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本郷 明治の文豪ゆかりの地

2015年10月07日 | 散歩
 本郷は明治の文豪、樋口一葉・夏目漱石・石川啄木らのゆかりの地であった。
今もわずかながら、その痕跡が残っており、それをたどる散歩も楽しいものだ。
以前も歩いたところだが、今回は樋口一葉・夏目漱石の名作を読破したあとなので、
感慨も新たに、歩いてみようと思う。


地下鉄「本郷三丁目」駅下車


文京ふるさと歴史館
1階「出会いの場」:文京区の歴史の流れの展示。
2階「テーマ展示」:くらしの風景、まちの風景、文化の風景


展示内容(昔のくらし)


展示内容(明治の文豪) 一葉の初版本などが展示されていた


炭団(たどん)坂
この急な坂を下ったところに、一葉の旧宅がある。

 ところが、この旧宅がなかなか見つからず、坂を戻ったりして、やっと見つけた。
突き当りの狭い私道の両側に古い家屋が貼りついているような、
明治時代のくらしの情景がずっと止まったまま現在まで残ってゐるような印象を受けた。


階段左右に残る木造三階住宅
一葉が住んでいたという。今でも誰かが住んでいるような気配が感じられる。
樋口一葉
24年間の短い生涯のうち、約10年間現在の文京区内に住んだ。
この地には、父の死後移り、母と妹を養いながらこの地の貸家で小説家として立つ決意をし、半井桃水の指導を受けながら、『闇桜』『たま襷』『別れ霜』『五月雨』などの小説を執筆した。
『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』など今も読み継がれる作品や多くの和歌を残している。


一葉が使用していた頃の井戸が残ってゐた


昔のモダンな様式の住宅
当時の旅館か下宿だったのだろうか。


鐙(あぶみ)坂
この界隈はあちこちと坂が多い

 菊坂に出て、ちょうど昼食タイム。ロシア料理の店があったので、そこで昼食。



菊坂にある旧伊勢屋質店
樋口一葉が菊坂の家に住んでいたときから、生活が苦しくなるたびに通った質屋。
質屋が史跡に残ってゐるなんて、ちょっと一葉がかわいそうな気がする。


菊坂を登る


途中、木造三階建て住宅と奥にモダンな文京区役所がみえる、新旧のコントラスト!


本妙寺坂にあるマンション玄関に架かっている案内
これから訪ねる本郷菊坂ホテルを定宿としていた文人たちだ。


本郷菊坂ホテル跡の碑
大正から昭和10年代後半にかけて、数多くの著名な文学者、芸術家、学者、思想家たちが、数ヵ月、あるいは数年にわたって滞在し、ここを舞台に数々のエピソードを残している。
宿泊者の顔ぶれは、竹久夢二、大杉栄、菊池寛、谷崎潤一郎、尾崎士郎、宇野千代、宇野浩二、直木三十五、三木清、広津和郎、正宗白鳥、宮本百合子、石川淳、坂口安吾、・・・・・・といった、当時を代表する、錚々たる人々であった。


現在の本郷菊坂ホテル跡地


鳳明館
鳳明館本館は、明治時代の下宿屋を、昭和になって旅館に模様替え したと言われており、登録有形文化財に指定されている歴史ある旅館。かつて中学 の修学旅行でこの旅館を宿泊場所として多く利用されていたようだ。


徳田秋声旧宅
徳田秋声は金沢から上京後、現在の文京区内で居を代えたが、明治38年から没するまでこの地に住んだ。
『新所帯』『黴』『あらくれ』など数多くの名作を生み出した。


本郷通りに出る


東大正門を入る


安田講堂がみえる


三四郎池
夏目漱石「三四郎」、三四郎が美禰子を初めて見たのは、ここ三四郎池のほとりだった。


池のほとり


東大赤門

 帰りは春日通りを下り、地下鉄千代田線「湯島」駅へ。

帰って気が付いたが、
「樋口一葉」ゆかりの寺である「法真寺」(東大赤門の前あたり)を見て来るのを忘れてしまった!
樋口家は明治9年にこの法真寺の隣に居を移し、一葉は9歳まで5年間住んだという。
いずれかの機会に行ってみよう。

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