めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

国民への生活保障レベルが低い日本の実情

2018-11-16 17:31:17 | 日本人

世界でも指折りの経済大国と成った日本なのに、相変わらず国民は
日々の暮らしに安心感を得る事が出来ず、いつまで経っても、
将来に対する不安が無くなる事は有りません。
個人の年間所得を見れば、決して低くはないのですが、経済的に豊かな
人達を見ても、心から安心と言える生活を送っている訳では有りません。

経済的に豊かに成れば、幸せな未来が待っていると思い、一生懸命働くも
一向に心が安らがないのは何故でしょう。
発展途上国に比べれば、日本国民の多くは、お金さえあれば、ある程度の
欲しい物は手に入り、日々の生活には困らない人も多いのですが、そのくせ
心から幸せを感じていると言う日本人は非常に少ないのです。

外見的には、所得も多くて、豊かな暮らしをしているから幸せなのだと
心に言い聞かせていても、何処か、いつも不満で、満たされない部分があるのです。
そう、多くの日本人の幸せは、他人と比べて豊かな生活をしていると言う事で
幸せと感じる様に学習しているからなのです。

小さい頃から、この消費経済社会に生きる為の術を学ぶも、それは、常に他人より
多くの所得を得て、経済的に豊かな生活をする事と教えられて来たからです。
つまり、自分自身では、本当の幸せが解らないまま、経済的に豊かと言われる物を
多く手に入れられる事が幸せなのだと教えられて来たからなのです。
学校成績も、社会に出た時に、より経済的に豊かな暮らしをする為の物であり、
人より勝る成績を手に入れれば、大人達には褒められ、将来が保障されると習ったからです。

しかし、いざ社会へ出て見ると、自分より遥かに優れている人は幾らでもいて
経済力からすれば、とても及ぶことは出来ない富豪が数多く存在しているのです。
とは言うものの、例え厳しい社会とは言え、努力すればそれなりの地位を得る事は出来
経済力も豊かと成って来ます。
自分の所得に似合った物で有れば、何でも手に入れる事が出来るようになります。
中には、それまでの生活では想像もできない程の地位と財産を得る人もいる事でしょう。

所が、どんなに地位が上がっても、財産を蓄えたとしても、心から満たされると言う事は
殆どの人は無くて、登れども登れども頂上の見えない山に登っている様に思えるのです。
社会とは、そんなものだと言われる方もいるでしょうが、心豊かに幸せになる為に
小さい時から努力して来たのですから、少なくとも、経済力が豊かと成ったのならば
それに似合った安心感と幸せが欲しいと思うのは人の常と言えます。

私達人間は、動物と比べて知能も高く、より豊かな生活をする為に努力をする事が出来ます。
しかし、その反面、生物的にはとても弱い動物であり、直ぐに心も身体も病みやすく、
ある意味、常に外敵から保護されて守られていなければ、その能力を発揮する事が出来ません。
人間は、生身で他の動物と戦わなくなったことで、様々な武器で身を守る事が必要でした。
脳の急激な発展のお陰で、守るだけでなく、他の生き物を支配し、自分達に都合の良い地球を
創り上げる事が出来るように成りました。
食料も資源も独占し、豊かな生活環境を創り上げる事が出来る様に成ったのです。

所が、人間の本質は変わっていないのです。地球を支配する程文明を発達させたとしても
自分自身の心と身体が守られていると感じなければ、常に不安を感じ、生きる力を失ってしまい
身に付けた地位や財産すら、何の意味もなくなってしまうのです。
この事は、経済力有る無いに関わらず、自分自身が誰かに守られていると言う実感が無いと、
自分の能力を伸ばす事も、より豊かな生活を目指す事も意味が無くなってしまうのです。

子供の頃、あらゆる知識を身に付け、心も身体も大きく成長できたのは、実は、家族と言う
大きな保護が有ったからなのです。
成績如何に関わらず、家族に守られていいると言う安心感が有って、日々の学習をする事も
自分の好きなクラブ活動を行う事も出来たのです。
学校における様々な学習が不安なく行えたのは、自分を常に守ってくれる家が有ったからです。

現代社会における家とは、国を指す事は明らかです。
国家とは、国民生活を守り、国民に不安の無い幸せな人生を送る事を保証しなければ
成らないのです。
家族の様に、いかなることが有っても、子供達をしっかりと守り育てる事が出来なければ、
国民は、どんなに豊かな生活を行っていても不安は無くならないのです。

如何なる仕事をしていても、基本的人権が守られ、人間として、心豊かな生活が送れる様な
制度や環境を国民に提供できなければならないのです。
その上で、より豊かな生活を築き、様々な分野で活躍する事が出来るのです。
例え、自分の仕事を失っても、健康を害しても、安心の生活が有るからこそ、自分が選んだ
生活や仕事にまい進出来るのです。

今の日本人は、どんなに豊かな生活をしていても、もしその経済的糧を失ったら、あっと言う間に
日々の生活すら苦しくなるのです。
大病を患って仕事が出来なく成ったり、職を失ったりすれば、途端に生活は貧窮し、将来の夢が
絶たれるだけでなく、日常生活すら維持できなくなるのです。
しかしながら、国としての補償が出来ない事からも、経済的に豊かに成れば幸せに成れると
幸せに成る為には、働いて多くの消費をする事を求めるのがリーダー達の考えです。
多くの国民が、経済的に豊かに成る様に働けないのに苦しんでいるのに、まるで、国民の働きが
悪い事で、私達庶民が苦しい生活を送らざるを得ないとばかりの責任逃れです。

税金を多く徴収して、国民が豊かに成ると思われる施設を多く作ろうが、それは、国民の
消費を促すだけで、現実の生活が全く変わらないのが解っていません。
多くの施設は、お金に余裕のある人が利用できても、多くの人達は、より出費を求められるだけで
何の喜びも感じてはいないのです。
日本中に高齢者の為の施設を作ろうも、そこで介護にあたる人が不足していては、無駄な施設を
多く作るだけなのです。
現実に生活している高齢者や生活困窮者たちの日常が、一向に改善されていなで、外見的な
福祉政策をしたところで、困っている人達の心は晴れないのです。

日本人の多くは、経済的に豊かと成って来ると、決まって自分達を守る為の保険に身を託します。
もしもの時に、国は何の助けもしてくれない事を知っているから、まず、身を守る術を考えます。
更に、経済力が増してくると、自分達の住む家のセキュリティを増し、外界から遮断する事で
家族を守ろうとします。
日本で経済的に豊かに成ると言う事は、幸せな生活をすると言うのではなく、幸せを維持するために
自分達のみを守る術を考えるのです。
自分を家族を守る為に多くの所得は費やされ、自分達の社会的地位を確認するために、高額な商品を
多く求め始めます。つまり、比較する事で自分達が豊かで幸せであると思いたいからです。

しかしながら、この様な生活は、本当に自分自身の心を安心で幸せな状態にするとは言えないのです。
自分達のみを守ると言う事は、自分達以外の人達を危険な対象として見ている事になるのです。
つまり、人を見たら泥棒と思え、と考える様に成った時から、自分達は、常に危険な世界で生きていると
自分自身の心に不安を植え付けているのと同じなのです。

また、より豊かで高額な物を身に付けると言う事は、そのものの価値と言うより、自分が他の人よりも
優っていると言う自己満足を求めている事であり、この事は、比較と言うより、差別の心を生む事と成り
誰に対しても、社会的地位によって人間の価値を決める様に考える様に成るのです。
自分より下と見なされる人に対しては、横柄で我儘な態度を取り、上と思われる方には、尊敬の念より
欲しい物を持てない事の嫉妬が芽生える事と成るのです。

つまり、一見豊かで幸せな環境にありそうで、心の中はいつも殺伐とした欲望に駆られていると言えるのです。
人間としての心の豊かさを人の価値とする生活を送るには、物や財産や地位で比較しない世界に生きる事が
とても大切と言えるのです。
自分の心の満足は、自分以外の人達をどの様に見ているかで決まるとも言えます。
常に妬み嫉妬の対象として見たり、自分より無能の人間として見たり、社会的地位や財産で価値判断をすると
その気持ちは、お相手に感じられるのが人間社会の常で有り、結果的に、自分自身も否定的な態度で
他人から接しられる可能性が高く成るのです。

親は子供に対して無償の愛情を注ぎます。その事で、子供は、生きる事に何の不安もなく勉強にスポーツに
専念する事が出来るのです。
国は国民に対して、親の様な愛情を持って安心と幸せを与えなければならないのです。
自分の安全健康は国民自身が守らなければならず、一度、仕事を失えば、健康を損えば
生きて行けなくなる国では、国民が幸せに成れる訳が有りません。

経済的に不安の無い人達が決める政は、自分達が経済的に守られているからこそ、
国民に対して、経済力を持って自分達の生活を守る様に公言するのです。
しかしながら、既に、国民の多くは、現実の生きて行く為の経済力が得られず四苦八苦して
悩んでいるのです。
もしもの時の蓄えや保険が無い状態で苦しんでいるのです。

個人的に解決できるレベルの物ではなく、国家が行うべき仕事であり義務と言えるのです。
国民が自力で生きて行けるだけの支援を行わずして、国民はいつまで経っても豊かにはなれず
社会不安が高まり続けていると言えるのです。
英断を下すべきリーダーが、保身の為に、現状維持を図り続ける様では、日本の未来は、
膨大なる数の高齢者と仕事に在りつけない若手労働者の溢れる終末の国と成ってしまうのです。