伊那人のサッカーぶろぐ

二十年来のアルゼンチンファンである筆者「Menotti」のサッカー観戦記。U12の少年サッカーも応援しています。

詰めが甘い面々~喬木フットサル大会

2012年12月04日 02時31分51秒 | 少年サッカー
先々週の下伊那フェスティバルの時に、偶然、喬木フットサル大会へのお誘いが
あり、たまたま4年生の大会だったので、4年生を1チーム連れて行くことにしました。

この大会は、2年程前までは毎回、参加していた大会でしたが、基本的に下伊那地区の
チームに限定する関係で、去年は参加していませんでした。今年はキャンセルがあった
ようで、急遽、声を掛けていただいたということです。

本当はよい機会なので、4年全員で2チームほど出したかったのですが、あまりにも
急だったので、2チームを確定することができず、仕方なく1チームとし、メンバーも
選抜させてもらいました。加入して日が浅いメンバーは、フットサルのルールすら
きちんと把握できていないだろうし、練習1回で大会に参加するのは無理だと判断
したのです。

喬木フットサル大会は、フットサルと言っても学校のグラウンドを使って行われる、
5人制の大会で、10分ハーフ、ルールは、ほぼフットサルのルールを採用しますが、
バックパスなどフットサル特有のルールはなるべく使わないように、初心者に合わせて
行われています。出場チーム20チームを、4つのブロックに分け、各ブロックで優勝から
3位までが表彰されます。(各ブロックで総当たり)

Menottiはこの大会は確か3回目ですが、ブロック毎の順位で終わる事を忘れていて、
4試合でもっとも勝ち点、得失点などで上回るチームの順番で優勝が決まると思って
いました。なので、センゴクの時と同じ、優勝の為には、自分のブロックでは全勝で
一位になるのが必須であり、より多くの点差で勝つのが重要だとメンバーに伝えました。

目標はもちろん優勝です。下伊那フェスティバルに参加したメンバーも3人いたし、
来ているチームは、あの時とほとんど一緒です。学年が違うだけなので、同じ学年なら
負けてたまるか、そんな気持ちだったのではないでしょうか。

うちのブロックは飯田、丸山、松川、竜丘Bの4チームとtop伊那の5チームとなっていて、
この順番に対戦することになっていました。丸山、松川はまさに下伊那フェスで対戦
したチームであり、特に松川には負けているので、何とか雪辱したいと思っていました。

初戦の飯田は何も情報もなく、初戦は是非とも勝ちたいと思っていたのですが、対戦
してみると、前の週の、下伊那チーム特有の当たりの強さなどもなく、正直、簡単に
行けそうな雰囲気でした。それでも先取点を取るまでに相当時間がかかり、全く、
こういう所が、最後、得失点差の勝負になったときに、効いてくるんだ・・・。そんな
思いで、6-1で勝ったのですが、不用意に1点献上したこともあって、試合後は、その
辺りに苦言を呈するような内容のミーティングをしました。

結果的には、この時に思った通りの結末となった訳ですが、この時はまさかそんなことに
なるとはさすがに思いませんでしたね。本当に。

この日、審判不足で、10分ハーフの一人審ならコートも狭いし、何とかなるだろうと、
審判したのですが、どうやら、このブロックのライバルは松川みたいでした。一人、
個人技がある選手がいて、ここを警戒する必要があると感じました。

この日、うちのDFはちょっと手薄でした。第二試合の丸山戦も、それほど恐いと思う
相手ではなかったのですが、大量得点とはいかず、逆にまたカウンターから失点して
しまいました。とりあえずは2勝挙げたのですが、3戦目の松川戦が、やはり天王山の
様相です。

松川戦は思った通り、良い試合になりました。うちが前掛かりになった分、相手が
カウンター気味に何度も攻撃する展開が増え、前半に、DFのミスから件の選手に決められ、
この日、初めての先制点を許してしまいました。これは一筋縄ではいかないと、選手も
感じていたかも知れません。味方の動きが悪いので、誰々を代えてくれと言ってくる
者まで現れる始末。これだと問題になりません。自分の動きを棚に上げ、人のせいにする
態度をきっちりと戒め、流れを変える交替も含め、後半に巻き返しを図りました。

後半、必死さが現れ、ついに同点ゴールが生まれました。その後も逆転のチャンスは
何度となく訪れたのですが、その度にフィニッシュの不味さからとうとう勝ち越し点を
奪えないまま、終了の笛を聞いてしまいました。

4つのブロックで、全勝チームが無いことは考えにくいので、引き分けが一つあった時点で
優勝はないと思われました。しかし、よく見ると、松川もうちと引き分けた以外は全部
勝っているので、うちと松川は得失点差になります。従って、最終戦の竜丘B戦でも、
より多くの点を取って勝つ必要があったのです。

それをわかっていながら、うちは同じような戦いを、またやっていました。確実に
決める選手がいない・・・。良い形で持ち込むことはできても、決めることがなかなか
できないのです。本当に今後の課題だと思いました。

結局、3-1で勝ちましたが、この試合も当然5点以上取って勝たなくてはいけない
試合だと思いました。

この大会の恒例行事として、リフティング大会があります。昼休みを利用して、全員で
リフティングを競い、予選で50回以上続いた者が決勝に残って、回数を競います。
決められた時間は何度でも挑戦できます。

この日、11時位から、ものすごい強風に見舞われ、コンディションは最悪に近かった
のですが、うちのチームからはH君が決勝に残り、10数名の中から、見事158回で
総合3位に輝きました。優勝は200回超えていましたが、コンディションが良ければ
もちろんもっと行ったでしょう。

それでも、これだけの人数の中で、3位はりっぱで、今までTOP伊那の歴史の中で、
この手のリフティング大会で表彰されたのは、初めてではないでしょうか。

うちの4年は女子が圧倒的にリフティングはうまくて、この二人の女子が参加していたら、
もっと上が狙えたかも知れません。H君はいつもこの女子二人にかなわなかったのに、
本番で、158回はすごい進歩だと思います。

午後、極寒の中、最後の松川-飯田戦の審判を行い、2-0で松川が勝ちましたが、
最終結果を見たところ、うちと松川は勝ち点、得失点差、共に同点。そして総得点が
わずか1点、松川が上回り、松川がブロック1位、うちは2位になりました。

優勝は全体で計算かと思って、全部の勝ち点から見たところ、全勝したチームはわずか
1チーム、これは文句無しに全体一位ですが、その次がうちのブロックの1,2位と
なっていました。つまり、ブロック準優勝、全体でも3位となっていたのです。

20チーム中3位ですから、まずまずの成績ではありますが、あと何点か、松川戦で取って
勝てば、全体の優勝もできていたのです。もう少し上もあと少しの所で逃しているので、
ゴールも含め、すべてでまだ詰めが甘いと思った一日でした。

ただ、簡単に優勝してしまっても、今後の為にならないし、急遽、呼ばれた唯一の
上伊那チームだったので、さくっと優勝をさらってもいやらしい気もするので、結局は
これで良かったのかなー、と思いながら、帰ってきました。


ところで・・・、先日のセンゴクドリームカップの結果が、信毎に載っていたのですが、
そのチーム名が、なんとトップストーンになっていたのです。まあ、姉妹チームとは
言っても、一応別のチームだし、それはまずいでしょうと言うことで、この歳にして、
初めて信毎の編集部に電話しました。もっとぶっきらぼうに扱われるのかと思いきや、
意外に丁寧な対応で感心しました。そして一週間後の信毎に画像のような訂正記事が・・・。

さすがです。この記事に何人が気づいたでしょうか。我々の名誉のために、信毎が記事を
修正してくれたのです。あの雨の中、頑張った選手達の為に、これはコーチとして
やらなければいけない仕事でした・・・。そして成し遂げたのです!

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