Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

小さい秋、大きい秋

2007年11月25日 | 東京
 久しぶりに戻った実家で目を覚ますと、父に「庭のもみじの鉢植えがきれいに紅葉しているからみてごらん」といわれる。パジャマ姿で庭に出てみると、確かに太陽の光に照らされているせいか、もみじの葉は赤く染まって輝いているように見える。「庭の中の小さい秋だろう?」と父が言う。
 《小さい秋》という童謡がある。小さい秋、小さい秋、小さい秋、見つけた・・・という歌詞ではじまる歌で、秋を歌ったからだけでなく、短調のせいか、ものすごく寂しく聞こえる曲である。1ヶ月ほど前だろうか、子どもが部屋で歌っていたので、今でも学校で教えることがあるのだろう。この歌に歌われる「小さい秋」は、夏から秋に変わりゆく季節の移ろいの中で、秋らしい現象を見出すという、いわば「秋現象の発見」を物語っている。
 父のもみじは、確かに植木としては「小さい」。つまり体積(面積)からすれば、どこもかしこも秋一色の現在、鉢植えのもみじなどは、微々たるものである。それに、もみじの紅葉なんて、みようと思えば、100メートル歩いた玉川上水でも見ることができるのだ。しかし「小さい」、「大きい」は量の問題ではない。父にとって丹精こめて育てた庭の植物の秋は、父にとっての「大きな秋」である。どんな美しい秋の風景よりも、父の気持ちや心の中では、庭の秋こそが、大きな意味を持つ。
 そんなことを考えながらもみじの葉をじっくり眺めてみる。よく見ると、結構、枯れているではないか?言わなくてもいいのに、私は余計なことを言う。
「お父さん、もみじ、遠くから見るときれいだけど、近くで見ると結構枯れてるじゃない?」
と、父はこう切り替えした。
「きれいな時に東京に帰らないお前が悪い。」
 確かにそうである。父にとっての「大きな秋」にケチをつけるなどもってのほかである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。