(絵:グェルチーノ(Guercino, 1591-1666, 伊)「聖トマスの懐疑」)
『・・・イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
それからトマスに言われた。
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」』
(新約聖書・ヨハネの福音書 20:26-27)
というわけで、さつきの頃そこを示されてから1か月近く、うんうんと悩んでいた。
ありがたいことに、イエスは、
「四の五の言わず、信じろ!」
「論理じゃない! 受け入れるんだ!!」
・・・などと、無茶を言う方ではない。
冒頭にあるように、トマスに対して、確認することを勧めている。
<それを信じることも。>
(あのときのように、イエス様が現れてくれたら、ありがたいんだが・・・)
トマス然り。
キリスト者を迫害していた、サウロ(のちのパウロ)然り。
見た者は、見た、というほかなく、
見ていない者は、信じられない、と言う。
信じた者は、本当なんだ!、と言い、
聞かされた者は、まさか、と言う。
ある人々は信じ、ある人々は笑う(使徒28:24, 17:32)。
これに関しては、
足して2で割る、ということは不可だ。
(とは言っても、私たち自身、肉体をもったイエス・キリストを見たわけではないんだよな)
だが、信じている。
これは、信じたいから、信じたわけではない。
何かにすがりたかったから、信じたわけではない。
信じざるをえなかったから、信じた。
(・・・どうして、『信じざるをえなかった』んだろう。
私は、『いわゆるクリスチャンホーム育ち』ではなく、クリスチャン1世の方々のほうが近いのだが)
場合によっては、『クリスチャン3世』と思われることも多いが、
私の状況を知る人は、
「あの状況下で、よくまあ、集会(教会)に来たり、クリスチャンになったもんだ」と評する。
言っておくが、
周りに流されて、『信じる』ものではない。逆も然り。 (きっぱり)
(・・・ん~、結局・・・あの大きな隔たりが解決するためには・・・)
祈りの中であれ、
夢の中であれ、
大自然の中であれ、
何かのふとしたきっかけであれ、
人は、個人的な 神との出会いが不可欠なんだ。
『・・・イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
それからトマスに言われた。
「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。
手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」』
(新約聖書・ヨハネの福音書 20:26-27)
というわけで、さつきの頃そこを示されてから1か月近く、うんうんと悩んでいた。
ありがたいことに、イエスは、
「四の五の言わず、信じろ!」
「論理じゃない! 受け入れるんだ!!」
・・・などと、無茶を言う方ではない。
冒頭にあるように、トマスに対して、確認することを勧めている。
<それを信じることも。>
(あのときのように、イエス様が現れてくれたら、ありがたいんだが・・・)
トマス然り。
キリスト者を迫害していた、サウロ(のちのパウロ)然り。
見た者は、見た、というほかなく、
見ていない者は、信じられない、と言う。
信じた者は、本当なんだ!、と言い、
聞かされた者は、まさか、と言う。
ある人々は信じ、ある人々は笑う(使徒28:24, 17:32)。
これに関しては、
足して2で割る、ということは不可だ。
(とは言っても、私たち自身、肉体をもったイエス・キリストを見たわけではないんだよな)
だが、信じている。
これは、信じたいから、信じたわけではない。
何かにすがりたかったから、信じたわけではない。
信じざるをえなかったから、信じた。
(・・・どうして、『信じざるをえなかった』んだろう。
私は、『いわゆるクリスチャンホーム育ち』ではなく、クリスチャン1世の方々のほうが近いのだが)
場合によっては、『クリスチャン3世』と思われることも多いが、
私の状況を知る人は、
「あの状況下で、よくまあ、集会(教会)に来たり、クリスチャンになったもんだ」と評する。
言っておくが、
周りに流されて、『信じる』ものではない。逆も然り。 (きっぱり)
(・・・ん~、結局・・・あの大きな隔たりが解決するためには・・・)
祈りの中であれ、
夢の中であれ、
大自然の中であれ、
何かのふとしたきっかけであれ、
人は、個人的な 神との出会いが不可欠なんだ。