いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
2012
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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はーい。
唐突ですがぶっ飛んだお話をしまーす。
『2012年12月23日、時間が無くなる。』
なんてことがまことしやかに囁かれていたりしますが、あれ、嘘ですよ。
さらには、その言葉をさらに歪曲して解釈した結果、「2012年で地球が破滅する」とか言い出す始末。
ノストラダムスの大予言じゃないけれど、一体何度騙されりゃ気が済むんですかね。
もう止めましょうよ、そういうの。関暁夫の都市伝説じゃあるまいし。
「世界が終わる」ってそういう意味じゃないんです。
「アセンション(次元上昇)」って、そういう事じゃないんですよ。
2012年12月23日、時間が無くなる?
そうじゃないんです。
2012年に時間が無くなるんじゃなくて、元から時間なんて存在していないんです。
そのことに気付く、そのことこそが、「アセンション」なんです。
「世界が終わる」ってのは、「地球が滅亡する」のではなくて、「自我が紡ぐ幻想の世界に終止符を打つ」ってことなんです。
そんな話題を、先日のトークライブ(夜の部)でお話しました。
ブログでこの話を書くのはチョット抵抗があるんです。
でも、先日会場で「このことはブログでも書きましょうね」って約束しちゃったんで書いてみます。
「時間」という概念は、3次元的なものの見方、思考によって生まれる「錯覚」です。
アタマを柔らかくして、3次元的思考を超えると、「時間」という錯覚のカラクリが理解できます。
3次元的思考の呪縛から離れ、それを超えていくから「次元上昇」と呼ばれているんです。
ですから、それは環境に現れる変化ではなく、アナタの内面に起こる変化です。
自分の内面に変化が起こったことによって、世界の見え方、また、世界との関わり方が変わります。
その変化は、アナタの人生を根底から覆してしまうほどのパワーを秘めたものです。
その時アナタが体験するのは、それまで自分が生きてきた世界(世界観)の終わりです。
それまで持っていた常識や価値観、あらゆる欠乏感がガラガラと音をたてて崩れ去る瞬間です。
折角ですから、いまここでイッちゃいましょうよ。ね。
一緒に時間の概念を超えちゃいましょう。
いいですか。
アナタはこれまで、「今」という瞬間以外に存在できたことなんて、一度もないんです。
だって、「過去」も「未来」も無いんですから。
無いから、そこに存在できないんです。
未来は「未だ来ていません」。だから「未来」です。
来ていないんだから、ありません。
過去は「過ぎ去っています」。だから「過去」です。
過ぎ去ってしまったんだから、ありません。
私たちが存在出来ているのは、いつだって「今」だけなんです。
本当は無い「過去」や「未来」を「ある」と錯覚しているだけなんです。
言い方を変えれば、「生活する上でなにかと便利だから、過去と未来という概念を創り、“ある”ということにしておこうよ」という暗黙の了解を、すっかり忘れている状態です。
「うん。それはなんとなくわかった。でも、だとすると、今わたしの目の前にある、昨日撮影した写真は?お財布の中にある、さっき買ったジュースのレシートは?ほら、やっぱり“過去”はあるじゃない。」
アナタはそう思っているかもしれません。
でも、それが「3次元的なものの見方」に縛られている状態、「思考」に縛られているのだと知ってください。
アナタが今、目の前にしているのは「過去」ではありません。
それは「過去」ではなく、「記録」や「記憶」なんです。
記録も、記憶も、それが存在できているのは、やっぱり「今」なんです。
アナタのスケジュール帳に書かれているアレコレは「未来」ではありません。
「予定」や「展望」「シミュレーション」です。
「明日」が「未来」のまま自分のもとへやってくることはありません。
「明日」だって、来てみりゃ必ず「今」なんです。
だからね、何かに後悔している人は、「過去に縛られている」のではなく、本当は「自分の記憶に縛られている」んです。
だからね、何かを必死に追いかけている人は、「未来に縛られている」のではなく、本当は「自分の予定に縛られている」んです。
そうやって自分の思考で自分を苦しめている事を「カルマ」って言うんです。
え?
「いつかカルマの清算が出来るようになればいいな」って?
だから!
「いつか」なんて「未来」は、ないんだってばさ!
←飛びすぎ?
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はーい。
唐突ですがぶっ飛んだお話をしまーす。
『2012年12月23日、時間が無くなる。』
なんてことがまことしやかに囁かれていたりしますが、あれ、嘘ですよ。
さらには、その言葉をさらに歪曲して解釈した結果、「2012年で地球が破滅する」とか言い出す始末。
ノストラダムスの大予言じゃないけれど、一体何度騙されりゃ気が済むんですかね。
もう止めましょうよ、そういうの。関暁夫の都市伝説じゃあるまいし。
「世界が終わる」ってそういう意味じゃないんです。
「アセンション(次元上昇)」って、そういう事じゃないんですよ。
2012年12月23日、時間が無くなる?
そうじゃないんです。
2012年に時間が無くなるんじゃなくて、元から時間なんて存在していないんです。
そのことに気付く、そのことこそが、「アセンション」なんです。
「世界が終わる」ってのは、「地球が滅亡する」のではなくて、「自我が紡ぐ幻想の世界に終止符を打つ」ってことなんです。
そんな話題を、先日のトークライブ(夜の部)でお話しました。
ブログでこの話を書くのはチョット抵抗があるんです。
でも、先日会場で「このことはブログでも書きましょうね」って約束しちゃったんで書いてみます。
「時間」という概念は、3次元的なものの見方、思考によって生まれる「錯覚」です。
アタマを柔らかくして、3次元的思考を超えると、「時間」という錯覚のカラクリが理解できます。
3次元的思考の呪縛から離れ、それを超えていくから「次元上昇」と呼ばれているんです。
ですから、それは環境に現れる変化ではなく、アナタの内面に起こる変化です。
自分の内面に変化が起こったことによって、世界の見え方、また、世界との関わり方が変わります。
その変化は、アナタの人生を根底から覆してしまうほどのパワーを秘めたものです。
その時アナタが体験するのは、それまで自分が生きてきた世界(世界観)の終わりです。
それまで持っていた常識や価値観、あらゆる欠乏感がガラガラと音をたてて崩れ去る瞬間です。
折角ですから、いまここでイッちゃいましょうよ。ね。
一緒に時間の概念を超えちゃいましょう。
いいですか。
アナタはこれまで、「今」という瞬間以外に存在できたことなんて、一度もないんです。
だって、「過去」も「未来」も無いんですから。
無いから、そこに存在できないんです。
未来は「未だ来ていません」。だから「未来」です。
来ていないんだから、ありません。
過去は「過ぎ去っています」。だから「過去」です。
過ぎ去ってしまったんだから、ありません。
私たちが存在出来ているのは、いつだって「今」だけなんです。
本当は無い「過去」や「未来」を「ある」と錯覚しているだけなんです。
言い方を変えれば、「生活する上でなにかと便利だから、過去と未来という概念を創り、“ある”ということにしておこうよ」という暗黙の了解を、すっかり忘れている状態です。
「うん。それはなんとなくわかった。でも、だとすると、今わたしの目の前にある、昨日撮影した写真は?お財布の中にある、さっき買ったジュースのレシートは?ほら、やっぱり“過去”はあるじゃない。」
アナタはそう思っているかもしれません。
でも、それが「3次元的なものの見方」に縛られている状態、「思考」に縛られているのだと知ってください。
アナタが今、目の前にしているのは「過去」ではありません。
それは「過去」ではなく、「記録」や「記憶」なんです。
記録も、記憶も、それが存在できているのは、やっぱり「今」なんです。
アナタのスケジュール帳に書かれているアレコレは「未来」ではありません。
「予定」や「展望」「シミュレーション」です。
「明日」が「未来」のまま自分のもとへやってくることはありません。
「明日」だって、来てみりゃ必ず「今」なんです。
だからね、何かに後悔している人は、「過去に縛られている」のではなく、本当は「自分の記憶に縛られている」んです。
だからね、何かを必死に追いかけている人は、「未来に縛られている」のではなく、本当は「自分の予定に縛られている」んです。
そうやって自分の思考で自分を苦しめている事を「カルマ」って言うんです。
え?
「いつかカルマの清算が出来るようになればいいな」って?
だから!
「いつか」なんて「未来」は、ないんだってばさ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e9/b8a4bcdc22643fc1ac2303b742061ba6.png)
コメント ( 39 ) | Trackback ( )
« 叫び | 永遠 » |
びっくりしましたよ。
書いちゃった!!
思い切りましたね。^^ でも、素晴らしいまとめ方ですね!
とってもわかりやすいです。
ちょうど、私も、作ったものが形となって残っているもの、または写真など、これらは、どういう風にとらえたらいいんだろう、と数日考えていました。 これをどうやって説明すればいいんだろう。と思っていました。
なるほど・・・
さすがです。^^
とってもわかりやすかったです。
縛られてるから、窮屈にかんじるのですね~。
ありがとうございます。
たとえば、長時間飛行機に乗っていて、下は雨なのに、雲の上はやけに明るく、飛行機の中の空間に座っていると、動く方向も全く感じられず、腕時計を見なければ、時が経過していることすら忘れてしまいます。そして、その空間では、人はビデオを見たり、食事をしたり、いつもと同じことをしています。アセンション後の世界はそのような感じなのでしょうか・・・
時間が無くなれば、思考が作り出した全てのものから解放され、悲しみも消え、そこにあるのは、愛と平和・・・
・・・と想像しているということは、心が、いまここにない証拠。ああ、なんというパラドックス。
また、阿部さんとのコラボ・講演会がありますように。
引くに引けない状況に陥ってる人が
詭弁に使うのに、
先の日付に意味を持たせて
時間稼ぎしているに過ぎないのです。
時間は稼げません。
いま荷物をおろす勇気を持ってほしい
人がちらほら思い浮かびます。
その人がもう荷物をおろしてますように。
言いかえれば、知的理解だけでは目覚められない、(と、いうような意味だとわたしは理解したのですが)
黒斎さんはどう思いますか?
いいですね~
時間が無いことってすでにアインシュタインが証明してしまっていますよね。光の速度で動くと地球上での時間を超えられるって。相対性理論で。
いろいろと日々の生活をしていると時間って概念が地球上では便利なので、つい忘れちゃいますね。
。(笑)
皆が「今ここ」の意識を持てることかなって漠然と思ってました
てか
ライブで言ってたの(イッてた?)ね
私リラックスし過ぎて寝てたのかもしれません
でね最近、危惧してること
「知的に理解したと思っても体感しないと真理はつかめない。むしろその知識が邪魔する」って聴いたこと
実は、別に覚醒しなくてもいいって思ってたけど
もしか本当に体感したいなら余計な知識をこの先、積極的に学んで行くのは
どうなのかな~って。。。
知識が感覚を鈍らせはしないかって思います
それより日々の生活をより充実させた方がいいのかなって。。。
このブログ前よく読んでいました。
私も「受信」できるようになって当時とても
悩んでいたとき、知人からこのブログを薦められたんです。
それも必然ですね。
それから2年以上たち、
いろいろ人生も変わりました☆
今日本屋さんにいったら
2012年の本がズラリと出ていて
「やっぱりあるんだ」
と思いましたが読む気が起きずに
帰ってきました。
そして今ブログにこの話題でビックリ!!
わかりやすい説明でした☆
これからも楽しみにしています。
青い鳥といっしょで、何か良くなれと探す旅に出るけど、
苦難の末にたどり着いた場所は、始めにいた場所だった。
今にいる(穏やか?うーん、うまく言えない)ことが、
幸せであり安らぎである。
そう思います。
スカッとしました。
ス☆テ☆キ !!!
思わず惚れちゃいそうになりました
あっ、黒妻さんに怒られるかな・・・(^^ゞ
今日は ど直球で気持ちいいっ
単細胞の私には、わかりやすいし、
何より ど真ん中のストレートが大好きなので、
ほんっと嬉しいです
黒斎さんっ
いま一緒にイキますっ
時間の概念、超えちゃいますっ
楽しいなぁ~o(^▽^)o
「記録」「記憶」
などの説明もありがたかったです☆
黒斎さん…
ほんと素晴らしいわ
今日も忙しい中の更新、どうもありがとう
そしてお疲れ様です(^_-)-☆
私にとって時間についての話が一番興味のあるところだったので、初めてコメントさせて頂くことにしました。
時間が存在しなくなると、時計の使用はどうなるんでしょう??
オーストラリアのアボリジニの人たちは集まる約束をしても時計を使わない生活をしているので、ちゃんときっかり集まるなんてことは無理らしいと聞いた事があります。
そんな風に暮らすようになるんでしょうか?
それとも「過去」と「未来」の感覚がなくなるだけで、時計は使用し続けていくのでしょうか?
今日はどこにも行かないし、誰にも会わないなんて日は、したいことをして気の向いたときに食事したりして生活できますが、仕事に行ったり、誰かに会ったりするとなると時計を見ないわけにはいかないですよね。
私は毎日子供の学校の送り迎えがあるので時計を何度も何度も見て暮らしています。これが本当に苦痛で、時計を見ないで生活できたらどんなにいいかと思っているところです。
質問としては、今日の話からはずれているのかしら?とちょっと心配ではありますが、、、そうだったらごめんなさいね。
いつか黒斎さんのトークライブに参加してみたいです。そのチャンスが訪れてくれますように。。
このブログのお陰で辛いとき救われたり、どん底の時ふと、本文だけでなくみなさまのコメントに安心感を得たりしてました。
さて、今回の内容ですがまさに幼い頃から不思議に感じていたことです。
『じゃあ今はどこにあるんだろう?』
今を感じようとすると、それはとても素早くて私の感覚からするりと抜けてしまいます。
円周率におわりがないように、細かく、細かく『今』という瞬間を砕いて捕まえようとしても、その分割に終わりはないので、『今という点』が結局どこにあるのかわかりません。
以前記事にしてらっしゃったコレに関するアハ体験、てやつは、疑問に感じてからもうかれこれ何年も訪れません。
私の視点がずれてるのでしょうか?
非常に興味深い記事なのでコメントさせていただきました。
少しずつのぞかせていただいてましたが、
今まで書かれたものの中で、初めてがっつりハートに来たお話でした。
私にとってはね^^
ありがとう。
「意識」の上で時間は存在しないのは同意です。
でも我々には今、現在この体が与えられている訳で・・・その体は悲しいかな(嬉しいかな)3次元世界、そして時間の内に存在している訳で・・・
この体で限られた時間内で寿命をまっとうする命の美しさなどもある訳で・・・
桜しかり。。。
それを楽しいとか美しいとか思えたらよいなと・・・
なんつうか横で寝てる子供を食わせなきゃいけない
っていうプレッシャーが好き・・・と言うか・・・
やっぱり究極のM体験なのだと。。。
しかし、2012はぶっちゃけ気になってみたり。
で・す・よ・ね~。
Maya暦に影響されまくり。
2児の母さん、時計はあくまで道具です。時計が時間ではありません。
時間を守るということは、その裏にある「誰かとの約束」を守るということではないでしょうか?ある時間になったら何かをしようと言う事も、自分で決めた予定でしかありませんし。
アボリジニの人たちは時計を使わないので、「予定通り集まること」は無理であると言う約束(認識)の上で生活しているので問題がないのでしょうね。
「それとも「過去」と「未来」の感覚がなくなるだけで、時計は使用し続けていくのでしょうか?」で、正解だと思いますよ?(*‘-^)-☆
時間を守るのが苦痛に思うのでしたら、たまに約束をまったくしない休日を設けてパーっと出かけてみるのもいいかもしれませんねぇ。
小夜さん、今の中で生きていて今を探すのってなんというか、例えていうなら地球の上に居て「地球ってどこ?」と探すようなものではないかな~?
今は絶えず過ぎ去っていきますし、ダイアモンドを掘ってみて見つけるのとはわけが違いますよね?「あ、これが今か!」なんて思っていたら、それはすぐに今ではなくなってしまいますよヽ(  ̄д ̄;)ノ
今探しは過去の幻想としてポンっと忘れてしまいましょうよ。それに捕らわれるなんてもったいないです。捨てましょう、手放しましょうよ?
センエツながら私的考えを述べさせて頂きました。何かのヒントになれば幸いですヽ( ̄ー ̄ )ノ
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/d9b7383754f9e66bb451da85a37e229e
今なら「今は全てだ!」って判るような気がします。
ヽ( ̄ー ̄ )ノ
『時間』に、縛られてる時って・・・『思考』に、雁字搦めになってますょね。^^
アタシも・・・元は、4児の母(今も、ハハには代わり無いけれど???只今、独身なので。笑)でしたから??
学校とか有るので、毎日・・・時間に縛られて??
1年365日。みっちり!!!の子育て時代でした。
今は、仕事の時間以外は、全部自分のフリータイムなので???
時計を観る事が、殆ど有りません。
でも、毎日・・・続けてると???
不思議な現象が、起こるんですょ;;
まるでね、おじいちゃんや、おばあちゃんが、朝4時には、勝手に『眼がさめちゃうのよ!!!』って言うような???
元々、持ち合わせた『体内時計』が、勝手に働き出すんですっょ~^^。
『そろそろだなっ。。。』って;;
動物的な本能が・・・目覚めるんです。笑
『腹時計』の鳴る人程、時間に捕らわれずに、腹の音に従うでしょう~^^
我慢をすると、何処かで必ず・・・『ヒズミ』が起きますからねぇ~^^。
後、アタシの『体内時計』は、名づけて『睡眠時計』なんですがね???
これまた・・・不規則なんですょ。笑
でも、『眠たいだけ、寝る!!!』に、徹底してるんですがね。^^
体調が、めっちゃ・・・いい~んですょ。
寝ボスヶさんだと、周りが困る!!!って、想いガチだけれど???
『休み』の日迄も、引っ張りまわして・・・子供を『遊び疲れ』させるのも???
実は、親だったりしますょね~^^。
振回してた頃には、気付きもしませんでしたけど;;笑
子供の体調を気遣う事ょりも??
『時間』が、『勿体無い』って、気がしていたんでしょう~ねぇ~夫婦揃って;;汗
・・・今、休みの日の『予定』なんて?
まるっきし、有りません。
が、思いつきの行動を取っても??
空腹感が、遣って来て・・・眠気が来たりとか。
風呂に、入りたくなる気分が・・・自然と湧き上がって来て~・・・。
一日、一日、時間を持て余すコトも無く。
(何にもしないで体と頭とココロを休める日の筈なのに???
『勿体無いから・・・何かしなくちゃ!!!』
って、想って行動すると、結局、逆に疲れを蓄積してますからねぇ~・・・知らず、知らずに。。。)
『一日、24時間有ったらいいのにッ!!』なんて、ボヤク事も無く・・・生きてますょ。笑
後、楽しい『予定』の時って、タイマー不要で起きれますょね^^
遠足の日の朝みたいな?何とも、清々しい~目覚め。
皆の意識が、そんな風に働くと???
三次元では、不可欠だった『時計』と言う『代物』は、何等・・・意味を成さなくなると思えませんかァ~??笑
先ずは、個々が・・・休みの日を『休めるか???』って、トコでしょ~ね^^¥
そして、其れを他の人が(相手が誰であれ?)
・・・そう~した行動に移した時に、許容出来るか???って、トコだと想います♪♪
(夫婦・両親・子供と言えど???)
個々のリラックスが、何より大事ですから。。。
子供達と楽しんで、暮らすのは、『その日・その日の積み重ね』ですね☆
でも、『何かを、遣らなきゃ!!!』って言う・・・脅迫観念から、先ずは・・・離れて観るのも、いいかと想いますょ??^^
・・・お役に、立てるのかどうかは・・・解りませんけど;;
あっ、後。
阿部さんの『日付の間違い』ワザとかっ?って位の大胆なフライング!!!
なんてのは・・・全く『時間』の概念からは、既に外れた行動で~・・・遠足前の子供の様ですょね☆^m^☆
企業の中では・・・冷たい視線に成り得る行動でも???
皆、ワクワクして、待ってて・・・そんなフライングなら、らっきぃ~だと、捉えた方の方が・・・殆どだと、想います。。。。
徐々に、変わって来ている♪♪と窺える様~でも有りますが・・・
『時間』・『時計』の事も、きっと、徐々にだと想いますょ~^^。
時計が失ク成ったとしても、自然は相変わらず・・・
暗闇に月を
して呉れるんでしょ~から、そっちに意識をフォーカスしていきたいですね♪♪
~~~~~~~~~~~~~~~~~
黒斎君。。。
あらっ・・・???
一人、ぶっ飛び
『い・やぁ~・んッ。置いてかないでッ
その内、阿部サダに・・・
えっ?あの絵って・・・耳を塞いでるのっ??あっそ。。。
失礼ッ
そ^だったのねッ
今のあんたを・・・
…なんてコッタ・・・
強く生きるんだぞぉー
はい
またね
(ししおどし音!)
ストレートに納得できました。ありがとうございました。
『学校へ子どもさんの送り迎え』・・ができるってこと自体が実は『幸せ』だと自分は思います。
気がついた時は後の祭りですけどね フフッ
ありがとうございます!
そして思考は「いまここ」とは関係の無いものがほとんどのような気が。だいたいは過去か未来か空想です。(これらに共通するのは思考としてしか存在しない。「思考」という形でしか存在したためしがない。ということ)
未来に思い悩まされ、過去に苦しめられている……というのは勘違いで、いつだって「今、おこなっている思考」に悩まされ苦しめられているんですよね。
時間を超える≒思考を超える……かな?
一方で、現在も過去も未来も同時に起こっている、という言い方もよくされますよね。
これって感覚的によく理解できないんですが、過去も未来も、今の自分のとらえ方次第だ、っていう意味なんでしょうか?
そのうえ、前世、過去生のこととかを考えて、頭がこんがらがってきちゃったんですが、これも、過去生=記憶ってことでしょうか?
時間というものを考えていて、今だけがある、という感覚は、とても単純で自由な感じがすると同時に、ちょっと怖さを感じました。なんか、ぽつーん!って感じがするんですよね(笑)
直線的な時間というものがあるというお約束のほうに安心感をもつ自分を発見しました。
この感覚を「超えていく」って、どんなかんじなんだろう?とちょっとわくわくします。
「いずれとお化けは、出たためしがない」
アセンションって、時間がなくなるものと思って、怖がった時もありましたが、
講演を聴いて、そしてこの記事を読んで改めて
無意識な自分を客観視(気づく)できて
安心感でいっぱいです。
善悪を越えて、罪悪感にとらわれずに生きること
そんな世界を選ぶことができるなんて
素晴しい。
もともとそれが世界のありようだったなんて
素晴しいですね。
そう考えると時間という概念は、
数字によるメッセージの受け渡し場所のような気がしてきました。
今回のお話もっと良く理解したいと思います
もうちょっとなんだけどなぁ…
なかなかアハ体験出来ないもどかしさがあります
「過去を思い出す」ことが出来るのは「今」しか無いですから。そんな過去はどこに存在するのかと言ったら、「今」ですよね。
人それぞれ、いろいろ抽象的な感覚のつかみ方はあると思うのですが、こんな感じでしょうか?
チョトスさんが書かれた
>>現在も過去も未来も同時に起こっている
という表現、僕はこれ好きです。
黒斎さん、これからもクッキリハッキリ判り易く!急がずいきましょう!応援しております。
「カルマ」って、自分の思考で自分を苦しめている事なんですね。
目から鱗です。
いま、精算出来るんですね。(笑)
でも、わからない人にとっては、言葉で遊んでいるようにしか
見えないのかな???
過去や未来が存在するという錯覚から
生まれたんでしょうね。
ちゃーっ!
1つ目覚めました^^
勉強になります。
でも、反省して次に生かすとき、記憶から取り出してくるので、その度、カルマを体験しているのですか?
それか、一度、気づいたらOK牧場なものなのかな?
後悔も、反省も、目覚めも、わかった時点で次に生かせなくても、本当は、OKなのかなあ?
でもこの記事を読ませていただいて、今まで一番知りたかった事がようやく分ったような気分です。
未来も過去も幻想で、あるのは現在だけだとすると・・・
明日の事をヤキモキと心配したり、昨日の出来事を悔やんでみたりせずに、
大切な事は、今を一生懸命生きる!!
そういう事なのでしょうか。
今を一生懸命生きる事が、明日(?)へ繋がっていく・・・
なんだか元気がでてきますね!
もっともっといろいろ教えてくださいね。
過去があるとかいうのは、過去に何かしたと言う記憶があるというだけなんだな、きっと。過去の記憶については「た」を付けて、「食べた」とする。日本語には未来時制がないから「食べる」がそれにあたるけど、これは願望とか期待だな。「食べている」ぐらいなのか一瞬のリアリティを叙述するのは…。
言葉に付けられる時制マーカーみたいなものは、想定の整理タグみないなもんだな。
いろいろ気付かせていただいてありがとうございました。
「自分は悪くない」という身勝手さしか感じないです。