即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

羽生名人講演会

2010年08月12日 15時48分32秒 | 将棋
たいがーさんにお誘いを受けて、横浜の港北公会堂まで行ってきました。

こんな内容の講演会です。



 
600人は入れる広い会場。
一番前の方の席だけは質疑応答がしやすいようにこんな感じに。

早めに到着して席に着くと、ステージ上の右側にはなんと、いるじゃないですか。
(会場すごく暗くて写真うまく撮れません。ぼやけているけどステージ上右端の二人のうち左側が羽生さん。)
↓こっちを見てます。
あっ、たいがーさんには、さすがに気づいて、軽く会釈を。
(すげー、俺まで一緒におじぎしちゃったよ。)

なんか打ち合わせしてるんでしょうか。

いよいよ二人が登場してスタート。(ここからは写真ないです。)

心理療法士のスズキケンジさんがいろいろ質問して、それに答える形で羽生名人が話をします。

僕のメモなのでわかりにくいかもしれないけど、内容はこんな感じ。
(順不同・僕が印象的だった話のみを簡単に。)
赤字=nanapon ※=黄色字=nanaponコメント

相手に手を渡すことの意味。

「将棋はテニスに似ている。
すごいスピードのサーブは、面を合わせればいい。
相手のスピードを利用してリターンエースを取れる。
反対にゆるい球はスマッシュを打たなければならない。

プロ同士だと、あまり大技をかけにいってもうまくいかない。
相手があることだから、自分の力だけで何とかしようと思ってもだめ。
少しずつ間合いを詰める、前ににじりよる。
しかし、自分の読み筋通りにはどうせならない。
仕方ないからあきらめる。じっとしてる。
すべての駒が最大限働くために考える。

そこで、相手に手を渡す、ということがある。
「手を渡す」、というのは、言い換えると、「お茶を濁す」という言い方もできる。

曖昧なものを漠然としたままにしておく。

日本語というのは曖昧にしやすいし、日常生活や人間関係でも潤滑油として使っていけるこつだと思う。

状況を悪化させない。
自分が決めるということは、責任を取らなければいけないし、
お茶を濁す=相手に手を渡す、というのはひとつの立派な回答。」

※この話もいかにも羽生さんらしいです。
この世界や宇宙は深遠なものだし、神聖なものだから、自分でなんとかしよう、とか、自分の力が通用する、などと思ってはいけない。
それは、失礼に当たるし、不遜な行為だ、という考え方が背景にあるように思います。

目標設定について。

「あまり目標を明確には作らない。
決めてもすぐに挫折するので決めない。
漠然とこうなったらいい、ああできたらいい、ということは思うけど、具体的には決めないようにしている。

マラソンでも100km先にゴールがあると言われても、見えないし、いやになってしまう。
走り始めてみて、着いたらいいな、そこまでいけたらいいかな、とは思う。
最初から細々とは決めずに、途中で予想外のことが起きたり、意外性あふれることを含んで考えた方が楽しい。
(※ここのところ、とても羽生さんらしいです。)
対局の準備も、結局当たらないのだから、こうなったらいいくらいしか考えない。
いくら具体的に思い描いて作戦を立てたところで、どうせはずれるのだから。」

※今、夢に関しての自己啓発書が凄く多いです。夢を持つこと、具体的にイメージすること、そして夢に日付を入れて日々そのスケジュールに沿ってまい進すること。
そんな世の中の風潮に対して、この羽生さんの言葉は、また違う意味で重みがあります。
ここで羽生さんとは違う我々凡人はどうしたらいいのか、と考えてしまいます。
しっかりした目標設定をすることが何よりも大事、という考え方。
そして、どうせはずれるのだから、挫折しちゃうのだから、漠然と考えて前向きに進んでいった方がいい、という考え方。

途中で起きたことも楽しめばいい、という考え方は、もう一方の考え方に比べて、広く大きく深い、と言えます。
生き方の美学ということもあるのでしょうね。


情報化社会について。

「現代は何もしなくてもどんどん情報が入ってくる。
知らないうちにインプットされてしまう。

つまり現代人は“情報メタボ”になっている。

情報メタボにならないようにするためには、どんどんアウトプットしていかないといけない。
インプットされた情報を自分なりに咀嚼して、しゃべるのでも書くのでもいいので、アウトプットすることが肝心。
その出力パワーを上げることがメタボにならないこつ。
そのバランスは、インプット2割、アウトプット8割くらいでもいい。」

※羽生さんもこのように思っていたのですね。
情報メタボ、とはうまい表現です。

普段から、運動(アウトプット)する習慣を身につけて、新陳代謝をよくしていかないといけない。
どんどん汗をかく。発散する。
そして、大事なのは基礎代謝を上げること。
メタボが進んでいくと、悪玉も善玉も含め、情報まみれの重いカラダになり、動きが鈍くなる。
本当に頷ける話です。
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そういえば、ずいぶん前だけど、同様の趣旨の記事を書いてますね。
とりあえずアウトプットすること
シンプルに、お気軽に

さぼっていると、カラダの中に種々雑多な情報が溜まってきてしまう。
どんどん整理して、要るもの要らないものを判別し、自分の栄養にした上で吐き出していく作業をしないと、カラダの中に蓄積してしまい、判断力も行動力も含め、動きの悪いメタボ人間になってしまう。
どんどんいろんな人にしゃべったり、つぶやいたり、そしてブログに書いたり、
自分の必要なものを取り入れれた上で、アウトプットを欠かさない習慣。

そういえば最近そうだな、少しカラダが重くなってるな、このままじゃまずいな、
と反省を込めて思った次第です。

比喩も含め、わかりやすいし説得力のある羽生さんの話、続編はまた近々。(多分)
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
目標設定については… (Dancho)
2010-08-12 20:35:18
nanaponさん、こんばんは。

羨ましいです。
関東に居れば、こういうチャンス、たくさんあるのだけれど、地方ではなかなか…。
まぁ、地方は地方で良いところもあるのだけれど。

そんなことをこの場で言っても仕方ないので、この辺で…(笑)。

目標設定については、ある意味「ゆるゆる教」にも通じているのかなぁ…という感想を持ちました。
一生懸命やっても、実力以上の設定なら途中で萎えてきちゃう。だったら、萎えない程度にゆるゆるやれば、あらま!…確かに時間はかかったけれどできちゃったじゃない…みたいな感じでしょうか。

羽生先生が仰るように、その過程は、必ずしも順調ではなく、想定外の事も起こり得る…それまで楽しめちゃったら、「儲け」位の気持ちが良いのかなぁ…なんて、思いました。

「情報メタボ」…分かりやすい例えですね。
取りに行っても活用しないと、「肥えて」しまいますね、確かに(笑)。

まとまりないですね。すいません。

この続き、「ゆるゆる」お待ちしています。
目標設定? (まさ)
2010-08-13 08:55:41
目標設定の話を特に興味深く伺いました(あと「情報メタボ」は面白いたとえですね!)。
でも……、凡人がそれを言葉通り真似していいかどうかは微妙かも知れませんね。怠惰の言い訳としてうってつけのような(苦笑)。たとえば七冠取るとかいう目標設定は相手がいることだからなかなか思い通りにならないのは分かります。一方、毎日詰将棋を十題解くとかの目標設定なら自分でコントロールできるから可能ですよね。
羽生さんが意図したのは前者であって、後者の意味の努力はご本人は人よりはるかに、おそらくは三浦さん並に、なさっているのでは、というのが僕の解釈、憶測です。

ポストをありがとうございました! 楽しく読ませて頂きました。

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