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芝・増上寺と周辺散策

2011年07月27日 | 散歩
             (増上寺と周辺マップ)

芝増上寺とその周辺をぶらり散歩。周辺といっても、全てかつての増上寺境内なのです。歩く距離は少ないようだが、見所は多いようで期待大だったが、実際歩いてみて現在と過去が共存し癒される場所がまだまだ東京に残っていると実感した。。


地下鉄「大門」駅からスタート 10時30分過ぎ


地下鉄から出ると、道の奥に大門が見える。


増上寺大門
増上寺の総門のことを指す。現在の総門は昭和12年に作られた、コンクリート造。かつては、ここから先が増上寺の寺域だった。
大門から大殿本堂に至る道のりは、穢土(えど)(我々の世界)から極楽浄土に至る世界を表している。


芝大神宮
伊勢神宮の内外両宮の祭神を祀ることから、関東における伊勢信仰の中心的な役割を担い、「関東のお伊勢様」とも評された。
文化2年(1805)の1月11日、め組と相撲取りとの大喧嘩があり、36人もの逮捕者を出す大騒ぎとなった。 この時の喧嘩の当事者のひとり、め組の辰五郎は現代の時代劇にも名を残している。

これから増上寺境内に入る。


増上寺三門
三解脱門ともいう。(重要文化財) 戦災をまぬがれた建物の1つで、元和8年(1622年)建立の東日本最大級を誇る二重門(重層で、各層に屋根が付く門)。
この門をくぐると、三毒(3つの煩悩、即ち貪=むさぼり、瞋=いかり、癡=おろかさ)から解脱できるとされる。

増上寺は浄土宗の七大本山の一つで、正式には三縁山広度院増上寺という。江戸貝塚(千代田区紀尾井町)に創建され江戸時代の初めに徳川家康の帰依を受け大伽藍を造営。以来徳川家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆した。


三門から大殿を眺める


「お江の眠る寺・増上寺」のポスターが貼られていた。
現在放映中のNHK大河ドラマ「江(ごう)」、江が3番目の夫である徳川秀忠(のちの二代将軍)に嫁ぐ時期が迫っている。


大殿
昭和四十九年(一九七四)、浄土宗開宗八百年の記念事業として、戦災に遇った大本堂を再建したもの。
紅白の東京タワーとの対比が綺麗である。


大殿内陣
本尊の阿弥陀如来像(室町期製作)、両脇陣に、浄土宗の高祖・善導大師像、元祖・法然上人像が安置されている。
しばらく椅子に腰掛けて、僧侶の読経を聞いていた。堂内に響き渡る声明が心に響き癒されるようだ。


安国殿
安国殿家康公の法名(安国院殿)からその名をとり、本尊は家康公の念持仏として有名な「黒本尊阿弥陀如来」である。
となりに見えるのは、芝東京プリンスホテル。


増上寺の絵馬、三門(左)と「お江」(右)


千躰子育地蔵
たくさんの石仏が整然と並んでいる。かわいらしい姿である。

この奥に徳川将軍家墓所がある。
今日は公開日ではないと思っていたが、NHK大河ドラマ「江」のおかげで、なんと公開されていた。ほんとにラッキー!拝観料500円で入る、りっぱな絵葉書が付いていた。


徳川将軍家墓所
昭和33年から文化財保護委員会の許可を得て詳細なる学術調査が行われ、
南北に配していた墓所は本堂裏手の現在地に改装された。


鋳抜門(旧国宝)
黒光りする荘厳な門は鋳抜(いぬき)門。正しくは唐門(からもん)と言う。
日光東照宮をも凌ぐ華麗さと評判だったが、昭和20年3月 東京大空襲により、その大半が焼失された。残された鋳抜門に、かつての栄華を偲ぶほかはないが、重厚で貫禄十分なつくりだ。。


徳川将軍家墓所内
こちらの墓所に埋葬されているのは、二代秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の六人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠公夫人・お江)、皇女和宮(十四代家茂公夫人)ら五人の正室、三代家光側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ五人の側室、及び三代家光第三子甲府宰相綱重ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されている。
奥右手に二代将軍秀忠公夫妻の宝塔がある。


二代将軍秀忠公夫妻の宝塔(石塔)
秀忠公宝塔は焼失したため、正室江与殿の宝塔に合祀されている。
別々に埋葬されていたのが、戦災によりその後昭和33年(1958)に荼毘に付され合祀され、300年以上経て夫婦いっしょになったことになる。それで良かったかもしれないと思った。


皇女和宮(十四代家茂公夫人)の宝塔(青銅製)
没後遺体を京都へ戻すよう沙汰があったが、本人の遺言にしたがい、家茂公石塔と並んで祀られた。


焼失前の二代将軍秀忠公夫妻霊廟
旧徳川将軍家霊廟は御霊屋ともよばれ、増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいた。
御霊を祀るために造営された墓所・本殿・拝殿を中心とした施設の数々には、
その当時最高の技術が駆使され、戦前国宝に指定されていた。
その荘厳さ豪華さは日光東照宮に匹敵する程のものだったという。
これらは戦災によって焼失してしまった。


四菩薩像
右から普賢菩薩・地蔵菩薩・虚空蔵菩薩・文殊菩薩、1258年の作と伝えられる古い石像である。かわいらしさが感じられる石像で今後人気がでるのではないか。

増上寺参詣を終え、芝公園先にあるそばやを目指す。


芝公園
日本最初の都市公園の一つで、敷地面積は12万2000平方メートルある。


園内には、万延元年遣米施設記念碑、開拓使仮学校跡、ぺルリ提督像などがある。
楠木が多く植えられており木陰で憩うサラリーマンの姿が目立つ。


そばや昌平(芝公園2-12)、十割そば二枚もり
芝公園先にあるのを見つけて入り、十割そばを注文。こしがあり旨かった。
ちなみにKさんの注文した角煮そばもおいしそうなのでアップした。

 角煮そば

昼食をすまし、芝公園の古墳側を散策。


古墳があるほうの芝公園内に入ると、急に都会の中のオアシスのようだ


芝丸山古墳
東京タワーから見下ろせる芝公園の中に、5世紀後半築造と考えられている都内では最大の前方後円墳、『丸山古墳』がある。都会の真ん中にこの静けさはなんなんだろうか。
かつて古墳の頂上に増上寺五重塔が建っていたとか。


円山稲荷
円山稲荷は、増上寺の裏鬼門に位置し、山内鎮守の重要な地を占め、史跡として指定 されている丸山古墳上にある。


ザ・プリンス パークタワー東京
丸山古墳のすぐうしろにある近代的なホテル。何百年かタイムスリップしたようだ。


芝公園から見た東京タワー、手前は平和の灯
東京タワーもかつての増上寺境内に建てられているのだ。


芝東照宮
明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて芝東照宮となり、徳川家康を祀っている。


増上寺の台徳院(二代秀忠)霊廟 惣門
増上寺山内の南端に位置する台徳院霊廟は、寛永9年(1632)に造営されたもので、2代将軍徳川秀忠の廟所。芝の徳川家霊廟の中で、最も規模が大きく、地形の起伏を利用した壮麗な建築群を誇っていた。しかし、昭和20年(1945)の戦災に際して、罹災を免れたのはわずかに惣門、勅額門、御成門、丁字門のみ。惣門が現地に保存され、それ以外の門は狭山不動寺(埼玉県)へと移築されて現存している。


増上寺旧方丈門(黒門)
増上寺(庫裡)の表門であったので方丈門とよばれ、また全体が黒漆塗であったため
黒門ともよばれた。
 四脚門で、建造年代を明らかにする棟札などの記録は見出せないが、江戸時代初期の
特徴を示す様式から十七世紀後半のものと推測される。蟇股には唐獅子や牡丹が浮彫さ
れていて、精巧で写実的な図柄は、近世の建築彫刻の特色を示している。長年の風蝕の
ため、古色をおびているが、桃山建築の豪華さのおもかげがうかがえる。


増上寺の築地塀
日比谷通り南方面を写す。

午後2時過ぎに散策を終え、大門の居酒屋「大門市場」で2次会。
次回は避暑をかねて、”隅田川水上バスで浅草へ”を企画することに決定。


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