飛鳥への旅

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中将姫伝説を訪ねて2:高林寺(奈良市井上町)

2009年02月14日 | 中将姫伝説を訪ねて
中将姫の父である藤原豊成の屋敷跡と伝えられている。


 誕生寺からひと筋東に融通念仏宗豊成山高坊「高林寺」がある。
元々は元興寺の一院だったが、光仁天皇の頃に中将姫に仕えて尼になった藤原魚名の娘が、中将姫の入寂後、豊成卿の廟塔を護るためにこの寺にはいり尼寺としたという。また安土・桃山時代には奈良茶人「高坊」(たかぼう)一族が住み、奈良まちの数寄者(すきしゃ)の一大群落、一大サロンを形成しており、茶室「高坊」はこの数寄者を顕彰するために建てられている。その後1810年頃(文化年間)寿保尼を迎え『今中将姫』と仰がれ中興初代として復興した。
本堂には、厨子入りの中将姫と父・藤原豊成公の坐像が安置されており、尼寺で中将姫修道霊場でもある。
毎年4月13日に中将法如尼御忌会式が催される。
門前を南北に延びる道は「上街道(上ツ道)」で、昔は初瀬詣でや、伊勢参りの人々で賑わっていたが、昭和36年奈良と桜井を結ぶ県道が出来てからは、すっかり寂れてきている。
高林寺を訪ねると住職珠慶尼が丁寧に説明と案内をしてくれた。尼寺として代々細々と寺を守ってきた気概が感じられた。


「豊成卿・中将姫父子木像」
本堂に上がると、中央須弥壇の上に並べて安置された黒い厨子の中に、豊成卿と中将姫の木彫りの坐像が拝される。
またガラス張りの箱の中に市松人形が沢山入っている。明治天皇の御局として仕えた高倉子爵の息女「紅葉の内侍」の持ち物だそうだ。祖先の中将姫を慕って、幾度か御家来の女房達を連れてこの寺に参拝されたそうだ。


「豊成卿・中将姫父子対面図」
二上山の男峰・女峰の重なっているようすは、この屋敷から眺めた二上の山だと想像できる。


本堂横に、直径2.5mの円墳があり、豊成公の墓と云われている。
中世の貴族の奥津城にこのような形式のものが見受けられる。

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