即席の足跡《CURIO DAYS》

毎日の不思議に思ったことを感じるままに。キーワードは、知的?好奇心、生活者発想。観る将棋ファン。線路内人立ち入り研究。

卒業と自立

2006年12月17日 20時24分10秒 | 将棋
応援している石橋女流四段ごきげん・DE・ブログで知りました。

「女流棋士新法人設立準備委員会ブログ」がスタートしたようです。

そして、ファンと女流棋士会を結ぶ懸け橋となる女流棋士会ファンクラブ
「MINERVA」(ミネルヴァ) の構想もできたようです。

それから、最近スタートした片上五段の意見発信基地の中の「daichan's opinion 女流棋士独立について」、読みました。
感心しました。若手の伸び盛りの棋士ですが、これだけ整理してしっかりした文章、意見を書けるというのはなかなかないです。
そして、女流棋士会の話、共感するところ大です。

もともと連盟の中での位置づけが中途半端だったし、女流棋士たちの強い意向もなかったからなのか、連盟としても、経済問題などその他、もっと優先順位の大きな問題が山積みされていたので、手のつけようもなかったし、片上五段の言うように無関心であったのだと思う。

そういう意味では、女流棋士たちが、自覚して、問題意識を持って、ことを起こさなければ、何も始まらない、という状況だったと思う。

>(女流棋士会という)組織が力をつけてくれば、やがて自由を求める戦いへと発展するのは、歴史の必然だったのではないだろうか。

本当にそうですね。
でも、ずっと前から、皆、これおかしいな、もっとこうならないのかな、こうなってほしいな、という希望や話し合いは当然あったのだと思う。

でも現状打破のことを起こすと言うことは、
覚悟、勇気、責任、パワー、などが全部つきまとってくる。

そして、アマチュアよりも弱いくせに生意気だ、とか、実力をつけてからでも遅くない、みたいな、大人たちの批判やある意味優しいアドバイスもたくさんあると予想される。

かなりの犠牲を払わなければ実現できない。
社会の荒波にさらされてまで、ことを成し遂げようと言う、チャレンジ精神、強い情熱、がないとうまく行かない。
もう長いこといるのだから早く卒業せよ、と基本的には言われているわけではない。自主的な、卒業、独立。

>例えば女は聞き手、男は解説といったい誰が決めたのか。女であるから解説ができないはずはないし(もちろん、強くないとできないということはあるが)、逆に男だからと言ってできるとも限らない。そういったことは権限のある、時の理事会の考えるべき仕事であったと僕は思う。

これ、前からそう思ってました。

今の世の中、もうそういう時代ではないですよね。
すべてガラガラ変化している。
男は仕事、女は家庭、じゃないけれど、何でも定型的に既成概念に捉われて考えるのでなく、もっとフレキシブルに新たな形を模索する。

今、ビジネスの世界は、男も女もない。
むしろ女性の方が、できる人、やれる人が多くなっている状況にある。

聞き手と解説、というようなことも、エンターテインメントとして、醍醐味や楽しさを伝えられる新たな形はないのか、など、真剣に考えれば、男女と言うことは別にしても、今までの常識を覆す目からウロコの形ができるかもしれません。


田舎の実家を出て、都会の荒波にもまれても、
大きな夢を実現するために一人で自力でがんばっていくんだ、

という娘を送り出す親の心境ですね。

がんばって来いよ、何もしてやれないけど。。。グスン。。。
体だけは気をつけるんだよ。何か困ったら相談するんだよ。。

人様に迷惑かけないで、悪い人に騙されないように、周りには気配り心配りを忘れずに。。

辛いこともたくさんあるだろうけど、めげずにいつも前向きに明るくしっかりとやるんだよ。グスングスン。
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