前回、早稲田大学を訪ねたので、早いうちにと今回は慶応大学を訪ねることにした。
慶応大学は私の母校、久しぶりの訪問に若き日の思い出が重なる。
三田・慶大から元麻布へと散策し、広尾が終点のコース。
天気はいまいちだったが、雨にはならず、肌寒いが真冬の散策を楽しむことができた。
JR「田町駅」下車。
慶応通り
学生時代はここでワンダーフォーゲル部のコンパを行った思い出がある。
三田二丁目交差点
ここまで来ると、慶応大学を望める。
<慶応大学>
東門
図書館(旧館)
現在はリフォーム中で内部展観ができなかった。
入口上部にペン・マーク(校章)が見える
入口から覗くと、ステンドグラスの一部が見えた
これがステンドグラスの全体図(関連サイトより)
福沢諭吉胸像
塾監局
三田演説館
福澤諭吉によって建設された我が国最初の演説会堂。開館は明治8年(1875年)5月1日、はじめはいまの塾監局の北端のあたりにあったが、大正13年(1924年)に現在のところに移築された。
北側に残る古いレンガ壁
佐藤春夫の詩碑
『殉情詩集』に収められし『断章』一篇
「さまよひ来れば 秋草の ひとつ残りて咲きにけり おもかげ見えてなつかしく 手折ればくるし花散りぬ」が刻まれている。
北門を抜け、綱坂から日向坂を歩く。
綱町三井倶楽部
大正2年、三井家の賓客接待用として建てられたもの。以前ここで甥の結婚式があり参列したことがあった。
<善福寺>
空海が開山した都内でも最古の寺院のひとつ。
山門から寺域を望む 後方は元麻布ヒルズ
鐘楼(左)、越路吹雪の墓(中)、逆さイチョウ(右)
鐘楼の鐘が正午の時を自動仕掛けで鳴らしていた。
逆さイチョウ
親鸞が善福寺を去る時に持っていたイチョウの杖を地面に突き立てたのが始まりという。
推定樹齢700年の天然記念物。
このあと、近くの永坂更科布屋太兵衛で昼食。
一本松坂を広尾まで歩く
一本松(左)がある一本松坂
源経基公が、平将門公を征伐に来た際、一軒の民家に宿泊した。翌朝、出立する際に、装束を脱いだ衣服をかけたのがこの松だと伝えられている。
安藤記念教会
大正6年完成の珍しい大谷石造り。現在は蔦に蔽われ大変趣がある。
都立中央図書館
「東京の鉄道史」展示
明治・大正・昭和初期の鉄道のようすが分りやすくパネルで展示されており、関係図書が閲覧できた。
有栖川宮記念公園、園内の梅の花
広尾に出て、商店街をぶらつき、
日比谷線「広尾駅」から帰路についた。
慶応大学は私の母校、久しぶりの訪問に若き日の思い出が重なる。
三田・慶大から元麻布へと散策し、広尾が終点のコース。
天気はいまいちだったが、雨にはならず、肌寒いが真冬の散策を楽しむことができた。
JR「田町駅」下車。
慶応通り
学生時代はここでワンダーフォーゲル部のコンパを行った思い出がある。
三田二丁目交差点
ここまで来ると、慶応大学を望める。
<慶応大学>
東門
図書館(旧館)
現在はリフォーム中で内部展観ができなかった。
入口上部にペン・マーク(校章)が見える
入口から覗くと、ステンドグラスの一部が見えた
これがステンドグラスの全体図(関連サイトより)
福沢諭吉胸像
塾監局
三田演説館
福澤諭吉によって建設された我が国最初の演説会堂。開館は明治8年(1875年)5月1日、はじめはいまの塾監局の北端のあたりにあったが、大正13年(1924年)に現在のところに移築された。
北側に残る古いレンガ壁
佐藤春夫の詩碑
『殉情詩集』に収められし『断章』一篇
「さまよひ来れば 秋草の ひとつ残りて咲きにけり おもかげ見えてなつかしく 手折ればくるし花散りぬ」が刻まれている。
北門を抜け、綱坂から日向坂を歩く。
綱町三井倶楽部
大正2年、三井家の賓客接待用として建てられたもの。以前ここで甥の結婚式があり参列したことがあった。
<善福寺>
空海が開山した都内でも最古の寺院のひとつ。
山門から寺域を望む 後方は元麻布ヒルズ
鐘楼(左)、越路吹雪の墓(中)、逆さイチョウ(右)
鐘楼の鐘が正午の時を自動仕掛けで鳴らしていた。
逆さイチョウ
親鸞が善福寺を去る時に持っていたイチョウの杖を地面に突き立てたのが始まりという。
推定樹齢700年の天然記念物。
このあと、近くの永坂更科布屋太兵衛で昼食。
一本松坂を広尾まで歩く
一本松(左)がある一本松坂
源経基公が、平将門公を征伐に来た際、一軒の民家に宿泊した。翌朝、出立する際に、装束を脱いだ衣服をかけたのがこの松だと伝えられている。
安藤記念教会
大正6年完成の珍しい大谷石造り。現在は蔦に蔽われ大変趣がある。
都立中央図書館
「東京の鉄道史」展示
明治・大正・昭和初期の鉄道のようすが分りやすくパネルで展示されており、関係図書が閲覧できた。
有栖川宮記念公園、園内の梅の花
広尾に出て、商店街をぶらつき、
日比谷線「広尾駅」から帰路についた。