えん日記

NPO法人暮らしネット・えんのつぶやき

誰も排除されない社会を目指す ~津久井やまゆり園事件に~

2016-09-05 16:08:56 | Weblog
 7月26日、相模原市の「津久井やまゆり園」の入所者19人がいのちを奪われる事件があった。やりきれない思いの中で、どう考えたらよいのか、何ができるのか悩む日々である。
障害当事者や支援団体、精神科医などからの声明や意見は心を澄ませてしっかりと聞かねばならない。そんな中で私見というほどのものはないが、追悼の思いも込めて考えてみたい。
容疑者は元介護職員だった。やまゆり園には4年間勤務していたという。4年という年月は決して短くないし、報道されているような差別感情を最初から持っていたのではないだろう。「勤務の中で入居者と気持ちが通う経験もしただろうに」という意見も見られたが、「話せる」と確認した人は殺傷していないと報道されているというから、少なくとも彼のいう「安楽死の対象」と考えていないのだろう。だとすれば、話せない重複障害の人にも豊かな生命力と感性があることに気がつくことはできなかったのか。いれにしても、守るべき入居者たちの命を19人も奪うほどの感情をやまゆり園勤務中に育んだことは深刻受け止め、検証を続けていかねばならない。単に一人の「おかしな人」が起こした事件で片づけるわけにはいかない。

相次ぐ介護施設での事件
わけても高齢者介護と障がい者福祉(在宅介護)の事業者である私が考え続けなければならないのは、介護職員(元職員)による殺人事件が相次いでいる事態だろう。
介護職員による入居者殺害事件はこの数年でもいくつか起きている。中でも衝撃的だったのは今年3月に川崎市の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で入居者3人の転落死事件容疑者が逮捕された事件だ。高齢者が3人、いずれも深夜に高さ120㎝の柵から転落死した。2014年11月から12月までの2か月足らずの間だ。物証に乏しく立件が困難だといわれた事件で、容疑者段階で決めつけてはいけないが、この事件の経過には心底驚く。足腰も十分に立たない80代90代の高齢者が高い柵を乗り越えて転落死したら、一人目の事件で疑問を感じなかったのだろうか。結局3人が亡くなるまで(殺害されるまで)容疑者となった職員は働き続けた。このホームでは、夜勤帯は80人定員に対して3名の職員で担当していたそうだから、ひっきりなしのナースコール、細かく定められた定時の巡回で、休憩や仮眠も十分にはとれないだろう。有料老人ホームの離職率は介護職種の中でも高い。だからこんな事件がありながら立ち止まることができなかったのか。ここでは虐待事件も発覚、老いた身をゆだねる老人ホームの現実に暗澹とした方も多いだろう。
2010年2月には春日部市の特養ホーム「フラワーヒル」で、容疑者が入職してからわずか1週間のうちに4人の入居者が変死した事件があった。立件されたのは一件のみで、埼玉地方裁判所で懲役8年の判決が出ている。しかし、あとの3件は証拠不十分で不起訴になった。
この二つの事件は発生直後に「事故扱い」で警察に通報されることもなかったため、証拠保全がされず(遺体は火葬済み)、春日部の事件では1件だけの立件になった。シロウト考えだが、川崎の事件も同じ経過をたどるのではないだろうか。
こうした扱いになるのは、施設に入居している超高齢者は「もう十分生きた」という暗黙の了解が共有されているからではないか。1週間に1件は起きている計算になる家族による介護殺人の場合も、近所などから嘆願書が出るケースも見られ、比較的量刑が軽く執行猶予がつくことも多いようだ。
30年以上前になるが、新座市内在住の障がい者が親に殺害された事件で周囲から嘆願書が出たとき、障がい当事者たちが「殺されてもよい命なのか」と抗議した。けれども数々ある高齢者への虐待事件で高齢当事者が抗議の声を上げたことは聞いていない。有料老人ホームの居室でテレビニュースを見ながら、ひとり怯えている高齢者がどれほどいるのだろうか。
事件直後に開催された内閣府の障害者政策委員会では、犠牲者に黙祷をささげてから会議を開始したという。川崎事件の容疑者逮捕直後の社会保障審議会介護保険部会では、黙祷もなく誰ひとりこの事件に触れることはなかった。

事件の根っこにあるもの
介護職員による虐待事件全体の根っこには、人手不足のために起きる適性がない採用や過労、OJT不十分による職員の知識・技術不足がある。職員教育に時間を割き、職員が困ってしまうような症状や行動を相談できる、対応を教えてくれる環境があれば、半減できるのではないだろうか。そして、低賃金。「人生お金だけじゃない」と言ってみても、やはりこの世の評価はお金が絡む。やまゆり園容疑者の時間給は905円、神奈川県の最低賃金だったと報道された。コンビニのバイトより低い賃金は、追い回されるような忙しさ、障がいがある人々の介護をする感情労働のたいへんさを社会が評価しているとは思えない。
 酷暑の夏、介護職員の労働はいつにもましてきつい。熱中症で倒れないだろうか、精根尽きて離職するのではないだろうか。介護現場はどこも疲労の影が濃い。暮らしネット・えんにしてもそんなに余裕のある人員配置はできていないから、とりわけ気にかかる。介護に係わるものは声を大にして訴えよう。「介護現場に余裕を!」。これこそ介護現場での虐待防止の有効な策であると。

犠牲者への償いは、誰も排除しない社会を目指すこと 
 もうひとつ深く考えなければならないのは、容疑者が衆院議長に宛てた手紙や逮捕後の発言で為政者がこの凶行を承認すると思い込んでいることだ。こうした思い込みを介護現場にいたものが抱くにいたったのには、彼が殺害した人々=重度障害者を国家が大切にしているという実感を得られなかったこともあるのではないか。そして彼は「重複障害者」」を殺害することで自らを権力の側に同化するという捩れきった思い込みに陥り、凶行に走った。あまりにも無残で悲しい。
この事件の背景には、私たちの社会が抱える能力至上主義と小さな差異で排除する風潮があるといってよいだろう。社会全体を息苦しい競争原理が覆っている中での事件である。とんでもない異常な事件として片付けてしまう事はできない。なぜなら小さな違いをあげつらって他者を貶めたい暗い欲望は私自身にもある。その誰もが持っているだろう小さな差別感情を肥大させない道筋は、支えあって生きていく土壌を耕すことから始まる。それは、倦まずたゆまず終わりがない、例えば私自身の生が終わるときにバトンを渡し続けていく営為である。
 そして、犠牲者を悼みつづけること、誰も排除せず排除されない社会を目指して行動を続けること。自分自身にそう言い聞かせている晩夏。

(この原稿を書きながら、いくつもの深く同意する意見、発言、声明にであった。たとえば脳性まひがある小児科医熊谷晋一郎さんへのインタビュー http://www2.nhk.or.jp/hearttv-blog/3400/251180.html 日本精神医学会の声明 https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/sagamiharajiken_houiinkaikenkai.pdf)

シニアコミュニティ2016.9掲載原稿に加筆

保育士も、介護士も

2016-03-14 18:10:37 | Weblog
「保育園落ちた!」のツィッターがネット、メディアをにぎわしています。
言葉は乱暴ですが、痛いほど思いが伝わってきます。
多くの共感を得て、国会前に「保育園落ちたのは私だ!」と多くのお母さんが集まったとか。
政治の鈍感さに怒りが頂点に達したのでしょう。
それにしても、「保育園の建物は造れるが、保育士が集まらない」って、保育園に『介護施設』、保育士に『介護士』を当てはめても同じことではありませんか。
よくよく考えてみると、「介護離職ゼロ」と言いながら実効性のある施策はまるで出てこない。
「女性の活躍」を謳いながら保育園増設はしない。
この国は、親の介護は子どもが、子育ては母親がすべきだという信念(本音)のもとに政治が行われているのではないか。
そして、女性が多い職業の典型である介護職、保育士なんて「女なら誰でもできる」と未だに思っているのではないか。
少し前、女性の社会進出度が世界43位と報じられていました。前年が38位で順位をまた下げています。
そして、男性の賃金に対する推定割合は46%。
40年以上も前、私の子どもも「保育園、落ちた!」のでした。
実は、えんにとっても「保育所」は検討課題です。
子育て世代が安心して働くために事業所内保育所が欲しいとずっと考えています。
仕事に報いられる賃金が支払える施策でさえあれば、カンタンなことなのですが…。



認知症踏み切り事故判決とグループホーム

2016-03-03 14:50:58 | Weblog
昨日、JR東海の踏み切りで亡くなった認知症高齢者の家族の責任を巡る判断が最高裁で下されました。
判決は、家族の監督責任も賠償責任も認めない画期的なものになりました。長い介護生活の上に不慮の事故での死去、その上に監督責任や賠償を求められるのはあんまり酷です。
ほんとうに良かった!
この件で、私のコメントが昨日の朝日新聞社会面に載っています。
以下に抜書きします。

 認知症の人のグループホームを運営するNPO法人(埼玉県)代表理事の小島美里さんは「画期的な判決。認知症の本人、家族の介護の苦労を身近に見ている者としてうれしい」と喜んだ。一方で「専門職でも事故をゼロにすることはできない。社会全体でリスクを負う方策を考えることが大切だ」と話した。

極々短いものですが、一審、二審の判決を読み、法律家や研究者に意見を求め、準備に時間をかけました。
最高裁の判断は、このケースについては責任は問わないものの、全てのケースに適用されることにはなるとは言っていません。
介護事業を運営する立場からなので、もし同様の事故をグループホーム入居者が起こしたら事業所の責任はどうなのだろうか、という前提が横たわっているからです。
えんは、開設以来基本的に「鍵をかけないケア」をしています。
おまけに、グループホームも小規模多機能型も開放的なつくりで、玄関だけでなくどこからでも出られる構造。ですから、玄関の人感センサーが鳴ったときは事務局も気をつける、一人で外出仕様とする人を見かけたら部署を問わずあとからついていく、近所の商店などにも協力して見守ってもらう、などソフト面でのガードを厚くしています。
それでも、早朝や休日で人手が少ない時間帯に出かけて、見つかるまでに半日ぐらいかかったことは何度かあります。。
一番遠くで見つかったのは、西国分寺駅。およそ15km離れていますが、どうやってたどりついたのかもわかりません。
正直言って、事故にあったらどうしたらよいのだろうか、しんそこ不安になります。
けれども、厳重に施錠している高齢者施設で、トイレの天窓、掃き出し口と、驚くようなところから「脱出」を遂げる方の話も聞きます。
人は閉じ込められたくないのです。外出したいのです。
施錠閉じ込めは「管理する側」の理屈。ご本人にすればいいオトナが外出して何が悪い、と思うでしょう。
悪いことをしたわけではありません。誰かに危害を加えたり損害をあたえることはめったにありません。
それに「徘徊」という言葉もよくないですね。
一からげに「徘徊」といっても、ざっと分けると7つぐらいに分かれるほど、原因、理由もさまざま。
(これについては、後日項をあらためて書いてみましょう)
対応の方法もそれぞれ異なります。
介護職員であっても、かなり経験を積まないと対応が難しいことが多いのです。
まして、この介護職員不足。
ともあれ、認知症の人は社会全体見守るほかないと思います。
被害が発生したときのためには、基金や掛け金がごく小額の共済保険などで対応できないでしょうか。
さまざまに考えさせられる事件でした。
   



明けまして おめでとうございます!

2016-01-04 12:03:23 | Weblog
例年にない暖かなお正月、いかがお過ごしでしたか。
順調に回を重ねていたブログですが、昨年9月以降更新せず年を越してしまいました。
たまにのぞいてくださっている方もいらっしゃるのに、ほんとうにごめんなさい。

さて、年の初めには決意を語らねばなりません(「どうせ空約束でしょ」と言わないでください)。
この4月、わたしたちがボランティアグループから堀ノ内病院の在宅福祉部門として再スタートから20年になります。
介護保険法が成立する1年前のことでした。
激動の日々を記録しておかなければとずっと考えてきたものの、実現していません。
ことしこそ、必ず1冊にまとめます。
ここで書いておくと言い訳ができないので、あえて「決意表明」します。





   



一人暮らし 孤立しない

2015-09-21 11:50:10 | Weblog
昨日9月21日朝日新聞朝刊社会面「認知症社会 支える」に多機能ホームまどかの支援例が掲載されています。
この企画が始まるとき、知り合いの担当記者さんとお話しする機会がありました。
超高齢社会は「認知症社会」で、毎日のようにメディアで取り上げられ、それもたいていが「ああなったらどうしよう!」と思わせる内容。
あれでは偏見を助長しかねない。もうちょっと、違う角度から取り上げられてもよいのではないか。
認知症も人それぞれで、症状の段階によって付き合い方があり、それなりに穏やかに人生の最終段階に向かう方も少なくない、個人差があるけど、ある時期まで一人暮らしもできる、そんなことをもっと知って欲しい。
是非そんな企画をと要望しました。

そうしたら、数ヶ月して連絡があり、一人暮らしの方を取材したいとのこと。
独居の認知症の方を取材対象にするのはけっこう難しいのですが、ご本人と家族の協力を快く得られて、無事記事になりました。
ご感想、聞かせてください。
(↓ こちらです)

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11974237.html

署名にご協力を!

2015-08-14 17:31:27 | Weblog
もの心ついてこの方、「戦後」でした。
平和が当たり前、戦争は遠くの国で起きていることでした。
ところが、何を血迷ったか憲法改正せずに戦争ができる国にしようという法案が出され、先月には衆議院で強行採決されてしまいました。
そんな折、南房総の有床ホスピス診療所『花の谷クリニック』院長が「安全保障関連法案に反対する医療・介護・福祉関係者の会」を準備してくださり、わたしも呼びかけ人に加わりました。
この署名活動、なんとしても1万人を超えたいと思います。
署名は、↓のホームページから直接入ることが出来ます。

http://heiwa-inochi.sakuraweb.com/

また、1人用5人用の署名用紙も用意されています。
どうぞご協力ください。
高齢者が3割近くにもなるこの国で必要なのは、「兵士より介護士!」です。

夏休み

2015-08-13 15:52:15 | Weblog
世はお盆休暇真っ只中で、さすがにえんの事業所にかかってくる電話の本数も少なく、実家に帰省している職員も多い。
けれども、利用者さんには「お休み」はない。
特に訪問介護は、
世の中が大型連休のときは、ヘルパーの手配が大仕事になる。
子どもが小さければ休みの日にでるのは難しい。
自分自身を振り返って、子育てを楽しむ余裕がなかったことが時々悔やまれる。
「うるさい母親が仕事に夢中で、あんまり口出ししなかったので助かった」
おとなになったわが子たちの言い分が救いだが。
でも、若いスタッフに同じことをさせてはいけない。
終えてしまうと、子育てにタイヘンな時期は人生のほんの一時期。
働きつつ子育ても大切にできる体制は大きな課題だ。
夏休みの子どもを連れて事務所に立ち寄る職員の姿を見つつ。

グループホームえんの午後

2015-07-10 11:01:55 | Weblog
昨日の午後の小一時間ほど、私は何も「仕事」をせず、ソファーに座って過ごしていました。
私の左隣には3人の入居者さんが並んで座っています。
お隣の方はしばらく前から、うつらうつらと居眠りをしています。
左端のAさんはふだんからほとんど人との交流を持ちません。
このときもキロキロと目だけを動かし、少し緊張して座っていました。その姿は、ここにいたほうが安全か、それとも他所へうつったほうがよいのか常に当たりを警戒する小動物のようです。
間に座ったBさんはいつも穏やかです。
この時も窓の外に降る雨や木々の緑を見たり、私と目を見交わしたりしながら、ニコニコとおしゃべりしていました。
時折、両隣の人に「大丈夫?」、「寒くない?」と声をかけます。そのたびに「うるさいなあ」、「何度も同じこと訊かないでよ」とうるさがられますが、ニコニコしています。
お昼前から振り出した雨は本降りになりました。
もうずっとお日さまを見ていません。雨にぬれた緑は美しく緑にもさまざまな色があるのだと気づかせてくれます。
私は団扇でそっと風を送りながら考えていました。
この方たちの、今、目の前を流れていく時間はどんな形をして、どんな色をしているのだろう…。
Aさんは、友人も近隣との交流もなく、きょうだいとも長く疎遠です。
その方が人生の終わりちかくになって共同生活に身を置き、警戒しながらも、入居4年目の近頃は、ここで暮らすことに”腹を括った”ように見えます。
Bさんは、自宅前の河川改修工事を行政に求めた際には近隣住民の中心となったそうです。
「厳しい母でした」と娘さんは語っていましたが、今は観音様のようです。
私の隣に座ったCさんは、幼いころから親御さんを助けて働き、弟妹の面倒を見て着ました。働きに働いて戦前戦中戦後を生きてきた方です。
人にも自分にも厳しい方でしたが、この頃はぼんやりとする時間が増えました。

はい、グループホームえんの職員は、こんな風にただ座っているだけ(の時間もある)でお給料が頂けるありがたい仕事です。
これから、不定期ですが、皆さまに、その”お福分け”をしてまいります。
グループホームえん(暁)


デイホームえんの報告から

2015-07-01 11:55:03 | Weblog
総会を終えて早くも10日、ご参加の皆さん、ありがとうございました。
今回事業報告の中でデイホームえんからチョットいい報告がありましたので、ここに載せさせていただきます。
ご感想お寄せください。

今年2月から通われているAさん(女性)は、中年から耳が聞こえづらくなり現在はほぼ聴力がありません。
通い始めたころは、持参された小さなホワイトボードを使ってスタッフは筆談、Aさんは口頭でコミュニケーションを取っていました。
しばらく経つと他の利用者さんたちもホワイトボードで筆談されるようになりました。
穏やかで明るいお人柄もあって、Aさんの周りには笑い声が絶えません。
ある時、Aさんはじっと目を閉じ考えてていられる様子です。そして、おもむろにホワイトボードを手に取り一句詠まれたのです。
スタッフが皆さんに披露すると、女性の利用者さんたちが次々と句を返され、まるで小さな句会のようになりました。
本日このあと上映される『パーソナル・ソング』のようにAさんに音楽を聴くことはできませんが、風や雨の音、鳥や人の声をいつも感じているのだと思いました。
感性豊かなAさんや利用者さんたち皆が、いつでも句を詠める場でありたいと願っています。

 森騒ぐ 帰るに重き 帰路の足 (えんの庭を見て)

日曜日は総会です!

2015-06-18 11:54:56 | Weblog
13回目の定例総会を明日21日開催します。
設立総会も含めれば14回。よくぞ回を重ねたものよ、とつくづく思います。
今年の総会議案書は56ページの「大作」。
あんまり分厚くなるのもよくないと、昨年ページ数を減らす努力をしたのですが、今年はまた増えてしまいました。
その原因は、事業の数が年々増えていること、代表を含め文章がながいこと(簡潔でない)が上げられます。
記録として残しておく意味もあるのですが、全部読んでくださる方に感謝!
その分厚い議案書を基にした総会も2時間近い長丁場です。
総会終了後には、お知らせしたとおり『パーソナル・ソング』の上映会です。
こちらは入場無料!!
誰でも入れます。
たくさん来てくださるとうれしいです。