いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
完璧だけど不完全
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
********************************************
うん。コメント欄を拝見すると、これから僕が何を話すのか、すでにお気づきの方も沢山いらっしゃいますね。^^
そうなんです。
お察しのとおり、実はAさんもBさんも、同じ話をしているんです。一見矛盾しているように見えますが、両者がCさんに伝えたがっている内容は同じなんです。
では、さっそく話を進めていきましょう。
まずはAさん、Bさんのお話を振り返ってみましょう。
自称スピリチュアリストAさんは「アナタは完全・完璧な存在です。ありのままのアナタを受け入れましょう。」と言いました。
自称宗教家のBさんは「人間は不完全。だからこそ、一人一人の精神修行が大切なのです。」と言いました。
この両者のお話を「平面的」に捉えると、全く逆の事を話しているように見えます。
Cさんの混乱は、まさにこの「平面的な捉え方」によって生まれてしまいました。
※物事の捉え方についての参考記事はこちら、2007年03月28日投稿「視点.3」をご参照ください。
Cさんはこの時、Aさん、Bさんの話の「主語が違う」ことに気付いてなかったんです。
これは、さわらさんのコメントの通りですね。
Aさんは「アナタ」という単語に「存在の本質(真我)」という意味を持たせていました。
Bさんは「人間」という単語に「幻想の自分(自我)」という意味を持たせていました。
主語が違っていたので、真逆のアプローチになっていたんです。
アプローチの仕方は違いましたが、両者がCさんに伝えたかったことはただひとつ。
それは…
「アナタはまだ、本当の自分に気付いていない。」ということ。
さてここで、さきほどまで「平面的」であった両者の話を「立体的」に解釈するため、統合してみましょう。
両者の話を簡単に組み合わせるとこうなります。
『人間という存在は、完璧だけど不完全。』
これが、真実です。
そうは言われても、Cさんはやっぱり言葉に矛盾を感じてしまいます。
「“完璧だけど不完全”じゃ、意味をなさないじゃないですか。」
うん、Cさんのお気持ちは良く分かります。でも「完璧だけど不完全」でいいんです。
それはこういう事です。「不完全」という言葉の理解の仕方にあるんです。
「不完全」という言葉には、2つの意味が見いだせます。
1.完全でないこと。
2.必要なモノが欠けていて不十分であること。
Bさんは、(1)の意味で「不完全」という言葉を使用しました。
一方Cさんは、(2)の意味で解釈しています。
この、言葉の意味の食い違いが、コミュニケーション不全を引き起こしていたんです。
Bさんは「アナタには何かが欠けている」とは言っているつもりはありません。「アナタ本来の完全性を妨げているモノがある」と言っているのです。
それを図にするとこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/a6/7a1e2fddee54ab95232b91b8ce38ac47.png)
これで、AさんとBさんが同じ話をしているということが見えてきたかと思います。
昨日ご紹介したAさんとBさんの話を、ここで改めて統合し、文章化してみましょう。
「アナタという存在の本質は完全・完璧なものです。アナタはアナタのままでいいのです。ですから、他の何者かになろうなんて、エゴを肥大化させる様な努力は必要ないのです。さぁ、ありのままの状態(真我)を発見しましょう。アナタがこれまで苦しんできたのは、また、なにかしらの不満を抱えていたのは、その人生に何かが欠けていたからではありません。幻想の自分(固定化した思考)に飲み込まれ、本来の完全性を発揮出来ていなかったからなのです。アナタが幻想の自分から離れ、ありのままの状態であるために精神修行が必要となるのです。“必要となる”と言っても、それは物質や新たな知識を得ることではありません。完全性を妨げるモノを手放していくことなんです。」
…
続きま~す。
←不完全では困ります。完璧に押してください。
********************************************
うん。コメント欄を拝見すると、これから僕が何を話すのか、すでにお気づきの方も沢山いらっしゃいますね。^^
そうなんです。
お察しのとおり、実はAさんもBさんも、同じ話をしているんです。一見矛盾しているように見えますが、両者がCさんに伝えたがっている内容は同じなんです。
では、さっそく話を進めていきましょう。
まずはAさん、Bさんのお話を振り返ってみましょう。
自称スピリチュアリストAさんは「アナタは完全・完璧な存在です。ありのままのアナタを受け入れましょう。」と言いました。
自称宗教家のBさんは「人間は不完全。だからこそ、一人一人の精神修行が大切なのです。」と言いました。
この両者のお話を「平面的」に捉えると、全く逆の事を話しているように見えます。
Cさんの混乱は、まさにこの「平面的な捉え方」によって生まれてしまいました。
※物事の捉え方についての参考記事はこちら、2007年03月28日投稿「視点.3」をご参照ください。
Cさんはこの時、Aさん、Bさんの話の「主語が違う」ことに気付いてなかったんです。
これは、さわらさんのコメントの通りですね。
Aさんは「アナタ」という単語に「存在の本質(真我)」という意味を持たせていました。
Bさんは「人間」という単語に「幻想の自分(自我)」という意味を持たせていました。
主語が違っていたので、真逆のアプローチになっていたんです。
アプローチの仕方は違いましたが、両者がCさんに伝えたかったことはただひとつ。
それは…
「アナタはまだ、本当の自分に気付いていない。」ということ。
さてここで、さきほどまで「平面的」であった両者の話を「立体的」に解釈するため、統合してみましょう。
両者の話を簡単に組み合わせるとこうなります。
『人間という存在は、完璧だけど不完全。』
これが、真実です。
そうは言われても、Cさんはやっぱり言葉に矛盾を感じてしまいます。
「“完璧だけど不完全”じゃ、意味をなさないじゃないですか。」
うん、Cさんのお気持ちは良く分かります。でも「完璧だけど不完全」でいいんです。
それはこういう事です。「不完全」という言葉の理解の仕方にあるんです。
「不完全」という言葉には、2つの意味が見いだせます。
1.完全でないこと。
2.必要なモノが欠けていて不十分であること。
Bさんは、(1)の意味で「不完全」という言葉を使用しました。
一方Cさんは、(2)の意味で解釈しています。
この、言葉の意味の食い違いが、コミュニケーション不全を引き起こしていたんです。
Bさんは「アナタには何かが欠けている」とは言っているつもりはありません。「アナタ本来の完全性を妨げているモノがある」と言っているのです。
それを図にするとこんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/a6/7a1e2fddee54ab95232b91b8ce38ac47.png)
これで、AさんとBさんが同じ話をしているということが見えてきたかと思います。
昨日ご紹介したAさんとBさんの話を、ここで改めて統合し、文章化してみましょう。
「アナタという存在の本質は完全・完璧なものです。アナタはアナタのままでいいのです。ですから、他の何者かになろうなんて、エゴを肥大化させる様な努力は必要ないのです。さぁ、ありのままの状態(真我)を発見しましょう。アナタがこれまで苦しんできたのは、また、なにかしらの不満を抱えていたのは、その人生に何かが欠けていたからではありません。幻想の自分(固定化した思考)に飲み込まれ、本来の完全性を発揮出来ていなかったからなのです。アナタが幻想の自分から離れ、ありのままの状態であるために精神修行が必要となるのです。“必要となる”と言っても、それは物質や新たな知識を得ることではありません。完全性を妨げるモノを手放していくことなんです。」
…
続きま~す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/e9/b8a4bcdc22643fc1ac2303b742061ba6.png)
コメント ( 18 ) | Trackback ( )
« 混乱 | 真我という錯覚 » |
煩悩って、基本的に「煩悩を減らそう」というスタンス(あと八正道とか)さえあれば、そのときそのとき煩悩を減らすために取るべき思考や行動が分かって、結果的に煩悩は減るんですよね?
一概に「あれをしろ」「これをしなければならない」ってのは無いですよね。
いかに自分が、自分の本当にしたいことではなく、
脳の自動的で勝手な働きに支配されているかが分かります。
それを全て手放したとき、何かが起こる気がしています。
最後の
「完全性を妨げるモノを手放していくことなんです。」
という言葉、
心に響きましたっ!!
あざーす。感謝します。
「あ~、書いときゃよかったぜ」ってエゴ君が騒いでいますw
よけいなエゴを手放せば本来の自分の幸せがある。幸せや真実は外にはない。と言う言葉は良く聞くし、納得もしているのですが(納得してないかも)、その完全な自分を見いだした時、現実の世界も幸せにシフトするのでしょうか?
今、不幸と思っている事が思い込みだから、幸せに気付くだけなんだ。と言う事も良く聞きます。
精神的に悩んでいる方だったらそうだと納得できます。
ただ、実際に、例えばいま問題になっている派遣社員の方達は明日の住まいや食事も心配されているはずです。
本当の自分の価値を見つけた時、現実的なこのような問題も自ずと幸せな道に導かれていくのでしょうか?
(現実と思っている事は本当は妄想なのです。とかは無しで)
時間があったら、お答えくださるとうれしいです。
このシリーズ楽しみです。
言葉が紡げません。
なんもいえねえ、ぐらい真実の言葉なんでしょう。
ただ素直に、はい。と言っておきます。
インディアンのお土産屋さんで手作りの民芸品を手にしていた牧師先生が現地の人に言われた言葉。
「不完全は完全。完全は不完全」
牧師先生のお話を思い出しました。
なんだか生きている意味までも考えさせられます。
たまごが先か?・・にわとりが先か?・・
⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ
あっ!言葉にしろ 形になったのには、限界があるのに、
それに挑戦している・・・
すなわち、その答えは、「いま ここ」ですね。
資本主義社会というエゴの中で生きている私たちが
真我に成ったとき、この世界では生きていないという不安。
その不安すらもエゴの中の想念でしかないということ。
スパイラルパニック!
成ってみなけりゃ解らない。
と気付いた時には枯れ尾花…
“完璧だけど不完全”とても分かりやすいです!
主語が違っていたんですね。
精神世界系の本も宗教の本もなんて不親切…。
私もCさん同様混乱しておりました。
黒斎さんのおかげで、やっと理解できました。
すっきりしました!ありがとうございます。
とても分かりやすかったです。
分かったと同時に「エゴ」の層の厚さが気になりました。宝の持ち腐れはもったいない!
お腹まわりの脂肪の厚さと並行して
ダイエットしたくなりました。
茫然としております。まさかわが身に、と。
飢えてる人がいる、理不尽に殺される子供がいる、
この「現実」ってなに? 私のレベルの問題?
レベルが低いからこんな世界にいるのか? 私だけ。などと鬱々としておりまする。
「私しか」なのでは。
飢えている人や理不尽に殺される子供も、「私だけ」じゃなくて「私しか」。
私しかこの世にはいない。
レベルが高いとか低いとか比べているのは、誰?
この世界から『お金』という概念がなくなれば平和になるんだろうなあと思う。
そうすればなくなる、企業も、労働も。国も。
そんなことをぐるぐると考えてしまいました。
当方無職の小娘。
ざれごとを長々と失礼いたしました。
ときどきそう思うの。
それでも仕事が見つかるといいね~。
病気がなおるといいね。
たとえ幻想の世界でも幸せなほうがいい。
今、自我はマイブームで
ポイポイ捨てているところです。
人生は引き算という方がいましたが、
その意味がわかったようなきがします。