情が漂う。(節分の頃に行ったお店)
(灯りともる路地・あちこち有田焼の陶板が使われている)
ここはお豆腐料理のお店。湯葉を作りながらいただくのが美味しくて楽しい。アメリカから帰省した娘はこんなお店や海鮮料理に歓声をあげた。やはり日本らしい和風料理を味わうのは、滅多に帰省出来ない娘の最大の楽しみなのだと思う。
明日から弥生、3月が始まる。梅が終われば桜がほころぶ。足元には可愛い野の花も季節を彩ってくれる。啓蟄(今年は3月6日)の頃には小さな生き物たちも、元気に春を謳歌することだろう。長い冬を経て生まれる春の息吹。その息吹きを心身で感じながら、パステルカラーに染まる芽吹きの時を、軽やかに(気持ちだけは)過ごしたいと願う。