さらしな日記

さらしな、更級、晒菜、さらし名…?
南のnemoと北のneco、それぞれ好き勝手にやってる徒然コラボ

白か黒か (nemo)

2007年07月01日 | 読書・蘊蓄
 私の理論にはそれしかない、といった意味のことを言われたことがある。そして困ったことに相手にもそれを選択した返答しかせざるを得ない、誤魔化しをさせない語彙の舌鋒だと。ほんとかねぇ…と思いつつも、思い当たる節がないでもない。

 先日随分と久しぶりに携帯小説のページに感想を書き込んだ。私はその類の作品は良く読むがこういった真似は滅多にしない。無論面倒くさいというのもある(一言感想というのが苦手でつい長くなるのだ)が、大抵はロクな受け取られ方をしないからだ。
 私のつづる言葉は、文面だけで読むと随分とキツイらしい。2年くらい前に感想を送った小説の作者さんからは何故か「すみません」という返事が来て面食らった覚えがある。以来書き込みをやめていたのだが今回久しぶりに書いた。
 作者さんの返答は「あの話は私が自己満足のために書いたので貴方の意見には同意しかねます。申し訳ありませんが批判的意見を頂いてそれを受け止められる程、出来た人間ではないのです」とのことだった。返答については色々思わないでもないのだが、相手の方がそれを批判的意見と受け止めたのなら私の感想は批判だったのだろう。これについては弁明する気はない。
 そして同時に、それを不快に思いながらも公共の場において返事をしなければならなかった作者さんには悪かったな、とも思った。そもそもメールで送った方がよい感想だったのだがどこにもアドレスがなかったので拍手文として入れたのだし。
 今にして思えばメールの宛先が無く拍手文の投稿システムだけがあったというのは、関わりや批判は欲しくありませんという作者さんの姿勢を示していたものだったのではないかと思うのだがそれに気付かなかったのは自分の軽率だと思う。
 しかしまぁ…他人との関わりを嫌う一方で己の意見だけを発信したい心境というのは、昨今の人間の心理状態をそのまま顕しているようだと思う。営利関係ない趣味の世界なのだから個人の勝手だといわれればそれまでだが、生身の人間と逢って話すより顔も知らないメル友との交流を選ぶ子供の心理を連想した

 この思考が辛辣であり傲慢であるといわれるのならそうかもしれない。
 以前あることで議論をしていた相手に「貴方ほど強くない」と言われたことがある。
 私はネットの世界ではあまり酷い目にあったことはない。むしろ人を傷つけることの方が多いように感じている。私にとってそれは当たり前のことでも、相手にとってそれは辛辣に思えてしまうのだろう。ならば私は確かに強いのかもしれない。
「変わった方がよい」といった意味のことを何度か言われた。最近でも言われるところを見ると、おそらく私は変わってはいないのだろう。それがプラスなのかマイナスなのかなど判断できないし、変わりたいとも変わりたく無いとも考えてはいない。
 人から見た私の思考回路は「真っ直ぐ」と「ひねくれている」のまっぷたつに別れている。私自身はそのどちらでもなくむしろ中途半端に斜めだと思っているのだが、これもまた白か黒かの選択を相手にさせてしまう印象らしい