以下は康花美術館・ブログ(3月30日)からの転載です。
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4月3日から開催する企画展「康花・絵の旅路2-青春」では、油彩「ベートーヴェン」と「美しい人」を並んで展示しています。
画集『夢幻彷徨』でも触れていたように、須藤康花の作品は非常に難解で紐解くのに時間がかかります。画集では「美しい人」の解説で、「ベートーヴェンを下地に描いた」と単純に技法的な面だけを取り上げましたが、実は館内でベートーヴェンの第九交響曲を流している内に、デスマスクを描いた背景には、もっと深い意味のあること気付かされたのです。
ベートーヴェンは若き日、聴覚を失ってゆくことに失望し自死しようとしますが、命ともいうべき音楽を捨てがたく芸術に生きることに活路を見出します。死すべきか生きるべきか呻吟する中で、第九の原点とも言うべき合唱「歓喜の歌」の作者であるシラーに共鳴していたベートーヴェンは、「人間を非人間的状況から解放するためには、まず美的なもの(芸術ー筆者)を通過しなければならない。というのは我々を自由へと導くのは美なのだから」と言うシラーの言葉に励まされていたに違いありません。ベートーヴェンの『ハイリゲンシュタットの遺書』(青空文庫)がそれです。その後、聴覚を全く失ってしまったベートーヴェンが、助手の助けを借りて第九の初演を指揮したことに全てが言い表されています。助手等に促されるまで、演奏後背後の万雷の拍手に気付くことがながったと言われている情景が眼に浮かぶようです。その場面を再現した映画『ベートーヴェン』を観た康花の脳裏にも強く刻み込まれたことでしょう。彼女はベートーヴェンが若き時代に記した『ハイリゲンシュタットの遺書』を重ね合わせることによって、常に弱い者と自覚している自らを鼓舞しようとしたのだろう、と遅ればせながら展示作業をしながら思い至ったのです。
母を亡くした後、病もちの彼女は一時絶望して遺書を書き自死を試みようとしましたが、母を想うがゆえに自死することはしませんでした。しかしながらその後の彼女の青春は、闘病生活の中での絶え間なく襲来する死への誘惑との葛藤でした。「ベートーヴェン」は銅版画の「嘔吐」などともに、死の誘惑に打ち勝つために作家として生きることを改めて自己確認、否それ以上に自己叱咤するために題材として選んだ、と言うことなのでしょう。それも彼女にとっても、描くと言う芸術表現があったからに違いありません。
そこで今回の「ベートーヴェン」の展示には、「ハイリゲンシュタットの遺書」を付け加えることにより、「美しい人」とともに作品理解の一助とした次第です。ちなみにドイツのトーマス・マンとともに20世紀最大の文学者とされているフランスのマルセル・プルーストは『失われた時を求めて』の中で、「人生最高の真理は芸術にある」と記しています。
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ところで、先週来、田んぼ米作りの準備(用水整備、堆肥散布など)を始めていますが、既報の通り昨年は“イネモドキ”「ノビエ」にやられ、散々な目に会いました。そのノビエ、刈り取った後、土手に捨て置いた他は焼却に努めてきましたが、それでも焼却しきれないものも多く残り、今年もその付けが回ってきそうな気配です。米作りをして約20年、もっとも後の10年余は大分手抜き状態ではありましたが、有機農法の難しさを、馬鹿にするなとこっぴどく教えられた一年でした。別の言葉で言えば、「新しい発見」でもありました。齢八十に近づきつつありますが、知に尽きるところなく、無知を知るばかり、人生もそれぞれ誠に不可解です。
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4月3日から開催する企画展「康花・絵の旅路2-青春」では、油彩「ベートーヴェン」と「美しい人」を並んで展示しています。
画集『夢幻彷徨』でも触れていたように、須藤康花の作品は非常に難解で紐解くのに時間がかかります。画集では「美しい人」の解説で、「ベートーヴェンを下地に描いた」と単純に技法的な面だけを取り上げましたが、実は館内でベートーヴェンの第九交響曲を流している内に、デスマスクを描いた背景には、もっと深い意味のあること気付かされたのです。
ベートーヴェンは若き日、聴覚を失ってゆくことに失望し自死しようとしますが、命ともいうべき音楽を捨てがたく芸術に生きることに活路を見出します。死すべきか生きるべきか呻吟する中で、第九の原点とも言うべき合唱「歓喜の歌」の作者であるシラーに共鳴していたベートーヴェンは、「人間を非人間的状況から解放するためには、まず美的なもの(芸術ー筆者)を通過しなければならない。というのは我々を自由へと導くのは美なのだから」と言うシラーの言葉に励まされていたに違いありません。ベートーヴェンの『ハイリゲンシュタットの遺書』(青空文庫)がそれです。その後、聴覚を全く失ってしまったベートーヴェンが、助手の助けを借りて第九の初演を指揮したことに全てが言い表されています。助手等に促されるまで、演奏後背後の万雷の拍手に気付くことがながったと言われている情景が眼に浮かぶようです。その場面を再現した映画『ベートーヴェン』を観た康花の脳裏にも強く刻み込まれたことでしょう。彼女はベートーヴェンが若き時代に記した『ハイリゲンシュタットの遺書』を重ね合わせることによって、常に弱い者と自覚している自らを鼓舞しようとしたのだろう、と遅ればせながら展示作業をしながら思い至ったのです。
母を亡くした後、病もちの彼女は一時絶望して遺書を書き自死を試みようとしましたが、母を想うがゆえに自死することはしませんでした。しかしながらその後の彼女の青春は、闘病生活の中での絶え間なく襲来する死への誘惑との葛藤でした。「ベートーヴェン」は銅版画の「嘔吐」などともに、死の誘惑に打ち勝つために作家として生きることを改めて自己確認、否それ以上に自己叱咤するために題材として選んだ、と言うことなのでしょう。それも彼女にとっても、描くと言う芸術表現があったからに違いありません。
そこで今回の「ベートーヴェン」の展示には、「ハイリゲンシュタットの遺書」を付け加えることにより、「美しい人」とともに作品理解の一助とした次第です。ちなみにドイツのトーマス・マンとともに20世紀最大の文学者とされているフランスのマルセル・プルーストは『失われた時を求めて』の中で、「人生最高の真理は芸術にある」と記しています。
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ところで、先週来、田んぼ米作りの準備(用水整備、堆肥散布など)を始めていますが、既報の通り昨年は“イネモドキ”「ノビエ」にやられ、散々な目に会いました。そのノビエ、刈り取った後、土手に捨て置いた他は焼却に努めてきましたが、それでも焼却しきれないものも多く残り、今年もその付けが回ってきそうな気配です。米作りをして約20年、もっとも後の10年余は大分手抜き状態ではありましたが、有機農法の難しさを、馬鹿にするなとこっぴどく教えられた一年でした。別の言葉で言えば、「新しい発見」でもありました。齢八十に近づきつつありますが、知に尽きるところなく、無知を知るばかり、人生もそれぞれ誠に不可解です。