「庄助さん」

2020-04-12 22:22:22 | 人生
本日も昨日同様一歩も外に出ること無く安穏の一日を過ごした。  
体温は36度5~6分のレベルで体調は宜しいようです。
籠城の城主です。 「新型コロナの不安感などサヨウナラ」かな。
ただ注意すべきは運動不精はノーという事でしょうかね。
ボチボチ何かしていないとよくないぞと、 何かはして居ます。

180度の生き方変動があって、 時々「畜生、一度やってやるか」
・・・ ” 朝寝、 朝酒、 朝湯が大好きで ”とやらです・・・。
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世界中の人々の安泰をお祈りいたしましょう。

2020-04-11 21:21:21 | 人生
話し相手が永眠し、話相手が居なく淋しい孤独の日々は実に退屈。
加えて新型コロナで 外出は控えよ。 お互い人との接近には注意し
なさい。・・・嫌な今日この頃の社会です。
会話のない生活は本当に退屈ですね。

仏壇サイドの写真に他人がご覧なさったら、噴出されるような風景
でしょうね。
「さぁ寝るかな」と部屋を出るとき、「明日は寒い朝だよ 、風邪を引く
なよ」 なんて・・・未だに言ってしまう私のアリサマでございます。

今日も全国的に患者の方々が増加しているようです。
東京1902人、大阪766人と増え、 横浜も+75人で512人に増え
たとのニュ-スです。 一体終末の日はいつになるのでしょう?。
患者さんは勿論ですが、ドクターやナースの命かけての尊いご活躍
を思うと心がキューンと引き締まる思いです。





 、
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「疎開」…は死語と思っていた

2020-04-10 23:33:43 | 人生
時代の変遷は面白いことがあるもんだ。 戦時中 米軍 B29の
大空襲の被爆を避ける為児童の「集団疎開」 があった歴史を
ちょっとばかり思い出した。

御殿場市は、 新型コロナ患者 ”0” の為、東京・神奈川・千葉・
埼玉とは申さぬが、 当地に一時的流入する憂いの傾向有りや
否や・・・緊急な事態であるとの意向を表明されたようだ。

市長のニュースを見て、 私は小さな契約問題を抱えているに
過ぎないが、それを一時棚上げにすべきではないか!❔と当地
にペンディングは如何だろうかと電話した。
契約書に軽々と実印を押すのは、負を追う危険もこれあり、流れ
を見つつ納得してからの事と思っている。
私は疎開の為ではない。 暖かい伊豆や根府川辺りでもOKだ。

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人生いろいろ

2020-04-04 22:00:00 | 人生
新型コロナウイルスの問題で、どの局の放送もあ~だ、こ~だで
ある。
困った難題で、 世界中がお手上げに近い状態と言えるのでは?。
大袈裟に申せば 誰々さんは絶対ご安全ですと言い切れぬ騒ぎだ。
「私は絶対安全よ」。 と言い切れぬところが実に不気味なのである。

京都人の密(ひそ)かな愉(たの)しみ「桜散る」は前回見落とした
が、 今日の(再)は2時間超の間じっくりと見たお陰で短い午後だ
った。

サンデー毎日の私は外出を ”する”、 ”しない”はまぁ自由に選択
できる身である。 今日はテレビと ”友の日” でした。

外出留意、我が人生終幕にこのような騒ぎは喜ばしくはないことだ。
生れた昭和4年頃は ”昭和の大恐慌” で大騒ぎだったと聞く。
昭和11年小学校入学年の 2.26事件の話も聞かされない私が、
恐慌だ、 兌換券だなど云々の話を知る由もない。
人生始めも、終わりも宜しく無しであった等と 不景気総括されては
不愉快である。

人生いろいろと言うが如く、 来月は九十一歳の誕生日を迎える。
13日 家内、 27日 私・・・真ん中の20日にお祝いが出来たのにな!。
女房殿は、コップに 「1㌢よ」のビールが定量でした。

















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俺より先に逝くな!

2020-03-31 20:55:00 | 人生
「ひとりを生きる 野村克也 84歳」 さんの番組を見た。
「来たよ」 と語りかけながら 墓碑に手をやり「俺より先に逝くな」 と
言っていたのにと呟いた元野村監督だった。

私は買い物に出るときは 「じゃ、行って来るよ」 と必ず声をかける。
帰れば仏壇に向かい 「帰ったよ、 好きな苺買って来たぜ」 と 仏壇
に声をかけている。

同じなんだなぁと思った。 野村夫人は最後の時「手を握って」と言い
お二人は右手を握り合われたそうだ。

私は看護師さんに、太くて大きな心拍数字が 「0」 になりそう・なっ
た時に「奥さんの手を握って」 と大きな声で言われた。
赤地の太い帯の真ん中に、はっきりと太く大きい「白抜きの0」 数字
がハッキリと映り出た。
夢中で右手を握り、手の平、手の甲を包み悲しみ極まって大粒の涙
で私は泣き伏した。

私等の場合は女房の意識はなかったと思う。 私の手の感触も判ら
ずの状態だったと思う。
「苦しまずに」 を願っていたので私は耐えなければの諦めは覚悟し
ていた。

今想う事は 「俺より先に逝くな」 の願いが叶わなかった事です。
私は、今生きる事に魅力を感じていません。未練は全くありません。
強いて申す訳ではなく、 「新型コロナウイルス」 に関与の運命者と
言うならば、 それを可とすることに ”やぶさか” ではございません。
方向音痴の女房殿が、 天国でウロチョロ道に迷っていたらが気に
なるからと申し上げさせて頂きましょうか。


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彼岸の墓参。

2020-03-21 19:19:19 | 人生
天気晴朗、 紺碧の空一杯に映える白衣の富士の美を仰いだ!。
納骨から6日目の今日は、 相鉄、小田急、 JR御殿場線、 寺までは
昨夜に御殿場タクシーに予約、 足は確保済だった。

よろよろと歩む頼りなさは、迎えに来てくれた姪との腕組みでOK。
姪や綺麗な娘さんも花を持って来てくれて、墓地をより一層美しく
賑やかにしてくれた。 「有難うさんでした」 と感謝の墓参だった。

私も、 六つの墓にお線香と合掌を捧げて回った。
その後、母の実家へ寄ってご焼香、30分ほどの雑談をして来た。
祖父母。 伯父伯母。従兄弟の額縁が順序良く並び飾られていた。
小学生時代から見覚えの懐かしい写真、 貴重な時間を過ごすこと
が出来た。

少し疲れた。バスタブを洗う元気がなく風呂は止めた。
今晩は早く就寝する。







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電話頻繁の一日でした。

2020-03-17 21:48:02 | 人生
妻が30歳、海岸通り時代からの友人からの電話。
正月 巳の日には毎年北鎌倉の 「銭洗い弁天さん」
に一緒に出掛けた親友だ。
妻が息を止めた7日前、 病院にお見舞いにお出で
下さった御礼に、 昨日 粗品をお送りしたのだが、
そのお礼電話でした。

敢えて葬儀の話は後日にと控え申し上げていた。
「ご免なさい。 貴女がお見舞い下さった7日後に
亡くなりました。
七七忌も、昨日静岡の菩提寺でとご報告申し上げ
た」。
と只管お詫び申し上げた。
60年のご交友本当に有難うございましたと御礼
を心から申し上げた。

ジムの筋トレ仲間からの電話も次から次へとかか
ってきた。

通販の宅配もあって外出できずの一日でした。
今晩は早く休もうと思っています。 。






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皆様、ありがとうございました。

2020-03-15 23:00:00 | 人生
今朝は早起きをし 仮仏壇を解体した。
白木の位牌、骨壺、写真などを神妙に抱き、 菩提寺「乗光寺」へ
向かった。 朝の東名高速道路は順調に走れた。

午前11時から妻の七七忌法要。 その後、納骨が為される。
1時間程余裕があったので、 私の墓を見に行ってみた。
妻の墓誌の彫刻、墓石の清拭などの石材会社々長さんに御礼
の挨拶をした。

私は65歳でリタイアし大阪から戻ったが、 程なく墓を設けた。
25年ほど前の話ですが、石は「小松石」でした。 
石材会社の社長も 小松石か!立派な石ですと褒めてられた。

今日、心から有難く思ったことは、従兄弟、甥、姪さん達の温情
です。
亡き妻も強く有難さを感じている事と思います。
私もつくずくそれを想いました。 幸せ者だなと思い御礼を申し
あげたく思っております。
私は後僅かな高齢者に過ぎぬ爺です。
皆さんを想い、皆さんには思われる人生を全うしたいと念じて
います。
今日は有難い日、幸せな思いをさせて頂いた日でした。
皆々様に厚くお礼を申し上げます。
狭い4畳半、 妻の部屋でした。

今晩から冷たいお墓でただ一人。もうすぐお彼岸です。
行くから待っていてくれ。 必ず行くよ。


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「月命日」

2020-03-08 22:00:00 | 人生
明日は3月9日、初の月命日です。 今夜は2月の色々を思い出し
眠れるであろうか・・・?
クリニックで金曜日に睡眠薬を頂いて来たが、効いてくれるかな
それとも家内の勝ちで眠れず・・・で終わるのかな?。

今日から大相撲 大阪場所が始まった。
1月場所は12日が初日、26日が千秋楽でした。
幕内取り組みが中盤になると、家内は大相撲のスイッチONを
催促したことを思い出す。 炎鵬と遠藤を贔屓していたようだ。

だが、1月には1日プリン1個もダメ、トコロテンも受けつけぬ
ようになり、12日の大相撲初日頃からは少量の「水」だけ。
24日からは点滴という事になり、体重48㌔が35㌔に落ち衰弱
は甚だしかった。

そのような事で背中が痛い、大腿が、脹脛が、脛が、足首が痛い
と言われ、毎日7時間はそれに対応するのに懸命だった。
グッタリの状況を見ると、私がいない夜中はどう堪えているのかを
思い、放っていては可哀そうと付き添いのベッドをお願いした。

今にして思うに、現在の空虚な生活よりも、 何とか愚図を云って
くれた頃の方が充実していたのかなと懐かしく思えてならない。
毎日同じことばかり考えている。 歳を取り過ぎた証拠かなぁ?。



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初体験は心身共に・・・

2020-03-07 22:00:00 | 人生
右に仮仏壇、 左にテレビの四畳半でご焼香の毎朝です。
ドリップ珈琲 (カップは私の)を家内の写真前に「どうぞ」 。
トーストの日、 カップラーメンの日、 コンビニの三角おにぎり
私の朝食「今朝はこれだよ」と横に並べる。
少し飲んだり、食べたかなと残りを全部私が食べるのが日常
です。

写真とは色々会話を交わしたり、一緒にテレビを見たりしてい
ますが、 未だに所用で結構外に出る事が多いです。
「行って来るよ」とローソクと線香に火がない事を確認し出る
事にしています。

病院、奉斎殿、区役所、郵便局、年金の当局 etc.etc.。
請求書だ。支払だ。銀行だ。 故郷の役場に謄本依頼だとかの
やり取り、この書類が足りませんで行ったり来たりで忙しく、
まぁ疲れること夥しかった。
九十一歳を迎えんとする痩せ爺さん・・・頭は混乱する、足は
動かずで正直ぶっ倒れそうな日々でしたよ。

明後日「9日」 は初の月命日。
十五日は故郷の菩提寺で七七忌と納骨の法要で、 親戚、
親族の皆様に焼香の為ご足労をお掛け申し上げる。
喪主としての務めを恙無く勤め、仏となる 「梅華富貴大姉」
の納骨を皆様のご合掌を頂戴し立派に果たさせて頂く所存
です。
これて死去からの大切な行事を何とか果たせさせて頂ける
かと存じております。






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今日は忙しい日でした。処理すべきが多く閉口です

2020-03-06 21:33:20 | 人生
今日の忙しさは格別。
午前8時30分頃に来れば待ち時間なく早く済みますよとの事で
7時50分頃に出発、横浜駅東口 そごう隣のスカイビル18階の
年金相談センター。
9時15分過ぎには妻の死亡についての事務処理は完全終了。

西区から保土ヶ谷区に戻り、保土ヶ谷区役所。
順調に事は運び、 それっと次の保土谷郵便局へ行きこちらも
不足だった書類持参で事は何れも済んだのだが、申請書を作成
します・・・と20分ほど待たされた。

家に帰ったのは12時30分。 面倒臭かったので握り飯3個で終わ
りとした。

午後はクリニック。 具合はどうですかと聞かれたが「起きていると
コックリ・コックリで眠たくなる、じゃぁとベッドへ行って布団にもぐ
ってみると今度は寝つきが悪くなる・・・と変な具合だ。 と報告。
今日は採血しますよと言われ実施した。




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これからは!

2020-03-04 23:00:00 | 人生
家内が私を残して逝ってから早くも25日を経過しました。
一日として何や、かにやに追われ続く多忙でした。
こんな時女房殿が居てくれたらどんなに心強い事かと嘆いても
その肝心のお方が側に居てくれなくなったのです。
孤独と言うのはこのような事かと、余生のあり方をあれやこれや
考える日々も続きました。

妹二人や甥、姪などにも勧められた自由、気楽、平和の生活で
残された余生をゆっくり過ごして下さい。
長寿百歳を目指し、 お祝いの席をとの応援もあったりでした。
息子夫婦も適当な老人ホームを見つけてくれました。
夫婦で現地静岡へ確認に連れて行ってくれ満足して来ました。

四十九日忌が済むとまた一つの忙しさがあるという事ですが、
やっと 「梅華富貴大姉」 と ゆっくりとした生活発足です。











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処理等で頭混乱。

2020-03-01 22:30:00 | 人生
「元朝」思えば妻が床から離れ、何日ぶりであっただろうか。
生涯最後の 「お雑煮」 を食卓に並べた妻だった。
私は二片の雑煮を無口の儘やっとの事で喉を通過させた。

その後1月9日に入院。2月9日にこの世を去ってしまった。
茫然とした60日間はアッとの間に過ぎ去った。

もう涙は枯れ果てればと仏壇を眺めても・・・悲しみは容赦
なしである。

七七忌は半月後のT5日、通知は殆どご参席の回答を下さ
った。
現在ご参席下さるご返事は21家、29人様となっている。
ご返事最終日は3月5日、歳月の流れは速いものでございま
す。 弥生三月ですか。






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九十一歳の独り立ち。

2020-02-28 23:00:00 | 人生
毎日の如く忙しく頭の中が雑音グルグルでお手上げです。
若ければスイスイ事は進むでしょうが、 90爺の思考回転が役所の
馴れ切った事務的スイスイの説明に、ハイハイハァーイと即時判断
の対応は難しいようだ。
頭の回転が異常状態…その事なども大きな障害になった。

今迄は気が張って頑張らなくちゃーと必死だった。
妻の「悪性胃癌末期」の診断を妻と私にズバリ告げた。
「打つ手はありません」で二人は無言のタクシーで帰った。
2019年10月9日、二人の人生は終わった。
私はそう思いその時、妻より一足先に死んだ。
それは妻の人生、その言動に絶対に従う事を心に誓う事だった。

2020年1月9日 妻は入院した。 そして2月9日にこの世を去った。
私はすでに死んでいると同然である。
七七忌の法要そして納骨で妻は 「梅華富貴大姉」 即ち仏となる。
私の今後は墓守となる。 私は近くに住んで「妻」 を護る覚悟だ。

この25日の私は歩む姿もフラフラの状態でクリニックへ行った。
医者も看護師も痩せぶりに驚いていた。 点滴後このままではと
忠告された。
90歳の事を考え無理せず 自由気ままの生活に戻れと奨められ
ご尤も。
仏壇と水入らず長閑な生活に入る心算である。
あと2~3年の人生をゆったりと過ごすことに致します。











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四十九日忌までは 見るだけの位牌と仏壇、仏具じゃ!

2020-02-27 21:00:00 | 人生
自分が決めた位牌は「京丸」。 美しいと言うか奥ゆかしい。
彫り代、 漆仕上げも納得の満足で、「梅華富貴大姉」もご機嫌だと
したら私は嬉しく思う。

商売人の小父さんが「お墓は?」と聞かれたので 「小松」ですよと
答えた。
「いつ頃」と、来たのでリタイアの67歳の時と応えた。
私の頃は1尺角で300万円だった。 現在は500万円程らしい。

昭和天皇の墓石も 「小松石」と伺っている



後数年たつと、 私の位牌は向かってお釈迦様の右側となるだろう。

月曜、 木曜は点滴治療、もう横浜は済む町ではない。
90歳は早々動けるものではない。ここ4か月・120日間は無理をし
過ぎた。
もうこれからは、自分を大事にをモットーにしよう・・・である。


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