チャレンジした選手
チャレンジした選手
ロードレース競技の選手として走っていた時代、強靭な身体を手に入れる努力を継続した一方で、身体のそこかしこに不具合が出る事も多かったと記憶しています。
無謀な計画でのトレーニングやレース、過度な食事の節制、とるべき休養を無視といった、いわば自己管理能力の低さがそうさせていたのですがその事自体は当時から理解していました。
身体に不具合が出る前に休養を取る事が出来れば良いのですが、あるいみそのラインを越えてしまう自分を確認する事で自分の競技への集中度に満足していた節もあったかと思います。
そんな意識が高い時ばかりでなく、やる気が無く、堕落した生活を繰り返していた期間もあった事は記憶の焼却炉に投入しておきました。
競技者として蓄積した長期的な身体ダメージはその生活から身を引いた後にも永く認識させられるものでした。
代謝能力や神経の不調和からと思われる体温調整の不具合や突然襲われる気だるさ、めまい等が主な症状です。
氷袋を抱えていなければ机にジッと座って居られなかったり、真夏なのに身体の芯に寒さを感じて長袖を着ていたり、突然通常の活動が困難になるような場面すらありました。
が、その症状は年々、徐々に改善されてゆき「今年は昨年よりも体調が良い!」とかれこれ10数年も思わされ続けています。
ダメージを抱えていたというとネガティブなイメージがあるかもしれませんが「歳を重ねるごとに体調が良くなる」という感覚。
これは、もはや、なんだか、、、
得した気分!!ヽ(^。^)ノ
このままいけば60歳を迎えるころには元気になりすぎて「競技に復帰する」とか言い出しかねません。
そのときは誰か止めてくださいね。
というお話でした。
今はトレーニングのストレススコアを管理する事で過負荷による弊害はある程度予防は出来ますが、誰よりも強くなるためには誰にもできない努力も必要。
データと感覚の隙間をどのようにうめてゆくか。
中々にして難しい問題でありますが、データが先行しているように見えるスポーツの世界でも感覚で突き詰める部分が残っていることは、生身の人間が争うスポーツに面白さを残していると言えそうです。
写真は2014年3月、インターバルトレーニングで追いこみ過ぎて道路に倒れ込むDarren Low選手(シンガポール)
彼にとってトレーニングによる身体的負荷だけでなく異国の地での精神的な負荷があったはず。
今日、久々に予定が何も無い休日ということもあり、昨日は油断してソファーに寝てしまい朝を迎えました。
睡眠6時間。
そのままベッドに移動し、ソファーでの睡眠では取れていないであろう疲労を取るべく2度寝。
睡眠6時間。
学生の頃はたまにしていた気がしますが、正午に起床するなんていつぶりでしょう。
起きてもろもろしていたのですが、夕方また少し横になっていたらそのまま気絶。
睡眠5時間。
じつに一日のうち17時間を睡眠にあてて過ごしてしまっていました。(少なく見積もって)
休めば休むほど自分の中にある疲れが表面に出てくる感覚。
直近のものだけでなく長期的な疲労もあるのだと思います。
自身の把握、当たり前にできそうで、なかなか難しいと言うことを、選手としての生活でもその後の生活でも感じています。
心身の不具合が出る前に、定期的にこんな日を設けることができれば良さそうです。
直近にあった身体的な負荷といえば、選手数名と近所の山に登ったこと。
日本中の山を登っている知り合いから「あのコースはめっちゃきつい」と聞いていた近所の登山ルート往復22㎞ほどの道のりです。
きついと言うからには無理はしないよう「一定のペースで歩こう」と話していましたが、一緒に行動しているとついつい争うようなペースになってしまうのは競技者の特徴なのでしょうか。
結局皆、最後は身体のあちこちに痛みがはしりまともに歩けないような状態になったことで、満足し帰路に。
通常、時間があれば何かに追われるように行動してしまう私ですが、ジンジンと痛む身体のおかげで、焦ることなくしっかりと休養を取ることができたと考えています。
高強度の運動と、しっかりとした休養。
一週間のリズムにこの2つを常に入れることができたならなお素晴らしいですね。
休養の時間捻出が苦手なのは私だけではないはず。