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どうやら躁鬱なオタクの独り言

今日は

2009年02月28日 20時00分05秒 | Weblog

朝も早くから目が覚めてしまったので、とりあえず溜まったものを洗濯。それを干してから通院。多慶屋で靴ひもを買って本屋さんで「永遠なる神の都 上下」「椿と花水木 上下」「ヒストリエ5」コンビニで「ほんとにあった怖い話4月号」を買ってお昼を食べて帰る。後はずっと「椿と花水木」を読んでました。合間にセーター洗ったり、DVD観たり。
お父さんはもういないんだなと、ふと思い出して悲しくなったり。
何度めかのお見舞いに行った帰り、夕刻の空に雲が立ち込めていてそれが割れて光が射した光景を見ました。神々しいまでの美しさに、あ、お父さんはあの光の国に行ってしまうんだと思えて涙をこらえました。
そして現実的に先週分の仕事と月例の仕事が山となって月曜日に襲ってくるわけですが。私も光の国に行きたいっす。


2月22日

2009年02月26日 20時20分37秒 | Weblog

父が永眠しました。享年77歳、今どきにしては少し早い死でした。
金曜日に顔を見に行ったあと、土曜日にはいったん東京に帰って翌日曜日にやれやれしてのんびりしていたときに父が危ないとの連絡を受けたのです。2泊ぐらいの用意をして、喪服一式も準備してとんぼ返りです。今、思うに金曜日にはそんな連絡もなかったので喪服とかなくて、父が準備させてくれたのかと思います。
亡くなった時間も、弟が父を継いで宮司になるわけですが、2月の祈年祭の直後だったそうです。仕事熱心だったから、見届けて亡くなったんだと思います。
新幹線の回数券を買った直後だったわけですが、50日祭までに日もありますので母の顔を見に行ってあげたいと思います。


少憩       

2009年02月18日 20時22分01秒 | Weblog
無闇で意味もない怯えから何んとなく脱却していってます。
よかったよかった。何で怖かったのかわからないのが問題です。仕事しながら帰りたくて仕方なかった気分もようやくおさまってきました。これってやはり鬱の症状なんでしょうか?産業医の先生に話したら少し楽になった気がします。
それにつけても定時退社は残業手当付かなくてつらいわー。

やっと出勤

2009年02月17日 19時40分58秒 | Weblog
泣きそうになりながらも、何とか出勤。
考えると休んでしまいそうだったので、起きたら頭を動かさず身体だけ動かして、いつもより早く出勤しました。今日は仕事中にも泣きそうになって、どうしようもなくなって昼食用に小分けして持ってきている一回分の薬を余分に飲みました。春だ、春が悪いんだよおおおおお。
こんな状態で明日は産業医との面接ですよ。無理っす。平静を装うのは難しいっす。でも、残業代は欲しいです。つらくて仕事が残っているのに、今日は逃げ帰ってきたのに何言ってんだか。はーやれやれ、お風呂もめんどくさくて入らないばっちい人です。お布団にくるまる時だけが至福の時だよ。

お父さん

2009年02月16日 09時27分13秒 | Weblog
いつかは来ると覚悟はしていたつもりでしたが、本当に意識混濁して外界のことが分からなくなっているようになっていました。肩を叩いてイエス・ノーの確認は取れるのですが、どこまで通じているのか。実家は神社で父は宮司をしていたわけですが、その宗派のお祈りの型をしじゅうしていました。もう、つらくて早く楽にしてくれと神様に祈っているのか、お迎えが見えていたのか訊くことはできません。
来週は姉が一家でお見舞いに来るということで、寝る場所がなくなるので私は一回お見舞いをお休みします。私が分かるうちはマメに行こうと思っていたのですが、思ったより早くわからなくなってしまったので……。余命3か月を1月の正月に聞いてからあまりに早い病状の進み具合です。年寄りだからもっとのんびりしてるかと思ったのに。
今、すべての負担が母にかかっています。終わった時のことを考えると、できるだけ母にショックが少ないようになればいいなと思います。

春一番

2009年02月13日 19時53分51秒 | Weblog
気圧変化に早速敏感に感じてお休み。今週は2日しか行ってないなー、やべえやべえよ。でもまだ有給あるからいいか>おいおい
しかし、仕事はした。傷病手当金証明の自己負担額がいくらになるか該当病院に電話して訊いた。保険適用で300円。日額7千円の人なら絶対証明書を取ってくれるはず!休み明けはこれで戦ってやる……
だが、今日は1日何もせずできずgdgdと寝てしまった負け犬。
あー、明日は通院日だ、先生に相談しなきゃーいかんな。それからまた帰省して1泊して月曜休みだ。お父さんどんな具合なのやら不安。

給付金

2009年02月12日 19時15分19秒 | Weblog
今日は傷病手当金の請求について無理難題を押し付けられました。
1日分の請求に証明書代を払いたくないというのはわかりますが、傷病手当金は月払いするものです。1月1日分から支払いを始めても、附加金制度があるから1日分もらえないだけです。本人が不利になるのに何とか通そうという部局担当者に腹が立ちました。ウツ前ならやり込める言葉が出ていただろうに悔しいです。ムカつくので明日は該当する病院に証明書代がいくらか聞いてみます。差額2,3千円のことだと思いますがそれくらいなら捨ててもいいと考えるほど安い金額とは思えないです。ふんがふんが。

通常営業

2009年02月10日 19時19分52秒 | Weblog
休み明けの出勤はやはりドキドキします。
そのせいかどうかわかりませんが、今日は妙にヘタれて泣きそうになりながら仕事をしていました。原因不明。怖がりながらのお仕事でしたが、帰るころには何とか普通くらいには戻りました。なんだかな。生理の前で情緒不安定になってただけかも。
仕事自体はもりもりと片付けました。休み明けでたまってたので当然ですが。
ああ、宝くじあたらないかしら……。

結局

2009年02月09日 19時22分26秒 | Weblog
今日は休んでしまったわけだが、事前に父の見舞いで週末は実家に戻る生活になるということを上司に話してあったせいかすんなりとお休みの電話を受けてもらった。
父は先週よりもさらに悪化していて、痛み止めによる譫妄状態と患部の皮膚が爛れて海を含んだひどい状態になっていた。それでも意識はある程度はあるようで、うなずいたりすることは可能だったが、ボードでの会話はだいぶ意味不明になってしまってました。気管切開でしゃべれないからです。
実家に戻ると、父の予約してあった健康番組の録画がちょうど日曜日の午前のテレビを見ている時間に始まるのが切ないです。
自分が自殺する姿を夢想するのが、まだやめられませんが、父母の生きてるうちはやめるべきだろうと思います。

わーい

2009年02月06日 21時13分08秒 | Weblog
週末だ~♪おやすみだ~
合わなかった帳簿も何とか無事に合わせられたし、よかったよかった。
来週は祝日があるので月曜日のお休みはないと信じたい。
明日はまた実家に戻ってお見舞いです。20年以上一人暮らししてるけど、こんなに家に帰ったのは20年分を一気に取り戻すかのようです。
休職で18年度は実家に戻っていましたが、今思えば元気な父との生活の最期でした。これも運なのでしょうか。