8月はあちこちの高齢者施設やあたらしいサポートの形を見学させていただく幸運に恵まれました。少しずつ報告をしてまいります。
第一弾は「キムチと梅干しがある老人ホーム」として有名な『故郷の家』。
設立の発端となったのは現理事長田内基氏(韓国名・尹基)の新聞投稿。田内さんのお母様田内千鶴子さん(尹鶴子)は、朝鮮総督府官吏の娘として植民地時代の韓国にわたり、キリスト教牧師の尹致浩氏と結婚、四児をもうけた。敗戦でいったんは日本に帰ったが、孤児院を運営する夫と孤児を心配し再び韓国に渡る。韓国名を名乗り、孤児達の母となってこの地で暮らす決意をするが、朝鮮戦争が勃発、夫は食料調達にでかけたまま行方不明になる。その後孤児3,000人を育て上げた功績が認められ韓国の文化勲章を受章、亡くなったときには孤児院の所在地木浦市の市民葬で送られている。そこまで韓国に同化した千鶴子さんだが、亡くなる前に「梅干しが食べたい」とつぶやいたという。これが忘れられなかった息子の基氏は、高齢になった在日一世たちに思いをはせる。在日の人々がキムチを、日本人は梅干しを食べられる老人ホームを創りたい。この投稿に共感した多数の人々の応援があり、1989年に最初のホームを大阪・堺市に開設、今は関西に4カ所の特養ホームや多くのデイサービスなどを持つに至っている。
以前から行ってみたかった『故郷の家』だが、今回訪ねたのは阪神淡路大震災で最も被害が激しかった神戸市長田区にある3番目の特養ホーム。玄関を入ると、立派な韓国の家具や美しい衣装の人形が置かれ、このホームの来歴を教えてくれる。入居者の割合は在日6:日本人4。「ここの入居者は良いですよ。二つの文化が一度に楽しめる」とおっしゃる。韓国からの留学生ボランティアも多く、思う存分母国語でのおしゃべりができる。以前えんのグループホームに入居されていた在日の方が、混乱すると韓国語のみになり、「旅の韓国語会話」がスタッフの必携になったことがあるが、やはりここのようにはいかなかった。誕生会の席でチマチョゴリで正装した入居者が、やはりあでやかな正装の女性達に拝礼を受けている写真が印象的だった。昼食にはもちろんキムチと梅干し、たくあんがテーブルに置かれ、美味しそうな韓国風スープが配膳されていた。
在日韓国・朝鮮人の高齢化も一世の時期を過ぎ、これからは二世、三世の時代に入っていく。であれば一世のメンタリティや言葉の問題とは違った課題が出てくるだろう。また、増え続けるアジアやブラジルなど多国籍の人々が老いて来たときの対応もいずれ必要になってくる。アメリカ合衆国西海岸では、ヒスパニッシュ、日系、中国系等々とそれぞれの老人ホームがあると聞いた。文化の独自性を守りながら、共生を目指す高齢社会。大きなテーマに取り組んだ『故郷の家』からはまだまだ多くのことを学ぶことができる。
(ちなみに、ここで働いていた韓国からの留学生が、大学院で学びながらえんでアルバイトしてくれています。)
第一弾は「キムチと梅干しがある老人ホーム」として有名な『故郷の家』。
設立の発端となったのは現理事長田内基氏(韓国名・尹基)の新聞投稿。田内さんのお母様田内千鶴子さん(尹鶴子)は、朝鮮総督府官吏の娘として植民地時代の韓国にわたり、キリスト教牧師の尹致浩氏と結婚、四児をもうけた。敗戦でいったんは日本に帰ったが、孤児院を運営する夫と孤児を心配し再び韓国に渡る。韓国名を名乗り、孤児達の母となってこの地で暮らす決意をするが、朝鮮戦争が勃発、夫は食料調達にでかけたまま行方不明になる。その後孤児3,000人を育て上げた功績が認められ韓国の文化勲章を受章、亡くなったときには孤児院の所在地木浦市の市民葬で送られている。そこまで韓国に同化した千鶴子さんだが、亡くなる前に「梅干しが食べたい」とつぶやいたという。これが忘れられなかった息子の基氏は、高齢になった在日一世たちに思いをはせる。在日の人々がキムチを、日本人は梅干しを食べられる老人ホームを創りたい。この投稿に共感した多数の人々の応援があり、1989年に最初のホームを大阪・堺市に開設、今は関西に4カ所の特養ホームや多くのデイサービスなどを持つに至っている。
以前から行ってみたかった『故郷の家』だが、今回訪ねたのは阪神淡路大震災で最も被害が激しかった神戸市長田区にある3番目の特養ホーム。玄関を入ると、立派な韓国の家具や美しい衣装の人形が置かれ、このホームの来歴を教えてくれる。入居者の割合は在日6:日本人4。「ここの入居者は良いですよ。二つの文化が一度に楽しめる」とおっしゃる。韓国からの留学生ボランティアも多く、思う存分母国語でのおしゃべりができる。以前えんのグループホームに入居されていた在日の方が、混乱すると韓国語のみになり、「旅の韓国語会話」がスタッフの必携になったことがあるが、やはりここのようにはいかなかった。誕生会の席でチマチョゴリで正装した入居者が、やはりあでやかな正装の女性達に拝礼を受けている写真が印象的だった。昼食にはもちろんキムチと梅干し、たくあんがテーブルに置かれ、美味しそうな韓国風スープが配膳されていた。
在日韓国・朝鮮人の高齢化も一世の時期を過ぎ、これからは二世、三世の時代に入っていく。であれば一世のメンタリティや言葉の問題とは違った課題が出てくるだろう。また、増え続けるアジアやブラジルなど多国籍の人々が老いて来たときの対応もいずれ必要になってくる。アメリカ合衆国西海岸では、ヒスパニッシュ、日系、中国系等々とそれぞれの老人ホームがあると聞いた。文化の独自性を守りながら、共生を目指す高齢社会。大きなテーマに取り組んだ『故郷の家』からはまだまだ多くのことを学ぶことができる。
(ちなみに、ここで働いていた韓国からの留学生が、大学院で学びながらえんでアルバイトしてくれています。)