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だから忙しいほうがいい。

でも、本当は・・・

「逆差別」

2009-02-07 00:26:08 | こころの問題
こんなことを記事にしてしまうと、色んなところから批判を受けてしまいそうな気
もするのでちょっと恐ろしいところでもあるのですが…。

よく耳にする話として、「ジェンダー」や「差別」などがありますよね。
女性は男性に比べて力が弱いですから、古来、様々なリージョンにおいて差別を受
けてきました。

ですが、アメリカやヨーロッパなどから輸入された、この「ジェンダー」に関連す
る考え方。女性にも男性と同様の権利を与えるべきだ、という考え方です。

ですが、余りに女性の権利が強調されすぎたため、たとえば「ジェンダー」に関す
る意識の低い男性を逆に蔑視したり、この言葉を盾に過剰な権利を主張したり、と
いった逆転の現象が起こったりします。

問題もそう。江戸時代以前の身分制度の名残で差別を受けてきた人々が、自分
達が社会から受けてきた差別を盾に、「自分達のような者にまだ差別をする気なの
か」と、必要以上の権利を主張し、言葉通り「法外」な優遇を受けていたり…。

このように社会的に弱い立場、または不遇な立場にある人、人たちが、保身のため
に今まで自分達を差別してきた存在に対して必要以上の壁を作り、逆に差別意識を
持つようになってしまう現象を「逆差別」と呼ぶわけです。

日韓、日中、対北朝鮮などに対する問題にも同じようなことがいえます。

で、のんきが言わんとしていることは、現在世間で大きな関心を寄せつつある、と
ある社会問題に対して、この「逆差別」的な現象が起きている、って言うことなん
です。

本来行政を挙げて取り組んでいくべき問題。地域の人々が手を取り合って、自分達
の問題として取り組んでいくべき問題なのですが、その対象とされる人に関連のあ
る人たちが、どうもこの「逆差別」を行う傾向があるようなのです。

これをやってしまうと、せっかく「深刻な社会問題」として関心を寄せ始めたの
に、今までとは全く異なる理由で社会から目を背けさせてしまいます。

「ああ、この人たちはこんな態度をとるのか」と。
「それなら自分達だけで勝手にすれば? もう私達は手を貸さないから」と。

あえて「バリアフリー」という言葉を使用します(障害者問題ではないので誤解し
ないでいただきたいのです)が、「心のバリアフリー」が必要なのは、差別する側
だけでなく、差別される側にも必要なんです。

「自分達は特別な境遇にある存在なんだ」

なんて特別視せず、オープンにして関心を持ってもらうことこそ本来差別する側と
される人たちに対するべき姿だと思うのですが…。


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