輪廻の沼 3

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グーグルの隠蔽

2017年08月29日 19時09分20秒 | Weblog
大衆迎合という言葉をググるとまず政治ネタがズラズラと表示される。

大衆迎合教育とググるとなかなかこのブログはヒットしない。

このブログでは、大衆迎合をある程度の頻度で使用した。カプエスという言葉にも引っかかるし、私のハンドルネームもヒット性がある。

ロボットベースのグーグルがなぜスルーするかが分からない。

この大衆迎合というキーワードに何者かが知られたくない何かがあるというのだろうか。

もとい、日本の教育システムが大衆迎合をもとにして日本人の精神構造を作っているという真実に不都合な事でもあるというのだろうか。

それが自殺者や、無差別殺人と関連性があるためか。はたまた、もっと別の何かだろうか。

たかが1ブログに。


近年、テロを撲滅するという名目を盾にして、法や憲法の改定が続く。しかし、実際に戦争になればまた見た事ない、何者かの力が働くのだろう。

インターネットやSNSはとりわけ自由だし、SNSなんかは誰も漏れていないと考えているが本当なんだろうか?

週刊文春などで芸能や有名人の、ラインのやり取りなどを掲載しているが、それらは一部の裏切り者によるリークのためと決めつけていないだろうか。

何者かがモニタによって監視しているかもしれないし、匿名性は保たれているという嘘に大衆はまんまと騙されている可能性は、自分に不都合だから消し去る。

自分にとって都合の良い事実のみが、真実と無意識に頭の中で書き換えていないだろうか。人間とは主観的な生き物で、自分の前にあるモノに目を奪われると後から見られているという感覚はなくなる。

だが危険性で言えば、後から見られているという感覚であり、前からは見ている様で実はハメられていると察知しなければ結末は既に用意されたものになる。

前にあるものだけを目指す生き方はとてもシンプルである。が、深みや広さはない。浅く、狭い世界しか映し出さない。

気づかない世界に物申す事がいかに無意味な事かは知っている。監視、監視、監視と情報支配のスパイラルは人々に安心、安全というキーワードによるエサを与えられている。

私達の感じるこの社会は、統合と管理を示された見せかけの美徳社会でもある。監視できる者が権力を使用し、個を攻撃できんとする日本の見せかけ美徳社会。個を犠牲にする事で利を得んとする悪の自浄能力を教育レベルから否定した。

よって、胡散臭さで溢れた。

胡散臭さから犠牲になるのは大衆迎合教育で洗脳された個体である。つまり、大衆迎合教育とは騙される事を前提に構成していると考えるべきではなかろうか?

大衆迎合教育は、騙される個を作り、それらを何万体と作り上げ、美徳を用い操り人形がごとく手となり足となる個体を作る。見かけは人間とされながら、扱いは騙される人形。

このような扱いを受ける危険な国ではなかろうか。



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