半透明記録

もやもや日記

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『ウンラート教授-あるいは、一暴君の末路』

2009年04月30日 | 読書日記ードイツ

ハインリヒ・マン 今井 敦訳(松籟社)



《あらすじ》
彼はラートという名前だったので、学校中が彼を「汚れ物(ウンラート)」と呼んだ―――。人生のほとんどの時間を学校という狭い空間でのみ過ごしてきた中学教師ラート教授の喜びは、彼に反抗する生徒たちを学校から追い出し、破滅させること。しかし、美しき女芸人ローザとの出会いによって、ラート教授は周囲を奈落の底へ突き落としながら、自らもまた深く落ちていくのであった。

《この一文》
「とりわけ一つのことは確かだ。幸福の頂点まで登りつめた者は、底の見えないほどの奈落にもまた、よく通じているのだ。」



学校中、ひいてはその卒業生からなる町中の人々から嫌われ、疎まれ、「汚れ物(ウンラート)」と揶揄されているラート教授。彼の視野は恐ろしく狭く、そのために、実はウンラートというからかいの中にいくらかは彼への好意の感情も含まれているということに気付かず、自分に歯向かう生徒たちへの復讐心を募らせる毎日を送っています。

このラートという人物は、実に不快な人物で、物語の前半は、彼の生徒と同様に読者も彼への嫌悪感でいっぱいになることでしょう。要するに、読むのが辛く、退屈です。もう途中で挫折しそうでした。ところが、後半になると彼は突如として恐るべき魅力を放つようになるのです。

それは、ラート教授が長年どうにか抵抗していたウンラートという忌まわしいあだ名を自ら受け入れ、汚れ物それ自身になったと自覚するあたりから始まります。彼はとうとう真の暴君へと変貌し、大きく深い奈落の口をこじ開け、自らもそこへ落ちながら、彼の周囲の人々をも破滅の大渦へと巻き込んでいきます。

彼の、この暗い輝きはどうだろう! この狂気の、なんという魅力! 退屈だった前半の物語も、ここへ差し掛かるとあれは必要な退屈さだったのかもしれないとさえ思えます。そのくらいの勢いがあります。

ラートは、学校の3人の生徒、とりわけローマンという生徒を破滅させてやりたいと願います。ローマンという人物は、ラートと対照的な人物として設定されています。家柄も、容姿も恵まれ、知性的かつ冷静な彼は、ラートを嫌悪しつつも、彼の偏狭さにいくぶん同情し、またその純粋なまでの偏狭さに圧倒されてもいます。ローマンは、最終的にはラートが破滅させるべきと考える人間全体の象徴となり、両者の感情の行き違いというか、ラートの一方的な思い込みによって、物語の勢いはどんどん加速していきます。

ラートとローマンの間を結ぶのが、町へやってきた女芸人ローザ。ローマンが彼女に思いを寄せていると誤解したラートはローマンの破滅のきっかけを掴もうとローザに近づきますが、逆にラート自身がローザに夢中になってしまいます。ローザを美の女神と崇めるラートによって、ローザもまた自分の美しさへの自信を過剰なまでに高めていき、ラートのみならず多くの男性の愛を得るようになっていくのでした。こういう女は、実に女らしく恐ろしく描かれています。周囲に破滅の芽をまき散らしながら、しかも本人には全然悪気がないあたりがまたたちが悪い。それにしても、たいへんな美人であるローザが、何故にラートという奇人に惹かれていくのか、そのあたりも見所です。


意外と複雑な物語です。かなり面白かった。
破滅が始まるとき、誰もそれに気がつかないで、むしろ自らその深くて暗い大穴へと飛び込んでいきます。そして落っこちてから、あるいは運良くあと少しで落ちそうなすれすれのところまできてからようやく、「どうしてこんなことになってしまったのか……」と思い返すのでしょう。

しかもきっかけはいつも些細なことで、どんどんと膨らんでいく破滅の恐怖とそれ自体の持つ魅力を前に、私たちはそれが罠だと知らぬまま、あるいは知っていたとしても抗えず、転落への道を選ばずにはいられない。

ラートという特殊な人物によって提示されるこの破滅の道はしかし、我々がときにあっさりと訳もなく自らを見失って狭い視野に捕われてしまいがちであるということをも示唆するようでした。そんな、心の奥が震えるような暗い、暗い欲望を刺激するようなお話でした。


ついでに、ハインリヒ・マンという人は、トーマス・マンの実弟だそうです。はー、なるほど。さらについでに、この物語は『嘆きの天使』という題で映画化もされているそうです。映画版ではラートの人物像がかなり違うらしい。私は映画を観たことがないですが、小説のラートという人物は一見の価値があると思いますね。どす黒く燃え上がる憎悪の炎、純粋な復讐心を煽りたたせるラート教授には、ローマン同様、一種の同情と憧れを禁じ得ません。

面白かった。






さらばわが愛

2009年04月28日 | もやもや日記
私のたましいだった





もうすぐ5月だというのに寒いです。一時期はちょっと暑いくらいだったのに、今度は寒すぎます。うーむ。なんだか過ごしにくいなあ。連休中は何人かの友達に会う予定で楽しみなので、暖かくならなくてもいいから、せめて雨は降らないでほしいものです。


さて、ちょっと前からK氏に「Mac の中古でもいいから、なんかいいのがあったら買っておいて」とお願いしていたら、昨日ほんとに Mac-mini (中古だがきれい)を買ってきてくれました。半分冗談のつもりだったのだけど……。まあでも、わ~い! ついに新調できる! 私の財力でもどうにかなりそうな値段だったので助かりました。K氏はほんとうは私の誕生日プレゼント(昨日だった)にくれるつもりだったそうですが、可愛気のない私はそれを拒否し(特別に欲しいものは自力で手に入れるべきという信念に基づき)、かわりにモニターをもらうことにしました(結局……中途半端なプライド……;)。Mac-mini は本体だけでキーボードが付いていないので、明日にでも買いに行くつもり。うふふふ。

ああ、しかし、これまでずっと苦楽を共にしてきた Powerbook-G4 とお別れするのは忍びないです。もう、かれこれ7年くらい、一生懸命に働いてくれました。7年間で、私がこのマシンに触れなかった日はどのくらいあるでしょう。たぶん1か月にも満たないと思います。ある夏の日には、過熱して発火するんじゃないかというくらいに焦げ臭かった G4 、最近は画面も暗く、ある時には突然真っ暗になって私をおののかせていた G4、またある時には、全然ディスクを読み込んでくれようとしなかったG4、君のことは忘れないよ……これからは持ち運び専用機として優雅な余生を送ってくれ!(←まだ使う……) うぅっ!

あー、というわけで、近いうちにマシンを新調できそうです。それまではもうしばらくこの G4 を大切に使おうと思っています。ありがとう。ありがとう!






ネコペンをもらった

2009年04月27日 | もやもや日記





御覧の通りとても可愛いクロネコのボールペンを、今朝私は友人からいただきました(^_^) かわいい~! これでマンガのネタとか書くよ! やる気出そう!!
彼女からは以前にも、愛嬌のあるクロネコのブックマーク(金属製。激カワ)などなどのネコグッズをもらっています。いつもどうもありがとう!
別の友達からも前にネコの置物(釣りをしてる^^)をもらったりして、私のもとには着々とネコ的なものが増えつつあります。ふふふふ。


かわいいなあ。なんかネコって和みます(^^)




『あの本』

2009年04月26日 | 自作まんが


(画像をクリックで 別窓/拡大)

P-1

P-2

P-3




はあ~~、1週間がかりで描いていたマンガが仕上がったので、とりあえず公開してしまおうと思います。全部で3ページと短いので、お時間のある方は、どうぞご覧下さいませ☆


私はマンガを描くことが好きなはずですが、今回も作業中には「つら~~いっ!」「もうダメだ~~!」「でも、毎日2時間ずつ仕事すれば、いつかは仕上がるはず……!」とのたうちまわって描きました。私はマンガを描くのが好きなはずなんですが……ね; あれ~??

しかし、がんばった甲斐あって無事に仕上がりました。もう内容が面白いとか面白くないとか、そんなことはどうでもいい心境です。
それにしても、我ながらよくもここまでストーリーの感じられないマンガが描けるものだと感心してしまいます。一時はそのことに悩みましたが、もうこれはむしろ長所だということにして、このまま好きなように描き続けることにします。なにより、描き始めたら、とにかく仕上げることが大事です。ハハハ! とりあえず絵の方は、地味に上達していると思います。コマ割りとかも多少研究してみました。マンガって奥深いわ……

というわけで、何事もレンシュー、レンシューです!
さあ、張り切って次に行こう~~!!



*ついでに、同人誌『ツルバミ』掲載マンガ=「夢のなかで」修正版をアップし直しました。修正前よりも若干物語のニュアンスが変わっています。描き直したコマも多数ですので、お暇な方はどうぞ☆
 →→→ YUKIDOKE_web【ツルバミ】-「夢のなかで」




son*ima -『小さな惑星』

2009年04月25日 | 学習
《収録曲》
1 春の電車
2 クレヨン
3 わたしは…
4 夜明け
5 ANGEL




ブログを通じて知り合ったお友達のmanimaniさん(←私のほうではとっくに「お友達認定」させていただいておりました、だいぶ前から; あらためてどうぞよろしくお願いします!)から、manimaniさんの音楽ユニット【son*ima ソニマ】の『小さな惑星』というCDをいただきました。私の主催している同人誌をお送りしたお返しにいただいたのですが、こういう交流っていいですね♪ お互いにその成果物でやりとりする、みたいな。

それにしても不義理な私は、ずいぶん前にCDをいただいたにも関わらず、感想を書きたいと思っていたにも関わらず、ずるずると先延ばしにしていました。スミマセン。ちょっとCDプレイヤーが反抗期で、回ったり回らなかったり、挿入したっきり排出するのを頑なに拒んだりしたものですから……。いや、言い訳は置いといて、ほんと素敵なCDをありがとうございました☆


というわけで、以下、私の感想です f^^; 音楽のことはほとんど分からないのではありますが。まあだけど、音楽の技術とか知識とかがなくてもそれを味わえるところに、音楽の最大の魅力がありますよね。なので、思ったところを率直に語ってみたいと思います!

まず、最初に驚いたのは、ボーカルのkomamuさんの声。アルバムのパッケージには「100% pure extra virgin pop album」とあるのですが、100%どころじゃなくピュア・ボイスです。私は普段はどちらかというとメタルとかパンク寄りのポップス、しかも男性ボーカルばかり聴いているので、komamuさんの優しく透明な、しかし少しだけざらっとした綺麗な声には盛大に慌ててしまいました。いや、慌てることはないんですけどね; ドキドキしすぎ…
そしてkomamuさんの美声にアワアワしながら曲は流れていくのですが、この曲はすべてmanimaniさんことtakafuさんによって書かれています。これがまたmanimaniさんの優しく繊細なお人柄がよく出ていて、「ああ、世の中って寂しいところもあるけれど、美しいなあ」と私などは思ってしまいます。おさめられた5曲それぞれについては、以下に詳しく。


「春の電車」は2番がいいです。歌詞の字数がメロディに対してちょっと余っている(ような、うまく言えませんが)ところがいいですよね。あと、冒頭に電車が走る音が入っているところも楽しい!

「クレヨン」はピアノの伴奏が素敵です。私はピアノの音が好きですね。
この曲は4曲目の「夜明け」に次いで好きかも。夏と秋のあいだの季節の歌でしょうか。物悲しい静かな曲調ですが、なんかいいです。

「わたしは…」は、ひとりで閉じこもって聴きたい1曲。なんとなく。komamuさんの声に酔い痴れたい感じの……。

 いつか嵐が来て
 願いは届かず

のところなんかは、ぐわ~~~っっとなりました。なんというピュアボイス!

「夜明け」は私が『小さな惑星』のなかではダントツで好きな曲です。メロディと詞がすいすいっと頭の中に入って、すぐに口ずさむことが可能だったくらい気持ちの良い曲です。とても印象的な曲。komamuさんの声も曲にぴったり、歌詞がいちいち美しい、あとやっぱりピアノの伴奏がいい……!
これは、素敵です。

 夜の街は光の海で
 星のあかりも届かないけど

のあたりとか(↑ここが一番好き)、

 見上げると空より広く
 桜の枝が広がっていて

とか、こういう感触や視点がすごく分かるし、伝わります。これは冬の曲だと思うのですが、大都会では冬でもほとんど星が見えないんですよね。たくさんの人が暮らしていて、夜は特に、その豊かさがまぶしく溢れているのに、明けるにつれてなぜか全部失われてしまったみたいに静まり返ってしまって、あの感じはまさに「夜明け」。「夜明け」という時間を好む人には、きっとこの曲は響くのではないでしょうか。私は夜明けが大好きなので、この曲はダイレクト・ヒット!でした。うーむ、素敵だわ。

「ANGEL」は最後の曲。なんか、間奏がすごく格好いい。あの、ギター(?)がグィーンとなる感じ。ああいうのいいですね! これでおしまいの曲、という感じがします。なんででしょう? 歌詞のせいもあると思いますが、とても誰かが懐かしくなるような歌です。人に会いたくなりますね。

いやー、音楽を生み出せるってすごいですよ。しかも演奏できるとか、すごすぎ!


というわけで、私もmanimaniさんにはぜひいつかお会いしたいです。そして、最近はあまりやっていませんが、私の自作アニメに曲をつけてもらえるようお願いしたい! と前から密かに思っています(^^)
とりあえず、これからもどうぞよろしくお願いします♪


 →→ manimaniさんのブログはこちら Mani_Mani
 →→→ son*ima のサイトはこちら son*ima(視聴もできるみたいです!)



ザッキ

2009年04月23日 | もやもや日記
これ? これはフォークです。




情熱的に暑い春だと思っていたら、昨日から急に涼しくなりました。このくらいが、とりあえずはちょうどいい……。

昨日は水曜日でしたが、てっきり木曜日だと勘違いしていて「明日はもう金曜か…」と思っていたら、今日が木曜日でした。無駄にややこしいことをわざわざ書いて、スミマセン。というわけで、明日がようやく金曜日です。


ところで唐突に話題は変わりますが、海辺に生きる動物のなかでは、私はペンギンが好きなのですが、ラッコもけっこう好きです。昨夜は「可愛いカワウソとラッコの~~」とかいう教養映像を見たのですが、ラッコってカワウソの仲間だったのですね。カワウソの種族は北極と南極を除くほぼすべての地域に生息するそうです。いつかカワウソの時代がやってくるかもしれません。

さて、ラッコの生態で印象的だったのは、やはり繁殖関係。オスのラッコの非道っぷりには驚きを隠せませんでした。まず、交尾の際は、メスの鼻に噛み付く(体勢の維持のためと言いますが、メスは重傷、死ぬこともある……!)。そして、子育てには一切協力しないばかりか(ちなみに、交尾が終わったら、颯爽と次のメスのもとへ…)、時にはメスのラッコが抱える子ラッコを拉致して、身の代に食べ物を要求することもあるらしい……さ、ささ、サイテーね!

という感じで、予想外にハードボイルドな世界ではありましたが、そのフカフカの顔面を見ていたら、つくづくラッコは可愛いわい、と思った次第です。


それにしても、海の映像を見ると、魚が食べたくなりますね。
昨日もラッコ映像を見ていて魚を食べたくなりましたが、ちょうどサバの塩焼きを食べている最中だったので助かりました。しかしサバはおいしかった。しばらくハマりそうな予感。
あと、モズクがおいしいんですけど、あれって三杯酢で食べるとか、スープにするとかいう以外でおいしい食べ方ってあるんですかね。あ、天ぷらとか?
モズクを食べるたびにそれが気になるのですが、とりあえず三杯酢でも十分においしいので、例によってオチのないまま、今日の雑記を終了させていただきたいと思います。うむ、まとまらなかった。



読みたい本リスト

2009年04月22日 | 読書ー雑記




ネタ切れというか、何と言うか、書くことがないけど何か書いておきたいので、今日は私がこれから(そのうち)読もうと思っている本リストを掲載して、お茶を濁そうと思います。

【これから(あるいはそのうち)読むだろう本 リスト】

*『白衛軍』ブルガーコフ
*『オブローモフ』ゴンチャロフ
*『消えた太陽』含む アレクサンドル・グリーンの何か
*『嵐』エレンブルグ(←冒頭だけ読んだ)
*『サーニン』アルツィバーシェフ
*『小悪魔』ソログープ
*『ペテルブルグ』ベールイ
*プーシキンの何か
*ゴーゴリの何か

はからずもロシアばかりリストアップしてしまいましたが、フランスとかドイツも読みたい。以下、つづき。

*『亡びざるもの』バルベエ・ドールヴィイ
*『シャンパヴェール 悖徳物語』ペトリュス・ボレル
*『風車小屋便り』『月曜物語』などドーデーの何か
*『キャプテン・フラカス』ゴーチエ
*フランス幻想文学的なもの何でも
*『牡猫ムルの人生観』『悪魔の霊酒』ホフマン
*ドイツ幻想文学的なもの何でも
*『あまりにも騒がしい孤独』ボフミル・フラバル
*『山師カリオストロの大冒険』種村季弘

ほかにもたくさんありますが、あんまり多いと気持ちが沈んでこなくもないので、このくらいにしておきましょう。リストに挙げたもののなかのいくつかは、既に入手してありながら、読んでいません……(/o\;) せめて持っている本くらいは読んでしまいたいものです。うーむ。うーむ。




『流刑の神々・精霊物語』

2009年04月20日 | 読書日記ードイツ
ハインリヒ・ハイネ著 小沢俊夫訳(岩波文庫)



《内容》
キリスト教が仮借ない非寛容性をもってヨーロッパを席巻していったとき、大陸古来の民間信仰はいかなる変容をしいられたか。今から1世紀以上も前、歴史の暗部ともよぶべきこのテーマに早くも着目したハイネは、これら2篇のエッセーでギリシアの神々と古代ゲルマンの民族神たちの「その後」を限りない共感をこめて描いている。

《この一文》
“トイフェルは論理家である。彼は世俗的栄光や官能的喜びや肉体の代表者であるばかりでなく、物質のあらゆる権利の返還を要求しているのだから人間理性の代表者でもあるわけだ。かくてトイフェルはキリストに対立するものである。すなわちキリストは精神と禁欲的非官能性、天国での救済を代表するばかりでなく、信仰をも代表しているからである。トイフェルは信じない。彼はむしろ自己独自の思考を信頼しようとする。彼は理性をはたらかせるのである! ところで自己独自の思考は、もちろんなにかおそろしいものをもっている。ゆえにローマ・カトリック・使徒教会が独自の思考を悪魔(トイフェル)的だとして有罪と認め、理性の代表者たるトイフェルを虚偽の父であると宣言したのももっともなことではある。”

“問題は、ナザレ人の陰気な、やせ細った、反感覚的、超精神的なユダヤ教が世界を支配すべきか、それともヘレニズムの快活と美を愛する心と薫るがごとき生命の歓びが世界を支配すべきであるかということなのだ。”
   ―――「精霊物語」より



「精霊物語」「流刑の神々」という題から、ものを知らぬ私はずっとこれが、沈鬱かつ悲しく、それでいて美しく端正な、もの思わしげな青白い美青年的イメージを持つ文章だと想像しておりましたが、読んでみて、まあ多少はイメージ通りな感じはあるにはあったのですが、何と言うかむしろ裏切られたと感じるほど猛烈に面白かったです。私はハイネのことをろくに知らぬまま勝手なイメージを作り上げていたわけですが、こんなに面白い人だったとは思いもしませんでした。面白すぎる。

ここに書かれていたのがどういうことだったのかを簡単にまとめれば、本の表書きにもあるように「キリスト教が仮借ない非寛容性をもってヨーロッパを席巻していったとき、大陸古来の民間信仰はいかなる変容をしいられたか」ということだと思います。そもそも私はこのあたりのことが知りたかったためにこの本を読もうと思ったのではありますが、実際に読んでみると、ハイネによって取り上げられているドイツおよびヨーロッパ各地の伝説・伝承などの内容が面白すぎて、本題よりもむしろそちらにばかり気を取られてしまいました。どの物語も、またそこに登場するキリスト教に逐われた神々や精霊たち、いずれもやたら魅力的で想像力を刺激します。彼等は次第に悪魔的存在として扱われるようになるらしいのですが、私は悪魔的なものが好きなので、それぞれの逸話はとても興味深く読めました。同時に、私がなぜ悪魔的なものを好むのかということについても、いくらかヒントを得たように思います。

「精霊物語」で取り上げられている〈ローマ近くのある邸宅の庭で友人たちと球を打って遊ぶ騎士の伝説〉からは、メリメの「イールのヴィーナス」を思い出しました。あれはこの伝説をもとに書かれてたのでしょうか。騎士が遊ぶ間、邪魔になるので指輪を女神像の指に嵌めたら抜けなくなり、ここで騎士と女神像の婚姻が成立してしまったために、騎士は人間の女との結婚生活を妨害されるという物語です。ちなみにメリメによるお話は、それはそれは凄惨で、忘れがたい物語です。

〈ヴェヌスとタンホイザーの物語〉からは、ゴーチエの「死霊の恋」を思い出します。愛すべき吸血鬼クラリモンドがヴェヌスで、タンホイザーになり損ねたのがロミュオーということだったのでしょうか、もしかして。

「流刑の神々」で取り上げられた物語の中では、ハイネの友人という漁師のニールス・アンデルセンが語って聞かせる「ユピテルのその後」のお話が面白かったですね。とても。これはすごく面白かった。


というわけで、追い払われた神々と精霊たちの物語を密かに受け継いでいたヨーロッパの精神的土壌の豊かさを、ちらりと垣間見たような気がしました。たくさんの物語を語ってくれるハイネの意外に熱い語り口には、なにか夢中になってしまうところがあったのでした。部分的に何度も読み返しそうな予感がする1冊。




下描き

2009年04月19日 | 自作まんが





新しいマンガを描くことにしました。
今度のは同人誌用ではなく、いつか出したいと思っている個人作品集に収めるためのものです。細かい短篇マンガとかイラストだけを集めて、1冊作るのが夢。しかし今のところは作品集にするには作品の数が全然足りていないので、まずとにかく何か描かなくてはなりません。

今回のお話は、全部で3ページの短篇。例によって黒いネコとかペンギンとか白いネコが登場し、分量も短く内容も相変わらず特に事件が起こるでもなくもやもやしていますけれど、構造がこれまでとは違っているところが見どころです。なんと、「主人公」(というか話題の中心人物)と「語り手」が別になっています。いつの間にかこんな高度なことが出来るようになってたなんて(少なくとも出来てるような気にはなれるなんて)、感激です。
ちなみに「語り手」はペンギンなのですが、後々はこのペンギンのアステリスクを「語り手」に統一したシリーズとかにも出来そうだな……というのは独り言ですけど。ふむふむ。そうしよう。


それにしても、せっかく下描きを作った(←ちなみにカレンダーの裏;)のに、まだ清書しなければならないというのが辛いですね。いや、むしろ清書こそが本番なのですけどね。同じのを描き直すのがねぇ、面倒なんですよね。でも、綺麗に清書した方が見栄えが良いに決まってます。がんばろうっと。






出会いは即ち前方への一跳躍である

2009年04月18日 | もやもや日記
水上バスにも乗った
大阪はほんとうに「水の都」だった




私にはひとつだけ特技があります。これだけは、恐るべき才能だと、自信を持って言えます。それは、素敵な人と知り合いになれること。全面的に受け身で、かつ強度の引きこもり属性の私が、これだけ多くの素敵度の高い友人・知人に恵まれているというのは、もうほとんど驚異です。奇跡の世界です。遠慮なく盛大に驚いてくださって結構です。私も驚いています。


ということで昨日は、久しぶりにお友達のkajiさんとお会いしたのですが、そこへなんとkajiさんのお友達のユキさんも来て下さいました。

ユキさんは、同人誌『ツルバミ』に、kajiさんと合作で素敵な絵を提供して下さった方です。そのご縁もあり、私は以前からkajiさんに「ユキさんに会いたいので、今度紹介してください」とお願いしてあったのですが、まさか昨日さっそくお会いできるとは思わなかった。わざわざ出向いて下さったことにひたすら感激です。

で、kajiさんも相当に魅力的な方なのですが、そのお友達のユキさんもまたかなり素敵な方でした。何と言うか、エネルギーがほとばしっています。私はそういう人が好きなので、率直に言うと、まあ、すぐにユキさんが好きになりました。

人には色々な魅力というのがあるものですが、ユキさんの素敵なところは、言葉がまっすぐなところ。びっくりするほど、まっすぐ。

出来上がった同人誌をユキさんにもお渡ししたら、私の描いたマンガのことをすごく褒めてくださるので、恐縮してしまいました。私は贅沢なことに、と言うか無礼なことにと言うか、こういうことを書くと怒られそうですが、普段はたとえ人から褒められることがあっても、あまりそれをそのまま言葉どおりには受け止められません。私は私の成果物というものに対しては「精いっぱいやったけれど、そのこととそのものの良し悪しとは別。全然たいしたものには仕上がらなかった、というかどこが面白いのかサッパリ分からん」というように自虐的なまでに自信が無く、私が作ったものを褒めてくれるのは、その人が優しいから(私の周りには優しい人ばかりだから尚更)、私の労力に対して単にねぎらうつもりで褒めてくれるのだ、と、つい思ってしまうのです。正直に告白すると、そうなのです。

でも、昨日は、ユキさんの言うことは、そのとおり信じなくてはいけない気がしました。「作品」としての良さがあるんじゃないかと信じなくてはいけない気がしました。私はいつもどおり「いえ、全然なんでもないものですよ、べつに」と言ってしまったのですが、それが実はすごく居心地が悪かった。ユキさんのまっすぐな言葉に、こういう返し方は間違っていると思えて仕方がありませんでした。

結論から言うと、私はきっと間違っています。
私は、人の言葉をもっと信じなくてはいけないのです。せっかく一生懸命に伝えようとしてくれているのだから、私はそれを信じなくてはならない。人の言葉を信じたいのに信じ切れないところに、私の愚かさと苦しみのほとんどがあるのだということを改めて考えさせられました。私は12歳のあの時から、結局すこしも成長していない。私が本当の意味で言葉を取り戻したいなら、私自身が心から率直でありたいと願うならば、向けられた言葉をそのとおり過不足なく受け入れる勇気を持たなければならないのかもしれません。こんな反省を促す強さが、ユキさんの言葉にはありました。

私は人やものとの出会いの価値を信じているので、この出会いにも大きな意味があり、私の今後の調子が上向くだろう予兆ととらえています。そして、さっそく上向いています。

kajiさんも、ユキさんも、私の大切な友人諸君も、この記事をご覧のみなさまも、私と出会ってくださってありがとうございます。私は、あなた方の言葉を今こそ本当に信じたい。信じたくてたまらないものを私はずっといくらか裏切っていました。コミュニケーションにおいて大切なのは、私が思ったことをそのとおりに伝える努力をするのと同時に、相手の言うこともそのとおりに聞く努力をすることなのではないかと(努力していたつもりだったけど、「つもり」じゃなくてもっと真剣に本当に)、そう思いました。そうやってようやく、私は生の言葉を取り戻せるのかもしれません。


内心ではこんなことを考えつつ、しかし、それにしてもkajiさんとユキさんのお話を伺うのは楽しかったです。才能豊かで、精力的、行動的な人って素敵ですよね。私もつられて何かやりたくなってしまう。

何を書いたのだかあまりまとまりがありませんが、人との出会いは自分を成長させてくれるという意見には、私は全面的に賛成だという話です。いや、ほんと、実に素晴らしい。
どうか、みなさまにも、いつかお目にかかれる日が来ますように!!
そして、すでにここへ来てくださったことに、それにより、わずかながらでもお知り合いになれたことに、心からの感謝を申し上げます。
おかげさまで、ほら、私は飛び上がりそうですよ。
出会いは即ち前方への一跳躍なのであります。

よね?