ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。旅やアメリカでの話、趣味のことなどなど・・・自分の覚書を兼ねて。

弥生前日、早春の気配濃くなって。

2015-02-28 20:02:38 | 日々の中で

  

チ・チ・チとメジロのカップルが蜜柑を催促している。朝の光が徐々に広がり空も青く澄んで、2月最後の日は明るく眩しく始まった。風は冷たいが”春来る先駆け”があたりに漂っているような感じで、今日も元気に一日が始まるなと嬉しくなった。

 ご隠居と九博へ。明日が特別展【百済展】の最終日。今年は何だか忙しくて、まだ足を運んでいなかったので急ぎ見に行った。町内を通り抜けて博物館に向かう道すがら、白・赤・ピンク・枝垂れと咲き匂う梅の花を愛でながら。展示の出土品などに、改めて百済と太宰府の結びつきなどを感じた。

  

(団地の中でいろんな梅が)太宰府と言えば【梅の花】この団地もそれぞれの家に1本か2本は梅の樹木があるので、白この季節は胃ながらにして、梅を、早春の香りを楽しむことが出来る。天満宮の6千本だったか、沢山の梅も次々に開花して、観光客で賑わっている。

  

博物館から天満宮への七色のエスカレーターを降りながら、「ちいちゃん、お礼参りに来れるのかしら」とご隠居と話す。孫は今年大学受験。父親とも母親とも全く違う系列の学校を希望。M美大とT美大を受けた。お蔭でどちらも【桜咲く】になり、第一志望のM美大に進むそうだ。美術系の大学なんて、私の遺伝子ではないことは確かだ。物作りも書も絵も音楽もほんとに苦手で、劣等感の塊みたいな私だから。でも、私の父方には多少そういった傾向に長けていたの達がいる。ご隠居の母親も、また婿の方にも・・・。そんな遺伝子が作用したのかなあ・・・。

 いずれにせよ、孫が自分で選択した進路、まずは第一段階クリアー、本人も娘夫婦もほっとしたことだろう。好きな道を歩けることを、私達も祖父母として心から喜んでいる。私は自分の進みたい学校を目指すことが出来なかった。周りの様々な事情で、親に言い出す前にその思いを断ち切った。そういう人は私達の世代には多い。戦中・戦後のあの時代だから、無理を通すことは出来なかった。

 今の子供達は経済的には恵まれている子が多いだろう。バイトも苦学生ではなく、楽しみの為という学生も多いようだ。だが、教育界・家庭、さまざまな問題があり、折角の学ぶ権利を放棄して、登校拒否せざる得ない若者も沢山いる。心を病む若者も多い。

志望校に合格しなかったからと、道を誤る若者もいる。でも、それぞれの学校にはそれぞれの特徴も良さもある。運命が与えた学校の中で、自分を生かすことを考える、それも佳き選択と思うのだが。思うような道を選べなかったらつまらないと、自分を投げ捨ててしまうのだけは避けて欲しいものだと思う。何処にいてもどんな環境でも、自分を失わないでいて欲しいと心から願う。

 それにしても・・・どこか歪なこの社会の皺寄せが子供達の上に及んでいるようで、ニュースなどには、心を痛める報道が多い。何とかならないものか。トシヨリはただただ憂うるばかりである。

 天満宮や道すがらの紅梅・白梅に目を留めながら、久しぶりに歩いたなという実感。3月春到来とともに、また早朝散歩を始めようかな。

 坂東三津五郎さんが亡くなられた。膵臓癌と聞いた時から案じてはいたが、一度元気に復帰、また休養。59歳。早すぎる!治療に万全の手は尽くされたのだろうが。私は切ったりしないで癌を消失させているので(粒子線照射)、ついどんな治療をなさったのか?など、余計なことかもしれないが気になってしまう。

 坂東流の家元さんで、仲の良かった勘三郎さんとのコンビでの狂言【棒縛り】など強く印象に残っている。まだまだ後進を導き、軽やかな踊りを見せて欲しかったし、芝居でもきちんとした芸風に、最近は洒脱さや大きさも加わって、歌舞伎界の重鎮として活躍して欲しかったのに。ナレーターを勤めても良し、口跡も良かったなあ・・・いずれにせよまた寂しくなった。

 いつも思うのだが、主役級の役者さんは、25日間のぶっ通し公演に加えて、テレビなどでも休む暇などない程なのは、余りに過酷すぎるのではないだろうか。『役者は舞台に出てなんぼ、休むと自分も不安になってしまう』とは聞いているが。身体管理、ちゃんとしてはいるのだろうが。こう続くとそんなことを考えてしまう。ご冥福を祈るしかない。人間って運命が決まっているのかもと考えてしまう昨今である。

梅の花にちなんで、お食事処【梅の花】太宰府店へ。遠州流の家元の住いを買い取って開店しただけに、雅な風情が漂う。(節分の頃に行ったお店)

 

(灯りともる路地・あちこち有田焼の陶板が使われている)

   

    

 ここはお豆腐料理のお店。湯葉を作りながらいただくのが美味しくて楽しい。アメリカから帰省した娘はこんなお店や海鮮料理に歓声をあげた。やはり日本らしい和風料理を味わうのは、滅多に帰省出来ない娘の最大の楽しみなのだと思う。

明日から弥生、3月が始まる。梅が終われば桜がほころぶ。足元には可愛い野の花も季節を彩ってくれる。啓蟄(今年は3月6日)の頃には小さな生き物たちも、元気に春を謳歌することだろう。長い冬を経て生まれる春の息吹。その息吹きを心身で感じながら、パステルカラーに染まる芽吹きの時を、軽やかに(気持ちだけは)過ごしたいと願う。

 

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如月・梅見月そして恒例2月花形歌舞伎。

2015-02-17 20:54:44 | 映画・観劇・コンサートなど

    

(ご隠居さん撮影)

如月19日は旧正月、お雑煮好きな我が家ではもう一度お正月気分を味わうことにしている。梅見月ともいうように、町内のあちこちの梅も、太宰府天満宮の梅苑も梅の季節を迎えた。

旧正月は隣国では春慶月、天満宮もツアー客で益々賑やかになることだろう。花粉やPM2,5も増えて来る季節、ご隠居は少し花粉症気味、私は花粉はなんともないのだが、PM2,5が多い時は確実に頭痛と肩の辺りがズキンズキンと、いやな症状になる。まあ、我慢できない程でもないが・・・どんより空も鈍色になるし、有難くない隣国あたりからの空の来訪者である。環境問題も隣の大きな国にとっても切実な問題だと思うのだが。

先日来ギックリ腰で余り動けなかった時、福岡の友人夫婦が『何も用意しないでいいから、お弁当持ってくるからね』と、西中洲の【藤よし】という焼き鳥の店(開業してもう50年以上になる老舗)の鶏弁当(ボリュームもあり、美味)と信州松本へ旅したお土産を持参して、お見舞い兼ねて訪ねてくれた。だいぶ楽になっていたので、茶わん蒸しを作ってお弁当に添え、旅の話などを聞く。真っ白な雪原や銀嶺輝く山並みを見たいという、強い雪景色に対する憧れがずっとあるのだが、何故か実現しないままだ。今年は無理みたいだから~~来年こそは!実現させよう!

二月博多座花形歌舞伎

市川染五郎の【伊達十役】(劇場内にはこんな大きなパネルが。この前で記念写真撮っている人達も沢山。 

 

 (博多座内)                   (博多人形 ”暫(しばらく)”   

 

染五郎の【慙紅葉汗顔見勢(はじもみじ あせのかおみせ)】
 
出演は10役早変わりの染五郎・秀太郎・孝太郎・右近・笑三郎・松也・亀蔵・若手の廣太郎・隼人・米丸など。

 江戸時代七代目團十郎が25歳の時に初演。夏芝居として上演したので役者が揃わず(夏場には大物役者は休みを取る習わしだった)「えい、独りで演ってしまえ!」となんと独りで10の役柄を演じたという。「恥も顧みず紅葉のように大汗かいて赤い顔で演じますが平にご容赦」という意味でつけた外題とか。江戸っ子らしい洒落っ気に富む外題です。名優七代目團十郎若き日の心意気が伺える面白い挿話です。

 その後ずっと途絶えていたのを、猿翁(三代目猿之助)が復活。昭和54年(1979)明治座で上演。大当たりをとり、全く歌舞伎を知らない人が「サルノスケのイタチの十役のチケットを下さい」と買いに来たという実話も残っています。台本すらのこっていなかったので殆ど創作に近い芝居でと言えましょう。

 有名な仙台の伊達家騒動を骨子に『はらはへってもひもじゅうない』千松のいじらしいセリフで有名な政岡の【銘木仙台萩】や殺し・幽霊の【累ヶ淵】【高尾太夫】の話など、歌舞伎の要素を盛り沢山に、伊達騒動の始まりから決着までを通し狂言のようにまとめた内容となっています。技巧派、外連味の多い【芝居は面白くなくては】の猿翁らしい演出です。

 まずは染五郎さんの頑張りと裏方さん達のご苦労に乾杯!!若手だと思っていた染五郎さんが仁木弾正や政岡を演じるように、もう歌舞伎界の重鎮にと思うと嬉しくなります。
 
一幕目は早変わりオンパレード、目を凝らしていても、見抜けません。二幕目は【銘木先代萩】として有名な乳人政岡とその子千松の場。若君鶴千代暗殺を防ぐため、我が子千松を嬲り殺しにされながらもじっとこらえる政岡、母の為お主のために、子供ながらわが身を犠牲とする千松。現代では考えられぬことですが、この時代武士はまず主家への忠義、そのためには親も子も犠牲になることもいとわぬ、そんな時代の話ですが、子を失う母親の嘆き悲しみは、時代を超えて観客の胸を打ちます。
栄御前の秀太郎さんは、この方が出ると大阪の色・雰囲気が漂います。赤姫から老け役まで演じられる秀太郎さんには、いつまでもお元気でこれからも若い役者さんを育てて下さいとお願いしたい気持ちです
 
染五郎さんの政岡、きちんと丸本物らしく演じてよかったなあ。千穐楽まで出ずっぱり、膨大なせりふ、早変わり、宙乗りと大変だろうなと思いますが、役者さんって凄いなと改めて感じたことでした。
 
早変わりや場面転換、裏方さんがあってこそ、舞台も脇の役や三階サンが揃って充実した舞台になります。だから私は腰元さんや並び大名の方々もしっかり拝見しています。お馴染みのお顔が見えると嬉しくなります。ご隠居さんは大向こう・掛け声を楽しんでおりましたが、今回は他に大向こうの方がいらっしゃらなくて。お上手なAさんもお休みのようでしたし。毎日通うのは、歌舞伎大好きでもやっぱり大変ですから。
 
 今回の歌舞伎のことについて、興味のある方は、 
 
http://blogs.yahoo.co.jp/okuni_noriko (ととろの歌舞伎観たまま感じたまま新・新)
をご覧くださいませ。こちらで色々お喋りしておりますので。
 
我が家の白梅はまだつぼみが固い。が日一日と季節は歩みを進める。PM2,5や黄砂や花粉に悩まされる春の訪れでもあるけど、それでも春うららな明るい陽射し、自然が眠りから覚めて生き生きと動き出す季節の到来は待ち遠しいものだ。
 
 春の夜の闇はあやなし梅の
                色こそ見えね香やはかくるる 
 
                               凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね
 
こんな和歌が教科書に載っていたっけ。昔覚えたものは、いつでも思いだせるのに・・・
最近のことは忘れがち。やっぱりワタシも・・・あはは。
 
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こいつぁ春から・・・・

2015-02-07 13:49:54 | 日々の中で

 気がついたら「もう2月も半ば近くに」なってしまっていたというのが実感、1月は駆け足で過ぎて行った。急ぎ足の1月を振り返ると・・・。

さて、ささやかな”こいつぁ春から縁起がいいわぇ。”は歌舞伎【三人吉三】の”お嬢吉三の名せりふだが(ただし三人とも白波(泥棒)サンだから、手に入った100両は宝くじに当たったわけではないが)

ととろサンの、年の初めのささやかな”縁起がいいわぇ”は。

・暮れに行った天ケ瀬温泉で【店巡り葉書】に応募していたら、”めい”のお婿サン、なんと2等賞に当って天ケ瀬ご当地名産物が婿の実家に届いたそうだ。マサ君の今年の運勢上々なスタートだ。

ローカルな温泉地の真面目な町興しの心が籠っていて嬉しくなった。観光協会やお店など地元の人達の笑顔、優しかったなあ。

 

・我が家には銀行や新聞社からこんなものが。

 

庶民の我ら、こんなささやかな品でも【当たりました!】は嬉しいものだ。やっぱり縁起がいいわぇと思ってしまう。

同窓生の友人が20年間保護司を勤めて、叙勲の栄誉をうけた。仲間達でお祝いの会が開催。東京など遠方からも仲間が集まった。

彼Oサンは長年地域や学校関係の福祉なども続けていて、同窓会の世話も。病気になられた奥さんの世話を家で、娘さんと介護しながら~~。頭が下がる。保護司という仕事はほんとにほんとに大変な役目だから。これも仲間としてとても嬉しい”縁起がいいいわぇ”である。(和紙絵画作家の同窓生が作品贈呈)

・友人から『おめでとう』と℡。てっきり今年初の℡だからの『おめでとう』だろうと思ったが。『あら!貴女知らないの?』『はぁ?』『貴女の書いたのが昨日の夕刊に載っているよ』

すっかり忘れていた。年の暮れに毎年関東に住む友人や娘に博多雑煮の出汁をとるに使う焼きアゴや、具として使う青菜の「かつお菜」などを送っているのだが、ふと書きたくなって投稿した。ご隠居がお正月の新聞に目を通し、バツになったみたいだねと。で、すっかり忘れてしまっていた。前に投稿したのは、何年前だったか。それも採用してもらったが、投稿するのが趣味ではないので、それきりだった。(亡くなった母と【昔はアラか鯛だったが、いつの間にか鰤が主流になったね」と話したことがある。母はやっぱり鰤より白身の鯛やアラを使っていた)

 ご褒美(子供みたいな表現ですが)に図書券をいただいた。私にとっては何よりの贈り物だ。これもささやかながら”こいつぁ、春から縁起がいいわぇ”の一つだなとすっかり忘れていただけに、思わずにっこりだった。

だが、

こんなことは・・・余り良くはないことだが・・・

 久々に帰省した次女”めい”ゆっくり滞在出来たのだが、なんと!ヘルペスに罹ってしまった。思いもしなかった発症と正月明けまで病院休み中で、治療が遅れたぶん、治るまで日数がかかって点滴に通う日々だった。医者は【安静に】と。

 それでも何とか近場の温泉へ。娘は『治っていても痕があるから、他の人に悪いから~~と』と気にするので、露天風呂・内風呂が個室についている温泉を選んだ。このスタイルの温泉、私達も最近は気に入っている。ゆっくり静かに過ごせるし、気ままに何度も温泉を楽しむことも出来る(宿泊代もそれ程高くはない)

 美味しい海鮮も私の家庭料理も味わって、2月初めにアメリカへ戻っていった。『何にも手伝い出来なくてごめん』と私に。『次は来夏沖縄で一緒に潜ろうね』とご隠居とダイビングの約束をして、少しやつれた表情ながらも、笑顔を見せて帰って行った。それまでにはご隠居の膝も、潜れるようには回復することだろう。リハビリに努めているから。

 折角の帰省の後半散々だった娘だが、婿の実家に滞在中の発症でなくてよかったし、帰りの飛行機の変更もしないでどうにか帰れたのは、結果オーライと考えるべきだろう。

(横浜の娘一家は受験生がいるので、今年帰省は出来なかった。【桜咲く】になって春に一家で帰って来れるといいなと願う。体調崩さないで日頃の力が発揮できれば、大丈夫だろうと何となくそんな風に思うととろオバアだが、それでも学問の神道真公に、孫の祈願を)

もう一つ、笑い話のような・・・

毎年年賀状の整理をすると、記念切手数枚とか時には【ふるさと便】などが当たっていたのだが、なんと一枚の記念切手も当たってなかった。こんなことは初めてのこと。けれど、賀状はやはり日頃無沙汰の方の消息を知り、想いを馳せることが出来るので、出来るだけ続けたいなとご隠居と話している。

そして極め付け?は私のギックリ腰。動けない程の重症ではないのだが、まだ痛みをこらえながらソロリ・ソロリと動いている。明日ははご隠居さんと参加する会があり、何とか出掛けたいとは思っているのだが。

庶民の我ら、なんとつつましやかな”縁起の良しあし”の年の初めであることよ!(笑)

コメント (19)
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