手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

俺の昭和が遠くなる  7  昭和28年

2016-12-10 21:12:42 | 随想
 昭和28年4月、沼田高等学校に赴任した。学校のすぐ裏にぽろな寮がありその一室に同じ大学の同級生と相部屋で済むことになった。

 給料は6950円だった。赴任して間もなく、先輩先生から教えられた。金が足りなくなったら事務長に話しなさい。給料とかボーナ返済で借りることができるというのです。これはありがたかった。

 先輩たちは夜な夜な飲みに出かけるのです。終戦間もない時代でしたが、沼田には炭鉱もあり、かなり大きな料亭が二つあり、適当な飲み屋も結構あった。高校の先生はよいお客のようでした。また、ビリヤード屋さんがあって、私も1本(50点)で打つようになった頃閉店になってしまった。囲碁もここで覚えた。成沢先生と毎日楽しみ、毎年沼田で開催されていた北空知の囲碁大会などにも参加したものだった。

 だんだん慣れてくるとボーナスは殆ど借金払いに回ってしまうありさまだったけれど、学生時代にはできなかった遊びの世界があり青春を楽しんだ。同じ部屋に入っていた石川さんは全くお酒の付き合いをする人でなく、多分迷惑もかけたと思うけれども嫌な顔をすることもなく付き合ってくれた。

 先生としては褒められたことではないけれど、そんな勤務以外の楽しみがあり、沼田で務めた11年は年以上に長く感じている。本当に良い所だった。
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