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流山駅周辺散策

2011年05月28日 | 散歩
 天気予報では昨日梅雨入りしたと発表があり、今日は台風の影響で朝から小雨が時折降る天気である。
卯月の会では、流山電鉄を利用して流山駅周辺を訪ねる散策に出かけた。
流山駅10時待ち合わせ。


流鉄線「流山駅」ホーム
流鉄線は単線でわずか6つの駅からなる路線である。


流鉄線はそれぞれ違ったカラフルな色彩の車両だ。
右は「小金城址駅」ホームでの単線待ち合わせのシーン。


終点「流山駅」


駅の西側すぐに流山街道が走っている


街道からわき道に入ると、ほどなく、
新撰組流山本陣・近藤勇陣屋跡がある。
流山は、近藤勇が最後に陣営を敷き、ついに自首した地である。近藤勇が流山を選んだ理由はよくわかっていないが、最終目的地である会津へ向かうため、なるべく官軍の手薄な道を選んで途中、分散した同志を集め、新部隊を編成する目的で陣を敷いたと考えられている。
 陣営の地は、常与寺の裏手、現在では、酒類問屋となっているが、当時は長岡屋という酒造家であった。
 官軍は羽口の渡しを渡ってこれを包囲した。流山のまちを兵火にまきこむことを嫌った近藤勇は、ここで自首した。このあと千住に送られ斬首されたとのこと。

当時使われたと言い伝えられる土蔵が往時を偲ばせてくれる。


陣屋跡の案内板


路地の家で夏を呼ぶ、ウツギ(別名:うのはな)が咲いていた


閻魔堂(写真右手の建屋)
閻魔堂は、その名の通り、閻魔大王を祀り、安永5年(1776年)銘の座像が安置されている。
手前に現在でも使われている井戸があった。


旧流山街道に出る


常与寺
鎌倉時代創建の日蓮宗の寺院。


常与寺境内にある高さ4.1mの保存樹木のいちょうの大木。
樹齢を重ねたイチョウは、幹や枝から気根を出し、それが乳房のように見えることから「乳イチョウ」、「垂乳根」ともいわれている。


常与寺境内の千葉師範学校発祥之地の碑
現在の千葉大学文学部の発祥の地ともいわれ明治5年9月(1872年)に教育養成機関として「印旛官員立舎」が置かれた。翌年千葉市に移転の後に千葉師範学校と改称された。


浅間神社
江戸時代創建の旧村社。幕末に新政府軍が境内裏に仮本陣を敷いた。そこにある富士塚は市指定文化財である。


浅間神社の富士塚 本堂うらにある。
残念ながら立ち入り禁止の表示があった。


呉服新川屋店舗 弘文3年(1846)創業の商家、国の登録有形文化財になっている。
土蔵造りの店舗は明治23年(1890)に建築されたもの。


土蔵店舗の鬼瓦、大黒さま


土蔵店舗内
ここの娘さんが店内を説明してくれたり往時の写真帳をみせてくれた。
絵葉書付の手ぬぐいを土産に。

流山で予定していた蕎麦屋が土曜定休だとわかり、急きょ予定を変更して新松戸に行くことにした。流鉄線で幸谷で降りれば、そこが新松戸なのだ。


「幸谷駅」で下車、駅舎はマンションの下階にあった。
マンションが多くある新松戸らしい駅だ。


幸谷駅の前に新松戸駅への高架がつながっている。

新松戸の駅近くにある、そばや「山和(やまわ)」で昼食


鳥焼き・板わさ・花わさびをつまみに生ビールで乾杯。
私は好物の「鴨せいろ」にしたが、なかなか美味しかった。
連れの二人は「えび天ざる」で、大きなえびで満足そうだった。

食事終わって13時、小雨が降る状況もあり、今日はここで解散になった。

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