雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

060924 日々歌う

2006-09-24 14:41:40 | 日々歌ふ
誰よりもナチスの過去を責め来るグラスのあまりに長き沈黙

8月末に、ギュンター・グラスが17歳のときにナチスの親衛隊に所属していたことを告白したというニュースを聞いて、ぼくは下のように歌いました。

060826 日々歌う
自らが<SS>たるを告白すドイツの作家ナチを責め来て
若き日に<SS>たりしことよりも沈黙問はる六十年の
耳聾すブリキ乱打のガンガンとグラスの告ぐる事実の重さに
(事実=こと)

その後、欧米やインドなどでもこの告白をめぐって激しい議論が続けられています。
googleの海外ニュース検索でそれらの議論を追ってみると、やっぱり最大の焦点はグラスの60年にも及ぶ沈黙と今になっての告白の意味、あるいはその動機でしょう。

ここで全面的な展開をするだけの力はぼくにはありませんが、気になった事実をいくつか紹介しておきます。

①1985年にレーガン大統領がコール首相と共に、ビットブルク(Bitburg)のSSも埋葬されている戦没者墓地を詣でたことを誰よりも強く、グラスは糾弾しました。
そのとき、レーガンが見たSSの墓の多くは、まさにグラスと同じように17歳でSSに召集された少年兵たちの墓だったというのです。
グラスも当然それを知っていたのに、当時は自分の経歴にまったく触れないまま、レーガンとコールがSS詣でをしたといって糾弾していたことになります。
それが、今度の告白以後は、自分は家庭の厳しさを逃れてSSに入っただけで、ナチスのイデオロギーを支持していたわけでもなく、一発も銃など撃ったこともないただの17歳の少年に過ぎなかったと弁解しているのです。
しかも、それを恥じて戦後その事実を忘れようとしてきたが、ずっと心の重荷になっていた。60年後の今、ようやく時が来て告白することができたというのです。

②東ドイツが崩壊した後、東独の秘密警察シュタージが全市民の思想・行動・交友関係などを、家族・友人の中にも網の目のように張り巡らせた情報網によって調べ上げ、市民一人一人の膨大なファイルを作っていたことが明らかになり、東独市民に大きな衝撃が走りました。
本人が望めば閲覧ができます。
そのファイルには東独市民だけではなく、東独市民と交流のあった西独市民のものも含まれていました。
グラスのもありました。
数年前にある社会科学者がグラスにそれを見るように勧めたところ、グラスは直ちに拒否したといいます。
おそらくそのファイルには、グラスのSS歴も記録されているのではないかともいわれています。
グラスはすでにシュタージから、その記録を元に脅されていた可能性があるという疑いもあるのです。

http://www.pressconnects.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20060922/COLUMNISTS03/609220301/1005/
http://www.popmatters.com/pm/blogs/popwire_post/5196/nazi-past-will-likely-tarnish-gunter-grass-3298/

コメント (26)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <013:クリーム>から | トップ | 060925 日々歌う »
最新の画像もっと見る

26 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
どう考えていいか・・・ (酔流亭)
2006-09-24 15:59:09
こんにちは。

拙ブログにコメントをありがとうございます。

グラスのことは、どう考えていいのか、わからないままにいます。シュタージから脅されていた可能性・・・ショックです。
さもありなんでした (きょんふぁ)
2006-09-24 18:57:40
人間とはそういうものだ、と、ニュースになんの衝撃もおぼえなかったのですが。



告白のきっかけは脅迫かもしれないし、弁解もなるほどそうかもしれないと理解可能。しかし、本人の中では、「誰も知らなくとも、本人は知っている真実」、として、苦悩がさまざまなかたちを変えつつ生きていたのでしょう。告白内容がすべて真実かどうかも、わからない。さかのぼって糾弾されるべきかは、疑問です。業績のそのときそのときの価値も、変わらないと思います。



この意見が、SS容認でないことは、当然ですが、念のため。
Unknown (sakuraasako)
2006-09-24 23:06:32
ブログへのコメントありがとうございました。

酔流亭さん、きょんふぁさん、髭彦さん。

皆さんのコメントに、肯いてしまいました。

私は、ダメだなぁ・・・、きっぱりとした意見が持てなくて。



「人がウソをつくのは決して悪いことじゃあないんです。それが、あなたが生きていくために必要なウソならばね。あなたは、今その胸の中にある秘密を、墓の中までもって行けばいいんですよ。」

そんなふうに慰められた経験、ありますか?

私は、あります。そして、そのことで救われたことも。

人は弱くて愚かでもろいものです。

沈黙ののちにあいまいな告白をしたグラスさんを、きょんふぁさんの表現を借りれば「さもありなん」と抱きしめてしまいそうです。私には「思想」が欠如しているのかなぁ

・・・。
皆さんも、きっと… (髭彦)
2006-09-25 00:11:46
<人間とはそういうものだ>

<人は弱くて愚かでもろいものです>

その通りだと思います。

だから、ドイツの民衆の多くがナチスに同調し、熱狂したのも、<理解>はできます。

戦後、そうした自分の過去を隠し、忘れ去ろうとしたことも<理解>できます。

しかし、そうした自分の過去を隠し、忘却するだけでなく、他の人々がそうすることを誰よりも厳しく糾弾し、告発する権威となって世論の形成の先頭に立ったとしたら、どうなのでしょう?

権力や権威をもたない人間なら単なる<偽善>ですむことも、いったん権力や権威を行使する立場に自らを置いた人間は別でしょう。

ましてや、その権力や権威が大きければ大きいほど。

そしてグラスは、まさに戦後ドイツにおいて、ナチスとそれに同調し、加担し、それを隠し、忘却しようとする人々を糾弾する、最大の道徳的・社会的権威に身を置くことを、自他共に認めてきた人物なのです。

ぼくはグラスを<糾弾>するつもりはありません。

同時に、<理解>もしたくありません。

<人間とはそういうものだ><人は弱くて愚かでもろいもの>だと、自らをも思うならば、人は大きな権力や権威を握るべきではないのです。

ぼくが一介の教師となり、一介の教師で終わろうとしているのも、まさにその理由からでした。

ブログ仲間の皆さんも、きっと同じような思いでいらっしゃるのではないでしょうか。

思想って?/権力、ああ。 (きょんふぁ)
2006-09-25 01:53:11
まずはsakuraasakoさまへ。



名前を呼ばれたので、こんばんは。

きっと、きまじめで、お優しいんですよ、みなさん。



わたしは・・・ナマミの自分のできることはとてつもなく小さいんだからさ、といつも思っていて、言ってしまえば、わたしゃドイツまで視野にいれる立場にいないよぉ~というのが本音ですね。でも、観念的には、関心は深いです。そういう意味では、そういう立場にいますねぇ・・・。



きっぱりとした意見に見えても、悩みながら過渡的な意見を表明しているだけで、学びながら変えます。無知な若輩が、無責任に偉そうにしてるかも?と、いつも冷や汗はかいてます。



「思想」とかって堅苦しく考えると、また囚われませんか?特に、左だ右だはもう・・・二分法の発想はダメだと思う。両方とも、な~んか変なの、かたくな~と感じますよ。ただ、各人の思いには必ず個人史上の背景があるので、けして軽視や揶揄はしませんが。



さて、権力を握るべきは強者、とは思いません。ほっといても冷たい強い奴が握るけどね(笑)。わたしは、ただの人の単なる偽善の集積が集団的無責任に傾くことのほうにより現実的な危険を感じますが、グラスへの髭彦さまの怒りのありようは、十分わかります。ですが、それでも、グラスほどの人物だからこその葛藤の真相に、わたしの関心は向かう。そして、抱きしめやしないけど(笑)、たぶん頭での理解を超えたある種の共感をおぼえうるだろう、このわたし個人は・・・と、感じてはいます。



ショックもないし、怒りも愛もわかないんですが、このニュースは自分たちにひきつけて考えるべき点が多々ふくまれているとは思います。無関係な外国の

スキャンダルではない、と位置づけます。



一点だけ。権威だったからこそ、ではなく、だからこそ権威になった、という精神のストーリーが、彼にはあったのではないでしょうか。
稚拙な歌でしめちゃったりして (きょんふぁ)
2006-09-25 02:19:32
昔つくった短歌です。ちょっとひきつけすぎですが。





記憶せよ糾弾せよとさいなみて誰の鉄砲玉なるわれか



おおいなる耳もつ齢まだ遠くまた薬莢をこぼしたる口



失せたるはわれかもしれず 前の世のさくらばな満ち誰もきづかぬ



桜花かの薄闇に散り敷かん異郷におわる贅もあるべし





またぞろ戦前の気配濃き世の風潮に、ただの人として感受したままを歌ったもの。でも在日という所与の立場上、この手の歌には反発も相当くらった。この国を愛し、憂い、安全を祈り、愚かな歴史を繰り返さずに

幸福に生きたい、そういう思いって、こんなちいさな島に共存している誰もの思いであって自然だと思うのですが、妙な思想におつむが硬直してると、妙な次元で争いが生じるらしく・・・。



紅まんじゅしゃげ白まんじゅしゃげおはぎぼったり死者おもふ  うわ、こんな俳句?ダメか(笑)!!



うふっ、お昼休みに・・・。 (sakuraasako)
2006-09-25 13:23:13
こんにちは、今日の風はとてもいい気持ちです。

金木犀の香りもどこからともなく・・・。

だけど、キョロキョロと見回してもトトロの姿は見えず、です。



<大きな権力や権威にしか持てない影響力>というものが、ありますね。

一個人がどんなに束になってかかっても持てない影響力というものが。

グラスさんへの評価は今回のことも含めて

今後ずっと世界中で論じられ続けるのでしょう。

今回のことも含めた大きな課題を、彼は提示してくださった。



このこととは少し離れてしまうのですが、

<権力とか権威>は、必ず<期間限定>にして“発揮”できるような仕組みにするべきですよね。
まだお昼休みは続くから・・・。 (sakuraasako)
2006-09-25 13:44:18
きょんふぁさんへ



>「思想」とかって堅苦しく考えると・・・



ほんとですね。堅苦しい。

先日『中村屋のボース』という本を読みました。

その中に「思想を持たず、仁義礼節を持った」男たちがたくさん登場するのです。

これまでまったくお目にかかったことの無かったような人たちなんです。

新鮮でした。

で、いま私の頭の中を「思想」という言葉が

幅利かせているのです。

戦前戦後頃のお話なので、確かに<いまどきぃ?>かも。

それから、世の中を「前後左右」の座標軸にプロットする分類法についてですが。

これは今の世に置いてもまだまだ大変有効な分類法ですので、決してアレルギー反応を発現なさいますな。

60年代(ギリギリですけど)生まれの私が右左、鷹鳩、などの世の構図を教えられたのは社会に出てから。

ま、海沿いで暮らす空腹の餓鬼が、近所のおじさんやおばさんに魚貝の採り方を教わったようなもの。

生き抜く術の一つでした。

ちなみに自己分類では、私は焼肉や寿司で餌付けされた“えづけ(られ)鳩”。

そして、どっちかというと左にプロットしてください。

これからもよろしく、きょんふぁさん。

あぁ、午後の仕事がぁ・・・。
追伸→きょんふぁさんへ (sakuraasako)
2006-09-25 13:51:19
最後の俳句(?)、どうかご再考を(笑)。
ただいま帰宅しましたが (きょんふぁ)
2006-09-25 21:59:57
ここで話しかけられてそれにこたえていいものやら(笑)。髭彦さまの人徳でしょうか。甘えますね。



はぁ・・・こちらこそ、よろしくお願いします。

もっとお年をめした方だと想像していたので(おばあさんだと思っていました)、主人より年下の方らしきことがわかって、苦笑しています。



私自身の「生き抜く術」は、あんまり批判めいたことを言わずかわゆく黙るべし、だったりして・・・と思ってるんですけど、困った性格です。



なんと自己紹介されても、別にあれこれ分類はしません。ブログ上でこういうこと書いてらっしゃるsakuraasakoさま、年齢性別ほぼ認識、とまぁ、それだけです。



とりあえず。



追伸



俳句再考?しませんよ。ジョークは言い捨て(笑)。







コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日々歌ふ」カテゴリの最新記事