めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本の代表が聞いてあきれる

2018-11-23 18:48:37 | 日本人

最近の政治家は、外見的な地位や財産は求めても、政治家としての資質に欠ける
肩書きだけの方がとても多くなりました。
政治家として、国民の為に如何にあるべきかと言うポリシーが感じられず、
与えられた職務を果たし、自分の社会的地位を増す事しか頭に有りません。
政治家を志す覚悟があまりにも希薄で、社会的地位を得た事で、自分の欲望を
満たす事には頭が働いても、自分達を支えている国民の思いに疎い方が、
とても目立っているのが現状です。

国会中継を見ていても、やたら、雄弁でパフォーマンスに長ける方はいても
本当に国民の事を考えて政治を行っているのかと、耳を疑ってしまう程
知識も経験も足りない、半人前の政治家が多くなりました。
多くの国民に国政を放映する事は良い事なのですが、その内容や議事を行う
議員たちの多くに、国民が前のめりになる事は無く、直ぐにチャンネルを
替えてしまうのが殆どと言えます。

身の無いダラダラとしたやり取りは、そこに使われている大切な時間と税金が
如何に無駄遣いと成っているかを示すだけで、国民の期待が叶えられる様な
政治家の熱意も気迫も伝わって来ません。
単に高額の報酬を得ている公務員の井戸端会議の様で、お互いの自己満足しかない
議事風景は、国民にとって、退屈である以外何物でも有りません。

今や世界は、暴君と自分の利益しか考えられない政治家で溢れています。
例え思想的違いは有っても、他人の上に立つ人達が、己の欲望の為に
その地位を利用しているとしか考えられない暗黒の時代と言えます。
年々数を増し続ける生活困難者や難民は、決して他人事ではなく、
経済大国と言われる日本であっても、ひとたび、資源や食料が滞れば
途端に、国民全体が困窮すると言えるのです。

大手企業を中心とした消費経済社会は、外見的には豊かに思えますが、
実際の国民生活は、決して余裕のあるものではなく、常に自分達の未来に、
現在の生活に不安を覚え、外見的に豊かな様に取り繕っているだけで
毎日の生活を続けるだけでぎりぎり生活を強いられている人が多いのです。
また、例え、他人が羨む生活をしている人達と言っても、心の中は、常に
不安の渦が常駐していて、幸せと感じる生活が行えてない事も多いのです。

この事は、日本人全体に言える傾向とも言え、消費経済社会に生きる為に
必要以上の外見を作る為にストレスから免れない人が少なくないのです。
日本社会は、子供の頃から、常に上を見て生きる事を求められて来た事も有り
自分の行っている事や考えに対して、絶対と言える自信が得られませんでした。
少しでも知識を増し、成績を上げ、更には、社会に於いても、誰よりも
経済的豊かに成る事を目指し、他人の上に立つ事こそ正義と言う考え方で
生きている日本人がとても多いのです。

つまり、生きる過程に於いて、自分の成績や地位や財産が人間としての
価値であるかのような人生を送って来ている事から、自分自身や他人の
気持ちや考え方に理解が無く、社会的外見的な価値をもって、自分の
存在価値としている為、少しでも外見を取り繕うとする事しか
考えられないのです。
人間としての資質を磨くことなく、他人との外見的比較でしか
自分の価値を見いだせない人生は、常に、確信を持てる自分の気持ちを
持つ事が出来ず、周囲の意見や社会の動向で揺れ動いていると言えるのです。

その為、社会的に認められる地位や財産をもって自分の価値と勘違いし
他人の価値も、その人の外見でしか判断できなくなっているのです。
つまり、政治家であっても、その地位は、国民の代表で有っても、中身は
国民の気持ちが全く感じられない、自分の事しか考えられない我儘な
社会的地位のある人に過ぎないのです。

他人を知識で負かしたり、経済力で押さえつけたり、社会的地位で動かしたりと
何の人間的な豊かさを感じられない人が社会を動かす政治家と成っていては
国民の願いを叶えるなんて事が出来る訳ないのです。
政治家と言うだけでなく、たとえ大臣と言う肩書が付こうも、その中身は
なんだ成長する事無く、有るのは欲望と保身でしか有りません。
同じように欲望で目をぎらつかせながら、お互いの傷をなめ合っている様な、
なあなあの関係の政界が、どうやって国民の気持ちを理解できると
言えるのでしょう。

日頃、ただ、自分の事しか考えていない様な政治家が、責任ある大臣と成って
突然その役割を果たすことなど出来る訳が無く、無知無能の政治家が
国の重職を担ったとしても、その言動行動は失笑を買うだけです。
如何なる役職に就こうも、政治家なるものは、全ての事に精通して
国民の為にまい進出来る事が大切と言えます。

新内閣が生まれる度に、素人と思える様な大臣が抜擢されてきます。
無能としか言えない人が何故そんな要職に就けるのか、それは
明かに議員相互の私利私欲の結果でしかないのです。
国民の期待よりも、誰を充てるかによって、利益配分が決まり、
自分達の懐具合が変わって来るのです。

そう、国会における様々な審議も役職も、国民には関係ない所で
彼らの生活を潤しているに過ぎないのです。
しかし、国民の前に、多少なりとも公とされる国会中継はまだしも
政治に関しての地方議会は、旧態依然と言える事があまりにも多いのです。

選挙の多くは、地域の実力者たちの地域影響力に反映される事が多く
政治が地方産業の担い手の役割を果たしている事が少なく在りません。
地域住民に対する平等な働きを果たしていると言うのは表向きで、
政界と財界が密接に結びついているのは中央政治と何だ変わりません。

様々な贈収賄事件が有るものの、地域では問題と成っても、全国的な
問題とされる事が無い為、霞が関の問題がいつも目に付くのですが、
政治家の腐敗は、全国的な規模で存在しているのです。
日本を支える政財界が、戦後から変わらず様々な問題を生んでいるのは、
国民に対して、如何に大きな不信感を生み、特に若い人達に対しては、
政治家としての使命が如何にいい加減であるかを暴露しているのです。

精霊潔白であり、国民の気持ちを代表して戦っていると思える人達が
自分達の欲望に走り、保身の為に言い訳を重ねていれば、国民の多くは
経済的社会的にトップの人達が、この様な不正を働いても大丈夫と言う
豊かな生活を目指す国民に、他人の上に立つ人の甘さを許してしまうのです。

どんなに首を挿げ替えても、時代が変わっても、相変わらず繰り返される
政治家の不祥事や政財界の癒着は、国民の心にも、よからぬ考えを
育てかねません。
どんなに悪い事をしても見つからなければ大丈夫、地位を利用して
悪事を働いても、上手く言い逃れをすれば、更なる利益が得られるとする
国民が増えてくる可能性も有るのです。

つまり、上に立つ人の行いが、彼らに国の政を任せている国民の気持ちも
良からぬ方向に導いて行くとも言えるのです。
子供の頃から大人の行動や言動に大きく影響を受ける国民は、
例え経済的に豊かな暮らしが出来る様に成ったとしても、人間的に
成長できない、我欲しかない国民と成ってしまうかも知れないのです。

どちらかと言えば正義感の在る、人の気持ちを察する事が出来る
世界的にも心豊かな国民として知られる日本人が、実は、
人の気持ちを欺き、自分の事しか考えられない国民と成ってしまったら
もう、私達は、誇り高い日本人とは言えないのです。

どんなに豊かな暮らしをしていても、その暮らしの豊かさを上回る
豊かな人間性が無ければ、人としての価値は生まれません。
今や、日本は、経済的に厳しい時代と成っていると言うよりも、
日本人としての資質が危機的な状態に成っていると言えるのです。

街を歩けば、何処をに行っても、華やかであり何でも欲しいものが
手に入ります。
しかし、その欲しい物との関わり合いは、単なる金銭的なやり取りであり
欲望を果たすだけの喜びに過ぎません。
同じように街を歩く多くの人々の心は、いつも寂しく孤独であり、
肩を触れ合う程多くの人々が歩いていても、誰も知り合う事はなく
ある意味、独りぼっちであると言えるのです。

多くの国民が、都会に地域社会に住んでいても、繋がりと言えば
経済的社会的な繋がりであり、人としての繋がりに欠けている事が多く
一見同じ考えの持ち主同士が一緒にいたとしても、それは利益享受により
繋がっている事も多く、本当に心から安心を与え合う関係が希薄と成って
日本社会が冷たくギスギスとしたものと成っているのです。

多くのメディアは、テレビなどを通して、日本の豊かさや楽しさのみを
紹介しています。その陰には、多くの利益を目論んだ企業が関わっていて
メディアの情報だけを見れば、日本は如何に豊かで幸せな国だと
多くの人は勘違いしてしまうのです。

それは単なる商売の為の戦略であり、メディアの情報は、極めて極端な、
利益を求める為の手段に過ぎないのです。
しかし、多くの視聴者は、日本は本当に豊かで幸せな国と思い込んでしまい
提案されたものを買い求め、楽しい生活を目指せば、自分が望む様な
素晴らしい生活が手に入ると信じてしまいます。
これこそ、経済社会の罠ともいえるものであり、富める人が貧しい人達を
支配し続ける仕組みと言えるのです。

平気で私利私欲に走ったり、地位を利用して我儘な言動行動が出来るのは、
本当に国民を幸せにする気持ちは無く、頭の中では、いつまでも、この
差別社会が続く事を名がっているとしか言いようが有りません。
政治家のふりをして、自分の豊かさを追求するだけでなく、国民の
味方の様なパフォーマンスをして騙し続ける政治屋は、既に、私達が
思いを託す人間ではなく、税金に貪りつく金の亡者に過ぎません。

他人の気持ちを考える事を学ばず、経済的地位を目指した人達が作り上げた
政界は、日本社会で私利私欲を学んだ成れの果ての日本人の集団と言えます。
もし、反論が有るのなら、直ぐさも、国民が納得する経済政策を実行し
一日も早く、日々の暮らしに困らぬ、心豊かな国民を育てる具体的な
行動を示して欲しいものです。
もっともらしい言葉で国民を煙に巻くパフォーマンスはもう要りません。