陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

416.板倉光馬海軍少佐(16)空母「加賀」で、大がかりな“銀蝿”が、しかも公然と行われた

2014年03月13日 | 板倉光馬海軍少佐
 甲板士官を悩ましたものに“銀蝿”(ぎんばえ)があった。海軍独特なものであるが、とりわけ「加賀」ではひどかった。

 “銀蝿”とは、人目をかすめて、缶詰や砂糖をはじめ、貴重な食料品を失敬する、スリルをサスペンスに満ちた犯罪行為である。見つかれば善行章剥奪、軽くて上陸止めであるが、読んで字のごとく、追えど払えどあとをたたなかった。

 それなのに犯人はあがらず、おおむね迷宮入りに終わっている。というのは、必ずと言ってよいほど共謀者がいたということと、口が固かったからである。

 ところが、空母「加賀」で、大がかりな“銀蝿”が、しかも公然と行われたことがあった。板倉中尉の部下で、池田勇、東日出男という二人の候補生が、それぞれ、下甲板士官、上甲板士官として補佐していた。

 ある日のこと、池田候補生が、首をかしげながらやってきて、「錠がかかている倉庫の中から、かすかに人声がしますが、ほかに出入り口がありません。どうしたものでしょうか……」と、注進におよんできた。

 板倉中尉は現場に出かけた。「加賀」には無数といってよいほど、大小の倉庫や格納庫がある。中には就役以来一度も使用したことがないものがいくつかあった。

 人声はするが、鍵のかかったままの倉庫がそれだった。錠は錆びついて、使用された形跡がなかった。板倉中尉はおかしいなと思い、隣接の格納庫を見ると、扉の錠はなく、中には索具類が乱雑に積まれていた。

 よく調べると、奥にある隔壁のマンホールの締め付けボルトは全部はずされていた。しかもマンホールは閉まったままだった。

 これで読めた。おそらく、内側から細工をしているに違いないと板倉中尉は思った。おまけに、ボルトナットの孔までふさがれていた。

 倉庫の上は酒保物品の格納庫だった。かたすみにマンホールがあったが、これまた、上からは開かないようになっていた。

 板倉中尉がボルトナットの孔から覗いてみると、ボートクリューがローソクの灯で、車座になって酒盛りをしていた。

 眼にものを見せてくれんとばかり、板倉中尉は泡沫消火器の筒先をボルト孔につっこんで噴射したところ、蟹のように泡を吹きながら、這い上がってきた。

 ボートクリューは艦隊競技の花形であるが、普段は出入港時の舫いとり作業、戦闘配置は爆弾員や応急作業員になる。通常航海では、溺者でもない限り暇だった。

 集団“銀蝿”、それも手の込んだ知能犯だった。善行章を剥奪したくらいでは済まされそうもなかった。しかし平素の行状は悪くなかったし、若くもあり、改悛の情が顕著だった。

 そこで、板倉中尉は分隊長と相談し、表向きにすることは見合わせて、被害額を全額弁償させたうえ、日課手入れのときは、索具庫の整理整頓と、未使用の倉庫や格納庫の清掃を命じた。

 だが、“銀蝿”は依然としてあとを絶たず、ますます巧妙となり、手がかりすら残さなくなった。まさしく、“銀蝿”は浜の真砂だった。

 その後、板倉中尉は空母「加賀」と別れを告げることになった。昭和十三年三月十五日、板倉中尉は、駆逐艦「如月」(一四四五トン・乗員一五四名)の航海長兼分隊長に補された。

 「如月」艦長は小倉正身(おぐら・まさみ)少佐(岐阜・海兵五一・駆逐艦「如月」艦長・駆逐艦「満潮」艦長・中佐・駆逐艦「高波」艦長・戦死・大佐)だった。

 「如月」は古いタイプの一等駆逐艦で、馬公(台湾)を基地として中支方面の作戦を支援していた空母「龍驤」(一二七三二トン・乗員九二四名)のトンボ釣りをしていた。

 “トンボ釣り”とは、空母への着艦に失敗して不時着水した艦上機のパイロットを救出する救難任務のことで、空母に随伴する駆逐艦がこの任務を行った。

 その後、駆逐艦「如月」は第三艦隊に編入され、揚子江で作戦している堀江部隊の支援艦として従事することになった。

 堀江部隊とは、河川機雷を処分し、輸送船の水路を啓開する掃海部隊だった。そのほとんどが、トラック島を基地として鰹を捕る遠洋漁船に掃海具を装備したもので、兵装は七・七ミリ機銃一挺にすぎなかった。

 したがって、堀江部隊は、任務そのものが危険であるばかりでなく、しばしば沿岸のゲリラに襲撃され、上流に進むにつれて被害が続出し始めた。このため駆逐艦「如月」が支援艦として急派されることになった。