妻が少し前から質問していた。モルモン書の文中、1か所だけヒラマンが自分のことをヒラマンと言っているのが不自然だと言うのである。Alma 56:52 ヒラマンがモロナイに宛てた書簡の中で、この節中、2回ヒラマンが自分のことを「ヒラマン」と書いている。この前後ではずっと「わたし」となっている。
確かに不自然である。少し調べてみた。答えは以下のとおりである。
英語でも該当の部分は Helaman となっていて、英文の BofM では脚注に「モルモンがここでヒラマンの手紙の一部を要約している」(Mormon here abridges some of the material in the letter of Helaman.) とあった。Copyright 1981 とある版。(平成訳日本語版にはこの説明が脚注にない。)
Grant HardyのA Reader's Edition でも「ヒラマン」と三人称で言及されているので、モルモンが手紙の一部を説明していると考えられると註を入れている。この版では段落の形でも一目で分かるように工夫がなされている。モルモンの編集者としての要約は 52, 53節と考えられる。問題の本文は次の通り。
アルマ56:52
「そこでレーマン人は勇み立ち、彼らを追撃し始めました。このように、レーマン人が激しい勢いで彼らを追撃していたときに、ヒラマンが二千人の兵とともにレーマン人の背後から攻めかかり、彼らを大いに殺し始めたのです。そこでレーマン人の全軍は立ち止まって、今度はヒラマンに向かいました。」
この部分がモルモンの挿入(あるいは要約)であれば、文体は「ある」調でよい。翻訳者は気づかず同じ「ます」調で通している。(私も平成訳の時、改訂に携わっていたので、見逃していたわけである。忸怩。)
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ですある調にするとスッキリします。
やはりジョセフ・スミスは金版を無意識に翻訳しただけなのです!!
という趣旨にも受け取れる記事。
両面を公平に研究するところ素晴らしいです。
ちなみに私オムナイはモルモン書はジョセフ・スミスが霊感されて金版から翻訳した神の言葉と信じる派です。
が、ジョセフ・スミスの書いた空想書としの立場の研究も興味を持っています。
日本ではいつになることやらですが。