農文館2

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「ゴッホと康花」と題して講演

2014-02-27 09:28:16 | 日記
 十数年振り、麻績村に移住して以来初めて風邪をひいて寝込みました。オリンピックと豪雪が重なっている頃でした。雪で我が家が埋まってしまってはと、風邪をひきながら雪掻きをしたのも風邪を長引かせてしまった原因のようでした。幸いオリンピックの熱気が収束するとともに風邪の方も治癒し、昨日は松本の城北地区で「ゴッホと康花」と題し一時間ばかり講演をいたしました。
 お集まりいただいたのは50人ほど、お話する前に、参加される方の中に、ゴッホと康花がどう関係があるのか、という質問が主催者に届いていたとのことでした。それにお答えする形で、講演会の内容を簡単に紹介します。

 まず第一の答えは、康花が『ゴッホの手紙』を通じて彼の人生と重ね合わせていたことでした。誰にも認められない絵、劣等感と優越感、生と死、病弱、弟への依存(彼女の場合は父親への依存)そして最後の自殺。彼女は自殺こそしませんでしたが。
 第二には、母亡き後の彼女の人生そのものがゴッホの生き様と強くむすびついたことです。十代半ばで彼女が受講した通信高校教育に通う仲間たち、老若男女は、額に汗しながら毎日の糧を稼ぐゴッホの「お百姓」たちとつながっていたのです。 
 
 太宰治、梅崎春夫を読んで、彼女は「小さな世界の人間がもつ小賢しい姿」「何の希望にもならない」と彼女自身をも切り捨てる一方、フランスの文豪アンドレ・ジッドの『狭き門』や『背徳者』の主人公たちに対して「どうして皆金持ちで、白魚の指をした人たちばかりなのだろう。私の周囲は血みどろの人間ばかりなので、つい現実に照らして、こういう綺麗さが鼻につく」と呟いています。

 それはゴッホが手紙に記した「僕はこの貧しいランプの光の下で馬鈴薯を食べているこれらの人々の大皿に延ばされた手こそ、土を掘った手そのものだという考えに、見る人が打たれるようにと懸命に努力した。だからこの絵は、手を使う仕事のことを、またいかに誠実に彼らが自分たちの糧を稼いだと言うことを物語っている。僕はこの絵を見ることによって、人々に文明化された我々とはまったく異なった生活方法のことを考えてもらいたいのだ。」という言葉と、彼女が思春期に思い悩んだ心の内奥と制作への姿勢と重なるものでした。
 そして何よりも「俺の絵は苦悩の叫びだ。」と言うゴッホの言葉に共鳴したに違いありません。ゴッホは更に言います。「死者は死せりと思うなかれ。生活のある限り、死者は生くるなり、生くるなり。」

 16歳の康花も記します。「私は生きている。幾度か死に損ねてここにいる。そうして今、存在する自分のうしろに、自分の身代わりかもしれない弟と母がいる。どこまでも続く 息苦しい暗闇の 一色の一筋の細い白い道の上に。」『白い道』

 康花がその後の作品の中心テーマとした「光と闇」、「生と死」は、十代半ばで出会ったゴッホの生き様が大きく影響していたことは確かなことなのでしょう。ちなみに現在展示中の『光の回廊』13点は、十代後半に制作した彼女が最初?に取り組んだテーマ作品です。

 講演を終えて、その足で来館された多くの方々から共感と感動の声をいただきました。3月からは平常通り開館いたします〈月、火休み)。こちら松本にお越しの際にはぜひご来館下さいますよう、お待ちしております。

 

『リトル・ダンサー』が伝えるイギリス社会と今

2014-02-08 10:04:08 | 日記
以下の内容は、『むすび』〈2014年2月号)に掲載された記事です。たまたま地元松本の高校生が、スイスのローザンヌで開かれたバレー・国際コンクールで第一位となり、長野県ではもとより全国版でも大々的に報じられましたが、『リトル・ダンサー』も正にバレーのスターを目指す少年の物語。聞けば二山君も、決して恵まれた環境でバレーをやってきたわけではなく、家族や周りの皆さんの支えがあって今日に至ったのことです。ただし『リトル・ダンサー』の舞台は、今から四半世紀ほど前のイギリスです。



『リトル・ダンサー』が伝えるイギリス社会と今    
                                 
映画はいつもリメイクもどき。この作品も昔の作品を抜きには語れません。昔の作品とは、この欄でも先に取り上げた『わが谷は緑なりき』(201x年x月号)です。しかも市場経済万能いわゆる優勝劣敗を原理とした新「自由主義」時代という背景も似ています。

『わが谷は緑なりき』の舞台は19世紀末の英国のウエールズ地方、『リトル・ダンサー』(2000年、スティーブン・ダルドリ監督)は1980年代後半の英国北部で、地域性も、炭鉱の町という土地柄も、主人公が少年であることも共通しています。しかし二つの物語にはおよそ100年近くの隔たりがありますが、変わらないのは、額に汗して働く労働者と、上・中産階層者との階級制が色濃く残っている英国社会の現実です。『わが谷』の秀才ヒュー少年は家族や周囲から将来を期待されながらも、結局は父親の跡を継ぎ自ら炭坑夫になるという結末に対して、『リトル・ダンサー』のビリー少年は、炭鉱の町を出て、文字通りダンサーになるという違いはあります。が、本来であるならば、ビリー少年も炭坑夫になるはずだった、という筋立ては『わが谷』と変わりはありません。それを押して彼がダンサーの道を選ぶには、階級制という高いハードルを彼のみならず家族みんなで乗り越える、というのがこの物語を『わが谷』から前進させたところであり、又時代の流れでもあったことを窺わせます。僕流に解釈すれば、ヒュー少年は100年の時を経てビリー少年に変身できた、と言うことでしょうか。ちなみにこの作品がその後舞台でも上演され、今日もなお高い人気を博しているのは、こうした英国社会の現実があってのような気がします。

幼い頃母を亡くしたビリー少年(ジェイミー・ベル)は、炭坑夫の父(ゲアリー・ルイス)と兄(ジェイミー・トラヴェン)、それに軽度の認知症になったおばあちゃんとの四人暮らし。そこに経済不況下、合理化の波が炭鉱の町にも押し寄せストライキが日常化、働く者たちを分断します。そんな中、父親の期待を背負ってボクシングの練習に通っていたビリーは、ストが取り持つ縁で? バレーを習うことになるのです。その彼の才能を見抜いたのがウイルキンソン先生(ジュリー・ウォルターズ)なのですが、父も兄も猛反対、「中産階級の先生に何がわかるか!」と食って掛かります。結論は先刻お知らせ済み、この間の家族愛、友情、そして師弟愛が彩なす情景は『わが谷』に引けを取るものではありません。

さてもう一つの共通点。古典的な「自由主義」の影響を受けていたのが『わが谷』とすれば、『リトル』は、そのリメイク、今日世界的な風潮となっている新「自由主義」の煽りを真面に受けていたという時代背景があったことです。それを先導したのが当時の英国の首相サッチャーさんで、日本では中曽根さんの国鉄民営化、小泉さんの郵政民営化が後に続きます。深読みすれば、今日の「アベノミクス」やTPP(アメリカ化)も、二極分化の加速化=英国並みの階級社会に逆戻りなんてことを考えさせるのが、この作品でもあったのです。