十数年振り、麻績村に移住して以来初めて風邪をひいて寝込みました。オリンピックと豪雪が重なっている頃でした。雪で我が家が埋まってしまってはと、風邪をひきながら雪掻きをしたのも風邪を長引かせてしまった原因のようでした。幸いオリンピックの熱気が収束するとともに風邪の方も治癒し、昨日は松本の城北地区で「ゴッホと康花」と題し一時間ばかり講演をいたしました。
お集まりいただいたのは50人ほど、お話する前に、参加される方の中に、ゴッホと康花がどう関係があるのか、という質問が主催者に届いていたとのことでした。それにお答えする形で、講演会の内容を簡単に紹介します。
まず第一の答えは、康花が『ゴッホの手紙』を通じて彼の人生と重ね合わせていたことでした。誰にも認められない絵、劣等感と優越感、生と死、病弱、弟への依存(彼女の場合は父親への依存)そして最後の自殺。彼女は自殺こそしませんでしたが。
第二には、母亡き後の彼女の人生そのものがゴッホの生き様と強くむすびついたことです。十代半ばで彼女が受講した通信高校教育に通う仲間たち、老若男女は、額に汗しながら毎日の糧を稼ぐゴッホの「お百姓」たちとつながっていたのです。
太宰治、梅崎春夫を読んで、彼女は「小さな世界の人間がもつ小賢しい姿」「何の希望にもならない」と彼女自身をも切り捨てる一方、フランスの文豪アンドレ・ジッドの『狭き門』や『背徳者』の主人公たちに対して「どうして皆金持ちで、白魚の指をした人たちばかりなのだろう。私の周囲は血みどろの人間ばかりなので、つい現実に照らして、こういう綺麗さが鼻につく」と呟いています。
それはゴッホが手紙に記した「僕はこの貧しいランプの光の下で馬鈴薯を食べているこれらの人々の大皿に延ばされた手こそ、土を掘った手そのものだという考えに、見る人が打たれるようにと懸命に努力した。だからこの絵は、手を使う仕事のことを、またいかに誠実に彼らが自分たちの糧を稼いだと言うことを物語っている。僕はこの絵を見ることによって、人々に文明化された我々とはまったく異なった生活方法のことを考えてもらいたいのだ。」という言葉と、彼女が思春期に思い悩んだ心の内奥と制作への姿勢と重なるものでした。
そして何よりも「俺の絵は苦悩の叫びだ。」と言うゴッホの言葉に共鳴したに違いありません。ゴッホは更に言います。「死者は死せりと思うなかれ。生活のある限り、死者は生くるなり、生くるなり。」
16歳の康花も記します。「私は生きている。幾度か死に損ねてここにいる。そうして今、存在する自分のうしろに、自分の身代わりかもしれない弟と母がいる。どこまでも続く 息苦しい暗闇の 一色の一筋の細い白い道の上に。」『白い道』
康花がその後の作品の中心テーマとした「光と闇」、「生と死」は、十代半ばで出会ったゴッホの生き様が大きく影響していたことは確かなことなのでしょう。ちなみに現在展示中の『光の回廊』13点は、十代後半に制作した彼女が最初?に取り組んだテーマ作品です。
講演を終えて、その足で来館された多くの方々から共感と感動の声をいただきました。3月からは平常通り開館いたします〈月、火休み)。こちら松本にお越しの際にはぜひご来館下さいますよう、お待ちしております。
お集まりいただいたのは50人ほど、お話する前に、参加される方の中に、ゴッホと康花がどう関係があるのか、という質問が主催者に届いていたとのことでした。それにお答えする形で、講演会の内容を簡単に紹介します。
まず第一の答えは、康花が『ゴッホの手紙』を通じて彼の人生と重ね合わせていたことでした。誰にも認められない絵、劣等感と優越感、生と死、病弱、弟への依存(彼女の場合は父親への依存)そして最後の自殺。彼女は自殺こそしませんでしたが。
第二には、母亡き後の彼女の人生そのものがゴッホの生き様と強くむすびついたことです。十代半ばで彼女が受講した通信高校教育に通う仲間たち、老若男女は、額に汗しながら毎日の糧を稼ぐゴッホの「お百姓」たちとつながっていたのです。
太宰治、梅崎春夫を読んで、彼女は「小さな世界の人間がもつ小賢しい姿」「何の希望にもならない」と彼女自身をも切り捨てる一方、フランスの文豪アンドレ・ジッドの『狭き門』や『背徳者』の主人公たちに対して「どうして皆金持ちで、白魚の指をした人たちばかりなのだろう。私の周囲は血みどろの人間ばかりなので、つい現実に照らして、こういう綺麗さが鼻につく」と呟いています。
それはゴッホが手紙に記した「僕はこの貧しいランプの光の下で馬鈴薯を食べているこれらの人々の大皿に延ばされた手こそ、土を掘った手そのものだという考えに、見る人が打たれるようにと懸命に努力した。だからこの絵は、手を使う仕事のことを、またいかに誠実に彼らが自分たちの糧を稼いだと言うことを物語っている。僕はこの絵を見ることによって、人々に文明化された我々とはまったく異なった生活方法のことを考えてもらいたいのだ。」という言葉と、彼女が思春期に思い悩んだ心の内奥と制作への姿勢と重なるものでした。
そして何よりも「俺の絵は苦悩の叫びだ。」と言うゴッホの言葉に共鳴したに違いありません。ゴッホは更に言います。「死者は死せりと思うなかれ。生活のある限り、死者は生くるなり、生くるなり。」
16歳の康花も記します。「私は生きている。幾度か死に損ねてここにいる。そうして今、存在する自分のうしろに、自分の身代わりかもしれない弟と母がいる。どこまでも続く 息苦しい暗闇の 一色の一筋の細い白い道の上に。」『白い道』
康花がその後の作品の中心テーマとした「光と闇」、「生と死」は、十代半ばで出会ったゴッホの生き様が大きく影響していたことは確かなことなのでしょう。ちなみに現在展示中の『光の回廊』13点は、十代後半に制作した彼女が最初?に取り組んだテーマ作品です。
講演を終えて、その足で来館された多くの方々から共感と感動の声をいただきました。3月からは平常通り開館いたします〈月、火休み)。こちら松本にお越しの際にはぜひご来館下さいますよう、お待ちしております。