問題設定

これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「続 明暗」

2022-07-06 | _よむ・漱石__

「続 明暗」を読んだ。

奔湍 という 語 が出てくる。

「昼に聞く奔湍の音は、星月夜に聞くほど凄まじいものではなかったが、それでも、津田を改めて驚かせるには充分であった。」

その水音になんだか懐かしさを感じて 私は 自分の記憶の中のどこかに潜むその音を探した。

そうか。
三十年も四十年も昔の夏に
願 というところに泊り
寝付いだ先の止めどない潮騒に心許なかったその夜のことを思い出したのだった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ハイ。創作を試みましたがムズカシイモンデス。
とにかく 奔湍 に導かれたかなんだかで、読了となった。めでたい。

水村氏による 漱石「明暗」 の続編。
そう来るか。そう来るよね。
誰もが漱石代理人となって 読んでいくのかしら。
私はちゃっかりそうなって
「なーんか怖くない。」と啖呵を切ってみる。
星月夜に聞く奔湍の音を もっと お延に見たかった。
そしてもし
「なーんか怖くない。」なぞと言えぬ雰囲気の続編であったからには、
正編読了後
“登場人物のもしやすべての人の中に自分を見てしまった。
と言うことはです、津田小林はもちろん、吉川夫人の中にまでもなのである。
えらいこっちゃ。”
と踊った私は 今回いったいどうなっていたことやら。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「明暗」「続 明暗」

2021-05-30 | _よむ・漱石__

“で、「明暗」。ラストまで行き着けるでしょうか。”

「明暗」を読んだ。
「明暗」新潮文庫版(昭和62年版)、最後まで行き着くと

―未 完―

と表記されていて、
そこに行き着くころには 心のドキドキはどんどん強くなり、
別に 未完でなくてもいいような、この形で完でもいいような
とにかく読み手としては、感極まる世界に来てしまった。

登場人物のもしやすべての人の中に自分を見てしまった。
と言うことはです、津田小林はもちろん、吉川夫人の中にまでもなのである。
えらいこっちゃ。

“とっても丁寧(過ぎる)な注を時々見つつ”
そうだったのだ、途中までは。
その途中までは、上げ膳据え膳過ぎるんちゃう?この注。
と辟易としていたのですが、ある注で
「え?そういう意味だったの!?」と 自分の思い込みはき違え読み取りに気付くこととなり、
そこから後は「注って役に立つ。」と 小さくなりつつ読みました。

“自分の 積読文庫群 の中から 「明暗」新潮文庫版 も引っ張り出してきてみた。”
積読文庫群 「明暗」の隣には、「続 明暗」水村美苗 新潮文庫版 も あった。
「続 明暗」の冒頭は、「明暗」最終章の再掲から始まっている。当たり前だが 本当に 続 なのだ。
ジャケットカバーの背景色は 流れのままに 正編の明にして 続編の暗である。
このまま読み継ごうか。それとも。。。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「明暗」

2021-05-05 | _よむ・漱石__

“自分の 積読文庫群 の中から 「明暗」新潮文庫版 も引っ張り出してきてみた。”

この文庫版の注が特別なのか、私が気にし過ぎなのか
とにかく
とっても丁寧(過ぎる)な注を時々見つつ
「明暗」新潮文庫版(昭和62年版)を読んでいる。

さて。ときは春。ドラマ見繋がっているタイトルも落ち着きだし。
「リコカツ」と「大豆田とわ子と三人の元夫」と「明暗」が
同じまな板の上にのっかって、見たり読んだりの春。

コメディと
「濃密な人間ドラマの中にエゴイズムのゆくすえを描いて、日本近代小説の最高峰」(←ってジャケットカバーに書いてある。)と
同じまな板に載せちゃう荒業の先に強く光り出す言葉は、エゴイズム。

「明暗」の時々に2つのドラマを再生すれば、
両ドラマの住民はともに 正直村に住んでいるのだな、と感じ入ったりしています。

で、「明暗」。ラストまで行き着けるでしょうか。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナビゲーターのこの頃気になる作品と聞いたから没後百年「門」を読んでる

2016-12-12 | _よむ・漱石__

サラダ記念日なびきになり切れない音過多タイトル、はい、漱石です。

ナビゲーターは姜尚中氏。元々の番組の方は見ていないのだけれど
「『姜氏がナビゲーターとなった番組』のナビゲーター」で姜氏本人が出演した番組(ややこしや)の方を見た。
その番組冒頭 姜氏の現在のお気に入り作品は?との司会者からの問いかけに、出てきたタイトルが『門』。
『門』か、門ってどんなストーリーだったっけ?
などと門門見つめているうちに 門のゲシュタルト崩壊(*_*)。。。は置いといて、
買い物途中書店に寄り 「フェア特製幅広の帯」 というものがかかった『門』が目に留まり、買ってしまいました。


「フェア特製幅広の帯」(←この時点ではオビと思っていない。)って何冊に掛かっていたのかなと出版社サイトに行き これが「帯」だということに気づかされた。(ぐるぐる回ってますが付いてきてくださいね。)
今の今までなんだか寸足らずの重ねジャケットカバーだと思っていたもんで。帯だったんだ。


フェアでは 『こころ』、『坊っちゃん』、『草枕』、『三四郎』、『それから』、『門』 の6冊にカラー違い見本みたいに幅広帯が掛けてある。どんな巡り合わせだったのか、6冊の中では この『門』で選択された色味が私は一番好き。臙脂色の椅子に上着は渋黄緑。
広げるとその活字の大きいこと。

漱石さんは 今年没後百年にして、来年生誕百五十年。
人は生まれ人は死んでいくが
巡り合わせにも 死んで百年のその先に 生まれて百五十年の 日が昇る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、『門』。
読み始むれば スタートダッシュ 宗助 も ゲシュタルト崩壊 今日の今
(五七も七五も納まらぬ><。)

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「漱石追想」

2016-10-20 | _よむ・漱石__

「漱石追想」を読んだ。
ジャケット(カバー)にある内容紹介の締めくくりの言葉、
「同じ時間を過ごした49人が語る、記憶のなかの素顔の漱石。」に 
座布団一枚差上候。心にツンと響くぜよ。

時間の世界を広げたら 
「百年後に逢いましょう」ならば
先生と奥さん、博己さんと真千子さんになってますが ダイジョブデスカ?
記憶にはない百年後の私が そう聞いたなら、
漱石さんの耳に届くか届かないか。
きっと届かないけれど 万に一つのめぐりあい、
漱石さん、あなたは何と答えますか。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「三四郎」を読んだ。

2012-12-13 | _よむ・漱石__

「異邦人」ときたのだから 次は「ペスト」であろうと
家族に所在を問うと あるはずだと言う。
探すが出てこない。
文庫新書は小さきゆえに あそこにもそこにも 小山を成して置き去りにされている。
いつかの始めはたぶん きちんと片付けられての所在だったはずなのだが
続かぬ片付けは むやみに小山を増やすばかりで
探し物の道を開いているつもりがかえって 石や泥濘に足を取られることとなる。

ふぉ~!“漱石って”みました。
何のことはない、家族の蔵書を借り読書、「異邦人」の次の「ペスト」が見つからず
ガラゴロ探している途中 
何年か前に古本屋で買ったままだった岩波新書
「物価と家計簿」に目が留まったのであった。
パラパラ眺めていると
 ○ 月収50円の教師の家計予算案(東京市内・明治末期)
という項目があり、七人家族で家賃は8円10銭と記されている。
気持ちはあっさり明治に飛んで 「三四郎」を広げることとなった。

「行人」の時の人物置き換えがなかなかに面白かったので
ついその気になり、
思い込みの激しそうな三輪田のお光さんは 綾瀬はるかあたりかなあなどと始めたら
止まらなくなった。
仁先生でいくか鹿男でいくか、まずは三四郎を大沢たかおで差してみると
美禰子は野風?お、いい感じ。「ストレイシープ」と囁きそうではないか。
野々宮と広田先生をどなたにしたらいいか閃かないなあと思っているうちに
「でも よし子には『遅咲きの…』の市会議員の娘もいいような。」と現在進行形が入り込み
え、それじゃ 広田先生は“だから文学が…”のあの英文学の先生><
ついでに与次郎は金物屋の息子? いやいや
エネルギーの爆発加減から言って柳沢慎吾レベルではないだろうか、と
どんどん飛んで行った。

書き出すと目茶苦茶である。
読んでいる本人には
「ストレイシープ」の囁き再生機能付き・飛び出す絵本「三四郎」
とでもいうような面白さであった。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「彼岸過迄」を読んだ。

2012-12-04 | _よむ・漱石__

「彼岸過迄」を読んだ。

「彼岸過迄」 1912(明治45)年1月―4月
「行人」    1912(大正元)年12月―1913年11月
「こころ」    1914年4月―8月

 ♪ 百年先も 愛を誓うよ 君は僕の全てさ
 ♪ 君と好きな人が 百年続きますように

市蔵が 一郎が 「先生」が
百年の時を超えて カラオケボックスにたどり着いたならば
どの歌詞かを前に マイクを手にすることがあるのだろうか。

…………………………………………

ちなみに
「キユーピー3分クッキング」は
12月3日に放送開始から50周年を迎えた、とのこと。
録画再生すると
カチューシャ可愛や 女の子ちゃんキューピーが現れ出た。
かきご飯、おいしそうです(^_^)/。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「行人」を読んだ。 

2012-11-21 | _よむ・漱石__

3回目からだったろうか、
「遅咲きのヒマワリ」を途中から見ている。
筋が分かっているような無いような、いいかげんな視聴者だ。
パートリレー唱?の主題歌も心地よく、のんびり眺めている。
ちゃんと動き回る香椎由宇を見るのも
「リンダ リンダ リンダ」以来なのではないか、
真木よう子にいたっては ほとんど初見のような感じである。

って、タイトルの
『「行人」を読んだ。」』なんですが、
こんなタイミングなもんだから
二郎が丈太郎に、嫂が彩花とかほりのダブルキャストに、
じゃ一郎は弘樹かいな?
(二郎が生田くんに、嫂が香椎さんと真木さんのダブルキャストに、
 じゃ一郎は柄本あにくんかいな?)
の タイムトラベルジェットコースターに乗っているような浮遊感と共に読んだ。

一郎は家事をしたことがあるだろうか。
時を超えた一郎に「お好きな家事は何?」と問い、
返ってくる答えはどれだろうか。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「こころ」を読んだ。

2012-11-16 | _よむ・漱石__

「こころ」を読んだ。
「十一月の寒い雨の降る日の事でした。」通りの天候だった、昨日読み終わった。(なんということだ。)
角川文庫版で読んだ。
平成五年四月二十日 百六十四版で、
ジャケットカバーの画は わたせせいぞう である。
価格は 310円ながらの105円、
散歩に出た夫に ついでの古本屋で買ってきてくれるよう頼んだ。

新聞のテレビ欄に
「ドキドキ読む漱石“こころ”」とあって 気になったのである。
番組名は「Rの法則」?、今まで見たことはなかった。
「ドキドキ…」の前には「三角関係に裏切り・略奪」とまで 副題のように付いていた。

とまで、って 確かにそんな風な内容だったはずだけれど
どこをどこまで読んだのか 何回読んだのか 思い出そうにも記憶は怪しく
こりゃ もう一遍読まなくちゃ、とその気になり
読み始めたら 止まらない。
こんなに一気呵成に読めたりしたもんだろうか 漱石?と
自分の読書力をかえって 訝しむほどの勢いでありました。

多分に その原動力となったのは 番組中の紙芝居様なコーナー。
現代的な 今様な 画に、私の心が添ったのでしょうか。
面白かったのである。

妻は知らなかったのだろうか。
妻は生きているのだろうか。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする