私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 



大型の擦弦楽器を担いで演奏する姿の図。コロンビアの寺神戸亮演奏のバッハの無伴奏チェロ組曲全曲のCDに関連したスペシャルコンテンツ掲載の図。

最近古楽の世界の一部で、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ(Violoncello da spalla)と言う楽器が話題となっている。日本では、ヴァイオリン奏者の寺神戸亮が、この楽器で演奏会を行い、最近バッハの無伴奏チェロ組曲全曲を録音し、デノン・レーベルから発売された。寺神戸はこのCDの解説書や自身のブログなどで、この楽器について述べ、バッハは無伴奏チェロ組曲を、バッハが発明したと言われるヴィオラ・ポムポーサ=ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラで演奏することを想定して作曲した可能性があるとまで主張している。寺神戸は、ヴィオール属の楽器の一つ、ヴィオラ・ダ・ブラッチョから現在のヴァイオリン属の楽器が生まれた過程で、様々な名称が使われ、その中のヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ、ヴィオロンチェロ、ヴィオロンチーノ、ヴィオラ・ポムポーサ、ヴィオロンチェロ・ピッコロなどの名称は、同じ楽器を指す可能性があると言う論理を展開している。原典にヴィオロンチェロという指定があった場合でも、それが現在チェロとして知られている楽器ではなく、肩で支えてヴァイオリンやヴィオラと同様な弾き方をする楽器、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの可能性があると主張しているのである。
 バッハの作品に於けるヴィオロンチェロ・ピッコロ、ヴィオラ・ポンポーサそれにヴィオロンチェロ・ダ・スパッラが同じ楽器であるという考えは、決して新しいものではない。1936年版の「バッハ年刊」に、ハインリヒ・フスマンの「ヴィオラ・ポムポーサ」と題する論文が掲載されており、その中でバッハが9曲の教会カンタータで、ヴィオロンチェロ・ピッコロを使用していること、そのパート譜の多くが1オクターブ高く、ト音記号を用いて書かれていること、また2つのカンタータでは、第1ヴァイオリンのパート譜に書かれていることを根拠に、この楽器がエルンスト・ルートヴィヒ・ゲルバーの音楽事典のバッハの項で触れられているヴィオラ・ポムポーサである可能性が高いと結論づけている*。さらにフスマンは、マッテゾンの「優れたヴィオロンチェロ、バス・ヴィオラそしてヴィオラ・ディ・スパラは小型のバス・ヴァイオリンで、大型のものに比較して5弦あるいは6弦を有し・・・」という文章を引用して、これらの楽器、特にヴィオラ・ダ・スパッラが、ヴィオラ・ポムポーサと同一の楽器であると述べている。E. L. ゲルバーは、ヴィオラ・ポムポーサについての情報をおそらく彼の父で、ライプツィヒ時代のバッハに教えを受けたハインリヒ・ニコラウス・ゲルバーから得たと思われるが、「・・・彼によってヴィオラ・ポムポーサと名付けられた、ヴィオラよりやや大きく、チェロと同様の4弦に加えさらに5度高いe弦を有し、腕で支える楽器を発明させた・・・」と記している**。このゲルバーの記述は、確かにバッハについての項目に含まれており、ヴィオラ・ポムポーサという名称が、バッハに由来することを示しているように思えるが、バッハ自身は、 一貫してヴィオロンチェロ・ピッコロと表記しており、 一度もこの名称を用いていない。


バッハ年刊1936年版、ハインリヒ・フスマンの「ヴィオラ・ポムポーサ」に「バッハのヴィオラ・ポムポーサ」として掲載されている、1741年ライプツィヒのヨハン・クリスティアン・ホフマン作の楽器の写真。Bach-Jahrbuch, 33. Jahrgang 1936, Druck und Verlag von Breitkoppf & Härtel, Leipzig

 チェロは、ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕のヴィオラ)属の擦弦楽器の低音部を担う楽器として15世紀から16世紀にかけて誕生した。当初は3弦ないしは4弦が張られていたが、16世紀中頃から4弦が通常となり、5弦の楽器も作られるようになった。現在のチェロとほぼ同じ大きさの楽器を初めて作ったのは、今日ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にあるブルロのダニエル・メルベックで、1572年のことであったようだ。17世紀のクレモナのヴァイオリン製作者、アンドレア・アマティやガスパーロ・ダ・サーロ、18世紀になるとアントニオ・ストラディヴァリなど多くの作者が製作し、今日まで残っていることからも、座って膝で挟んで演奏するチェロが、17世紀から18世紀にかけても主力であったことは間違いない。現存するチェロの中には、胴体のネックに近いところに、紐を通す小さな穴が開いているものがあり、屋外で立って演奏したり、行進しながら演奏する際に、肩から吊していたと思われる***。
 寺神戸のヴィオロンチェロ・ダ・スパッラについての説明の中に、大型の擦弦楽器を肩に当てて、ヴァイオリンやヴィオラと同様の弾き方をしているいくつかの図像資料が掲載されている。それらに画かれた楽器は、人物に比べてかなり大型で、通常のチェロを抱えているように見える。これらの絵が、楽器の大きさを忠実に再現しているとは、必ずしも言えないので、これは単に普通のチェロを抱えているのだろうと考える必要はないだろうが、この様な大型の擦弦楽器を、肩に当てて演奏していたことは確かだろう。


寺神戸亮最新情報 http://boreades.exblog.jp/ 」掲載の画像

 他の楽器の場合も同じだが、擦弦楽器の成立過程で、様々な楽器が現れ、それらに様々な名称が付けられたことは事実で、その演奏方法も多様であったことは残されている資料によって分かっている。しかしそれらの楽器の中で、多くの演奏者を獲得し、多くの作曲家がその楽器のための作品を書いたことによって、普遍性を獲得した楽器は数少ない。一時的には使用されたが、演奏者も作品も獲得出来ずに消えていった楽器の方が多いように思われる。17世紀に存在した「トロムバ・マリーナ」や、シューベルトが作品を残している「アルペジョーネ」などがその例である。ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラやヴィオラ・ポムポーサも同様に、一時的に存在し、やがて消えていった楽器であったと考えるのが妥当だろう。
 寺神戸のバッハの無伴奏チェロソナタがヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ=ヴィオラ・ポムポーサのための作品ではないかという推定は、かなり強引な論理の展開に基づいているように思える。確かに第6番の5弦の調弦指示は、ゲルバーが記述しているヴィオラ・ポムポーサの調弦と同じであり、これを根拠としてこの第6番の組曲が、ヴィオラ・ポムポーサのための作品ではないかという推定にはある程度の妥当性があるが、これをもとに、第6番のための5弦の楽器が肩で支えて奏するものであるから、他の5曲のための4弦の楽器も同様な楽器ではないかという論理展開には無理があるように思える(この点は、上述のバッハ年刊1936年版の論文でフスマンも最後に、注でこれと同じ推論を述べている)。ケルナーの写譜の表紙を除くと、アンナ・マグダレーナ・バッハの写譜を含め上に上げた原典のいずれの表紙にも、はっきりと”Violoncello”と書かれており、これも上に引用したゲルバーの記述においてヴィオラ・ポムポーサを説明する際に”Violoncello”に言及している文脈は、チェロが座って足で挟んで演奏する楽器であることを前提としていることを示しており、この作品がチェロのために作曲された作品であることに疑いを差し挟む余地はないと筆者は考える。5弦のチェロは実際に存在しており、その調弦がゲルバーの記述しているヴィオラ・ポムポーサと同じという理由で、それが通常のチェロではないと言うことにはならない。ヴァイオリニストである寺神戸が、チェロのための作品、特にバッハの無伴奏チェロ組曲を弾きたいと思い、そこにヴィオロンチェロ・ダ・スパッラという楽器が登場し、演奏が可能になったと言うこと自体は結構なことである。しかしそのヴィオロンチェロ・ダ・スパッラによる演奏に、歴史的根拠を強引に付ける必要はないのではないか? リュートのための作品をギターで弾いたり、「フーガの技法」を器楽アンサンブルで演奏したりする試みと同様、バッハの作品の様々な演奏の可能性の一つと考えればいいのではないかと思うのである。

* Heinrich Husmann, "Die Viola pomposa", Bach-Jahrbuch, 33. Jahrgang 1936, Druck und Verlag von Breitkoppf & Härtel, Leipzig, p. 90 - 100
** Dok III-948: Historisch-Biographisches Lexicon der Tonkünstler, welches Nachrichten von dem Leben und Werken musikalischer Schriftsteller, berümter Componisten, Sänger, Meister auf Instrumenten, Dilettanten, Orgel- und Instrumentenmacher, enthält; zusammengetragen von Ernst Ludwig Gerber, Fürstlich Schwarzburg-Sonderhausischen Kammermusikus und Hoforganisten zu Sonderhausen. Erster Theil A―M. Leipzig, verlegt Johann Gottlob Immanuel Britkopf, 1790., Sp. 86 - 92
*** ドイツ語版ウィキペディアの"Violoncello"による。

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コメント
 
 
 
弾きたいから弾いてる・・・でもいいのに♪ (REIKO)
2009-07-11 00:50:04
うんうん・・・と頷きながら読ませていただきました。
確かに、無理に「根拠」など付けなくても、「(この曲が好きで)弾きたいから、自分の弾ける楽器で弾きました~♪」でも全然構わないですよね。
ただ時々、目新しい試みに対して、「何でわざわざそんなことするんだ?」とケチを付ける保守派がいるので、それに対抗するための理論武装なのかもしれません。
質問されたら、一応「もっともらしい」理由がないと、カッコがつかない。(笑)

古楽器演奏が出始めた頃、現代楽器派に対して、古楽器演奏家や研究家が、随分理屈を言って(言わざるを得ない状況だった)頑張ってましたが、それも同じ理由だったのではと思います。
 
 
 
弾きたいから弾く!・・・Why not? (ogawa_j)
2009-07-11 11:58:14
ご指摘の通りですね。ギター奏者が弾きたければギターで弾く。オーボエ奏者がフルート・ソナタを吹きたければ、オーボエで吹く。昔からそのようにやって来たはずです。
 しかし、やっぱり何か客観的理由が欲しい、そう言うことなのかも知れません。その一方で、シューベルトの作品1曲でしか知られていないアルページョという楽器にこだわって、製作している日本人も居られます(「アルペジョーネの世界」をご参照下さい)。どちらの人も、音楽の世界を豊かにしていると思います。
 
 
 
アルペジョーネの研究 (okusan)
2009-09-17 17:42:30
当方ホームページである「アルペジョーネの世界」をご案内いただきましてありがとうございます。アルペジョーネで「鳥の歌」(カザルス)を演奏しています。
http://www.youtube.com/watch?v=gkrDTQyjAN4 
 
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