トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

イスラム世界はなぜ没落したか? その五

2015-10-10 20:40:05 | 読書/中東史

その一その二その三その四の続き
 イスラム世界といえば、この地域に無関心な人の間でも女性の地位が極端に低い処として知られている。対照的に女の地位が高く、社会進出が著しいと思われているのが西洋。しかし、“暗黒の中世”時代の西洋と、同時期には全盛期のイスラム世界は違っていたことを知る人は意外に少ない。
 現代のような男女平等の概念こそないが、女児も男児と共に教育を受けることが出来、被り物をせずとも女は学者への質問が許されていたのがイスラム世界だった。アラビアンナイトにも男子生徒に臆することなく議論に興じる女子生徒たちが登場している。出産という女性特有の現象には女医とは呼べないにしても、専門的技能を持つ同性が立ち会い、出産をサポートする(当時のイスラム世界の医学水準は高かった)。

 一方、諸侯にも文盲が珍しくなく女児に教育など論外、若いというより幼い妻を時に監禁して虐待することもしばしばだったのが西洋。妻を殴る夫を描いた当時の銅版画もあり、「家庭の折檻」という題名のついた中世フランスの絵を私も見たことがある。現代からは想像もつかないが、やはり中世の西洋は暗黒時代だったのだ。
 もちろん西洋もルネサンス発祥のイタリアは多少違っており、女児でも教育を受けることが出来た。西洋で先ずイスラム世界に影響を与えたのはイタリアだったし、ルネサンス当時のイタリア人は、文化的に劣っていたフランス人を“田舎者”と蔑んでいた。こちらの方も近世は完全逆転する。
 
 女性解放のはじめの一歩は、その経済的地位にあった、とバーナード・ルイスは言う。伝統的制度の元では、ムスリム女性の経済的地位は比較的良好で、近代法採用以前の殆どのキリスト教国における女性のそれよりも遥かに良かったという。ムスリム女性は妻及び娘として、財産権を持つことがイスラム法により明確に認められていたのだ。
 女性はイスラム法では財産を所有し処分する権利を有しており、ワクフ(宗教的寄進)設定者になることも多く、その成員のほぼ半分に達することさえあったそうだ。これを以って著者は、おそらく伝統的ムスリム社会は女性が男性と対等に参加できる唯一の領域である、とまで評価している。

 多くの公共サービスは、他の制度においては国家の主要かつ唯一の責任となるところだが、ワクフ制度のもとでは、個人のイニシアティブが提供される。ワクフ制度とはムスリム女性にとっても、イニシアティブが発揮できるシステムだったのだ。
 尤もワクフ制度にも問題点はあり、2008-12-19付の記事にも書いたが、幅広く脱税に悪用されるようになった。19世紀以降の近代化したイスラム世界の独裁者がワクフを国家管理の下に置いたのは、脱税防止もあったのだろう。ワクフ制度が変容しただけでなく、中東の近代化は自主的結社を増やすことがなく、強化された近代的国家による介入のため、真の市民社会の発展は阻害されることになった。

 社会の混迷の果て、キリスト教化した西洋で女の地位が下がったように、衰退・没落したイスラム世界でも女性への締め付けが厳しくなり、イニシアティブが発揮できる機会は失われていく。そんな風潮の中、女性解放主義を初めて訴えた知識人は、皮肉にも西洋に亡命した体験を持つナームク・ケマル(Namlk Kemal)だった。1867年、彼はパリで発行した新聞記事で、こう訴えた。
我々の女性たちは今日、子供をつくる以外に人類の役に立っていないと考えられている。彼女たちは楽器や宝石の如く、単に享楽に奉仕する存在と見なされている。しかし、彼女たちが我々種族の半分、おそらくは半分以上を構成している。彼女たちが自らの努力で他を支え改善することを禁じるのは、公的協力の基本的原則を侵害するものであり、我々の国家社会は半身が麻痺した人間のようになってしまう……

 ケマルは1870年にトルコに帰国した後、著述家・活動家として活躍するが、女性問題よりも愛国主義と自由主義の方を優先事項とする。そして1899年、アラビア語による『女性の解放』という題名の書物が執筆された。著者はフランス留学の体験を持つエジプト人弁護士カースィム・アミーン(1863-1908)。この本でも女性を教育し、社会生活に関わり職業に就く道を与えることによって女性の境遇を引き上げる必要性を説いている。
 当然ながらアミーンの著書は“西洋かぶれ”として、伝統的支配層からは強い反発を受けたが、彼の書は読まれ続けたという。アラビア語からトルコ語・他言語に翻訳され、特に若い世代の女性にかなりの衝撃を与えた。彼女たちは文字を学ぶ中で、この書物を読んだ者もいた。オスマン朝末期には、女性のために女性によって書かれた雑誌が既に存在していたという。
その六の続き

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る