飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(中部):長野県、千曲市倉科 大日堂園地

2012年10月15日 | 万葉アルバム(中部)

人皆の 言(こと)は絶ゆとも 埴科(はにしな)の
石井(いしゐ)の手児(てご)が 言(こと)な絶えそね
   =巻14-3398 作者未詳=


 世の中のすべての人の言い伝えが忘れられても、埴科の石井の美しい乙女の言い伝えはどうか絶やさないで欲しい。という意味。

手児は手児奈(てこな)で、万葉のころの美女。手児奈は、たくさんの男性に慕われるが全て断わるので、男達は手児奈を巡り相争ったため、誰かをとると他のものを不幸にしてしまうと、入り江に身を投げてしまうという、伝説の乙女。
各地に同様の伝説があり、千葉県市川の手児奈伝説は有名。


大日堂園地の上にある大日堂
大日堂は松代城初代城主真田信之の次女康子姫(見樹院)が如来を祀る堂として1673(寛文13)年に建立したお堂。

大日堂の下に池があり、その池の周りに、たくさんの碑が置かれており、手前の池の畔に万葉歌碑が建っている。


説明板によると、歌にある「埴科の石井」はこの地である、とされている。又、更埴市とあるが、更埴市は2003年に上山田町、戸倉町と合併し、現在は千曲市となっている。
そして万葉歌碑は奈良時代(推定年代759年「万葉集成る」)に建立されたとあり、驚き!
また康子姫が建立した大日堂の園地に美しい手児の万葉歌碑があるのは何かの縁なのか、調べてみたがまだわからないままである。

この地は千曲市倉科(くらしな)の中の石杭(いしくい)という地区で石杭は石井から変化したもので、明治末まで石井神社があり、「埴科の石井」はこの園地の泉という説がある。