雑記。
(続き)
「トリックスター」。
「『二つの領域をまたがって、媒介する者』だよ」。 3)
「内田樹の研究室『七人の侍』の組織論」を紹介された。
・・・『七人の侍』を見ていないので、なんとも言えないのだが、とりあえず、二つの異なる領域のはざまにある者、らしい。確かに、私が、問題を感じている<課題としている>分野のひとつだ。
たとえば、ある分野の多くの人は「『学び』のほうが難しい」と事もなげに言う。だが、実際には、それぞれ別の難しさと知恵が必要とされる。そして、そこを軽視するならば、結局のところ、すべてを軽く扱っていることになる。無意識に。歯がゆいほど、無意識に。
「トリックスターとは「二つの領域にまたがって生きるもの」のことである。
それゆえ秩序紊乱者という役割を果たすと同時に、まさに静態的秩序をかきみだすことによって、それまでつながりをもたなかった二つの界域を「ブリッジ」することができる」(同上)
**********************
~山岡鐵舟は「幕末三舟」と呼ばれた功臣でありながら、維新後は明治天皇の侍従として重用された。知友は清河八郎、松岡萬、清水次郎長、三遊亭円朝、市川団十郎など実に他分野にまたがっている。
私はこの山岡鐵舟こそ近代日本における「トリックスター」のロールモデルだったのではないかと思っている。
鐵舟のもっとも有名な逸話は、勝海舟に依頼されて、江戸開城の談判のために益満休之助ただひとりを同行して東海道を下った話である。
鐵舟が六郷川をわたると篠原國幹が率いる薩摩藩の鉄砲隊に遭遇した。
鐵舟はそのまま単身ずかずかと本陣に入り、「朝敵徳川慶喜家来山岡鐵太郎大総督府へ通る」と一喝した。
篠原は山岡の剣幕に圧倒されて手も出ず、口もきけなかったという。
そうやって鐵舟は紅海を渡ったモーゼのように官軍のまっただなかを突っ切って、神奈川駅の西郷のもとにたどりついたのである。
江戸は「徳川幕府」の世界である。多摩川の西は「官軍」の世界である。
このふたつの世界は別のロジック、別の原理で機能している。
その「あわい」で適切にふるまうためには、幕臣としての忠誠を貫いても通らないし、官軍の威勢に屈しても通らない。
そのとき、鐵舟はそのどちらでもない条理に基づいて行動してみせた。
「朝敵家来」という鐵舟の名乗りは、彼が幕臣としての自分の立場に固執している限り、決して出てくるはずのないことばである。 3)
これは官軍から鐵舟を見たときの彼の立ち位置である。
その「朝敵家来」という「他者からの規定」を引き受け、かつそれを論理によってではなく「朝敵家来が現にここに存在して、官軍将兵を圧倒している」という事実によって否定するという大技を鐵舟はここで繰り出してみせた。
・・・(中略)・・・
複数の視点から同じ問題をみると、見える風景が変わってくる。
鐵舟は「王師の道」から問題を論じ、「君臣の情」から問題を論じ、幕臣の立場から論じ、西郷の立場から論じる。
そのような自在な視点の転換ができるということ、矛盾を矛盾のまま引き受けることができるという点がトリックスターの知のありようなのである。「内田樹の研究室『メディア・リテラシーとトリックスター』」より~
***************
ちなみに、こんなものも見つけた。
【 trickster 】
神話・民話などに登場する、いたずら者。心理学者のユングがその著書「元型論」で「トリックスター元型」として人間の超個人的性格類型として取り上げたことでも知られます。
秩序と混沌、文化と自然、善と悪など対立する二世界の間を行き来し、知恵と策略をもって新しい状況を生みだす媒介者。
トリックスターは二面性をもっている。悪がしこい策略家で、他人をわなにかけたり、物をうばったり、殺したりするような存在である一方で、自分が仕掛けた罠に自ら掛かったりするような、愚かな失敗をするこっけいな人物でもある。また、トリックスターは、そのずるがしこさ、策略などをもちいて、人間が文化的存在としてあるためになくてはならない重要な物や知識、技術など、たとえば火や作物を人間にもたらす文化英雄でもある。つまり、トリックスターは、一面 では社会秩序、文化秩序、道徳規範を破壊する存在であり、反面では文化の成立、秩序の確立をもたらすという、両義的存在である。
芸術家が全てトリックスターかというとそうではないと思います。ファインアートはトリックスターから生まれると言うことは確かでしょう。芸術家の中にも、トリックスターとして秩序を破壊して新しい価値を投げかけるタイプと、トリックスターが破壊して生まれた新しい価値に気づき、その価値を新しい秩序として構築していくタイプ 4)と、その新しい秩序がしっかりと構築されたものを伝承していくタイプがあると思います。平たく言うと「創造者」と「二番煎じ」と「工芸家」ってことかな。・・・ (「トリックスター」より)
<トリックスターな神話・歴史上の人物>
プロメテウス(ギリシア神話) 3)、きっちょむさん、(なぜか)ねずみ男etc
*****************
(・・・まあ、そういう見方も、ある、ということか。ふむ。)
有り体に言えば、「風変わり」「バカ」となるか。
そういう自分を受け入れろ、と言いたいのか。
・・・ありがとう。
*****************
【ついでに】
(そもそも、「福音」それ自体が、日本において、いくら「共通項」から出発しても、ある面、根本的には「破壊と創造」なわけであり、爆発的なエネルギーが必要であり、伝々虫にはトリックスター的要素がないと務まらないが、
また、同じ言語を使っていても、それぞれがそれぞれに異文化であり、良きにつけ悪しきにつけ、それを認識していようとしていまいと、それぞれが一人ひとり宣教師 2)であり、
創造性・独創性という点において、「××の資質」の最後に出てくる「フィリピン人(現地の人,他の価値観を持つ集団)とアメリカ人宣教師全体(同じ価値観を持つ集団)との、ギャップを埋める働き」は、そこかしこで必要とされるものであるが、
それとはまた、別のような気もする)
***************
【注】
1)ググる:googleで検索する、の意。
2)日本では、クリスチャン人口は1%程度という。つまり、あなたがもしクリスチャンであるならば、
「クリスチャンって、こんな人なのね」
「へ~。聖書って、そういうことを言っているんだ」
と、良きにつけ悪しきにつけ、それを認識していようとしていまいと、それを望もうと、望むまいと、一人ひとりが「他国にいる宣教師」状態。
それは、仏教徒やムスリム、東北人や関西人、それぞれにも同様。
ちなみに、「××の資質」で興味深い考察がなされている。
***************
【後日追加】
3)二つの領域をまたがる者、自分の立場に固執している限り決して出てくるはずのないことば、プロメテウスの火
・・・ああなるほど。これは、実のところ、私が目標としているお方の一つの側面だ。ピリピ2:6-8,ルカ12:49他
確かに、人(昔のユダヤの人々)の立場から言えば、彼は、「秩序紊乱者」であり、既存の価値観・宗教を見事に壊して、「新たな道」を「創造」したことになる。なるほど、クリスチャンではない方々が、イエスを尊敬する点として、そういうことを述べていたが、なるほど、これはそういう意味か。
(昔は、そんなことを言われたら「イエス様をバカにしている!」と感じたものだが、相手は、イエスを心から賞賛していたわけですな。視点の違いですな。なるほど。確かに、これをある程度、自在にできなければ、異邦人の中で伝々虫やれるわけがない…むろん、そのすべてに祈りと導きが必要。)
4)これは「パウロ」っぽい気がするのは、自分だけだろうか…。
長文失礼。
(続き)
「トリックスター」。
「『二つの領域をまたがって、媒介する者』だよ」。 3)
「内田樹の研究室『七人の侍』の組織論」を紹介された。
・・・『七人の侍』を見ていないので、なんとも言えないのだが、とりあえず、二つの異なる領域のはざまにある者、らしい。確かに、私が、問題を感じている<課題としている>分野のひとつだ。
たとえば、ある分野の多くの人は「『学び』のほうが難しい」と事もなげに言う。だが、実際には、それぞれ別の難しさと知恵が必要とされる。そして、そこを軽視するならば、結局のところ、すべてを軽く扱っていることになる。無意識に。歯がゆいほど、無意識に。
「トリックスターとは「二つの領域にまたがって生きるもの」のことである。
それゆえ秩序紊乱者という役割を果たすと同時に、まさに静態的秩序をかきみだすことによって、それまでつながりをもたなかった二つの界域を「ブリッジ」することができる」(同上)
**********************
~山岡鐵舟は「幕末三舟」と呼ばれた功臣でありながら、維新後は明治天皇の侍従として重用された。知友は清河八郎、松岡萬、清水次郎長、三遊亭円朝、市川団十郎など実に他分野にまたがっている。
私はこの山岡鐵舟こそ近代日本における「トリックスター」のロールモデルだったのではないかと思っている。
鐵舟のもっとも有名な逸話は、勝海舟に依頼されて、江戸開城の談判のために益満休之助ただひとりを同行して東海道を下った話である。
鐵舟が六郷川をわたると篠原國幹が率いる薩摩藩の鉄砲隊に遭遇した。
鐵舟はそのまま単身ずかずかと本陣に入り、「朝敵徳川慶喜家来山岡鐵太郎大総督府へ通る」と一喝した。
篠原は山岡の剣幕に圧倒されて手も出ず、口もきけなかったという。
そうやって鐵舟は紅海を渡ったモーゼのように官軍のまっただなかを突っ切って、神奈川駅の西郷のもとにたどりついたのである。
江戸は「徳川幕府」の世界である。多摩川の西は「官軍」の世界である。
このふたつの世界は別のロジック、別の原理で機能している。
その「あわい」で適切にふるまうためには、幕臣としての忠誠を貫いても通らないし、官軍の威勢に屈しても通らない。
そのとき、鐵舟はそのどちらでもない条理に基づいて行動してみせた。
「朝敵家来」という鐵舟の名乗りは、彼が幕臣としての自分の立場に固執している限り、決して出てくるはずのないことばである。 3)
これは官軍から鐵舟を見たときの彼の立ち位置である。
その「朝敵家来」という「他者からの規定」を引き受け、かつそれを論理によってではなく「朝敵家来が現にここに存在して、官軍将兵を圧倒している」という事実によって否定するという大技を鐵舟はここで繰り出してみせた。
・・・(中略)・・・
複数の視点から同じ問題をみると、見える風景が変わってくる。
鐵舟は「王師の道」から問題を論じ、「君臣の情」から問題を論じ、幕臣の立場から論じ、西郷の立場から論じる。
そのような自在な視点の転換ができるということ、矛盾を矛盾のまま引き受けることができるという点がトリックスターの知のありようなのである。「内田樹の研究室『メディア・リテラシーとトリックスター』」より~
***************
ちなみに、こんなものも見つけた。
【 trickster 】
神話・民話などに登場する、いたずら者。心理学者のユングがその著書「元型論」で「トリックスター元型」として人間の超個人的性格類型として取り上げたことでも知られます。
秩序と混沌、文化と自然、善と悪など対立する二世界の間を行き来し、知恵と策略をもって新しい状況を生みだす媒介者。
トリックスターは二面性をもっている。悪がしこい策略家で、他人をわなにかけたり、物をうばったり、殺したりするような存在である一方で、自分が仕掛けた罠に自ら掛かったりするような、愚かな失敗をするこっけいな人物でもある。また、トリックスターは、そのずるがしこさ、策略などをもちいて、人間が文化的存在としてあるためになくてはならない重要な物や知識、技術など、たとえば火や作物を人間にもたらす文化英雄でもある。つまり、トリックスターは、一面 では社会秩序、文化秩序、道徳規範を破壊する存在であり、反面では文化の成立、秩序の確立をもたらすという、両義的存在である。
芸術家が全てトリックスターかというとそうではないと思います。ファインアートはトリックスターから生まれると言うことは確かでしょう。芸術家の中にも、トリックスターとして秩序を破壊して新しい価値を投げかけるタイプと、トリックスターが破壊して生まれた新しい価値に気づき、その価値を新しい秩序として構築していくタイプ 4)と、その新しい秩序がしっかりと構築されたものを伝承していくタイプがあると思います。平たく言うと「創造者」と「二番煎じ」と「工芸家」ってことかな。・・・ (「トリックスター」より)
<トリックスターな神話・歴史上の人物>
プロメテウス(ギリシア神話) 3)、きっちょむさん、(なぜか)ねずみ男etc
*****************
(・・・まあ、そういう見方も、ある、ということか。ふむ。)
有り体に言えば、「風変わり」「バカ」となるか。
そういう自分を受け入れろ、と言いたいのか。
・・・ありがとう。
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【ついでに】
(そもそも、「福音」それ自体が、日本において、いくら「共通項」から出発しても、ある面、根本的には「破壊と創造」なわけであり、爆発的なエネルギーが必要であり、伝々虫にはトリックスター的要素がないと務まらないが、
また、同じ言語を使っていても、それぞれがそれぞれに異文化であり、良きにつけ悪しきにつけ、それを認識していようとしていまいと、それぞれが一人ひとり宣教師 2)であり、
創造性・独創性という点において、「××の資質」の最後に出てくる「フィリピン人(現地の人,他の価値観を持つ集団)とアメリカ人宣教師全体(同じ価値観を持つ集団)との、ギャップを埋める働き」は、そこかしこで必要とされるものであるが、
それとはまた、別のような気もする)
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【注】
1)ググる:googleで検索する、の意。
2)日本では、クリスチャン人口は1%程度という。つまり、あなたがもしクリスチャンであるならば、
「クリスチャンって、こんな人なのね」
「へ~。聖書って、そういうことを言っているんだ」
と、良きにつけ悪しきにつけ、それを認識していようとしていまいと、それを望もうと、望むまいと、一人ひとりが「他国にいる宣教師」状態。
それは、仏教徒やムスリム、東北人や関西人、それぞれにも同様。
ちなみに、「××の資質」で興味深い考察がなされている。
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【後日追加】
3)二つの領域をまたがる者、自分の立場に固執している限り決して出てくるはずのないことば、プロメテウスの火
・・・ああなるほど。これは、実のところ、私が目標としているお方の一つの側面だ。ピリピ2:6-8,ルカ12:49他
確かに、人(昔のユダヤの人々)の立場から言えば、彼は、「秩序紊乱者」であり、既存の価値観・宗教を見事に壊して、「新たな道」を「創造」したことになる。なるほど、クリスチャンではない方々が、イエスを尊敬する点として、そういうことを述べていたが、なるほど、これはそういう意味か。
(昔は、そんなことを言われたら「イエス様をバカにしている!」と感じたものだが、相手は、イエスを心から賞賛していたわけですな。視点の違いですな。なるほど。確かに、これをある程度、自在にできなければ、異邦人の中で伝々虫やれるわけがない…むろん、そのすべてに祈りと導きが必要。)
4)これは「パウロ」っぽい気がするのは、自分だけだろうか…。
長文失礼。