福島ズボラーヌ

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大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

逆櫓乃松址

2013-01-17 | ・福島:風景・建築・史跡
蜆川(曽根崎川)の跡を巡る(6)

以前の記事に2回も登場したことのある「逆櫓の松」(2012.10.142013.01.11)。
「上天神南」交差点近く、旧蜆川の北岸にあります。

「大阪市:逆櫓(さかろ)の松跡碑

今現在の松はこういう感じです。
本物の「逆櫓の松」は明治初期に枯れてしまったそうです。



マンションの花壇にひょろひょろ立っている松の木。
勇壮な「ひらかな盛衰記」とは似ても似つかない。
文楽の舞台にあった松の方が太いんじゃ…。
お隣にある石碑の方が立派です。



大正時代に作られた石碑。
説明板もあります。



説明の多くは源義経vs梶原景時の逆櫓論争の話に割かれています。
源氏の軍は屋島の戦いの頃、この辺に滞在していたのでしょう。

「wikipedia:逆櫓の松
「wikipedia:屋島の戦い

しかし、『吾妻鏡』『玉葉』の記述から、
このころ景時は範頼軍と行動を共にしていたという見解が有力であり、
『平家物語』のこの逸話は虚構の可能性が高い。


虚構なんですか…。まぁええけど。

説明板によりますと、「梶原景時に従ったのはわずか5艘」。
ちなみに「ひらかな盛衰記」の「逆櫓の段」に出てくる
松右衛門主催の逆櫓講習に参加していた船頭は3人でした。
松右衛門は捕まってしもたし、
講習の続きは権四郎じいさんが講師を務めたのだろうか。

劇中のセリフに
ノウ松右殿、船で妻子を養ひながら、恥づかしいがつひに逆櫓といふことは
ヲヽ知らぬ筈/\。なに事もおれ次第教へてやる
と言うやりとりがあり、逆櫓は福島の松右衛門家に伝わる秘法で
他の船頭さんは知らないという設定です。

説明板の残り数行には江戸時代の観光ガイドブックとして有名な
「摂津名所図会」についての記載があります。
たいそう立派な老松で樹齢千年で蛇のような形をしていたとか。
近くの玉江橋にも「蛸の松」という有名な松があります。
松、ていうのが観光スポットとして絶妙です。
桜は花の季節以外は誰も関心を持ちませんが、
常緑樹で枝ぶりを鑑賞する松なら、年間を通してお客さんを呼ぶことができます。

フリーペーパー「野田+福島」に「逆櫓の松」の図が掲載されていました。

「野田+福島:野田福島名所図会」(pdf)

この絵を見ると、確かにすごく立派な松です。
勇猛な武者が登ってもおかしくない。
蜆川(今は道だけど)ぎりぎりに立っていたわけではなく
個人のお屋敷の敷地内から、枝が伸びている感じですね。
こんな大木なら、確かに淀川(堂島川)を往来する船の目印になったことでしょう。



「野田+福島」の他の号にも、逆櫓の松が紹介されています。
この松の木は福島天満宮の南西にあった杉本家の松なのだそうです。

「野田+福島:野田福島文学散歩」(pdf)

1739年上演の人形浄瑠璃『ひらがな盛衰記』に初めて逆櫓の松という名が登場する。
この浄瑠璃がヒットし、これ以降この大きな松を『逆櫓の松』と呼ぶようになったそうです


やっぱり、逆櫓の松は義経ゆかりじゃなく、松右衛門さんの松だったのだな。
「松右衛門さん家の松ってどんなん?」
と思われた方は、是非、大阪の文楽劇場へ。
今月25日まで公演しています。16日以降は第一部(午前の部)で上演しています。

「国立文楽劇場:初春文楽公演」2013年1月3日(木)~2013年1月25日(金)



文久3年(1863年)「改正増補大阪全図」。
「浄正バシ」の「浄」の上に黒いモヤモヤがありますが
これは松の木の絵ではないかと思うのです。
残念ながら、文字がつぶれてて正確な内容は分からないのですが。
画面右下にも松の木の絵がありますが(ピンクの○部分)、これは「蛸の松」。

※「福島区の風景・街並み

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