■鳥道楽■ネケネケ
鳥・面白いこと好きな心の中はoutdoor派の管理人。好きな言葉は塞翁が馬。
 




TOP画像は2009年8月8日のちーさん7歳の写真。








本日5月19日はちーさん(C)の来家9年目記念日でした。
残念ながらちーさんは今はここに居ないけど、実際の生まれ月は
2002年3月なので、9歳にはなっていました。改めて、おめでとう^^



先日49日を迎えました。
昔の元気な写真を見るのは、やっと落ち着いてきた今の時期の方がいなくなってしまってすぐの頃よりもより辛く寂しくなるみたいです。
この記事を作るのは結構辛かったです、、


今回は、これこそちーさん、Cらしいと思える写真をピックアップ
してみることにして・・いろいろ吟味した結果、去年の6月に実家に帰った時の写真
初めて実家に長居した~実家もC天下(KYC)~/オカメの鳴き声と警報機の音

の未公開画像(ボツにした変顔ばかりですが・・)をアップすることにしました(記事既出画像含)



頭なでられ百面相なコミカルちーさん。




























ちーたろーと仲間たち。


いつの写真か解らないけど、脚にツヤがあるので5歳までのちーさんだと思います。


ちーさんは動き回ってる時、なでられている時、いたずらしてる時が
一番生き生きと見えて、表情豊かに感じたものです。


ルチノーの目は子供の頃はルビー色なんですが、歳を取ってくるとメラニン色素が増えるのか、ガーネットのような色
(暗い赤)になる、と何かの本で読んだことが有ります。
・・ここ最近昔の写真などもあさっていたんですが、言われてみればそうかもしれない・・ちーさん、昔の方がはっきり赤い目
だった気がするのです。



ち「これ麦の次に好きなんだよ。」

20100518
粟穂は本当に大好きでした。

20100513


20100513 夕暮れ時にまったりしてるちーさん

20100518


20090822



砂糖菓子のように綺麗なちーさん。
とてもいいにおいがしていたなあ。



Cの独立した誕生日記事を書くことはもう2度と無いでしょう。
見てくださった方、本当にありがとうございます。





20110223
ち「いつかどこかで、また会おうね。」











【おまけ画像】
2002年まだ0歳、子供なちーさんと。









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see you againだ。


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またまた、なかなか更新できなくてすみません
そして今回もまた暗い内容で申し訳ないです。




先日義子さんの安否が確認出来ました。

・・

ちーさんのいなくなる丁度2ヶ月前に亡くなられていたようです。






※この記事は作成しようかかなり迷ったんですが、義子さんはいつも私に季節ごとに3D作品を贈ってくれて
最後にmixiで交わしたメッセージも
「パソコンが壊れたのでしばらく修理に出して会えないけど2月14日のバレンタインにはしみず(ここの管理人)さんに
CGを贈りたいから戻ってくるね」
で・・。

このブログに戴いたCGをアップすると大変喜んでくださったので、ここに今まで戴いたCG、
とても好きでサイトからDLしてしまった作品を展示してみようと思います。


































mixiのアプリで義子さんが作ってくれた私の似顔絵

「私はこんなに可愛くないよー」
義子さんが作った義子さんの似顔絵↓

確かに、以前見せて戴いた写真に写っている義子さんはこんな感じだったね^^




(*^-^*)
この顔文字を見ると義子さんを思い出すんだよね(笑
穏やかで温かく包容力のあるとても優しい人でした。


義子さんとはオンライン上で2000年からの付き合いで、当時まだパソコンが一般の人には手を出しにくい雰囲気(パソコンオタクや、ゲーム好き・2次元製作者など
マニアが多かった、まだDMや迷惑メールすら存在しなかった頃です)頃から
CG Freeメーリングリスト(CGを作成する人達のメーリングリスト、SNSがまだ無かったこの時代、MLはとても画期的なものでした)
で知り合い、その後ICQ、チャット、HPの掲示板同士での交流、メールでの交流・・とにかく普段会う人よりも
精神的な面でとてもつながりの深い、大切な人でした。

出会った当時義子さんは大手ゲーム会社の管理職で、体を壊したので在宅での仕事中、私は漫画描き時代から出版社→ゲーム会社を経て自宅でコンシューマーゲームの
仕事をしている時でした。丁度コンシューマー、パソゲー、ギャルゲーなどゲーム全盛期の頃です。

仕事の悩みとか、恋愛の話とか、病気の話、子供の頃の話、MLでのオフ会の話、描いてる絵の話、W杯や高校野球、格闘技、ゲーム・映画の話・・とにかくありとあらゆる話を
ほぼ毎日していました。
義子さんが何故私のような変わった人間に興味を持ってくれたのか解らなかったけど、その半端じゃない包容力のおかげで、毎日どんなに安心出来たか・・
こういうのは、本当に失ってから気付くものなんですね、、
今になって伝えたいこと、聞きたかったことが後から後から溢れ出てきます。


義子さんは何時頃からか、ここのブログ、mixi、pixiv、過去に遡れば私のCGホームページの掲示板にいつも率先してコメントを書いてくださいました。
CGサイトの掲示板への書き込み、過去のコメント欄、そしてweb拍手のYさんの書き込み。もう、毎日が義子さんラッシュ、
義子さんシャワーを浴びていたような生活を私は10年以上続けていたわけです。

深く付き合うようになったきっかけは2000年5月ごろのICQでの会話からのようで・・つい前ICQの当時のログを発見して、
そういえばこんなことを話し合ってたんだ、と言うことを細部まで思い出すことが出来ました。


オンラインゲームを土日に家の人間も含めて一緒にやったり、その間いろいろなことをチャット機能でしゃべったり。
今年の1月までは楽しく一緒にお付き合いしていたのです。
1番最後にゲームのチャット機能で長々と話していたのは1月16日ごろだったかな・・
最近はヤマトなどの映画の話やキャンプの話が多かったなあ。
12年生きたセキセイインコや文鳥を飼っていたことがあったようで・・鳥好きなことを知って凄く嬉しく思った記憶が有ります。
家の鳥を見て「いつか私もオカメちゃん飼いたいなあ。飼うならオス・メスで2羽一緒に飼いたい」と言ってたなあ・・









※その他、義子さんのpixivに投稿した作品へのURL
http://www.pixiv.net/member_illust.php?id=28967&p=1




以下、mixiでのコメントへの私の返事の中から一部抜粋したものです。

ネットで一番親しくしていた人が亡くなった場合、人はどういう反応をとるんだろう、
なんてずっと昔にチラっと考えていたことがあったんですが・・会ったことが無いから顔も
解らないし、お葬式にも出られない、頭の中に浮かぶのは、今までたくさん積み重ねてきた文字・言葉、そしていっぱいの絵の山。
身近なのに身近じゃない、ほぼ毎日やりとりがあったのに、直接話したことが無い、
正直どう捉えていいのか、どう処理していいのか自分自身戸惑っている感があります。


ちーさんを亡くした時にも思ったんですが、なんて言いますか・・思い出に残されたものがあまりに細部まで明確すぎる、と言えば
ご理解いただけるでしょうか。


身近な人が亡くなった場合、文通などしてない限りは、その人と交わした会話がそのまま丸ごと残り後でもう一度確認することが出来ると言うことはあまり無いと思います。
心の中の記憶にすがってだんだんと記憶があいまいになり、一番印象に残ったイメージ(自分が大好きだったその人のイメージ)
が残るものだと思うんですが・・所謂、”思い出はセピア色”って感じで。
色あせてボンヤリしたその人の顔が心に刻まれていくものだと・・95年にいつも一緒だった
同僚の方を亡くした時はまさにそんな感じでした。

今回ちーさんで言えば今まで撮った、直接目で見ていた実物よりも細部まで綺麗に写っている写真が、
義子さんの場合は、その当時の書き込み、交わした言葉が、
今の私にはあまりにもリアル過ぎて・・。

それで居て義子さんの場合会ったことが無いので顔も声も自分の想像していたもので再現しているような状態です。



普通に身近な人を亡くすのとは全く違うパターンでの喪失感を感じております。
(これから先、同じような体験をする方が増えていきそうな気がします。・・いや、既に震災で辛い経験をしている方もいらっしゃるのか、、)
リアルな思い出を残すことが出来るということは幸せなことなのかもしれませんが、確認する時期によってはかえって辛くなる元となるようです。
そして、そのリアルな思い出は自分で消去しない限り、オンラインアップの課金制度の変更が無い限り、これからもずっとそのままになっているんだろうな、と。
もう少し時間が経ってから見れば、読めば、楽しかったころの事を思い出して幸せな気持ちになれるかな?

mixiのメッセージ受信欄を見ると送信者の名前欄が(義子義子義子義子義子義子義子義子義子(他の人)義子義子義子・・)ってこんな状態なんですヨ(笑
ブログを見ても掲示板を見ても、ネットの何処に行っても必ず義子さんの跡が残っていて・・切ないですー、、





自分の大切なものがこう連続して亡くなると、泣きはするものの冷静になってくるのかな、とも感じました。

自分の一部が無くなってしまった、欠けてしまったような感じ。
身長や体型が似ていて、年齢は私の方が少し上、義子さんは色白で私はどちらかと言うと色黒寄り。
どんなに食べても太れない、子供の頃体が弱かった、持病を持っていた、手塚治虫が好きだった、
スターウォーズが好きだった、昔漫画を描いていた、鳥を飼っていたなど数え切れないほどの共通点があって。
義子さんがバイクに乗って日本じゅうを旅してるのを、いいなあと思う私がいれば、
私が空手をやってるのを、病気の為に激しい運動が出来なかった義子さんがいいなあ、と思っていたみたいで。


今、いろいろとスピリチュアルな本を読み漁っています。
自分の価値観・考え方では死んだらそれでおしまい、死後の世界は存在しない、な訳だったんですが、
(目で見て確認出来ない限り納得できない、つまらない人間なんだろうね、、)
が、それはそれで置いておいて。

例えば輪廻転生の話、例えば霊界の話。それらが存在すると考えられる柔軟さを持つことは、
今この時、また今後もあるであろう喪失感への悲しみを和らげる為にも必要であると感じるのです。



今まで生まれ変わりとか、死後の世界があるかどうかなんてどうでも良いことだったし、
おそらく死んだらそれでおしまい的な考え方は自分の根底で覆されることは今後も無いと思うものの
もし本当に”いつかまた会える”と考えられたらどんなに希望が持てて楽しいことであるか。

2次元、3次元があるなら4次元、霊界など他界が存在することも確かに全く無いとは否定できない訳で。
科学的な考えで、実験で、証明できない事柄は肯定も否定も出来ない分野であると思うので。

いつかまた会える、またはこれを作成している今この時に、別の次元に居るものの、近くに存在する、
そう考えられることが出来る脳を持っている人間は大変幸福なのかもしれないなあ、と。
(あまり表立って人には言えないけどネ、、)
そしてそう考えられる人は精神的にもきっと強いんだろうな・・








義子さんはちーさんをとても気に入っていたみたいなので、今頃一緒に仲良くしているかもしれないです。


いつもいつも私のことを思ってくれて心配してくれた義子さんの為にも、あまり悲しまないようにしないといけないね。
今まで応援してくれてありがとう。いつかまた、何処かで今度こそお会いしたいです。





【次回記事予告:ちーさんの誕生日5月19日、あるいはちゃうサンの9歳産卵奮闘記のどちらが先になるか解りませんがどちらか】
実は、ちゃサンが(今の所)5個の卵を産んでいるのですが、初日は結構危ない状態だったんです、、
なのでブログ更新が大幅に遅れてしまった次第です。(今は元気になってきてます^^)




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